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DistancE-KANA  作者: 蒼原悠
第三章 distrust――告白――
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episode18 「……それこそ、他の二つよりもあり得ないな」

その日の夜。

雄介は独り、自宅のベッドに寝転んで考え事をしていた。

──何だったんだろうな、今朝のあの出来事。心臓が締め付けられるような、あの感覚。あんなの俺、初めてだ。

寝返りを打つ。窓の外には、今年から年間ライトアップを始めた若宮大路を中心に、鎌倉市街の美しい夜景が瞬いていた。雄介の家は、市街から少し離れた丘の中腹にある。

夜景は人の心を清らかにする効果がある、などと言うけれど、実際その通りだと雄介は思う。幼いころ、どんなにケンカをして痛い目に遭っても、どんな悪事を働いて叱られて泣いても、この夜景を見ると心が落ち着けたものだった。今だって、それは変わらない。


──俺は、確かに普段からあまり女子とは話をしない。だけど。

頭の後ろで手を組んで、天井を見上げる。

──それでも、ジャグリング部の同学年の奴とは普通に会話してるし、クラスの女子とも話そうと思えば話しかけられる。コミュニケーション能力は最低限備わってるつもりだ。

なのに、あの二宮っていう女子の前だとどうしてあんなに動揺してしまうんだろう。

別に俺の好きなタイプかって言われたら、そういう訳じゃない。だいたいタイプなんて考えた事もない。それにもともと、俺は恋愛とかにそんなに興味持ってない。将来の事を考えりゃ、独り身の方が何かと自由が効くだろうし。それに、相手がいると何かと気を使わなきゃならない。経験がある訳じゃないけど、正直そういうのって面倒臭そうだ。

だけど。長く顔を合わせていると胸が苦しくなる経験なんて、今までしたためしがない。


となると、考えられるのは三つか。

一つは、俺があの二宮って女子に対して何か後ろめたい過去を抱えていて、だから罪悪感とか後悔の念に苛まれて胸が苦しくなるって場合。けど、俺と二宮は初見だ。お互いに知らないのにそんなのあり得ないだろう。

もしくは俺が、女子全体に対して……いいやそれこそあり得ない。俺、今日だってクラスの女子に問題の解き方教えてたし。

或いは、もう一つ───


天井を睨んだまま、雄介は嘆息した。

──それこそ、他の二つよりもあり得ないな。

もう一度、寝返りを打って反対側を向く。白い壁紙の貼られたその面には本棚や勉強机がずらりと並べられ、比較的殺風景なこの部屋の中でも割と賑やかなエリアだ。


──まさか。

心の中で呟いた雄介の目は、居並ぶ所有物のうちの一つに自然と吸い寄せられてゆく。

それは、金色の額縁に入った一枚の写真だった。


「……気のせい、だよな」

口に出して確認する。自分の声のように、聞こえなかった。


不意にカタカタとベッドが軋み始める。……地震だろうか。


幽かに揺れる世界の中で、雄介の心もまた、揺れていた。


   ◆  ◆  ◆


「震度2、……ってとこか?」

つぶやいた一樹は、スマホを操作して気象庁のサイトを開く。神奈川南部は──残念、震度1。

震源は静岡南西部の沖合い五十キロ、マグニチュード4.2。最大震度は御前崎で4、か。最近、このあたりは妙に地震が多い。近々東海地震でも起こるんじゃないかと世間では専らの噂だった。

尤も今は感知が完璧に親いくらいしっかりしてるから、安心と言えば安心なのだけれど。


電源を切ると、一樹はイヤホンを手にした。そのジャックは、一台の小さなICレコーダーに繋がれている。

再生ボタンに触れる。耳元で流れ始めたのは、中学生くらいの男女の会話だ。


──二宮カナ、っていうのか。あの女子。

そりゃ顔に見覚えがない訳だよ、G組の生徒なんだから。でもずいぶん可愛い顔だったし、案外男子の間じゃ知られてるのかもしれないな。


……今朝雄介と佳奈が話している所を、一樹は後ろに隠れてレコーディングしていたのである。おかげで遅刻して怒られたが、まあその位は代償として支払えるくらいの収穫はあった、と思う。あの会話の内容を聞いていたお陰で、だいたいの事実関係は掴めたからだ。

二宮佳奈。中学三年G組二十一番。

──この間までは仮説だったのが、ほぼ確実に近くなった。あの戸惑い具合にセリフ。二宮は、伊勢原の事が気になってるに違いない。

だけど、なんでまた彼女は伊勢原なんかを選んだんだろう。アイツは根っからの真面目キャラ。恋愛にも淡白っていうか、興味あるように見えないし。普通に考えれば、何かきっかけのような事があったはず。

一樹は再び起動したスマホの画面をさっさっと動かして、電話帳を表示した。ずらりと並ぶ、のべ七百人の連絡先。この交遊関係の広さが、一樹のアイデンティティだ。

一樹は、C組一を自負する情報通。友達関係とか持ち物検査の日程とか、とにかく色んな情報を集めて必要に応じて公開するのが仕事だ。情報の種類は様々。例えば、去年の期末の時に生物のテストの過去問を探しだしてみんなに提供したこともある。あの時は確か、C組だけテストの平均点が十点近く上だったはずだ。

勘違いされそうだけれど、一樹は誰かに依頼されてこういうことをしているのではない。ただの、趣味だ。他人の恋愛関係を調べるのだって、別に介入とか邪魔をしたいと思っているからではない。あくまで、一樹は傍観者として楽しんでいるだけなのだ。本人にはいい迷惑だが。


──誰なら、きっかけを知ってるだろうな。

注意深く眺めながら、一樹は画面をスクロールしていく。目に止まった、一人の名前。

──よし、こいつならいいだろう。二宮と同じクラスだし、アイツも俺と趣向が似てるからこの手のネタとか情報には強いはずだ。

ニヤッと笑うと、彼は[送信]アイコンを押した。



机の上で震動しながら、主人を呼んでいる一台のケータイ。唯亜はテレビから視線を外すと、バイブレータをやめたケータイを手に取る。こんなに早く終わるということは、メールか。誰からだろう、と呟きながら開けるとそこには、

[大和一樹]

の文字。

「あいつか……」顔を思い浮かべ、唯亜はメールを開いた。


[二宮佳奈って、お前の知り合い?]


