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DistancE-KANA  作者: 蒼原悠
第五章 distaste――煩想――
41/57

episode41 「俺をこれ以上、苦しめないでくれ……!」


「……ねぇ、どこまで行くの?」

背後で佳奈の尋ねる声がする。「……もう、ちょっと」とだけ、答えた。

辻堂駅前から東へ歩くこと五分。この先には、巨大なショッピングモール「FILL」がある。そこには格安で落ち着いた雰囲気のカフェがある事を、雄介は知っていた。バスを使っても良かったのだが、男女二人でバスなんて使ったら変な目で見られそうで怖かったのだ。

「……ほら、あそこ」

見えてきた高い広告塔を指差して振り返ると、かなり疲れた様子の佳奈が映る。

「……ごめん、すげぇ歩かせちゃって」

ううん、と彼女は首を振って、笑う。「私住んでるのが小田原の方だから、あんまりこっちには来たことなかったんだ。ちょっと、楽しみ」

その微笑みがまた無性に愛おしくて、雄介は下を向く。その耳に、「……伊勢原くんは、どこ住んでるの?」という佳奈の声が届いた。

「……俺は、鎌倉。田舎だよ小田原に比べたら」

わざと自虐の口調でそう言うと、「……そっ、そんな事ないよ!」と返事が返ってきた。


そうこうしてるうちに二人はFILLの軒をくぐって、込み合う店内へと踏み込んでいた。

「……わ、可愛い!」

佳奈が燥ぐ声が、背中を撫でる。振り向くと、夏服姿の少女はショーウィンドウの中の水着──いや、その下に飾ってあるぬいぐるみに、見蕩れていた。

拍子抜けする雄介。なんだ、水着の方じゃないのかよ。いや、その方がいいか。

「……それ売り物じゃないだろ」

苦笑しながら近づくと、途端に顔を耳まで真っ赤にした佳奈はまるで悪戯のばれた子供のように、

「……だって、可愛かったから……」口を尖らせる。


──似合う、かな……。


いつかの佳奈の声が、蘇る。

まだ目的地のカフェには着いてないけど、切り出すとしたら今なのかもしれない。直感が、雄介の背中を押す。

なのに、やっぱり用意していた言葉が出てこなった。

きっと、深刻な表情をしていたのだろう。心配そうな声で、「……どうかしたの?」と佳奈が尋ねてくる。

──いけない。俺が悩むのは勝手だけど、二宮には心配をかけたくない。

「……何でも、ないよ」

結局、雄介の口からはそれしか出なかった。



捜査本部。

「……結局、何も起こりませんでしたね」

後輩の言葉に頷きながら、窘める青葉の姿があった。「おい、なんだそのまるで事件が起こるのを期待してるみたいな言い方は」

「期待してたんですからしょうがないでしょう」

磯子は思わぬ反撃に出てくる。「これだけの警備体制を敷いて頂いたんです。きっととっ捕まえられたはずなのに……」

「そうは言うがな……」

「きっと、二宮カナではないと思うんです」磯子は声を張る。「他に誰か、ぜったいにいる。必ず、やってくる。そう思って、あれだけ厳重な警備をお願いしたんです」

「…………。」

缶を手に、青葉は沈黙した。磯子の言いたいことは分かる。分かるが。


「……俺、もう分からないんですよ」

うって変わって沈んだ声が青葉の身体をすり抜けて、消えてゆく。

「一体、何が起こっているんでしょう。状況証拠で判断すれば、確かに犯人は特定されます。だけど、どうしても俺にはあの娘が犯人には思えなくて……。情に絆されるなんて俺、刑事失格ですね……」

二宮佳奈の事、か。

そりゃ青葉だって、すんなり納得なんか出来ない。移動病院の中で初めて出会ったあの少女は、彼の目にもあんな犯罪行為が出来るような人間には見えなかった。それだけで刑事失格だなんて、

