episode37 「動かずに着替えられたらなぁ」
佳奈が明音に拉致されてから、一時間後。
「……ねー、カナはいつまでアレ見てるわけ?」
「あたしに聞かないでよ」
唯亜と絢南の視線の先では、解放されて戻ってきた佳奈が一着の浴衣に引っ掛かっていた。見つめる視線が、かなりマジだ。
回れ右をして佳奈に背を向けると、二人はボソボソと会話を交わす。
「だって、さっき伊勢原に可愛いって言って貰ったヤツだよアレ。買えばいいのに」
「いや直接それを言うのはまずいって。あたしたちは伊勢原の事見てない事になってるんだから」
「んじゃアヤ、それ言ってきてよ」
「なんであたしが……てか、ユアはもう買ったの?まだならその時についでに言えば……」
「ねぇ、ユアとアヤちゃん」
いきなり耳元で佳奈の声がして、思わず二人は仰け反った。
「……っどうしたのよ」
「コレ、どうかな……」
そう言って佳奈が掲げたのは、やはりさっきのあの浴衣だった。近くで見ると、ド派手さUPだ。でも確かに言われてみれば、爽やかでもある。
雄介の見立ては、強ち間違ってはいないのかもしれない。ちょっと感心すると、
「いいんじゃん?」
賛同したのは唯亜だ。「変に凝ったデザインより、そのくらいの方が無理なくていいと思うけど。それに、色調的にもカナにあってると思うし」
言いながら、絢南に目をパチパチさせる。信号のつもりか。はいはい、誉めればいいのよね。
「……そーだね。カナのイメージってすごく明るい感じがするし」
雄介の言っていた事を殆どそのまま口にすると、佳奈はもう一度浴衣を見つめ、
「……買っちゃおうかな?」
「……いや、それは自分の財布に訊いてください……」
言われて佳奈、本当に財布を取り出すと中身を確認。
レジへと駆けて行った。買う気になったみたいだ。
そんな後ろ姿に、絢南はほっとした表情でつぶやいた。
「まぁでも、カナの顔にまた笑いが戻ってきて良かったよ」
「私のお陰だね。もっと誉めなさい」
「……ぜったい誉めない」
呑気な会話をする二人。少し涼しい、夏の日の夕方だった。
◆ ◆ ◆
「ほっ、本部長!」
夕方の、藤沢警察署。息急き切って捜査本部に駆け込んできた磯子に、その場にいた刑事たちが一斉に目を向ける。
「なんだ磯子、騒々しい」
立ち上がった戸塚に、磯子は吠えた。「PWWSの結果が届いたって青葉さんから聞いたんですが!なんで俺には連絡をしてくれなかったんですか!?」
磯子らしからぬ異常な剣幕だった。「何かあったのか磯子、そんなに焦って」と横から葉山副本部長が割り込んできたが、ガン無視。
「すまんすまん忘れていた」戸塚は口元だけで笑みを作ると、黙って丸めた紙を投げてきた。広げれば、やはりそれはPWWSの感知結果マップだ。
「見りゃ分かるだろう、ドンピシャだ」
戸塚の苦々しい声をBGMに、磯子は学校を探す。いや、この巨大な赤い丸の下にあるのが学校か───
「そのデータ、丸がでかすぎて何がなんだか分からん。だから今、詳細な解析を依頼している所だ」
──確かに、でかすぎる。この前初めて見た図には、ここまで巨大な丸印は無かった……。
戸塚の解説は続く。「だが、その図からでも分かることはあるだろう。でかくて分かりにくいとはいえ、どう考えてもこれは校舎内で超能力が使われたと見るべきだ。前回この学校で超能力事件が起きたときも、そうだった。ということは、まず疑うべきは───」
「───やはり生徒を疑うべきなんでしょうか……」
「まぁ当然そうなるだろうな」顎髭を弄りつつ、戸塚は答える。「生徒に限らん。学校関係者全員を疑わなきゃならんだろう。ただ、現時点で生徒の中には最重要人物が一人いる。そいつをまずはしょっぴく必要があるだろう。そーいう話をさっきまでしてたわけだ」
最重要人物。
「それはその、確か爆破テロの時に………」
頷いた。戸塚ははっきりと頷いた。
「確かに、PWDは反応を示さなかった。今のところは状況証拠しか無いわけだ。だが、」