???

一瞬、固まる。

──突然なんなんだ?こう書いてきてるってことは、アイツはカナの事をあんまり知らないってことなんだろうけど、そんな話題性のあるようなことカナやったっけ?

この時唯亜の頭からは、佳奈のやらかした「話題性のあるような事件」が完全に飛んでいた。そう、例えば階段から落ちたりとかテロに巻き込まれたりとかである。

[知り合いどころか、けっこう仲いいよ。なんで?]

結局唯亜はそう返信した。するとものの三十秒もしないうちに、

[なら丁度いいや。そいつ、どんな性格?趣味とか好きなタイプって分かる?あるいは今好きな奴とかいそう?]

──文字打ち早っ!

[性格は、割と控え目。てか、自分にあんまり自信とか持たないタイプだねアレは。

なに考えてんのか知らないけど、告白したいとかだったらやめといた方がいいよ。佳奈、恋愛にはすごいトラウマ抱えてるから]

先手を打ったつもりだった。容姿について聞いてこないってことは、佳奈の顔や姿は目にした事があるということ。それで性格とか趣味とかそんなことを聞いてくるとすると、あり得るのは「好きになった」という場合くらいだ。まぁ、これまでの経験から言って大和に限ってそんな事があるとは思えないのだけど。

瞬時に返信は返ってきた。

[この俺が恋愛をする側になると思うのか?]

ですよねー……。

[で、何が知りたいわけ?]

もう何だか面倒臭くなってきて、唯亜は投げやりな返信を認めるとケータイをソファーに放った。そのまま自分も横になってテレビに目を戻そうと──

ヴーン…ヴーン…ヴーン…

「あーもう鬱陶しい!!」

ついにキレた。バイブレータの止まないケータイを逆パカしそうな勢いで開き、乱暴な手つきで本文を展開。またふざけた内容だったら、アイツのアドレス電話帳から消し去って……

[その二宮って女子、片思いの真っ最中だって知ってたか?]


唯亜はケータイを手に、また固まった。

──なんでアイツがそんな事を知ってるんだ!?

いくらアイツが情報通だからって、女子の間でしか流通してないような話まで一体どこから──

まさか、と思った。またあのカラフルな生徒手帳を引っ張り出し、学年名簿を広げる。大和一樹、中学三年C組二十九番。確か、伊勢原雄介も同じクラスのはず。

そういうことか。ケータイを手に、唯亜も不敵な笑みを口許に浮かべる。

──ちょっとアイツの事、驚かせてやろう。


[で?]

二文字返信かよ。一樹は苦笑いしながら、さっきと同じ内容を送り返す。

[だから、二宮はいま片思いしてるって事だよ。お前に誰か分かるか?]

軽い謎かけのような言い方だ。経験上、こういう焦れったい言い方をすると唯亜は食いついてくる事が多いと一樹は分かっていた。というか、こういうやり方でないと唯亜から情報を聞き出すのは難しい。

控え目な性格のヤツが片思いの事をそんな簡単に友達に話すはずがない。とすると、唯亜がこの事を知ってる可能性は少ないはずだ。そう踏んだ。


ところが。現実の二宮佳奈の口は一樹の想定以上に、滑らかだったのである。

[残念でしたー。その話もう知ってるよ。相手と思しい奴の名前も今の状況も大体の経緯も]

──何ぃぃっ!?

指が震えて文字が早打ち出来ない。まさか今更、こっちが想像だけで喋ってたなんて言えない。

[マジで……?]

[マジで]即答。

[相手は?]

自分では認めないが、唯亜もかなりの早打ちである。四十秒と経たないうちに返信がやってきた。

[大和のクラスの伊勢原って奴じゃないの。てゆーか、だから大和が知ってんでしょ?

それで、佳奈のこと聞いてどうするわけ?]

ドヤ顔で見下ろしてくる唯亜の表情が、目の前に浮かぶようだ。おとなしく、敗けを認めるしかない。

[いや、ほらお前も俺の趣味知ってんだろ?クラスメートの恋愛関係くらい把握しておかないと、情報通としての面が保てないからさ。きっかけとかあるなら、教えてくんない?]


間が空く。

まさか本人に御伺いでも立ててるんじゃないだろうか。遅い。遅すぎる。

まさか先方に焦らし戦法を使われているとは知らず、イライラが絶頂に達した一樹が[まだか?]と送ろうとした途端であった。

返信はやってきた。()かさん(・・・)が「自分の事は棚に上げて!」とか憤慨しそうな返信が。

[うーん、友達の情報をそんな軽々しく他人に横流しするってのはちょっとアレなんだけど……ま、いいわ。教えてあげるよ]

──キター!心の中でガッツポーズを決める一樹。

作戦成功だ。比較的単純思考の海老名が、あのやり方で釣られないはずがないと思ってた……

[追伸

報酬は当然あるのよね?]


「…………。」

訂正。やっぱり、策士だ。


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