episode31 「もしあの夢のように、二人の唇が重なってしまったら……!」
「────カナちゃん?」
「……ふぁ……」
意識が戻ってきた。目を擦った佳奈の前には磯子の姿が、
「っうわああああっっ!?」
思わず佳奈は後ずさった。いや、後ずさろうとした。
ここはベンチの上だ。つまり、
後頭部を強打。
「~~~っ!」
「そりゃそうなるだろ……」
呆れ顔で磯子は笑った。「大丈夫?ケガ、ない?」
「……なんで磯子さんがここに居るんですか?」
涙目で佳奈が尋ね返すと、磯子は今度は朗らかに笑った。
「おいおい、ぶつけたショックで俺の職業を忘れてもらっちゃ困るよ。それにまだあの事件は、解決を見てはいないんだから。カナちゃんだって真相が知りたいだろう?」
頷いた。本当は、頷きたくない。でも、頷きたくない理由が説明できる自信もなかった。
「……いま、いつですか?」
「正午前だね」
──そっか、私七時間近くも眠り込んでたんだ。
まだ少しとろんとした目で記憶を辿る、佳奈。すると、
「……それはそうと、」そう真面目な声で言うなり、居住まいを正した磯子は急に真顔になった。相変わらず表情の変化の激しい人だなあ、と佳奈が思っていると、
突然手を地面に突いた。
「この間はごめん!勝手に君の事をサイキックだなどと疑ったりして、悪かった!」
そのまま、土下座。
「あ、いえいいんです疑われたのなんて私気にしてませんし……」慌てて佳奈は執り成そうとしたが、磯子は一向に土下座をやめる様子を見せない。
「君が被害者であることを俺はすっかり忘れてた!それなのに気持ちを慮ることもせず……あの時の俺が恥ずかしい!遠慮しなくていい、何でも文句があったら言ってくれ!」
──そりゃ、私だってちょっとは戸惑ったし、腹も立ったけど。でも面と向かってそんなこと正直に言えるわけないじゃん……。
佳奈は暫く、土下座の姿勢から動こうとしない磯子の大きな背中を困惑気味に眺めていた。ふと、遊び心が湧いた。そーだよね、ちょっとくらい。
「……ホントに、正直に言ってもいいんですか?」
「構わない!」
即答。
「じゃあ、」
佳奈は少し渇いた唇を、開いた。
その時。
それはあまりに唐突にやってきた。
磯子の背中に、穴が空いたのだ。
いや、円形に透けたという方が適切だった。
「………っ!」
驚きで、声が出ない。その間にも、磯子の奥の背景はどんどん透けてゆく。駅前の空き地を越え、東海道線の線路を越え、市街地を越え……、
いつしか佳奈の前には、ここから優に数キロは離れているはずの辻堂海岸が広がっていた。
千里眼。
それは紛れもなく、超能力だった。
──まさか、こんな……!
なんという事だろう、唯亜の仮説が現実のものとなってしまったのだ。
どうしたらいいのか、分からない。
――落ち着くの、私。口にしちゃダメだ。今、目の前には磯子さんがいる。今そんなことを口にしたら、きっと逮捕されるに決まっている……。
そう思った瞬間。
砂浜の端に、人影が見えた。見えるはずのない顔が、見えた。
「あ…………」
雄介と、明音だった。
それは、佳奈がもっとも恐れていたはずの場面だった。
フラフラと、佳奈は立ち上がる。異変に気づいたのか土下座を止めた磯子が「どうしたカナちゃん?」と訊ねる声も、聞こえなかった。聞こえてたとしても、とてもそれどころじゃなかっただろう。
どうしよう……。
もしあの夢のように、二人の唇が重なってしまったら……!
だけどどんなに考えても、その手は、その思いは届かない…………。




