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DistancE-KANA  作者: 蒼原悠
第三章 distrust――告白――
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episode17 「それは、"死"っていう見えないモノが、具現化したようでもあった」

──三年前の、九月十日。俺はその時、巡査から巡査部長に昇格して交番勤務を解かれ、藤沢警察署の交通安全課に配属されていた。

管轄内の指定エリアをパトカーで警邏するのが、交通安全課の新任の役目だ。だけどその頃、駅から少し離れた所にバカでかいマンションがいくつも竣工したせいで、駅前の放置自転車が通路を覆いつくすくらい増えてしまって、俺はわざわざ本庁から駅前広場に出向いて自転車整理をする羽目になった。そうでなくても慢性的な駐輪場不足だったのに、その上これだ。警邏の奴等が羨ましくて最初のうちは不平を上司にぶつけてたけど、「この仕事はお前に託されてるんだ。他人に任せられない大仕事だからやらせてもらえてるんだって思え」そう言われると満更でもなくて、その日もいつものように俺はその任に就いていた。


ところが、だ。

昼を過ぎた頃の事だった。駅前広場に面したマンションの九階の一室が、火を吹いた。後で調べたところでは、出火原因は電気ストーブのショートだったらしい。見るまに火は九階中に燃え広がって、俺は通報で駆けつけた別の課の連中と一緒に、現場付近の整理に当たった。

駅前はまさしく大混乱だった。ただでさえ狭い駅前に消防車とパトカーが押し寄せたのだから、まあ当然だな。でも、消防車はなにぶんでかいから、余りたくさんは駅前に入れない。特に梯子車。駅前広場はぜんぶペデストリアンデッキで覆われていて梯子が天井につかえるから、そもそも消火活動に参加出来なかった。でも、それが大事故を引き起こす元凶になるとは多分誰も思わなかっただろうな。


運の悪いことに、火災を起こしたのは高層マンションだった。十六階建てなんだけど、そんな上の方には放水が届かない。ましてや梯子車のいない現状、水が届くのは十階がいいとこだった。そうこうしてるうちに乾いた風に煽られた火災は勢いを増し、どんどん上の階に広がっていって、ついに恐れていた事態が起こった。火が十一階に燃え移って、消防車の手に負えなくなってしまったんだ。その勢いは、もう火なんてものには見えないほどだった。

あれは、バケモノだった。

あわや県の消防本部のヘリ出動となるか、って話になった時だった。俺たちの前に、一人の男が姿を現したんだ。


男は、相模原(さがみはら)と名乗った。で、自身を水流操作(マニピュレート)を得意とするサイキックだと言った。自分なら、どんな高所へも水を放って火を消し止める事が出来る、消火活動に協力させてほしい…と言ったんだ。

改正消防法では、非常時以外で消防隊員または消防団員以外の一般人に消火活動をさせるのは禁止されてる。今がその非常時に当たるかどうか、俺たちと消防はわずかな時間で結論を出さなければならなかった。だけど結論から言うと、イエスだった。実際、相模原がいなければ埒があかないのも事実だったからな。超能力法でも「サイキックは自身の保有する能力を社会に還元させなければならない」と定めていたし、あの時点では適切な判断だったと俺は思ってる。

かくして、超能力「水流操作(マニピュレート)」による世界初の消火活動が始まった。予想もしない事態が起こったのは、その二分後だった──



そこで一度話を切ると、磯子は佳奈の顔を伺った。

「……大丈夫?」

少し、顔が青ざめているように見えたのだ。

けれど、「いえ、大丈夫です」と佳奈は言った。声が若干上ずっているが、

「ここまで聞いたんですから、最後まで聞きたいです。続けて下さい」

頷いた。



──午後五時四十分。

突然、マンションの十三階から猛烈な火の手が上がった。いや、あれは火の手なんて生易しいものじゃない。爆発だ。

立て続けに大爆発が起こって、目も眩むような閃光に俺たちは思わず目を閉じていた。けれど、本当に恐ろしいのはそれからだ。大爆発した十三階から、瓦礫が雨のように降ってきたんだ。

火の玉のようなコンクリート片が、俺たちの頭上を通り越してペデストリアンデッキに着弾する。俺は迷わず、デッキに向かって駆け出した。被害を確かめに行くのと、被害者を救出するために。走り出す直前、また後ろでものすごい爆発音が轟いて、俺は焦った。


