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DistancE-KANA  作者: 蒼原悠
第四章 distortion――撓擾――
30/57

episode30 「やっと、自分の気持ちに向き合えたところだったのに」


 その夜。小田原の町中にある、二宮家。

 両親は気を揉んでいた。

 娘、もとい佳奈の様子がどうもおかしいような気がするのだ。

 たかが超能力事件の被害者になっただけとは思えないほど、今日帰ってきた佳奈の顔は草臥れて見えたのだ。まるで、一気に三、四歳位老けてしまったみたいに。

 「……まぁアレだ、事件のショックみたいなのもあるだろ」長い煙を吐きながら、父は溢すように言った。「いま、寝てるんだろう?カナの学校は当分終日休講だと言ってたし、とりあえずゆっくり心を休める時間はあるわけだから」

 「そうは思うんだけど……」

 窶れ気味の声が、母の口許を濡らす。「カナ最近、よく疲れきった表情で帰ってきたりソファでぐったりしてたり、なんか変なのよ。思い当たるような節、あったかしらね」

 「そうは言っても、僕は帰ってくるのが基本遅いから接してる時間がほとんどないしなぁ」

 電子タバコを銜える、父。役立たずめ、とでも言いたげに母が睨むと、

 「むしろ、ケイコこそないのか?普段から接してるぶん、切欠を掴んでいるとしたら可能性は君の方が大きいだろ」

 父はそう言って息を吐いた。

 「それに、もう年頃だ。悩みがあったってカナは僕には相談してくれないだろうし……」

 少し寂しそうなその声に、つられて母もため息をつく。それは分かってはいた。父だって、愛娘の佳奈の事が心配なのだ。

 「そうねぇ………」母は、ここ最近の娘の言動を頭のなかで逆再生してみた。試験の範囲が気狂いだとか愚痴を溢す佳奈、普段は嫌がるくせに妙に自分の髪を弄ってる佳奈、

 突然自分たちの知らない男子生徒の絵を見せてきた佳奈……。

 「やっぱりあれかしら……」

 敏感に反応する父。「なんかあったのか?」

 「ちょっと前に、カナが知らない男の子の似顔絵を見せてきた事があったのよ。カッコいいって言ってたし、もしかしたらその子が好きなんじゃないかしら」

 事実とは若干異なるその説明は、父には少なからずショックだったらしい。「……そうか……」と呟くと、父は悄然としてソファーに腰掛ける。

 「……確かに、僕もそんな時期があったからなぁ。あのくらいの年代だと、よくある事なんだろう」

 「そうね……」

 三十分前に佳奈が消えていった階段を、母は見上げた。もどかしいけれど、もしそれが本当なら親が軽々しく介入していい話じゃないのかもしれない。きっと佳奈は、自分で解決するのだろうから。


 「そう言えば、カナ前にも好きな男の子がいなかったか?」父が訊ねてくる。

 「……あれは小学生の頃の話よね。確か五年の九月の半ばくらいの事だったかな。学校で泣かされて帰ってきて、家でももうすっかりしょんぼりしてて。見てて可哀想だったわ……」

 電子タバコを玩びながら、父は頷く。「魂が、抜けたみたいだったからな。あれ以来だったかな、カナが他の人を怖がるようになったのは。中学になって多少は良くなったみたいだけど……」

 怖がっている、のだろうか。むしろ――信用しなくなったというのが母には正しいように思えた。

 「……カナは放っとくと全部何もかも自分で抱え込んじゃうタイプだから、私たちにも相談してくれないのよね……」

 重苦しい沈黙が、漂う。

 「…………もうちょっと、親を頼ってくれてもいいのにな……」

 二階を見つめる父の吐いたその息は、扇風機に撹拌され二秒と経たずに消えていった。



 が。

 当の佳奈はそんなことで悩んでいるのではなかった。


 ──超能力、かぁ。

 黒々と広がる空に、手を翳す。そのまま、闇に溶けていきそうな気がした。海風がいい感じに吹き込むこのベランダは、塩気が酷くて迂闊に洗濯物は干せないけれど、夏場でも涼しいので二宮家の住人にはオアシスなのだ。

 ──確かに、言われてみれば何だか最近、私の周りに限って不自然なくらい超能力事件が立て続けに起こってる。よく考えたら、この前アスカの背中に浮かび上がってた文字も、その類いだったのかもしれない。でも私がサイキックで、無自覚な暴発だったと考えれば辻褄が合う。

 いや、まさか。あり得ないよ私がサイキックなんて。だって。今まで何度も「超能力があったらなぁ」って思ったけど、実際に使えたことなんか一度もなかったし。それがここ一ヶ月で暴発事故が集中するなんて、おかしい。そもそも最初から持ってるものじゃないの超能力って?

