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DistancE-KANA  作者: 蒼原悠
第五章 distaste――煩想――
35/57

episode35 「勘違いに気づいてくれればいいんだけど」

 午後一時。

 JR平塚駅の改札口に、佳奈と唯亜それに絢南の三人は降り立った。

 「いやーごめんねー、うちの近くの神社の祭礼が近くって、でもって浴衣着て行こうと思ったら家にあるのが小さくて着れなくってさぁ」

 まったく上手い口実(ウソ)を考えついたものだ。そんなことを思いながら絢南が見ていると、唯亜は本当に浴衣のチラシを引っ張り出して佳奈に見せ始めた。

 ──本気で買いに来たんかい!

 「これなんかどうかって思うんだけど、どうよ?」言いながら、チラシを絢南にも見せてくる。紫色を基調に、落ち着いた感じの模様が入った浴衣だ。

 「へー、可愛いじゃん。ユアちょっと大人っぽい」

 素直に褒めると、唯亜は得意そうに鼻の下を弄った。「でしょー?本当はもうちょっと明るい色の方が似合うと思うんだけど、この夏でちょいイメチェンするのも悪くないかなって思ってさー」

 「……もう決めてるなら、なんで私を連れてきたの?」

 絢南と唯亜は声の主を振り返る。言わずもがな、それは佳奈だ。

 やっぱり、元気がない。声が、暗い。

 「やだなー、決めてるわけないじゃん!」

 不自然なくらいハイテンションな声で、唯亜は佳奈の言葉を否定する。「カナだって分かるでしょ、こーいうのって着てみないとピッタリかどうかとかどのくらい印象が変わるのか分かんないんだからさぁ」

 「……そっか。そうだよね」

 やっぱり暗い。こりゃ相当昨日の事引き摺ってるな。あらためて危機感を覚えた絢南だったが──ふとポケットのケータイが鳴動しているのに気がついた。

 ──なんだろ?

 開く。唯亜からのメールだった。いや、唯亜いま横にいるんですけど。

 [これからのプラン。浴衣売り場に着いたら、アヤは歓声を上げてその向こうの水着売り場に駆けていく事。それ以降は後で指示する]

 ──いや無茶振り過ぎでしょっ!

 横目で睨むと、唯亜はニヤッと笑って佳奈にまた何か話しかけ始めた。背中に隠れた左手が、ケータイのキーを凄まじいスピードで打っているのが見える。なるほど、ああやって送ったのか。

 やれやれ。こーいう演技は苦手だけど、ある意味カナのためだもんね。

 「カナもなんか買わない?ほら、この小豆色のやつすっごい似合うんじゃん?」

 唯亜に鼻先に広告を押し付けられ顔を背けながらも、

 「うーん……そうかな……」

 悩む姿は、いつもの佳奈だった。

 三人の向こうに、デパート・平塚ラスカの入口が見えてきた。



 一方。男子勢。

 「悪いなー、付き合ってもらってー」

 真っ先に口を開いたのは、泰雅だ。

 「こないだ発売になったあのRPGの新作さぁ、本社の近い平塚のラスカで特典版発売するらしいんだよな。だけど売り場がちょっとアレでさ、俺だけだと行きづらいんだよ」

 「なんだよ売り場がアレって」雄介がたずねると、笑った泰雅は小声で、

 「……三階の婦人服売り場」

 「マジで!?」

 大袈裟に驚いた一樹と宏太だったが、実はもう知っている。この中で知らないのは雄介だけだった。

 「なんでそんな所でゲーム売ってんだ?」

 その雄介が、半信半疑の顔で訊ねてくる。

 「それがさ、普通に販売してるんじゃなくって抽選会の二等の賞品なんだよな。だから、館内で買い物してレシート持ってかないとダメなんだわ」

一定以上の買い物をするとガラポンを回せるというタイプの抽選である。

 「どーすんだよレシート。俺は何も買うつもりはないぞ」

何か買えよ、とでも言われると思ったのか、雄介は先手を打ってきた。すかさず泰雅は財布から一枚の紙を取り出す。

 「安心しろ、レシートはもうあるんだ。こないだ辻堂の駅前で偶然拾ったんだけど」

 ヒラヒラと風に舞うその紙を、雄介が手に取る。二人が意味ありげにニヤリと笑みを交わしたが、見えていない。

 [お買上商品   女性用水着 三点]

 !!!