サファイアのように暗い色を放つ瞳が、磯子を見つめてくる。まるで、目の奥を透かしてそのさらに深くにあるものを探ろうとするように。
「……特殊条件下超能力者である可能性も、考慮に入れねばならないからな」
「やっぱり、ご存知だったんですね……」
当たり前だ、と言う戸塚は真顔だった。「逆に、あの理論がなければ犯人を検挙するのは不可能だ。ここ一ヶ月、俺達をさんざん振り回してくれたツケは払ってもらわなけりゃな」
口許を歪めて低く笑う戸塚を前に、磯子は焦りにも似た感覚を感じていた。
――何かが、間違ってる。
根拠はないけれど、俺の知っている「最重要人物」は、そんな事をする人間じゃない。
だけど、彼女を疑う理由ももっとも過ぎる。
俺は、どう動けばいいんだろう……。
◆ ◆ ◆
「くしゅんっ!」
ペンを手に、佳奈は思いっきりくしゃみをした。おかしいな、風邪かな。
平塚巡りの夜。いくら楽しい日中だったからって、それで試験勉強を忘れる佳奈ではなかった。だがいざ始めてみると、これがまた進まないのである。特に今やっている公民。どんなに雄介に言われた事をやってみても、やっぱりぜんぜん得意になんてなれなくて。
……ついにペンを投げ出した。挙げ句、机に寝そべってペンをコロコロ転がして遊び始める。
「……私、やっぱり勉強嫌いかも……」ぼやく。ぼやいても目の前の問題は一問も進まないのは分かっているけれど。
──こんなシチュエーション、前もあったなぁ……。
そうだ、試験中だ。あの時確か「暗記できる超能力でもあればいいのに」とか考えてて、そしたら超能力が発動して……。
──待てよ。
自分に超能力が備わっている事を知っている今なら、超能力を自在に使えるようになるんじゃないだろうか?
取りあえず、その辺の本を一冊机の上に置く。
──そういえば超能力ってどうやって発動するんだろう。念じればいいのかな。
(念力!)
念じてみたが、本はビクともしない。
──あれ?おかしいな……。
(転送!)
(透明化!)
駄目だった。透明にもならないし移動もしない。
──口に出したらどうなんだろう?
「物体破壊!」
悲しくなるほど変化がなかった。
「あーもー!」ついにそれも投げ出すと、佳奈はベッドに飛び乗った。
飛び乗ったまま、呟く。
「なんであの時、超能力が使えたんだろう……」
あの時。この前、明音が雄介に告白したのを千里眼で目にした時だ。
けれど、佳奈が無意識のうちに超能力を使ったのはそれに始まった事ではない。爆破テロ事件の時、雄介の絵がいつの間にか描かれてた時、そして試験中の謎の事件。さらに言えば、かつて明音の背中に見た「明音の本音」も、その類いだったのかもしれない。
全部に共通することって、何だろうか。きっとそこに、佳奈の持つ超能力を使えるようにする秘密があるはずだった。
が、
「……そんなの分かるわけないじゃん……」
顔を枕に埋め、佳奈は溢す。そんな事、ちょっとやそっと考えて分かる事ではない。
「……どうせ私、頭悪いもん。試験範囲も覚えらんないし……」
すっかり自虐モードに陥る。
ふと、部屋の隅に置いたラスカのマークの紙袋が目に入った。あの中には、浴衣が入っている。
──ホントは、買う気なんてなかったんだけどな。お金だって、そんなに潤沢にある訳じゃなかったし。
だけど、褒めてくれたから。ユースケくんが可愛いって褒めてくれたから、買ってもいいかなって思えたんだ。着る機会はなくてもいい、ただユースケくんに可愛いって言って欲しかったから、買ったんだ。
そうだよ、せっかくだし着てみようかな。
佳奈は立ち上がろうとした。だが、足に力が入らない。ベッドのスプリングが効きすぎてるのか、いつもより身体が重たく感じるのだ。
三十秒後。ついにそれすらも諦めて、佳奈はベッドに突っ伏していた。
「……もう、だめ……疲れて動けない…………」
浴衣の入った紙袋に手を伸ばす。当たり前だけど届かない。モゴモゴと、佳奈はぼやいた。
「……動かずに着替えられたらなぁ」
ぱっ。
「え」
