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DistancE-KANA  作者: 蒼原悠
第五章 distaste――煩想――
33/57

episode33 「約束しよう。もう、泣かないって」


「いやー、ホントびっくりしたよ。誰か椅子の上でぐったりしてるなーって思ったらカナだったんだもん」

巨体の刑事が立ち去った、後。佳奈の横で絢南は暢気な声を出した。

「あたしうっかり代数の教科書学校に置き忘れて帰っちゃってさぁ、もしかしたら中に入らせてもらえないかと思って来たんだけど」

あはは、と佳奈の笑い声が風に舞う。「アヤちゃんらしいね。そういううっかり」

正直、あんたに言われたくないと言いたい絢南だったが、そのまま続ける。

「そんで学校に来たんだけど、あの刑事がいるって事はまだ捜査やってるって事だろうし、やっぱりダメそうだね」

伸ばした足をばたつかせる。何気なく放った次の質問が、流れを変えた。

「カナはどーしてここまで来たの?」


長いこと、沈黙が続いた。

「…………分かんない。覚えてないや」

度忘れか?苦笑して、絢南は尋ねる。

「いや分かんないって、カナん家小田原じゃん。わざわざ用事もないのにここまで来たなんて事はないでしょ?」

それでも力なく、佳奈は首を振る。「思い出せない。家を出たのは覚えてるし、その前に何があったのかも覚えてる。だけど、なんでここへ来ようと思ったのか、ぜんぜん分からないの」

そこではじめて、絢南は佳奈の顔を見やった。気が付いた。

佳奈はさっきからずっと、笑っていなかったのだ。ただ絢南の話に合わせて、笑い声を上げていただけだったのだ。

「ふーん……」

変だな、何だか佳奈がいつもより萎れて見える。その顔も、その声も、椅子に腰掛けるその身体も。昨日見たときは、こんなに草臥れて見えなかったのに。家で、何かあったのだろうか。

「ねー、カナどうしたの?」

まだどこか目が空を漂っている佳奈に、絢南は訊ねる。同じような問いかけを今日だけで何回したか分からないが、当たり障りのない言葉といったらそのくらいしか思いつかなかった。

そしてやっぱり、帰ってくる答えもテンプレートだった。

「ううん。何でもないよ」

それだけ言って微笑む佳奈。けれど、その微笑みはあまりにも弱々しく、余計に絢南を焦らせる。やっぱり間違いない。何か、あったんだ。

「ねぇ、カナ」

絢南は虚ろな表情の佳奈の肩を掴み、自分の顔の正面に持ってきた。

「昨日からさっきまでの間に、何かあったんでしょ。あたしに言ってみなよ。そういうの一人で溜め込むのって、カナの心にも良くないと思うよ。そりゃあたしで解決になる保証なんてどこにもないけどさ、話さないより話す方がきっといいよ」

それでも、佳奈は力ない微笑みを崩さない。

――やめてよ、そんな顔。こっちがつらくなるじゃん……。

「カナ!」

言うが早いか、絢南は肩に掛けていた右手を佳奈の背中に回した。そして、その背中を押すつもりで、軽く叩いた。

軽く、叩いたつもりだった。


滴が、絢南の頬に飛ぶ。


「………?」

左手で頬を拭おうとして、絢南はその瞬間はっと気づいた。佳奈の顔を、見る。

やっぱり。

佳奈の見開かれた両目からは、涙が溢れそうになっていた。

頬に飛んできたあの滴は、さっき背中を叩いた勢いで飛び散ったそれだったのだ。

「ちょっと……カナ……?」

そう、言いかけた時。


佳奈は自分から、絢南に飛びついてきた。


「……私、聞いちゃった……っ……!」

そのまま、泣き崩れる。

「私……私っ……やっと分かったの……。すっ……好きな人が、いたんだって……」


不思議と、驚いていない自分がいた。

時々見せる、元気のない顔。授業中ぼうっと天井を眺めてる姿。薄々気づいてはいたのだけれど、それを頑なに否定していたのは佳奈本人だった。やっと、向き合う気になったのだろうか。