 「……お前これはヤバいだろ……」

 言いながら雄介はその紙を突き返してきた。心なしか、顔が少し赤くなっているように見える。横から覗き込んできた一樹と宏太が、「ぶふっ」と盛大に吹き出した。

 「俺は三次元には興味がないから、こんなの平気だね」

 財布にレシートをしまいながら平然と言い放つ泰雅。「いや、それはそれで問題アリだぞ……」と宏太がツッコミを入れたところで、

 四人は平塚ラスカの軒をくぐっていた。



 作戦1。佳奈と雄介を浴衣フロアに連れていく。


 「何階だっけ」言いながら唯亜がエレベーターのボタンを押した。

 佳奈はその横で、唯亜から貰った(押し付けられた)チラシを手にまだうーんと唸っている。なぜだかちょっと、安心した絢南であった。

 「あった、四階」

 唯亜が言うのとエレベーターが到着するのが、同時だった。扉が開き、地下からの買い物客がどっと溢れ出てくる。中には、巨大な紙袋を幾つも手にしている人もいた。

 「さすがだわ……」思わず独り言を漏らす絢南の背中を、唯亜が突く。

 「なに?」

 「さっきのアレ、忘れてないよね。五階に着くなりやってもらわなきゃ困るよ」

 「マジであんなことやるの?恥ずかしいよ!てかああいうことするのはユアのキャラでしょ!」

 「私は浴衣選びの任務があるから」

 「任務じゃねぇ───!」

 小声で繰り広げられる舌戦に、佳奈は全く気づいていないようだった。


 「なぁ、ついでだからちょっと付き合ってくんない?」

 別のエレベーターの中。宏太がヒソヒソ声で雄介に話しかけてきた。

 「何に?」

 「自主トレ用の新しいトレーニングウェアーが欲しいんだよ。大和は寒川についていくって言ってたから、お前しかいなくって」

 「別にいいけど」雄介が答えると、「よっしゃ」と呟いて宏太は四階のボタンを押した。と同時に、三階に到着。

 「そんじゃ俺たち、抽選会行ってくるから。後で連絡頼むわ」

 そう言い残し、先に泰雅と一樹が降りていく。「じゃ後で」と小さく手を振ると、扉が閉まった。

 降りる瞬間の一樹と泰雅の笑みを、雄介は見ていなかった。


 ピンポーン。頭上でベルが鳴り響き、扉が開く。目の前に四階の風景が広がった瞬間──

 「あ、水着売り場!あたしちょっとアレ見てきたい!いい?」

 変に黄色い声を上げながら、絢南が燃えるような怒りの眼を剥いてきた。なんであたしにこんな恥ずかしい役をやらせるんだ、って目だ。

 「え、いいけど」余裕の笑みで返す。そんな唯亜を今度は涙目で睨みつけると、

 「やった!んじゃ後で連絡するから!」

 捨て台詞のようにその言葉だけを残し絢南は走り去っていった。

 「……アヤちゃん、どうしたんだろ……」

 ぽつりと佳奈が呟いた。その手を、唯亜が引っ張る。

 「きっとデパートとかそんなに来ないからはっちゃけてるんだよ。ほら行こう行こう」


 さて。四階についた。それはいいのだが、

 「……どっちに行けばいいんだろうな……?」

 壁の表示を見上げながら、宏太は首を捻った。

 「俺、方向音痴だから地図とかよく分からなくてさ……」

 「直進して丁字路を左折だな」

 地図を指し示す雄介。「ホントか?」と宏太が訊ねると、雄介は行く手を指差した。「多分な。ほら、正面の奥のほうに看板出てるじゃん」

 「???」

 「しょうがないな……」ため息をつくと、雄介は宏太の先に立って歩き出す。後ろで宏太が、ほくそ笑んだ。

 そのルート上には、浴衣売り場があるのだ。



 作戦2。佳奈と雄介を独りにする。


 先についたのは、佳奈たちだった。

 当たり前だが、浴衣がズラリと並んでいる。ここを唯亜が作戦決行の場に選んだのは、ちゃんと理由があった。

 一つは、浴衣選びという話題がそこにあること。シャイな佳奈と生真面目な雄介だけに、放っておくといつまでも喋れない可能性がある。しかしそこに浴衣選びというネタがあれば、何かしらの切っ掛けになるかもしれない。そう踏んだのだ。

 そして二つ目。そのフロアの特性上、四階にはカップルが異様に多い。浴衣や水着を彼氏or彼女と選びにきた輩が、もうそこかしこにいる。つまり、一人では相当気まずい。そんなとき近くに知っている異性がいたら、せめてフリだけでも……とか思うだろうと唯亜は考えたのだ。

 ここまでは計画通り。後は、最後の詰めだけ。唯亜は後ろ手にケータイを開き、「見せかけコール」を設定する。閉じる。1、2、3、4、5。

 ヴーン……ヴーン……ヴーン……

 「あ、ごめん電話だ」唯亜は申し訳なさそうな顔を佳奈に向けた。「先、見てて」

 「え、行っちゃうの……?」

 不安そうな佳奈の声を遮るように、「もしもし、何ですか?」と存在しない相手に向かってぶつぶつと喋りながら、唯亜はその場を後にした。

 これで、佳奈は浴衣売り場に独りだ。


 やや遅れて雄介たちも浴衣売り場の手前に着いた。

 前方にターゲットの姿を、確認する。よし、この辺なら。

 「あ、ごめん」突然立ち止まると、宏太は小さな声で尋ねた。「トイレ、行ってきていいか?」

 「ああ。先行ってるぞ」

 「いや、待ってて。俺一人だけじゃたどり着ける気がしない」

 お前幾つだよ、とあきれ笑いを滲ませる雄介に二の句を告げる間を与えず、宏太は目の前のトイレへと駆け込む──ふりをした。こっそり壁際から覗くと、雄介が浴衣売り場の前に佇んでいるのが見えた。

 これで任務完了。雄介も、独りだ。


 「両名配置完了」

 唯亜からのメールを確認すると、絢南は棚の影から二人を眺めた。距離は十分。周囲の雰囲気も、十分。日曜日だからか予想以上にカップルが多かった。正直今自分がかなり居心地悪い。


 ──これでカナが、少しでも自分の勘違いに気づいてくれればいいんだけど。

 祈るような気持ちで見つめられていると、きっと佳奈は知らないだろう。



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