episode29 「私達、友達なんだからさ」
「……俺がまだこの前の湘南高校爆破テロ事件を調べてるのは、青葉先輩ご存知でしたよね」
「ああ」缶コーヒーを手に青葉は頷く。「で、進展はあったのか?」
返事がない。
「……そうだろうな。だがまぁ何度も言うようだが、超能力犯罪は普通じゃない。滅多に進展なんかしないもんだ。それで気を落とす事なんかない」
顔を上げる磯子。「……無かったと言えば、嘘になるんですが」
「ほう」
青葉は思わず身を乗り出した。「犯人逮捕に繋がるような情報でもあったか?」
「そうじゃないんです」
何に腹が立っているのかわからないが、磯子は少し苛立った声を上げた。
「むしろ、その逆です」
「逆?」
「疑う対象の話ですけど」そう言うと磯子は手帳を取り出す。「証言に依ると、第二被害者・二宮がテロ発生直前に事件現場の教室前で、第一被害者・麻生、真鶴両名と会話していたのが確認されています。その際目撃者は、二宮と麻生・真鶴の三名は口論になっていたと証言しているんです」
「口論?」
「麻生・真鶴両名は同学年同クラス、しかもかなり仲が良かったそうです。目撃者は口論の内容までは耳にしていないんですが、状況証拠から見て二宮対麻生・真鶴という構図であった可能性が高いでしょう。そして、麻生と真鶴は爆発で吹っ飛び記憶を失い、二宮は爆風や破片を食らってもなぜか負傷無しだった……」
……青葉は、自分の顔が少しずつ青ざめていくのを感じた。青葉だけに、とかではない。磯子の話通りなら、新たに疑わなければならない人物がさらに増えることになるのだ。それも、
「……被害者を、疑わなければならないって事か……?」
「何かさ。最近、おかしいと思わない?」
唐突に唯亜は切り出した。「おかしいって何が?」と絢南が尋ねると、カバンをゴソゴソ漁った唯亜は何かを取り出して、広げる。それは、この間のあの絵……
血圧、上昇。
「ってなんでユアが持ってるの!?」叫ぶが早いか身体を起こした佳奈は唯亜につかみかかるが、絢南に押し戻された。
「はい病人は大人しくするー」
「病人じゃないよ私!あと返してそれー!」
ガン無視の唯亜、「この絵といい今回のポルターガイストといい、やっぱ最近変じゃない?」
そう、言った。佳奈に言ったというよりは、この場の全員(看護師除く)に向けて言ったようだった。
「学校爆破テロ事件、正体不明の誰かが描いたこの絵、それにポルターガイスト事件。(雄介の顔をパシッと指で弾き)こいつに階段で助けられて以来、カナの周りじゃ変なことばかり起きてる気がするんだよね。しかも、その中心には常にカナがいるじゃん」
「……確かに、不気味だね」絢南の小さなつぶやきが、壁で反響したせいか妙に大きく聞こえた。
「警察も、最初はカナを犯人だと思ってたんじゃないかな。こう言っちゃなんだけど、大の男を二人も吹き飛ばしてついでに記憶まで吹き飛ばすような爆発の中心にいて無事だったカナが、疑われない理由がないじゃん」
「でもψ線は出なかったんでしょ?」
絢音は尋ねてきた。「うん」と佳奈が頷くと今度は唯亜に、
「それに、絵は関係ないじゃん。他の二つは超能力が関わってるけど……」
首を横にふる唯亜。
──もしかして、アレかな……。
「……念写?」
「多分、ね」唯亜はあらためて絵を広げた。「近接超能力の一種、思い描いたモノをサイキックの半径二メートル以内にある物体に転写する能力なんだって。私はそーいう分野にそこまで詳しくないけど、鉛筆画でここまで細部に拘るのってやっぱかなり難しいんじゃん?でも念写なら、別に人間が描く必要なんてないわけだから……」
「……で、でもさ」
絢南が割り込んできた。その顔は、少しひきつっている。「SECOMと鍵を破って侵入した犯人が描いたんじゃないとしたら、念写を使って描いたのは……」
誰なの、とは問わない。
唯亜は首を縦に一回振って、続けた。「それに、テロ事件。あんな風にモノを破壊する超能力はいっぱいあるみたいなんだけど、威力が一番強いのはやっぱり近接超能力の類いになるんだよ。念動圧壊、とかさ」
唯亜の言わんとする事が、少しずつ佳奈にも掴めてきた。
「ユア……」
「……こんな事言いたくないけど、これだけ証拠が揃うと否定できない部分があるよ……」
唯亜は嘆息した。「なんで、こんな事思い付いちゃったんだろ私……」
