episode28 「私ホントに何もしてないんです」
「……まさか、またこうして会うとはな……」
「……私のセリフですよ、それ」
もうすっかり見慣れたあのクマ顔が、綻ぶ。佳奈も釣られてちょっと笑った。笑った途端、
「あ痛たたたたた……」
背中を撫で……届かない。
「どうした、大丈夫か?」とクマさんが腕を伸ばしてくれていたが、佳奈はもう一方の手を振った。
「いえ、大丈夫、ですっげほげほっ」咽せた。脇に控えていた看護師が、思わず顔をしかめる。
白い壁に囲まれた、移動病院車輌の一角。背中に打撲痕があるらしく、念のために検査を受けているところにやってきたのが、警察──磯子だった。ちょうどいいから、そのまま事情聴取をする運びになったのだ。
「そうかい?」心配そうに彼は尋ね返したが、佳奈が頷くとすぐさま手帳を取り出した。胸に付けられた名札の文字が蛍光灯に照らされて、眩しい。
「さてと。そんなに時間がない、要点だけ聞こう」そう言うと、磯子の目付きはまたあの仕事モードに切り替わる。
「単刀直入に聞くようだけど、何があったんだい?」
初っ端から、説明に窮する質問である。「うーん…………」と佳奈は長いこと唸っていたが、
「……よく分かんないんです」
結局、そう答えた。いや。正確には、あれをどう表現すればいいのかが分からない。率直に言うとすれば──
「……参考書が、ミサイルみたいに飛んできたって言うか……」
「参考書が飛んできた?」
──ほら、やっぱり「こいつ何言ってんの?」って顔するし。
「飛んできた、って言うか。はじめに布が破れるような音がして、下を見たら私のカバンから参考書が飛び出してきて、顔を上げたら他にもドサドサって」
「ふん……」磯子の目が教室の写真と手帳の間を何度も往復する。捜査資料でも見ているのだろうか。「……ここに来る前に他の人にも聞いてみたんだが、状況はだいたい一致するな。何でも、全員のカバンが一斉に裂けて分厚い参考書が飛び出したかと思うと、ミサイルがロックオンしたみたいにカナちゃん目掛けて飛んでいったらしい。命中は二十冊、うち数冊は衝撃でめちゃくちゃに潰れてるそうだ」
差し出された写真に佳奈は目をやった。もはや本と呼べないほどバラバラになってしまった紙の山が、そこには写り込んでいる。気絶していて記憶にないけれど、あの参考書をこんなにしてしまうような衝撃が自分にもかかったという事なのだろう。微かな、けれど電撃のような戦慄が、佳奈の傷だらけの身体を駆け抜けていく。
「ま、前回は君が最重要容疑者だったんだがな」
磯子は手帳をパラパラと捲った。「今回君は完全に被害者だ。さっき計測したPW(超能力電磁波)の結果も陰性だったみたいだし、まぁ嫌疑を掛けられる事はないだろう」
──前回、私容疑者だったんだ。知らなかった……。
「ただ、二度も同一人物が関わっている以上、学校爆破テロ事件とポルターガイスト事件の何らかの関連性は疑わなきゃならない。何かこう、気がついた事とかなかった?」
「気がついた事ですか……」
「何でも。例えば発生の瞬間に影か何かを見たとか」
──何か、あったっけ?
もう既に過去の記憶と化そうとしていたあのC組前爆破事件の日を、佳奈は思い返す。──いいや、忘れるわけないよ。だってあれは、特別な日の翌日なんだもん。
先輩に絡まれる私。その時、突然吹いた強い風が先輩を吹き飛ばし、壁や窓ガラスが横っ飛びに私を襲ってきた。分かっていたのに、私はなぜか、動けなかった。だけど不思議な事に直撃弾は一つもなくて、そうこうしてたら警察が来て────、
「そう言えば」
声がして振り返った佳奈は、その声色にふと違和感を覚えた。
彼らしからぬ、厳しい声に聞こえたのだ。
「あの日現場近くにいたという生徒に聞いたんだが、直前にカナちゃんと二人の先輩は言い合いをしてたそうだね。それが引き金になって、何かやってしまった──なんて事はあるか?」
!!!!!