自分の服が、いつの間にかあの紙袋の上にドサドサと積み重なっているのが見えた。あれ、でも私、ちゃんと服着てるのに……。
まさか、と思った。起き上がって、自分の着ている服を見る。
佳奈は一瞬言葉を失った。
今佳奈が纏っているのは、あの浴衣だ。
「…………出来たぁっ!」
興奮のあまり大声が出る。
紙袋の所に、さっきまで着ていたものが移動している。そして紙袋の中身が全てこっちにやってきている。ご丁寧に帯まで巻いて。ということは、これは転送……。
取りあえず、報告だ。ケータイを取ると、佳奈は絢南に電話をかけた。
「もしもし、どーしたのこんな時間に」
「アヤちゃん!私、自分の意思で超能力使えた!」
まるで初めて自転車に乗れた幼稚園児のように燥ぐ佳奈である。
「マジで!?それじゃ、コントロール出来るようになったのか!」佳奈にも増してはしゃぐ声を上げた絢南に、佳奈は少ない胸をちょっと張る。「かもしれない!よく分かんないけど!」
「で、肝心の条件は何なの?」
……有頂天から引きずり下ろされた。
「……分かんない」素直に答える。
「それじゃ意味ないでしょ!」
電話口の向こうで吼えた絢南に、佳奈はもう何も返せなかった。
「……仕方ないなぁ」絢南のため息がケータイ越しに漂ってくる。「どういう状況で使えたのか、その時何を考えてたのか、言ってみなよ。そしたら、分かるかもしれないよ」
──はい、言われた通りにします。
「……えっとね、まず本で色々試してみたんだけど全然ダメで、今日買った浴衣まだ一度も着てないから着てみようとしたんだけどベッドから起き上がれなくて、」
「ベッドから起き上がれないってあんた……」
お恥ずかしい限りである。
「……で、寝転んだまま着替えられたらなぁって想像してたら、出来たの」
「出来たって、つまり服が入れ替わったってこと?」
「そう」
「想像してたら、出来た……か」暫しの間絢南は唸っていたが、尋ねた。「その時、何を考えてた?それか、誰の事を考えてたか思い出せる?」
「うーん……」
記憶を辿る、佳奈。
──何を考えてたかって言われたら、やっぱり浴衣の事かな……。いや、でもそれじゃこれまでの場合と共通点ないし……。
誰か、って言われてもなぁ。別に特定の誰かを想像してたなんて事はなかったと思うし……。強いて言うなら、
「浴衣繋がりでユースケくんぐらい……?」
「それだ!」
絢南が叫んだ。え……それ……?
「伊勢原だよ!ほら、最初にカナの超能力が暴発したのってあの爆破テロの時だけど、カナ確か伊勢原にお礼が言いたくてC組の前まで行ったんでしょ?こないだの千里眼だって、前の日に見た夢の中の伊勢原の事考えてたんでしょ?」
……!!!
「浮遊にしても絵にしても、何かしら伊勢原が絡んでたから超能力が発動したんじゃないかな。思い返してみなよ、なんか思い当たる節があるはずだよ」
そうだった。絵の時は確か被写体を何にするかで悩んでいて、雄介の事を想像していたのだ。浮遊の時は、雄介に教えてもらったはずの問題が解けずに愕然としていたのだ。
「凄いよアヤちゃん!言われた通りだった。暴発した時、私いっつもユースケくんの事を考えてたよ!」
「多分それがキーなんだね」
絢南の声も心なしか嬉しそうだった。「カナが暴発を防ごうと思ったら、とにかく伊勢原の事を頭に思い浮かべなきゃいいって事だよ。ってことは逆に、まるで関係ないことを念じてれば大丈夫なんだ。それに、カナの場合は超能力が発動してないと超能力電磁波は出ないから、ぜったい警察にも捕まらないし」
「そっか……!」
みるみる心が軽くなっていくのが分かった。心配の種が鱗のように佳奈の心から剥がれ落ちていく。
「アヤちゃんありがとう!私もうちょっと色々練習してみる!」
意気揚々と電話を切ると、佳奈は机に向き直った。さあ、色々試してみないと!
……目の前には、公民の参考書がでんと置かれたまま。
「……超能力で知識が頭に入ったらラクなのに……」
結局、そう念じる佳奈であった。




