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DistancE-KANA  作者: 蒼原悠
第五章 distaste――煩想――
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episode32 「俺は、恋愛なんかする気ない」


 「ゴメンね、急にこんな所に呼び出したりして」

 そう言いながら、目の前のツインテールの少女は俯いて足元の砂を蹴った。いや、本当は名前なんて分かっている。

 松田明音。

 三浦の話を鵜呑みにするなら、彼女はこれまで何人もの男子と付き合い振ってきたという、ある意味じゃ猛者の女、らしい。

 雄介はため息をついた。

 まさか、三浦の言ってた事が本当だったなんて。てゆーか、常識的に考えて試験前のこのタイミングで電話かけてきて呼び出したりするか?少しは時期ってもんを見ろよな。

 そんな雄介の思考など知るはずもなく、

 「実はね、私…………」

 そこで言葉を切ると、明音はまた少し恥ずかしそうに俯く。

 小説とかでもよくあるタイプの愛の告白をする気なのだと、その瞬間に確定した。いや、本当はとっくの昔に分かっていた事だ。

 返事はせず、雄介は黙って彼方の海を睨みつけた。晴れているのに、波は荒かった。

 ──しかしなんでまた、今度は俺が選ばれたんだろう。蓼食う虫も好き好きって言うけど、俺ってそんなにモテる要素があったか?それとも、単に松田(こいつ)に遊ばれてるだけなのか……?

 考えを巡らす雄介を他所に、明音の口は三度(みたび)開いた。明るい色の唇が、空気を震わせた。


 「……私、前から伊勢原くんの事が気になってたんだ……。付き合って、くれない……?」


 ふーん。

 本当に、そんな感じだった。愛の告白も受けてみればこんなもんなのか、というのが正直な感想だった。少し低めの目線から舐めるように眺めてくる明音の顔は、どっちかというと宏太の必殺兵器に近いものだ。確かにそのへんの男子ならやられるだろう。でも、雄介は違う。

 「……ごめん。俺、そういうのあんまり興味ないから」

 一応、素っ気ない口調を極力隠して、雄介は言い切った。


 すると明音は、

 「えー?なんでよー?」

 一転、駄々をこねるように腕を絡めてきたのだ。

 「ちょっ……」

 振り払おうとしても、がっしり掴まれてて離れない。顔、近い。

 誰かが通りかかったらどうするんだと睨みつけると、明音は少し口を尖らせて、

 「なんで、私じゃダメなの?それとも、」

 一旦、言葉を切った。その空白が雄介の思考を停止させ、不意討ちの打撃を強くする。

 「他に、好きな人、いるの?」


 ──なっ……!

 腕を囓るように上目遣いで雄介を見上げながら、明音はちょっと不機嫌な声を上げた。「やっぱり。私以外に誰かもう好きな人がいるから、私じゃダメなんだ。そーでしょ?」

 ──確かに、そうだ。

 だけど、そんな事口に出せるか。相手が相手だ、ヘタな事言うと言い触らされかねない。最悪、方々でからかわれ続ける事になる。俺にしても二宮にしても、それは……。

 冷や汗が、背中を伝って砂に吸い込まれる。

 「ねー、どうなのー」

 雄介の動揺を知っているかのように、明音の声が大きくなった。しがみつく腕の力も強くなる。波の音まで、一層荒々しく聞こえてくる。


 ──いや、待てよ。ここで俺が松田を振ったとしても、誰もそれは知らないワケだ。なら……


 「いい加減にしろよ!」


 思いっきり力を込め、雄介は腕を振り払った。明音との距離が、一気に広がった。

 「俺は、恋愛とかそういうのには一切興味ない。一切な。だから、お前が俺の事を好きだろうが何だろうが、俺には関係ない」

 目をぱちくりさせて犬のように雄介を見上げる、明音。けれどどんなにその「可愛らしい」顔を見つめても、やっぱり雄介にはそれ以上のモノには見えなかった。ちょっと、安心した。

 だから、言い切る。

 「俺は、恋愛なんかする気ない。分かったら、もうその話はここで終わろうぜ。悪いけど、他を当たってくれ」

 一方的に終了を宣言すると、雄介はそのまま明音とは反対に向き直った。

 ちょっとはっきり言い過ぎたような気もしないではなかったが、でもまさか立ち聞きされてる訳でもないだろう。

 一度も振り返る事なく堤防の上へ上がると、雄介はそのまま駅の方へと歩いていった。背中に降り注ぐ斜陽のような視線は、無視した。


 一部始終を聞いている人がいたとは、よもや雄介も思わなかったはずだ。


◆  ◆   ◆


 ──うそ…………。


 ショックのせいなのか、頭の奥が痛い。

 佳奈はその場に、頽れるように座り込んだ。「大丈夫か?貧血?」と叫ぶ磯子の声が、ガスのように漂った。三十センチも離れていないはずの太い腕が、ぼやけて見えた。

 ──恋愛に、興味ない……。

 浜辺から立ち去ったのか、雄介の姿が消える。それと同時に、目の前に広がっていた辻堂海岸の景色はだんだん狭まっていった。まるで、ミュージカルの幕が降りるみたいだった。

