episode03 「私はもうぜったいに恋愛なんてしない、って決めたんだよ」
……「いきなり何を言い出すんだこの作者はバカか?」などと思われたかもしれない。
だがしかし。超能力法、本名を「特殊能力保有取締法」という法律が衆議院を全会一致で通過し公布されたのは、確かに昭和四十七年の四月の事だった。翌年、それに伴って刑法も改正された。冗談でもネタでもなく、この世界においてはそれは紛れもない史実なのである。
そもそも超能力なんて実在しない、などと思われた方もあろう。
だが。開明三年を迎えたこの世界では、超能力の存在は当たり前の常識、なのだ。
超能力、英語表記ではPsy。辞書に定義される通り、現代科学では証明出来ない不可思議な力の総称である。
有名所を挙げるとすれば「念力(psychokinesis)」「思念伝達(telepathy)」「透視(clairvoyance)」「超感覚(ESP)」などだろう。だが、実際には派生種も含めるとその種類はあまりにも多く、全貌から原理に至るまで何もかもが全く分かっていない事から、一部科学者の間では「人類史上最高にして最後のフロンティア」などと呼ばれることもあるとかないとか。超能力が最初に発見されてから今年で七百年近くになるが、今もなお多くの人々の注目の的であり憧れの的なのである。
しかしこの超能力、万人が超能力を持つ訳ではないらしい事が最近の研究で明らかになってきた。まぁだからこそ憧れの的なのだが、不思議な事に家族間で能力が遺伝することはなく、超能力を持つ者同士にも関連性などは見当たらないのだという。要は、完全にランダム発生というわけだ。けれどその理由は、未だに不明のままである。
超能力者──psychicは、自身の保有する能力の情報などを専門の役所(総務省特殊能力管理庁)に登録しなければならない。そのデータベースによれば、日本人口一億二千五百万人のうち、届け出のあったサイキックの数は約千二百人。調査を始めた一九七二年以降、だいたい十万人に一人の割合で均一なのだとか。ランダム発生にしてはどうにも不自然だが、その理由ももちろん不明である。
また、大概のサイキックは出生時すでに超能力を手にいれており、人生の途中で超能力が宿ったという事例報告はほとんどない。この世に生まれてきた段階で超能力が無かったとしたら、超能力を手に入れるのは諦めたほうがいいのである。だが、言うまでもなくその理由も、不明だ。
──そんな不明だらけの超能力にも、辛うじて科学が追いついた点があった。それは四十年ほど前、当時開発されたばかりの電子レンジが稼働している横で超能力実験を行っていて(被験者が腹を空かせていたので弁当を温めていたらしい)、偶然判明した事実だという。
特殊な、電磁波だ。
超能力発動時、サイキックの周囲半径八メートルの球体状の空間で、正体不明の微弱な電磁波が観測されたのだ。電子レンジはこの特殊な電磁波で突然火災を起こし、壊れてしまったという。喜び勇んだ科学者達は早速この新たな電磁波を「ψ線(psy-wave)」と命名。さらなる詳細な研究の結果、特殊な検知器を用いればどこからでもψ線を感知できる事がわかってきた。
かくして開発の始まったψ線観測用の機器も、今では市販出来るくらいに価格が落ち着き、そこら辺のホームセンターに行けば手に入る代物となった。噂では、この機器を山ほど積んで超能力の発生を監視する人工衛星が常に日本上空を飛んでいて、届け出のないサイキックがいないか調べているという。まぁ、単なる都市伝説なので信じている人はさほど多くない。
……それが、科学が唯一超能力に抗う事の出来た点であった。もっとも、科学が追いつかないが故の「超能力」ではあるのだけれど。
そんなこの世界──否、日本社会も、超能力法の制定により大きな変容を迫られる事となった。
というのも、昭和四十七年制定のこの仰々しい名前の法律は、刑法や商法などと連動する事で非常に大きな力を持つものとなったからだ。中でも最も大きな変化を遂げ(させられ)たのは、教育機関や公共交通機関であったと言われている。
──さて。
