episode39 「選ぶのは俺じゃない」
学校再開の、前の夜である。
「勉強飽きた……」
もう何度目かのセリフを吐くと、唯亜は机の上にペンを放った。もうやだ、これ以上数字とか英単語とか見たくない。
日曜は楽しかったなぁ。
「……そうだ、カナにあの事教えてあげないと」
マンガに伸びそうになっていた手を、そのままケータイに向ける。二宮佳奈、発信。
「………………もしもし」
出た。気の抜けた返事に唯亜は思わず苦笑いする。ああ、こりゃ私と同じだな。
「カナ今勉強してる?」
「してるわけないじゃん……」予想通りの答えが返ってきた。「もう疲れた……。……一休み中」
「私もそんな感じー」
あははっ、と笑うと、唯亜はふと尋ねてみた。「ねー、カナあの話聞いた?」
「あの話?」
知らなさそうだ。ちょっと、意外な答えだった。
「あれ、てっきりあの図体のでかい刑事から聞いたかと思ったんだけどな」
唯亜は声を低くした。「さっき聞いた話なんだけど。試験が終わったら、生徒全員「面談」をする事になるんだってよ」
「面談ってなに……?」
「どうも、普通の面談じゃないみたい」意識しているわけではないのに、低く不気味な声が出た。「同じ場所で二度も超能力事件が起きたのに未だに犯人の尻尾も掴めていない。このままじゃ面目丸潰れだって警察も慌ててるみたいで、犯人洗い出し作戦をする事になったらしいのよ。つまり、面談をするのは学校じゃなくて警察って訳。噂じゃPWDだけじゃなくて嘘発見装置とか脳波計測装置(BWM)とかCTスキャンとか持ち出してくるらしい」
「……どっからそんな話を?」
「情報源はC組の大和って奴なんだけど、そいつも又聞きみたいで信憑性はあんまりないかな。ただ、ホントにやるとしたらカナは特に気を付けたほうがいいと思うよ。二つの事件とも関わってる訳だし、これまでとは違う刑事が来る可能性もある。かなり容赦ない質問が来ると思うしね」
「……ありがとう、教えてくれて」佳奈の落ち着いた声が、スピーカー越しに耳に届いた。
──あれ、意外と戸惑ったりしないんだ。
「大丈夫だよ。私、サイキックじゃないもん」
「まぁそうだとは私も思ってるけどさ」唯亜はふっと肩の力を抜いて、笑って言った。「用心には用心した方がいいよ。超能力犯罪だけは冤罪も誤認逮捕もあり得るんだから」
「他のみんなにももう教えてあげたの?」
「アヤには教えた。けど、あんまり広まるのもよくないかと思って今はカナとアヤと私の三人だけかな。大和の方も広めるのはまずいって言っ──」
唐突に佳奈の声が唯亜を遮った。
「あ、そろそろ私勉強に戻らなくちゃ」
「え、まだ勉強すんの?もう十一時じゃん!」
「明日苦手な公民だもん……」
悲痛な佳奈の返答に、唯亜は思い出した。そうか、佳奈は公民苦手だったっけ。
「……まー、じゃ頑張って。でも徹夜は止めときなよ、試験中超眠くなるからさ」
「言われなくてもやんないよ」佳奈の漏らした笑い声を余韻に残し、電話は切られた。
暇になった唯亜。ケータイを充電器にセットすると、少しの間ぼんやり天井を眺めていたが、
「……勉強するかな」
結局再びペンを手に取った。
が、佳奈が電話を切ったのは勉強するためでも何でもない。
既にこの事が絢南にも伝えられているなら、電話を受けられるように準備しておいた方がいいと思ったのだ。唯亜には悪いけれど。
ヴーン…ヴーン…ヴーン…
ほら、やっぱり。
「もしもし、カナ?」
「あの話、私も聞いたよ」絢南に尋ねられる前に佳奈から切り出す。「さっきユアから電話があって」
「どう思う?バレずに済めばいいんだけど、正直BWMまで持ち出されてくるとなると何とも言いようがないよ。最近の奴は思考の内容まで調べられるっていうし……」
「やってみるしかないと思う」落ち着いた声で答える佳奈。自分が一番、しっかりしなきゃ。
「最近夜に超能力使う練習するようになってから、コントロール効くようになってきたし。だから大丈夫、どうにもならなくなったら刑事さんを記憶操作すれば……」
「それじゃセンサーに引っ掛かるでしょうが!」
怒鳴る絢南。
「あ、そっか……」
すっかり忘れていた。そりゃ警察がやるんだからセンサーが付けられてない訳がない。
「全く、しっかりしなさいよカナそうでなくてもちょっと抜けてるとこがあるんだから……」