その時。後ろで、誰かが叫んだ。

「ビルが倒れるぞ!」

まさか、そんな事あるわけないと思った。

だけど振り向いた俺の目に映ったのは、瓦礫を振り撒きながら俺の立つ歩道に向かって倒れてこようとしていた、

あのマンションだったんだ。

あんなのに潰されたらひとたまりもない。まだ俺は、死にたくない。どんどん倒れてくる建物を前に、強く、俺はそう思った。


その時だった。ペデストリアンデッキに続く階段の途中でうずくまる男の子が、視界に入った。身動き一つしないでうずくまる彼の身体にも、マンションのビルが落とす黒い影がうつっていた。多分俺にもその影はかかっていたんだろうな。


それは、"死"っていう見えないモノが、具現化したようでもあった。


その時、俺は気づいたんだ。警察官のくせに、俺一人だけ逃げようとしてた現実に。俺は完全に、卑怯者だった。

一瞬の判断だった。俺は男の子の側に駆け寄って、伏せろとか何とか怒鳴った。そうして、男の子の上に覆いかぶさるようにして防御体勢を取った。

自分が危険に晒される事は分かっていた。でも、なんでだろうな。たとえ自分は大ケガを負ってでも、この子供が助かればいいって思えたんだ。


まさに奇跡だった。俺たちは、ビル倒壊の直撃を免れた。

終わってみると、そこは目を覆いたくなるほどの凄惨な光景だった。九階から上が崩れ落ちたマンションに、崩落したペデストリアンデッキ。俺がさっきまで整理をしていた場所は瓦礫に埋まっていて、消防車もぐしゃぐしゃに潰されていた。さっきまで俺と一緒に働いていた同僚たちの姿は、どこにもなかった。さっきまであんなに賑やかな繁華街だったのが信じられないほど、ただひたすらに静かな世界がそこに広がっているように感じた。

だけど、そう感じたのは一瞬だった。俺の耳がバカになってただけだったんだろうな。すぐに警察署の方から応援が来て、俺はそっちに合流しろと無線で指令を受けた。瓦礫の山と化した現場には、早くも巻き込まれた人たちの安否を確かめる声が飛び交っていた。

……俺はそこではじめて、俺が守りとおした一つの命を思い出した。精一杯の笑顔を浮かべて、俺は地面に伏せたままの男の子の肩を叩いた。やっと、終わった。君は助かったって声をかけながら。


だけど顔を上げたその男の子の頬は、流れる涙の筋で濡れていたんだ。

もちろん、俺は「どうしたんだ」と問いかけた。男の子はその瞬間、弾かれたようにペデストリアンデッキの階段があった方を見た。その顔が、どんどん青くなっていったのを、俺は横で呆けたように見ていた。実際、俺は馬鹿だった。

「母さん……」

男の子は、そう何度も力の感じられない声を上げて、危なっかしい足付きで瓦礫の山に近寄っていく。

その時はじめて、俺は全てを悟った。自分の認識の甘さを、心から恥じた。あんなに悔しい思いをしたのは、初めてだった。


即座に俺は無線で、救助用重機の要請をした。だけど、もう遅かった。その子の母親が崩落したデッキの残骸の下から遺体で発見されたのは、それから三十分後の事だった。身体の部分はコンクリートの下敷きになっていてとても人に見せられるような状態じゃなかったが、顔だけは偶然にも直撃を受けていなかった。

俺は男の子を、顔だけという条件で遺体の脇まで連れていった。本当は躊躇いがあったのだけど、本人が見たいと言って聞かなかったから。せめて、顔だけでも見せてくれとあんなに泣かれたら、見せると言うしかなかった。

でも、やっぱり見せるんじゃなかったと思った。

遺体の顔にかけられた白い布を取り除き、その安らかな顔が露になった瞬間。男の子は、その場に膝をついて座り込んでしまった。


「母さん」


壊れたCDプレーヤーのように、何度も何度も繰り返す。


「母さん。母さん。母さん」

って。

涙さえ、流さずに。

耐えきれなかった。顔を背け、俺は静かにその場を離れた。


あの事件で、亡くなった人の数は四十九人。重軽傷を負ったのは百二十八人。戦後日本で最悪と言われた"山梨事件"に次ぐ大惨事だ。しかも死者の多くが消防や警察だった上に、肝心の相模原までも下敷きになって圧死してしまったんだ。