「………そっか……それで、どうしたの」

「なのに……なのに、わ……っ私……さっき聞いちゃったのっ……!……その人、こっ……恋に興味がないんだってっ……!……私、私……これからどうすればいいのか、分からないよ……!こっ……こんなに、すっ好き……なのに……!……せっ、かく……トラウマを克服出来たと思ったのにぃっ……!」


絢南の胸の中で、佳奈は咽び泣き続ける。

だけどこういうとき、何と言えばいいのだろう。「泣かないで」じゃない。「元気出して」でもない……。

不甲斐なさを抱きながら、絢南はただ、泣きじゃくる佳奈の背中を優しく撫で続けた。少し傾いた陽が、暖かかった。



……そのまま、一時間が経った。

と言うか、佳奈が泣き止むまでにそれだけかかった。その間、誰一人道を通りかからなかったのがそもそも不思議でしょうがない。凄まじい偶然だ。

で、真っ先に訊ねた事。

「……ねー、さっきカナ好きな人が出来たって言ってなかった?」

やっぱりそれが一番気になる。とは言え、答えも大体分かるような気がしたが……。

「うん……」

涙でぐしゃぐしゃの顔を袖(既にびしょびしょだが)で拭いながら、佳奈は頷いた。見かねてハンカチを差し出すと、佳奈は絢南の顔をじっと見て、言った。

「……誰にも言い触らさないって、約束してくれる?」

そんな目で見詰められて否定出来るわけがない。

絢南ははっきりと首を縦に振った。それでも佳奈は少しの間言うか言わないかの二択に頭を悩ませているみたいだったが、

顔を真っ赤にして、白状した。

「………………い、伊勢原、……ユー……スケ……くん……」

ああ、やっぱり。

「でもあたしたちに聞かれた時あんなに首振って否認してたじゃん。急に心変わりでもしたの?」

訊ねる。すると佳奈はさらに顔を真っ赤に染めて、

「……だ、だって!そんなの言うのはっ……恥ずかしいし、ぜったい笑われると思ったし、それに私"恋なんてしない宣言"ユアとアヤちゃんの前でしちゃってたし……!」

逆に詰め寄られた。そうか、言い出しにくい環境を作っていたのは、誰あろうあたしたちだったんだ……。

「……そっか、ごめん」ただ頭を下げるしかなかった。

「それにしても、いつから?階段から落ちたあの日?」

分かんない、と佳奈は首を振った。「でも、最初にその気持ちに気がついたのはそんな最近じゃないと思う。ううん、はっきり好きなんだって気づいたのはホントに最近なんだけど。でも、ぜったいユースケくんには伝わってない。だから、時々ユースケくんの顔を思い出すと、つらくって……」


ぐすん、と鼻を啜る佳奈。今の絢南には、その姿がなぜだか無性に羨ましかった。

こんな風に、人を愛してみたい。そう、思った。

佳奈の一途なその想いは、絢南には経験のなかったものだったから。


「……それで、さっき「見ちゃった」って言ってたのは何だったの?」

一番気になるところに、絢南は切り込んだ。訊ねられた佳奈はまた少しの間絢南の顔をまじまじと眺めていたが、

「……アヤちゃんになら、言ってもいいかもしれない……」

──そっ、そう?

どう返すべきかも分からずシンプルに頷くと、佳奈は急に居住まいを正して、真剣な顔で言ったのだ。


「……私、

やっぱり、サイキックだった」


「え!?」

思わず絢南は立ち上がっていた。いやもう、驚きを隠せない。

「……朝早くに、ここに来たの。そしたら眠くなっちゃって、さっきの刑事さん──磯子さんっていうんだけど──に起こされたらもう昼頃で。そしたら、だんだん目の前が透けていって……」

透視(クレヤボヤンス)……?いや、千里眼(セカンドサイト)か。確かにそれは紛れもなく超能力だ。だけどまさか、本当だったなんて……。

「うっ……」

また嗚咽を漏らし始める佳奈。

……もう、どうしたの?なんて野暮ったい事は聞かない。聞かないでもその苦しみは手に取るように理解できた。自分が、どうすべきなのかも。

「そうか。それで、何か嫌なものを見ちゃったんだね」

うんうん、と首を縦に振る。首が折れちゃうんじゃないかって思うくらい、強く。

「……透けた向こうに、浜辺が見えて……そこにユースケくんとアッ……アカネちゃんがいて……」

!!!!!