「考えすぎだ」

青葉はわざと険のある声を出した。磯子は自分に同情を期待しているのではないと、思ったのだ。「お前は、お前の信じる道を進めばいいんだ。それが捜査の続行ならそうすればいいし、重要参考人の確保ならそうすればいい。どのみち今の捜査本部はもうすぐ解散になる。そうすりゃもう少し自由が効くようになるさ」

それでも、大切な部下の顔は憂かないままだった。

「……ちょっと、出掛けてきます」

上着を肩にかけ、磯子は部屋を出ていく。口を開きはしたが、止める理由が見当たらない。

代わりに、尋ねた。「……どこへ行くんだ」

「…………俺の、超能力犯罪捜査の原点に」

力ない磯子の声が、廊下に木霊した。



「……二宮は、そういうのが好きなのか?」

しゃがんで熱心にぬいぐるみを眺める佳奈に、雄介は問いかける。スカートでないだけに、しゃがんでもジャンプしても後方宙返りしても大丈夫なのだ。しないと思うが。

「うん、ちょっと」

言ってから、慌てたように佳奈は立ち上がった。「……ごめん、時間使っちゃったね」

「え?いや、俺は大丈夫。今日はまだ暇だから……」

そうは言ってももう午後三時である。

「……まぁ、二宮が勉強したくなったらでいいよ」と付け加えた。

すると佳奈は再びショーウィンドウを振り返り、


「…………。」

今度は水着の方に見入ってしまったらしい。

そっちは勘弁してくれ、と心の中で雄介は祈る。さすがにそれはキツい。浴衣くらいなら──

「……そうだ、こないだもこんな風にショッピングモールで会ったよな」

後ろから話しかけると、佳奈は妙に嬉しそうに振り向いた。「そうだ、あの時似合うって言ってくれたあの浴衣、私あの後買ったんだよ」

!!

「……その、俺に遠慮して?」

「ううん」佳奈は笑った。「前から花火とか見に行くような浴衣、欲しかったんだ。友達にも似合うってお墨付きを貰ったし、買っちゃった」

水着のウィンドウに向き直る。「ちょうど、こんな感じの柄と色だったなーって思って」

「花火か……」久しく聞いていなかったその響きに、雄介は目を細めた。そうか、夏だもんな。

「花火って不思議。火ってつくのに、全然火に見えない。だけど火よりもずーっと、綺麗」

佳奈の独り言に、雄介は黙って耳を傾ける。「……私、火は怖いけど、花火は大好き。どんなに大きな花火も、輝けるのは本の一瞬で、後は真っ暗な空に散って行っちゃう。そこには、何にも残せない。だから見てると心にぽっかり穴が開いたみたいな、切ない気持ちになるんじゃないかなって思う。でもそれが、私は好きなんだ」


佳奈は少し、寂しげに笑った。「……私も、花火みたいな気持ちを抱いた事があったから」


時折浮かべるその悟ったような笑顔を、雄介ははっきりと覚えていた。

佳奈にはそんな顔、しないでほしい。だから、この気持ちを伝えようと決めたんだ。

──今だ。今だ。今だ……。今だ……!


雄介は口を開いた。

開きはした。


あの恐ろしい既視感が再び雄介を襲ったのは、その瞬間だった。


ヴォンッ!

火の粉の爆ぜる音を上げ、一瞬のうちに視界が紅蓮の炎に飲まれる。

――またかよ!しかも、こんな時に……!

歯軋りする雄介。

そして薄目を開けると、火の壁の向こうにはさっきと同じ笑みを浮かべるあの佳奈の姿があった。いや、もうそれはさっきの笑みではない。


けれど、

なぜか今の雄介には分かった事がある。

佳奈に重なる、もう一人の影がいる事を。

それが、誰なのかも。雄介は、その影の正体をまだどこかで覚えていた。

──そうか……っ!あの違和感の、既視感の正体は……!

もういい!分かったから、もう消えてくれ!俺をこれ以上、苦しめないでくれ……!


業火の中で耳を塞ぎ、目をつぶる雄介。それでも網膜に焼き付いた「誰か」の冷笑は、消えはしない。


ビキッ。

何かが、ひび割れた。




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