爆発の原因は未だにはっきりとは分かっていない。ただ、瓦礫の溶け具合とか飛び散り方から、バックドラフトじゃないかと推測されていると聞いた。

室内に可燃性ガスが充満し、発火に十分な高温になっているのに、酸素がないから火がつかない。そういう危険な状態の空間に酸素を含んだ空気が流れ込むと、ガスは大爆発を起こす。あの時十三階には、そういう可燃性ガスが大量に流れ込んでいた可能性がある。あのマンションは内階段だから、ガスが溜まっても抜ける口がない。そこに、相模原の水流操作(マニピュレート)が強烈な水を浴びせた。衝撃が強すぎて窓が吹っ飛び、空気が中に流れ込んだ瞬間、十三階は巨大な爆弾と化したのだとだろうと、科捜研からの報告書にはあった。


俺は、相模原を憎んだ。奴が余計な事をしなければ、被害はもっと小さかったかめしれない。例え完全に燃え落ちても、ペデストリアンデッキを滅茶苦茶に破壊するようなことは無かった。あの男の子の母親が死ぬことも、無かったのかもしれなかった。


だけど、軽々しく協力をさせるという判断をしたのは、俺たちだった。何が起こるか分からない超能力の危険性を、甘く見すぎていたんだ。


だから。俺は今でも、超能力が好きじゃない。人を殺められる力など、この世には要らない。普通に使ったって危ない超能力を犯罪行為に使うという事が、犯罪者が、許せない。

だから、俺は諦めたくなかったんだ──



長い告白が、終わった。

「カナちゃん、大丈夫?」

言いつつ佳奈を見ると、彼女は磯子には目を合わせずにぽつりと呟いた。

「……すみません。嫌な話、させてしまって」

「俺は大丈夫さ」磯子は笑った。「もう何度も、話したことだから。それよりカナちゃんこそ、よく聞いてくれたね。俺が好き勝手言ってただけだったのに、付き合ってくれてありがとう。もっとも、とても受け止めきれるとは思わないけど……」

鼻を啜ると、佳奈はちょっと笑った。磯子に顔は向けずに。

「……私は、大丈夫です。確かに超能力ってあったらいいなーって思いますけど、同じくらい怖いんです。だから、その気持ちすごくよく分かります」

強がっているのがよく分かった。返事はせずに、磯子はふと立ち上がって、空を見上げた。

高い建物のない、広い空を。

佳奈も真似して、透き通った夜空を見上げる。深みのあるその黒は、全てのモノを受け止めてくれるような気がした。遥か彼方で、たくさんの星々が瞬いている。


……あの日見上げた空は、気持ち悪いくらい灰色に混濁していた。

──空って、気持ちを映し出す鏡みたいなものなんだな。

いや、逆か。人間の気持ちが、空模様に引っ張られているんだ。


磯子と佳奈は、そのまま黙って空を見上げていた。


──待てよ?星空?

「カナちゃん!いま何時!?」

言いながら自分も腕時計を見、

「……七時半、ですね」

佳奈がぼそっと言った。

「しまったうっかりしてた!カナちゃん、家に帰る時間は大丈夫!?」

「それは大丈夫です。うち、八時までに帰るか連絡すればいいので」

彼は「連絡すればいい」のところを聞き逃した。

「っじゃああと三十分しかないのか!電車の間隔も長いし──」

「あのー」と横で小さな声を出す佳奈を完璧にスルーし、磯子は暫し悶々としていたが、

「……仕方ない!タクシー使って!費用は出すから!」

財布を何度も開け閉めしながら怒鳴った。

「でも……」となおも渋る佳奈に、さらに叫ぶように言う。「警察官が帰る時間を遅らせたなんて事態になったら、親御さんに申し訳が立たない!パトカーに乗ってきたわけじゃないから、乗せてあげることも出来ない!今呼ぶから!」

そこまで言うとさすがに遠慮が解けたのか、

「じゃあ、お言葉に甘えます」

そう言って、佳奈はニッコリと笑った。磯子はため息をついて、財布の中身を開けた。佳奈の二言目が磯子を突き刺したのは、その時だ。


「……ここからタクシーで小田原までって、幾らかかるのかな。十キロ近くあるしなぁ」

財布を握る手が、汗で滑った。


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