 疑問が、謎が尽きない。それに──

 ──『もし本当にサイキックだったら、間違いなく死刑だね』

 そう佳奈に語りかける「もう一人の自分」の声は、なんだか少し楽しそうでもあった。

 忘れてはいけない。どんな事情があろうと、三つも事件を起こしたサイキックが死刑にならないなんて事はあり得ない。それが無自覚のうちに暴発したものであろうが……。

 ──でっでもさ、まだ仮説じゃん?

 佳奈は引き攣った顔で、そう言い返した。もちろん実際に声など出していない。

 ──まだ私が確実にサイキックだと分かったわけじゃないんだよ?なら警察には捕まらないよ。

 ──『断言は出来ないさ。超能力犯罪じゃ"疑わしきは罰すべし"が原則だって、公民で習わなかった?ほんの少しでも疑いを持たれたら、例え証拠が揃わなくても捕まる事はあるさ』

 やっぱりちょっと愉快そうなその口調に、なぜだろう。強烈な違和感を感じる。

 ──ねえ。なんであなたはそんなに楽しげに話すの?

 ──『話しちゃいけない?』

 ──いけなくはないけど……自分が捕まるかも分からない状況なのに楽しそうにしてるなんて。それに、まるで他人事みたいな口調だし……。怖いよ、何だか。

 姿の見えない「声」に手を伸ばし、佳奈は無言で問いかける。

 ──ほんとにあなたは、私なの?あなたは、誰なの?


 クククッ、と耳元で圧し殺したような笑い声が響いた。夏場なのに、思わず寒気がした。

 ──『あたしは、あたし。あんたは、あんたさ。別に一緒のものと考えてくれても構わないし、まぁ実際のところはそんな感じなんだろうねぇ。だけど、あんたは一つ勘違いをしてるみたいだね』

 呆然とする佳奈。暗闇から浮かび上がってきた一本の指が、そのココロを突く。

 ──『あたしはただの一度も、あたしがあんたの化身だとは言ってないよ』


 それきり、「もう一人の自分」……否、そうだと思っていたその声は、聞こえて来なくなった。

 虚空に伸ばした腕を戻すと、佳奈は無理やり笑顔を作ってみる。鏡がないからなんとも言い難いけれど、きっと今自分は笑顔を浮かべているような気がした。

 ──やっぱ、私がサイキックだなんてあり得ないよ。私はただの一般人。超能力なんて持つ理由がないし、現にこれまでそんな力が使えた例しがないもん。ぜったい、あり得ない。

 ベランダの手すりから身を乗り出し、佳奈は叫んだ。

 「私は、サイキックじゃない!」


 漆黒の闇に向かって、その声は吸い込まれるように消えてゆく。けれど、声に出してしまうと何だか安心するから不思議だ。

 今度こそ間違いなく満足げな笑みを浮かべ、佳奈は手すりにもたれ掛かった。適度に冷たくて、気持ちがよかった。



 ……夢、だろうか。


 ふっと気がついたら、佳奈は目が眩むような高さの場所から、自分の通う校舎を眺めていた。

 ――この近くにこんな高い建物なんか建ってないはず。やっぱりここは、夢の中なんだ。

 なぜ、こんな所に。見回すと佳奈のすぐ脇には、展望台だとよくある据え付け型の望遠鏡が設置されていた。取りあえず、覗いてみる。当たり前だけれど、下界が手に取るように見える。