──どういう意味?まだ私サイキックだって疑われてるの!?
「あっ……あるわけないじゃないですか!」佳奈は叫んだ。「てゆーか、PWDで二度も陰性反応出たのに私がサイキックなワケないですよ!」
「……き、君がサイキックだとは言ってないだろう」
佳奈の剣幕にタジタジな様子の磯子。が、その目はけして揺るがない。
「ただ、例えば──例えばだけど──君が護身用スタンガンを持っていたとする。口論になり、咄嗟に使ってしまった。そうしたら使った相手がたまたまサイキックで、電撃のショックで超能力の制御が効かなくなり暴発、なんてケースも十二分に考えられる。ちょっとした事でもいい、何かやったか?」
訳が分からなかった。なぜ磯子はそこまでして、佳奈に犯人の姿を求めるのだろう。
「……それだったら、あの時の先輩──麻生さんと真鶴さんでしたっけ?──をもう一度PWDにかけてみたらいいんじゃないですか」
逆に質問してやった。うっ、と答えに詰まる磯子。
「……まぁ端的に言ってしまえばそれでも結論は同じなんだけど……」
──じゃあいいじゃん!
「とっとにかく!」磯子はポンポンと手を打って無理やり話を切った。「何か、思い当たるような事はなかった?」
「ないです!」
大声で佳奈は言い切る。言い切ってからやっぱり何かあったような気がしないでも無かったけれど、
――言わない!だってなんか私だけ疑われてるみたいで癪だもん!
仏頂面のまま、問いかける。「ていうか、なんでそこまでして私に嫌疑を掛けたがるんですか?私そんなに疑われなきゃならないような事してましたか?」
「それは……」
磯子の目が空を漂う。手帳をペラペラと捲るその姿は、どこか逡巡しているように見えなくもなかった。何を、考えているのだろうか。
その時、
「おい、磯子」
テノール風の甲高い声がしたかとおもうと、佳奈のベッドの脇に一人の男性が立っていた。ずいぶん長身だ。
「あ、青葉先輩……」
「さっきから黙って聞いてりゃ何だ、被害者を加害者呼ばわりしやがって。被害者の方に失礼だろうが」
──いつからいたんだ!?
「いつから聞いてたんですか?」
青ざめながら佳奈と同じ感想を口にする磯子である。
「お前がスタンガンがどうのこうのと言ってた時だ。スタンガン食らって超能力のコントロールが効かなくなるだって?そんな話、長くこういう捜査に加わってる俺ですら、聞いたことないわ!」
テノールのくせに無理にドスを効かせようとしてか不自然に抑えられた声に、佳奈は思わず吹き出しそうに──おっと、いまここで笑うのはマズイよね。
「……すいません……」神妙な顔で、磯子は謝った。すると青葉と呼ばれた刑事、超絶不機嫌な(でもやっぱり高い)声で、
「バカかお前は、謝るのは俺じゃなくて被害者だろうが」
言うなり手帳を素早く捲ると何かを確認して、佳奈に向き直った。
息を呑む佳奈。──怒られるの……!?いや、私まだ別に何も……。
「二宮カナさんですね。部下の非礼、誠に申し訳ありません」
エレガントなお辞儀。対説教用に身を固めていた佳奈の頭の中は、一瞬で真っ白になった。
「…………あ、えっと……」
「実はこの者、まだ刑事としては半人前でして。失礼な質問をお受けになったかと思いましたが、どうか私に免じてお許しを……」
エレガントお辞儀二度目。あぁ、分かった。この人はキザなんだ。
「ほら、対策本部に戻るぞ」
「え、あのまだ聴取が……」
「後で署に呼ぶなりこっちから行くなりすればいいだろう。そう言うわけで二宮さん、この度はご迷惑をお掛けしましたが、事件が解決するまでの間は度々捜査に関わって頂かなければなりません。構いませんか?」
「……はい」困ったような顔を浮かべ、佳奈は頷く。捜査協力自体には別に反対はしないのだけど……
「ただ、私ホントに何もしてないんです。そこはぜったいなんです。それは、分かってほしいです……」
それだけ、言った。
◆ ◆ ◆
「うわー、なに今のめっちゃ背の高いおっさん!なんか腹立つ!」
「……成人男性と未成年女子が背比べしてどーすんのよ……」
そんな事を大きな声で喋りながら、磯子たちと入れ替わりに今度は唯亜と絢南が入ってきた。看護師のしかめ面が一際厳しくなって、佳奈は心の中で念じる。──お願い、もー少しボリューム下げて!