神奈川県南部、藤沢市の西寄りに位置するJR辻堂駅。その駅前に巨大な校地を持つ、ここ私立湘南中学高等学校では、その"変化"はどうだったのだろう。
◆ ◆ ◆
「ねぇユア、そろそろやめてくれない……?」
「やだ。いやー、やっぱカナの髪ってサラサラで気持ちいいわぁ~……」
公民の授業が終わった。
茶髪の少女・海老名唯亜は、佳奈の訴えをほとんど無視して、後ろの席から前に座っている佳奈の髪を撫でているところだった。近頃はもはや、日課になっている。
なるほど唯亜の言う通り、肩まで伸びた佳奈の髪は草原に寝転んだ時のように触り心地がいい。
「いいなぁ~この感覚、癒される……」
「……あのさ、くすぐったいからほんとやめてほしいんだけど……」
「えーやだって言ってるじゃん」
「え、そこ拒否権発動!?…てか、ほら次移動だよ?ユアはもう準備したの?」
教科書を手に振り向いた佳奈を、ドヤ顔で見下す唯亜。「ふふん、準備なんて公民の授業が終わる寸前に終わらせましたー。だから大丈夫安心していいよ」
公民の授業の最後の方は聞いていなかったという意味だろうか。
「何が安心って…あ、ちょっ…やめっ…」
髪に飽きたのか、唯亜は今度は佳奈のわきの下をくすぐりはじめた。いじり甲斐のありそうな場所ならどこでもいいらしい。ちなみに、佳奈がくすぐりに弱いのはクラスメート周知の事実だったりする。
「あ、やっぱこっちの方が数倍楽しいわー」
「ちょっ…あははっ…!や、っ…やめっ…てっ」
悲鳴に近い笑い声を上げて苦しむ佳奈。すぐ横を教科書を持って通りかかった女子の服を掴んで、助けを求める。
「あ、…アヤちゃん助け……」
「け」まで言ったところで、佳奈はこちらを向いたその女子……愛川絢南の目に、嫌な色の光が宿るのを見た。
──しまった、絢南もこういうの好きだった!
「あ、なにそれユイ楽しそうだねー」
手が伸びてくる。必死にもがくが、唯亜は凄まじい力で押さえつけてくる。──さすが現役女子バスケ部、こういう時だけバカ力なんだからっ……
「あ、筆箱用意するの忘れてた」
唐突に唯亜の腕から力が抜け、佳奈はいきなり解放された。暴れて振り上げた足が、そのまま宙を舞い、
ゴンっ!
鈍い音に、思わず絢南も唯亜も目を閉じる。
「ほら、もっとちゃんと歩きなって」
「……ユアのせいで足痛めたのに」
「え?私はなんもしてないじゃん。ただ手を離しただけで──」
「……(泣)」
「──ごめんごめん悪かったから…」
自教室を出て廊下を歩きながら、唯亜はびっこを引いて歩く佳奈の背中を軽めに叩いた。
視聴覚室に行く。それだけ聞けば大したことない移動なのだが、この学校をなめてはいけない。教室から視聴覚室までの距離は驚くなかれ、百五十メートルもあるのである。最初の一週間だけで二十人もの遅刻者を出した挙げ句、ついたあだ名が「遅刻天国」。それくらい、この学校の校舎は広いのだ。
もっとも、一学年十一クラスを二階建ての校舎に押し込んでいる以上、多少広いのは仕方ないのだが。
「にしてもさぁ」また後ろから髪を撫でながら(佳奈の少し充血した眼がギロッと唯亜を睨む)、唯亜は超真顔で質問を繰り出した。「カナっていっつも髪サラサラでキレイだよねー。これって何?もしかして毎日めっちゃ時間かけてしっかり手入れしてる感じなの?」
「そんなしてないよ」
佳奈の答えは実に分かりやすい。いや、長くしゃべる気がないだけか。「めんどくさいんだもん」
「……ってことはコレ地毛なんだ!」
うわいいなー、と羨望の眼差しに晒され、佳奈は少したじろぐ。
「そ…そんないいこと……」
「いいことなんていくらでもあるじゃんか。素で見かけがいいって、モテるって意味じゃすっごいアドバンテージなんだから」ケータイの画面に映る自分の髪をいじりつつ、唯亜はそう言った。「ちょっとユア、ケータイは校則違反……」とか口では言いながら、絢南の目も「同感」と言っている。
でも佳奈は、なんだか素直に納得できない。
「うーん…そんなにいいこととは思えないんだけど……」
「でもってカナの場合は顔立ちもいいし」
「プチ天然っていう性格も萌え要素としては十分有りだし」