なんという悪運なのだろう。よりによって明音は、今日をエセ告白の日に選んでいたのだ。

――てゆーか、この話が終わるまでにあとどれほどあたしは驚けばいいんだ?

「……きっ、昨日の夜に、二人がおんなじような浜辺でキッ…………キス……してるのを夢に見てて……」

!?

「……っだから、あの夢はきっと予知夢(プログノシス)なんだと思って……なのに……なのに……」

せっかく拭いた頬を、新たな泪が伝う。

「ゆっ、ユースケくんが、アカネちゃんに……俺は恋愛に興味ない……ってっ…………!」



……口惜しかった。

どうしてもっと早く、佳奈が苦しんでるのに気づいてあげられなかったんだろう。いつもこんなに近くで接していたのに。そうしたら、佳奈が独りでそんな想いを溜め込む事はなかったのだろうか。今更そんな事を言っても仕方無いとは分かっているのだけれど、後悔の念は容赦なく、絢南を苛む。

海のようにたまった哀しみや苦しみに溺れ、藻掻く事に必死で助けを求める事も出来ないでいる少女。その哀れな姿を目の前にしていながら、何も出来ないでいる自分が、黙って慰めることしかできない自分が、口惜しかった。


いま、絢南のしてやれる事があるなら。絢南にしか出来ない事が、あるのなら。

それで、佳奈の笑顔が戻るなら……。


意を決した絢南は、顔を上げた。

「……分かった」

もう何度目だろうか、震える佳奈の肩を両手で掴む。

「もう、独りで悩まないで。超能力の事は、暫く黙っとこう。今んとこ警察にはバレてないし、このまま何も問題が起きなければぜったい捕まらないよ。何もぜんぶ正直に話す必要なんてないんだから。例え今までの事件を起こしたのがカナだったとしても、これまでに出た被害なんて微々たるもんじゃない。しかも、カナは自分に超能力がある事すら知らなかった。なら大丈夫だよ」

三十分前と同じ顔で、佳奈が見上げてくる。自分たちがこんな顔にしたのだと思うと正面から見つめるのも辛かったが、現実だと思って受け止める覚悟はもう出来ていた。

「伊勢原の事も、もうカナ独りの事じゃない。アカネはめんどくさい子だから、強いこと言わないと振れないと思ったんだよきっと。しかも試験期間中のこの時間帯に浜辺にウチの生徒がいるわけないし、まさか千里眼(セカンドサイト)で見てた人がいたなんて普通は思わないから、誰も見てないと思ってそういう言い方をしたんだと思うよ。だから、ホントに興味がないのかなんてまだ分からないし、アカネの事だからきっと電話か何かで呼び出したんだろうけど、それに応じたってことは興味ゼロって事はあり得ないよ」

佳奈が、僅かながらも頷く。畳み掛けるように、絢南は続けた。

「だからもう泣かないで。笑顔の方が、カナには似合うんだよ。カナが悲しそうにしてると、きっと周りも悲しくなっちゃうよ。だから、笑ってようよ」

ヤバい、言ってるあたしが泣きそう。リアル貰い泣きしそう。

「────みんなに、言うの?」

佳奈が訝しげに訊ねてきた。ちょっと、心配そうだ。

「ううん、最低限だけにするよ。不用意に話すのは危ないから、共有できる相手も選ぼう」

真っ先に唯亜の顔が浮かんだが──言い触らしそうだな。よくよく言い聞かせた方がいいかもしれない。

「ね、約束しよう。もう、泣かないって。あたしたちも、カナがつらくなるような結果にならないように力を貸すから。だから、約束」

細い小指をつき出す。それでも佳奈は一瞬、泣きそうな顔で絢南の指を見つめていたが、

絢南の小指に、自分の小指を絡めてきた。

折れてしまいそうなその指を、絢南は優しく握った。


少し傾いた初夏の陽が、二人の背中をレモン色に照らしていた。



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