「あ、いたいた。おーいカナー!」
──だからボリューム下げてっ!
「おー、立派に怪我人やってるねー」
「ユイ、立派に怪我人って……」
「声!」ついに佳奈は口に出した。「もうちょっと下げて!」
「大丈夫だよどうせ今もうカナしかいないんでしょ?」
「……そりゃそうだけど最低限の礼儀ってもんが……」
看護師の顔が、だいぶはち切れそうだ。すみませんと内心で謝りながら、佳奈はため息を吐いた。
「何だ磯子、さっきのは」
ベンチに腰掛けると、青葉は缶コーヒーを勢いよく開けた。プシュッ、と爽快な音が警察署前の道路に響く。
磯子は青葉の隣で項垂れていた。その顔に、さっき佳奈に向けた疑いの目はもう片鱗さえ伺えない。肩を落とす部下を気遣ってか、青葉は表情を少し和らげた。
「珍しいじゃないか、確かにお前は熱血気味なところがあるけど、もうちょっと慎重な奴だと俺は思ってたんだがな」
「……さっぱり、分からないん、です」
絞り出すように声を出した磯子。不審に思った青葉は、尋ねた。
「何がだ?」
「いま、みんなは何してるの?」
「もうとっくに大半帰ったよ」絢南が答える。「いま四時でしょ。事件が起きたのが十時だから、もう六時間も経ってるよ。中三以外の全学年の生徒は十時半には試験を打ち切って解散。そりゃテロが起きたのに試験なんてやってらんないからねぇ」
「中三は?」
ウンザリ、といった表情な唯亜。「取り調べー。超おっかないおっさんが来てさぁ」
「戸塚さん、でしょ」
「え!?アヤ、あんなおっさんの名前覚えてたの!?」
あのねぇ、と絢南が唯亜をたしなめる。「だいたいあの人そんなにおっかなくなかったじゃん。ユアが下らないこと言ったからキレたんでしょ」
──なに言ったのよ、ユア……。
「むう」
膨れっ面の唯亜、ふと佳奈に尋ねた。「そういえばまだ親は来てないの?」
「ううん。私の親、共働きでそもそもいっつも帰りが遅いの。今日お父さんは出張だし」
「薄情だなぁ」あきれ声を上げた絢南、佳奈の頭に手を伸ばす。「おーよしよし、親に来てもらえないカナちゃんは可哀想でちゅねー」
「……なんかすごいバカにされてる気分……」
くすぐったくて首を竦めながらつぶやいた佳奈は、何気なく唯亜を見遣った。こういうとき唯が一番乗ってくるはずなのに、何だか変に静かだった気がしたからだ。
唯亜の眼差しは、二人に向いていなかった。その表情はいつもの唯亜らしくもなく、ちょっと硬い。
「……どうしたの、ユア」
同じ疑問を抱いたのか、絢南が尋ねる。すると、唯亜は意を決したかのように小さく頷くと、佳奈に向き直ったのだ。これまで佳奈も絢南も見たことのないような、真剣な視線をこちらに向けて。
「……ちょっと、思い付いた事があるんだけど。いい?」