なに言ってんの?とでも言いたげな表情を浮かべる佳奈をよそに二人は佳奈の正面に回ってくると、顔を見合わせ、
「これでモテないはずないよねー」
──またか。不毛な恋ばな。
「……ユアもアヤちゃんも、ほんと口開けばいっつもその話ばっかり」
モテる、の語を聞いた途端。心底うんざりといった声でつぶやくと佳奈は下を向いた。
「何度も言わせないでよ。私はもうぜったいに恋愛なんてしない、って決めたんだよ」
俯いたまま、吐き捨てる。
「だからあたしたちも何度も言ってるじゃん。そんなのもったいないよ、って」
絢南の言葉など耳に入れたくない、とでも言いたげに歩くスピードを早める。
押し黙っていて俯いていて、二度太ももをぶつけた痛みでちょっと──ほんとにちょっと(本人の名誉に関わる)──流れた涙の跡がまだ頬にこびりついている。おまけに時々鼻をすするものだから、端から見れば佳奈は現在進行形で泣いているようにしか見えない。
「あれでしょ?また小学生の時のトラウマとかいうの思い出してんでしょ」
「あんなの忘れちゃいなよって。バカだったんだよそいつ、バカバカバカ」
……そして脇でこんなことを言い含めている唯亜と絢南が、泣かせた犯人にしか見えない。
佳奈のトラウマ。実は唯亜も絢南も詳しくは知らないのだけれど、どうやら小学生の頃に好きだった男子にすごい振られ方をしたらしく、それ以来佳奈は「もうぜったい恋愛なんかしない宣言」を自らに下しているのだという。
「だいたいさぁ、カナを振るなんてそいつ度胸ありすぎでしょ!他の男子の集中砲火を受けること必須なのに」
「カナくらいになるともうどっかのアイドルみたいにファンクラブがあってもおかしくないもんね。ほんと羨ましいっていうか恨めしいっていうか」
「──何でそう二人揃いも揃ってわざわざ私の古傷をえぐろうとするわけ…?」
いい加減しつこさが頭に来たのか、佳奈は空いている左手で教科書を器用にクルクルと丸め始めた。ゆらりと立ち上る殺気に二人は果たして気づいているのかいないのか。
気づいていたようだ。
「でもさ、カナ」絢南がやや控え目な口調で、けれど真剣な眼差しで後ろから語りかける。
「マジな話、カナそろそろそのトラウマ棄てた方がいいよ。失敗は成功の母とか言うじゃん、まだ諦めるのは早いよ」
「そうそう。そんなんじゃホントにいつまで経っても彼氏の一人も出来ないよ?ルックスはぜんぜん大丈夫だと私たちは思うけど。大丈夫、自然体でいれば絶対モテるって」
唯亜は人差し指を立てた。「確か、H組のシオリも、一度同じ組の奴に振られて諦めかけて、でもやっぱり諦めずに別の奴にアタックかけてみたら成功した、って言ってた。一度失敗した人の方が経験あるだけに有利なのかもしんないんだからさ」
「……ユア、そんな軽々しく他人の恋愛関係バラしちゃっていいの……?」
コントのようになってしまった。佳奈は一応耳に入れている様子だったが、黙ってまた下を向く。丸めた教科書を元通りに伸ばして、武装解除。
あきれ顔の絢南と「私いまちょっといい事言った」顔の唯亜は、また顔を見合わせる。
(あ……これってアレかな?あたしたち、古傷えぐり過ぎちゃった感じだよね?)
視線を交わしてひそひそ話をする二人。
(いくら何でも言い過ぎたかな……)
(それはないと思う。カナ恋愛ネタの話題を振ると最終的にはいっつもこうなるもん)
(てか、自虐もあそこまで行くともはや腹立つレベルだよね。カナって前は陰ながらファンクラブまであったって話じゃん?コクられたのだって一度や二度じゃないって……)
(いや、それは小学生の時の話でしょ。アヤ、カナのトラウマの事ちゃんと知らないわけ?私も詳しいわけじゃないけど、あのトラウマってまさにそのファンクラブが原因だったんだってよ)
(追っかけがストーカー被害に発展したとか?)
(……いや、たぶんそれぜんぜん違うと思うけど)
聞こえてないのをいいことに言いたい放題である。前を歩く佳奈が「くしゅんっ」とくしゃみをした。
その時だ。
アイコンタクト会話に夢中の唯亜と絢南の耳に、
『キーンコーンカーン』
と、どこか聞き覚えのある鐘の音が聞こえてきたのは。