 ──そんな……。興味、ないなんて……。

 全身から、力が抜ける。視界が、白く霞んでゆく……。


 「カナちゃん!カナちゃん!?」

 意識を失ったように、佳奈はそう叫ぶ磯子の腕の中へ倒れ込んだ。華奢なその身体が、変に重たい。

 ──まさかこんな事になるなんて。俺がなんかまずいことやったか?いやいや、何をやったら気絶するっていうんだ。

 取りあえず、佳奈の腕──本当は身体を直接持った方がバランス的にもいいのだが、思春期の女性にそれはいくらなんでも配慮に欠けるだろう──を担ぎ上げ、ベンチに座らせる。

 口元に耳を近づけ、息のあるのを確認する。よし、大丈夫だ。

 熱があるか、脈は正常かをチェックする。顔は少し火照り気味だったが、高熱がある様子はない。脈拍にも特段異常は無さそうだった。貧血の可能性もあるが、さすがにそれは分からない。

 ふうっ。息をはいて緊張を解すと、磯子は佳奈を見下ろした。

 ──さて、どうするか。

 このまま放ってどこかへ行くなんて、警察官としてあまりに無責任過ぎる。だけど、そろそろ捜査会議の時間なんだよな。交番勤務の警官を呼んで引き取ってもらうか……?

 それとも救急車を……?いや待て、いま呼んだら確実に俺がマズい立場に……。


 「あれ、カナ?どうしたの!?」

 !?

 思わず振り向くと、そこには佳奈と同じく私服姿の少女が立っていた。

 短めのポニーテールが、風に揺れる。一瞬見とれたのも束の間、少女は磯子を見てまた声を上げた。

 「あ、こないだの刑事さんじゃないですか」

 へっ?

 「カナ、どうしちゃったんです!?」詰め寄られる磯子。返答に困ったあまり、

 「……いや、俺も今来たばっかりで……」

 大嘘をついていた。

 「そうですか……」と沈んだ声を出す少女の姿に、少し心が痛む。が、今更本当の事を言い出す勇気もない。

 「と言うか、俺の事を知ってるのかい?」

 「そりゃ覚えてますよ」心配そうな顔で佳奈の隣に座りながら、少女は言った。

 「ここでポルターガイスト事件があったあの日、移動病院(スーパーアンビュランス)の中から背の高いキザな人に連れ出されてたじゃないですか」

 「っ見てたのか!?」

 気づいたらこっちが詰め寄っていた。が、少女は特に気にする様子もなく、「友達と二人で、なんかちっちゃい子供みたいだなーって……」

 まったくもって身も蓋もない言い方をしてくれる少女である。やっとの思いで苦笑いを浮かべ、反駁する磯子。「いや、アレはだな……そういう訳じゃ」

 「それで、カナはどうしちゃったんですか?」

 磯子の言い訳を遮り、少女は佳奈の肩を何度も揺すり始めた。相変わらず、反応がない。心配になる磯子。やっぱり、救急車を呼ぶべきだっただろうか。

 「それが、貧血みたいで意識を失っていて……」

 言いながら、何だか言い訳でもしてるような気がしてきた。否、言い訳そのものだ。警察官のくせに目の前で倒れた人を救えなかったことの、言い訳だ。嫌だな、この気持ち。

 迷った末、

 ──やっぱり、本当の事を言おう。

 「じっ、実は────」

 「あ!カナ気づいた!」

 またも少女の大声が磯子の言葉をかき消した。いや、むしろ重要なのはその大声の中身──

 「カナちゃん!気がついたか!?」

 叫びながら、磯子は思わずその手を握りしめていた。佳奈の目が、細く開く。良かった。本当に良かった。

 「あれ……?アヤちゃん……?」

 アヤちゃん、と呼ばれたあの少女は、心底ホッとした表情で応えた。「カナ、大丈夫?身体とか、悪いところない?」

 微かに、しかしはっきりと佳奈は頷く。磯子も、ホッとした。

 ──これで、俺もお役御免だな。捜査会議にも間に合いそうだ。

 「アヤちゃん、でいいのかな」磯子は少女に声を掛けた。「カナちゃんの事、頼める?」

 「絢南、です」

 少女はそう言って、笑う。「大丈夫ですよ。ね、カナ?」

佳奈はもう一度、頷いた。そして、磯子の目を見、


 ……何も言わなかった。

 ただ、首を振った。磯子にはそれが、ゴーサインだと思えた。

 「それじゃ、俺は行くから」

 後ろめたさを残しつつ、磯子はそこを後にした。



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