一瞬の静寂を、絢南が破る。
「じゃ、じゃあ……まさか……」
「……話の流れ的に、誰を疑わなければならないのかはもう分かりますよね?」
磯子はそこまで言うと、長い息を吐いた。青葉は頷かなかったが、「……何となくは、な」とだけ口に出す。
「その人物は、今回のポルターガイスト事件でも被害者です。しかも、彼女を狙った犯行。ですが、遊離って近接超能力の一種に含まれるそうですね」
正直頷きたくなかったが、こればかりは事実だった。否定したところでそれは一時の気休めにしかならない。
「……ああ」
磯子は、答えない。けれどその頭の中をどんな考えが支配しているのか、今の青葉には理解できた。
そう。全ての原因は、
二宮佳奈。
他に、どんな答えがあるだろうか。
「……でっでもさぁ!」
再びの沈黙を破ったのも、絢南だった。「そんなのぜったいおかしいじゃん!だってカナψ線検査は突破してるんだよ?なのになんで」
「……そうだよね。ψ線に引っ掛からなきゃ捕まることはないし、引っ掛かったってカナに自覚がないんなら──」
そこまで言っておいて唯亜は今更気づいたらしい。顔が、だんだん青くなっていく。
そう。故意だろうが故意じゃなかろうが、超能力犯罪は厳罰の対象となるのだ。
「……だ、だけど、今ψ線が出ないってことはこれから先も出ないんじゃない?」
そういう絢南の口調は、無理に明るく話そうとしているのが明白だった。「サイキックは生まれたときからサイキックなんだし、人生の途中で超能力が宿ることもないって先生言ってたじゃん。なら大丈夫だよ」
「……そうだね。そうだよね」
そこではじめて、佳奈はちょっと笑った。
笑ったけれど、その表情はどこか虚ろだった。
……そりゃそうだろうな、と唯亜は思う。自分が事件の犯人だなんて突然に言われて戸惑わない人なんて、不自然すぎるもの。
あくまで憶測の域を出ない話のはずだったのに。ちょっと、思いついたことを言ってみただけのつもりだったのに。ほとんど意識の籠っていないその笑みを見るたび、心が痛む。
だから。
唯亜は絢南に倣ってわざと声を明るくして、言ったのだった。
「……とかまぁ私は思ったんだけどさぁ、考えてみりゃカナがそんなことする理由がないじゃん?好きこのんで学校を爆破したり自分に向かって参考書なんて飛ばすようなドMな趣味はカナにはなかったと私は思うし。そもそもψ線引っ掛からなかったんなら警察も疑う理由がないでしょ。だったら、誰が何と言おうと大丈夫だよ」
「あんたでしょ、最初にカナを疑うようなこと言ったの……」
絢南が呆れた声を上げたが、無視して唯亜は佳奈の肩を掴む。揺する。
「ほら、元気出しなって。私達は、カナが犯人なんかじゃないって信じてるし。ね、アヤ?」
……答えない代わりに、小さく、しかしはっきりと絢南は頷いた。そして佳奈の方を向き、少し微笑む。
そんな絢南をほら、と人差し指で指差して(微笑を湛えたまま絢南が唯亜を睨み)、唯亜も笑った。
笑って、付け加えた。
「私達、友達なんだからさ」
「『特殊状況下超能力者』と言うのが、あるそうです」
磯子の声が、アスファルトの隙間にこぼれ落ちてゆく。
「なんだ、それ」
「名前の通りですよ」尋ねた青葉にいつの間に出したのかクリアファイルを差し出しながら、磯子は簡単に説明を加えた。
「あくまで理論上の話なので確認されてはいないんですけど、常時超能力を発動できるサイキックと違い、一定の条件下でないと超能力を発動できないという、特殊なサイキックなんだそうです。一ヶ月ほど前の超能力研究学会で、その存在が予言されたそうなんですが……」
「……つまりその、超能力が発動できるタイミングでしかψ線は観測できないと?」
そうなります、と言って磯子はクリアファイルをしまった。
「だから、アンステーブル・サイキックだとすれば今ψ線が感知されない人間も、疑わなければならないんです。二宮佳奈にしても」
「でもまだ事例が無いんだろう?存在さえ怪しいのに……」
まあそうですけど、と言って磯子は立ち上がった。大きな背中は、少し曲がっていた。
「……何か、嫌な予感がするんですよね……。この街も、世界も、概念も、全てが根底から覆されてしまうような、そんな予感が……」
灰色の空を見上げ、磯子はそう呟いた。