そう言う絢南の声は、割と本気だった。「抜けてるとかヒドいよアヤちゃん……」なんて言いながらも、佳奈は少し安心する。やっぱり絢南は、ちゃんと心配してくれているのだ。
絢南になら、言ってもいいかもしれない。
「──あのね、アヤちゃん」
「ガッシャーン!」
突如耳元で響き渡った破壊音に、思わず佳奈はケータイを耳から遠ざける。少し離れたスピーカーから「ちょっと母さん何やってんのよっ!」という絢南の絶叫が聞こえてきた。
「……びっくりしたぁ……。どうしたのアヤちゃん?」
「……母さんが皿割ったっぽい」
青汁で嗽でもさせられたような、絢南の声。「うち、いつも母さんが働いてて父さんが家事やってるから不慣れで……。ごめん、ちょっと電話切るわ。後始末手伝ってくる」
「……アヤちゃんのドジっ子はお母さんから受け継いだんだね……」
「うっうるさい!そういうわけで、また明日学校でね!」
佳奈の用事を言う前に、電話は切れてしまった。
「……いいや。言わないでおこう」
一人、呟く。ため息をついた佳奈は、脇の壁を見上げた。大分前に自分で(超能力で)描いたあの雄介の顔の絵が、そこには貼られている。
絵を見上げ、佳奈は自分の決心を再確認した。
──そう。決めたんだ。
明日、試験が終わったらC組に行って、ユースケくんを連れ出す。人気のない場所なんて、再開発前の辻堂駅前にはいっぱいある。そういう場所を選んで二人きりになれたら、
この想いを、伝えるんだ。
ユースケくんは、私の選んだあの浴衣を、可愛いと言ってくれた。言葉を選びながら、優しく笑ってくれた。いつまでもこの気持ちを、隠してなんていられない。自分に自信なんて今でも持ってないけれど、少しでもユースケくんが私の事を考えてくれているなら。
この気持ちを、正直に言おう。そう、決心したんだ。
そりゃ超能力を使える私なら、想いを伝えるのにわざわざ言葉を介する必要なんてない。苦しむ必要だってないのかもしれない。だけど、こういうのはやっぱり直接口で伝えたいもの。
──踏ん切りをつけるまでに、自分で言うのもなんだけどかなり悩んだ。もしまた振られたらって思い始めると、止まらない。確かに、怖い。
だけどそれを乗り切らなきゃ、いつまでも私は独りで苦しむだけなんだ。
それだけは、嫌だったから。
「……超能力、かぁ」
ぽつりと、佳奈は言った。
……あれから、色々な事が分かった。
どうやら、佳奈の超能力には回数制限があるらしいのだ。どんなに元気でも、十五回目には必ず力が抜けてしまう。それはきっと、使いすぎて完全に力が無くなってしまわないための安全装置のようなモノなのだと、絢南は言っていた。
念力。透明化。色々と試してみたが、少なくとも知っている超能力の全てを佳奈は使うことが出来た。
そして、色々と知ったこともあった。例えば、瞬間移動。何度も試した結果、どうやら人一人が通るだけの空間がないと移動が出来ないらしいことが分ってきた。という具合に。
気づけば、すっかり使いこなしている自分がいた。「超能力が、怖い」と言っていたかつての自分がウソのようだった。
「ユースケくん……何て言ってくれるかなぁ……」
消しゴムを転がしながら、独り言。
やっぱりまだ、不安だ。
雄介の返事が不安なだけではない。本当に、トラウマを解消出来たのだろうか。ちゃんと、愛する気持ちと向き合う準備が出来てるだろうか。それがどうしても、分からない。
佳奈は机の奥から、一枚の紙を引っ張り出した。
昔、小学校の頃に気分で買ってみた、恋文用とかいう桃色の紙。ハートマークが可愛いと評判で買ってみたのはいいけれど、使う機会に終ぞ出会わぬまま小学校を卒業してしまい、机の中に放置されていたものだった。
三十文字前後の短い言葉たちが、そこには綴られている。いつからか、佳奈は届かない雄介への想いを、この紙へとぶつけるようになっていた。
初めて出会った、あの日の夜。
〔なんでだろ。今の私には、あの雄介くんって人しか見えないんだ……〕
感謝を伝えようと向かった教室前で、超能力の自爆に巻き込まれたあの夜。
〔……何をしてても、気がついたら雄介くんの事を考えてる私がいる〕
明音の言葉に一人勝手に傷つき、泣いて逃げたあの夜。
〔雄介くんの気持ちを、心を、もっと見せてよ。誰よりも、何よりも、雄介くんの事が知りたいよ〕