 何気なく、視点を南へ下ろした。学校の南側には、東海道線。そのさらに南には、湘南の海が広がっている。


 ……目にしてはいけないものを目にしてしまった気がした。


 二人の、制服を着た影が、そこにあった。片方は男子、もう片方は女子と制服のデザインで分かる。間違いなく、佳奈の学校のものだ。

 そして、見覚えのある、女子のツインテール。

 同じく見覚えのある、男子の背中。


 どうして、見間違えられるだろう。


 雄介と、明音。


 手を繋いで、仲睦まじそうに語り合うその姿。


 継ぎ接ぎだらけのココロが、さっき「もう一人の自分」に突かれた場所から割れていく。目を背けたいのに、望遠鏡を握る手の力がそれを許さない。

 どうして、明音の言葉を今まで自分は忘れていたのだろう。頬を赤らめ「雄介が憧れだった」と語っていたあの日の明音の事を。けれど楽しそうな二人を前に、今の佳奈には掠れて傷んだ喉から声を出すことも、目を閉じることも出来なかった。

 二人が動いたのは、次の瞬間だった。


 明音の肩を掴む、雄介。

 明音の腕が雄介の背中に回る。近づく顔と顔。

 心なしか、唇を突き出しているようにも見えた。


 「あ、あっ…………」

 渇いた佳奈の唇から漏れる、風のような声。けれどその音は、彼等には決して届かない。

 顔が、近づく。どんどん、近づく。同じスピードで、佳奈の瞳孔もどんどん開いてゆく。

 そして──────


 「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああっ!!!」



 「────はっ……!」

 目が覚めると、佳奈は板張りの上に倒れ込んでいた。眠っていたらしい。それも、我が家のベランダで。

 待って。ベランダ?

 自分の服を、見る。昨日着ていた制服のままだ。ところどころ擦り切れた痕が、そのままだ。

 そうか。昨日の夜ここで考え事をしていて、そのまま寝込んじゃったんだ。


 恐ろしい、夢だった。

 背中や額が、汗でびっしょりと濡れている。海風が、佳奈の身体を震わせる。

 「ううっ……」

 震えが止まらない。汗、拭かなきゃ。そう思って立ち上がろうとしても、足が根を張ったみたいに動かない。


 本当は、震えの理由なんて分かってた。


 ──ユースケくんが、取られちゃう。

 アカネちゃんに。

 やっと、自分の気持ちに向き合えたところだったのに。


 部屋の電気は点きっぱなしだった。網戸を開けて、中に入る。時計の針が、午前三時半を示す。

 じっとして居られなかった。いや、居たくなかった。眠気など、もうどこかへ吹き飛んでしまっている。

 ――どこか、落ち着ける場所へ行きたい。このココロを、鎮めたい。

 佳奈はクローゼットを静かに開くと、適当な服を選んで引っ張り出した。汗に塗れた制服を脱ぎ、着替える。それでも、何かがまとわりつくような感覚は消えない。洗濯機にそれを放り込み、広告の裏に「出掛けてきます」と走り書きを残すと、いつもの通学カバンだけを持って佳奈は家を出た。その足で、駅へ向かう。

 ちょうど始発電車の時間だった。東海道線、各駅停車東京行き。一時間と掛からずに辻堂に着ける。乗り込んで間もなく、列車は小田原駅のホームを滑り出した。


 窓の外を、光が流れていく。時間が、流れていく。

 けれどどんなに外を眺めていても、佳奈は落ち着けなかった。



 「辻堂ー、辻堂ー。ご乗車、ありがとうございます……」

 無機質な機械音声が、長い長い駅舎に響き渡る。コンクリート製のプラットホームに降り立った佳奈は、辺りを見回した。

 こんな時間なんだから当たり前か。何もない。誰もいない。改札口もいつもと違って、閑散としている。

 駅から出てはみたものの、どこへ行こうというあてもない。

 考えているうちに、自然と足は通学路に向いていた。



 ──なぜ、ここなのだろう。


 道が、少し広くなる。

 この通学路、再開発は進んでいないけれど道路整備は立派なもので、ちゃんと街灯や街路樹やガードレールが設置されている。両脇にベンチまで置かれている。

 ──そうだ、ここって大分前にアカネちゃんの背中に謎の文字を見た場所だったっけ。それに、磯子さんに藤沢事件の話を聞いた場所だ。



 ……ここにきて、瞼が重くなってきた。と言うか、身体が重い。頭も重い。足が前に進まない。

 急に眠気が戻ってきたのだ。

 ──やっぱり、眠い……。さっき寝とけばよかった……。

 吸い寄せられるようにベンチに座り込む佳奈。もう、立ち上がれる気がしない。

 ダメだよ、こんな所で寝たら風邪引くよ。そう理性が警告を発しているけれど、もう限界だ。

 そのまま、意識が遠退いて……



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