磯子から藤沢事件の真相を告げられ、複雑な思いを抱えたあの夜。
〔雄介くんの口にする言葉で、仕草で、その日の気分が浮き沈みするなんて。まるで、自分じゃないみたい〕
自爆に再び巻き込まれ、唯亜の口から思っても見なかったことを聞かされたあの夜。
〔こんなに好きなのに。この想い、この気持ち、この身体、この心、ぜんぶ雄介くんにあげたって構わないのに。だけどどんなに追いかけても、私の想いはまだ届かない〕
雄介の本音を思い知り、哀しさ余って絢南に初めて想いの丈を打ち明けたあの夜。
〔いつになったら、私の気持ちに気がついてくれるの?それとも、気づいてはくれないの?〕
そして、あのショッピングモールの夜。
〔もう、待てないよ。答えが聞きたいよ〕
全部、本当の気持ちだった。
階段から落ち、握った手の温かさに心を暖めたあの日。明音の雄介への想いを知ってしまい、そしてそれが現実になったのを見てしまったあの日。恋のために悩み、苦しみ、泣いた日々。
それも、明日までだ。
ペンを手に取った佳奈は、そこに一行の詞を付け加えた。
〔きっと、叶うよ。私はもう、独りじゃないもの〕
そして、微笑んだ。
……雄介にもまた、心に決めた事がひとつあった。
二度目に佳奈と会ってから、ずっと心の隅でじっとしていたその気持ち。それが何かも分からないうちにいつしか肥大化し、とても目を背ける事なんて出来なくなってしまったモノ。
佳奈への、恋慕。
なぜ佳奈なのか、分からない。けれど雄介には、ずっと前から気になっている事が一つある。
佳奈の笑みには時折、とてつもなく悲しい色が混じる。
それが何に由来するのか雄介は知らない。だけど、もしも雄介の力が、佳奈の顔から悲しい笑みを消す助けになるのなら。華奢なあの少女の魂から、癌を取り除く力になれるなら。いつしか心のどこかで、そう願うようになった。
そんな理由じゃ、駄目だろうか。
「……カナ、か…………」
名前で呼ぶのは、やっぱりまだ気恥ずかしい。
カナ。二文字なだけにさっぱりした明快な印象を与えてくれるその名前は、ちょっと短めの髪型や性格も相俟ってか、より相応しいモノに思えた。そう言ったら、彼女はきっと喜んでくれる気がする。
──明日。
G組、だったはずだ。俺の方から出向いて、二宮を連れ出そう。学校の外まで出られたら、
俺のこの気持ちを、包み隠さず伝えよう。
そりゃあ、返事なんて分からない。外見も中身も伴ってる二宮の事だ、もう既に彼氏がいたって不思議じゃない。けど、その時はその時だ。俺が、身を引けばいいんだ。
選ぶのは俺じゃない、二宮なんだから。
どんな顔をしてくれるだろうか。
雄介の知っている佳奈の顔と言ったら、笑顔と含羞の顔くらいのものだ。どちらもとても魅力的だけれど、人間はそうじゃない顔の方が圧倒的に多い。戸惑う顔。嫌がる顔。悩む顔。
なんでそんなのばかり想像してるんだ。やっぱり、佳奈には笑顔が一番似合う。
脳裏に即席で作ったスクリーンに佳奈の微笑む顔を浮かべ、雄介もまた、微笑んだ。
その時だった。
言葉に出来ない何かが、雄介の頭に侵入してきた。
強烈な、あまりに強烈な既視感が、あっという間に雄介から幸福感を奪い去ってゆく。
ボンッ!
その後を満たすように膨れ上がる、凄まじい火焔の渦。狭いその部屋は一瞬で、紅蓮に燃え上がる。
──何なんだよ、これっ……!
声に出ない叫び。開いた口から熱気が流れ込み、息が苦しくなる。
大きな炎が、雄介の周りを取り囲んだ。
イメージの佳奈はその火の海の中に佇んで、尚も微笑を浮かべていた。
その笑みはさっきと何も変わらない。なのに、もう雄介にはそれが佳奈に見えなかった。
いや、間違いない。さっきまでの雄介の妄想の佳奈はあんな笑いかたをしていなかった。
全てを諦め、ただ冷たい覚悟だけに支配された、死者のような笑いかたなんて。
なぜ、同じに見えるんだ。
「─────はっ………」
顔を上げたら、そこはいつもの自分の机の上だった。
いや、いつもと同じな訳がない。こんなに、汗をかいている訳がない。辺りを見回しリモコンを探す。冷房の温度設定は二十八度だ。だけどそうとは思えないくらい、寒気がする。
「…………何だったんだ……?」
かすれた声で呟く雄介の眼は、
三年前のそれと、同じだった。




