episode13 「だから、私は──────」
……あの事件──階段から落ちた事件から、もう何日経っただろう。
もう、忘れられるだけの歳月は経っていたはずだ。なのに、今夜も佳奈は寝つけずにいた。
夢に、出てくるのだ。
雄介が。
何度も何度も。
昨日もそう。一昨日もそうだった。まるで神様が「いい加減に理解しろ」とでも言うように、毎晩毎晩。明音の気持ちを知ってしまった後の今夜さえも。
──分かってる。分かってるよ。
佳奈は夢の中で、現実のベッドの上で(誰も聞いていない時に)、何度も言ったのだ。
──私が……ユースケの事が好きになったんだってことくらい。
──『へえ、案外素直に認めるんだねぇ』
また、あの「もう一人の自分」の声がする。
途端、なんだか無性に恥ずかしくなって佳奈は枕に顔を埋めた。枕の冷たさに火照りが吸い取られていく。このまま、羞恥心もついでに吸い取ってくれないだろうか。
──『ま、いいんじゃないの。あんたこれまでそういうことに興味持たなさすぎたんだよ』
──そんな言い方しないでも……。
──『でもてっきり、アカネに譲ろうとか考えてるのかと思ってたけどね。だいたい、未だに本人に一回しか会ってないのによくもそこまで思い詰められるもんだよ』
やや呆れ気味の、「もう一人の自分」の声がする。思わず佳奈は反論した。
──違う。多分私、一目惚れしたんだよ。
パッと一瞬見ただけで、あるいはすれ違っただけでその人のことが気に入るという現象は、けしてあり得ない話じゃない。佳奈にも、そういう経験があった。
けれど一目惚れなんていいものではない。相手はこちらの気持ちに高確率で気づいてくれないからだ。だからこそ、佳奈は今こうして一人で悶々としているしかない。だから、辛いのだ。
「もう一人の自分」は、黙り込んでしまった。
でも、と思う。
布団を頭まで被る。布団の中で、首を振る。
私には、ユースケを好きになることは出来ない。私は金輪際、恋愛なんてしないって決めたんだ。いまさら誰かを好くなんて、私には出来ない。出来るわけがないよ。
誰が見てるわけでもないのに、必死に首を振る。
……あるいは、自分に言い聞かせていたのかもしれなかった。
──三年前の、確か九月も終わりの頃だったかな。
その時の私はまだ、受験勉強に追われながらも楽しい日々を送る、小学生だった。あの頃は、今よりもっと髪が長かった。今でも時々、あの頃に戻れたら、って思う。だけど、それはあの頃の方が良かったからじゃない。
もしあの頃に戻って、全てをやり直せたら。そう、思うからだ。
当時の私は、クラス内アンケートで「一番早く結婚しそうな人ランキング」一位を獲得するくらいのアイドル扱いだった。今思えばずいぶん残酷なランキングだと思う。あれの結果で一喜一憂してる友達を見ていると、なんだか素直には喜べなかった。
ほんの時々、私の下駄箱には手紙が投げ込んであった。そのほとんどが「好きです。付き合って下さい」っていうもので、あんまり多いから正直どう答えていいのか分からなくて出した人には悪いけど黙殺してた。
その頃、私のクラスにはめちゃくちゃサッカーの出来る子がいた。背が高くて、塾に通ってたみたいで頭もよくて、スポーツも出来て。はっきり言ってもいい、私はその子が好きだった。憧れだった。その当時の私はまだ、自然に恋の出来る人間だったんだ。
でもいざ告白ってなると、なかなか勇気が出なくて。だけど、毎日毎日クラスの集合写真に写る彼の顔を眺めながらため息をついている自分も、嫌だった。自分がそうされてたみたいに手紙を出すことも考えたけど、やっぱり自分の口で直接気持ちを伝えたい。だから私は、タイミングをうかがい続けた。
で、とうとうある日、その子と教室で二人きりになるチャンスが巡ってくる。放課後の居残り掃除を彼が引き受けたので、私も一緒に立候補したんだ。
その日に限ってみんなやたらに長居だったのに、その子もみんなが帰るのを待ってるみたいにゆっくり掃除を進めてて、自然と私もそれに合わせていた。余計に期待と緊張が高まった。
五時を回った頃、ついに私達は二人きりになった。今しかない。
私は今にも割れちゃいそうな勢いで脈を打つ胸をおさえながら、自分の想いを伝えた。
その間、私は彼の顔を見もしなかった。ううん、見られなかった。見たら最後、言い終われない気がして、ずうっと下を向いていた。
終始、か細い声だったと思う。だけど思いの丈を全部吐露してしまうと胸の支えは無くなって、すごくすっきりする。後は返事を待つだけ。自信はあった。なんせ私は「結婚しそうな人ランキング」一位の人気を誇っていたのだから。
──ところが。彼が私に向けたのは予想もしない、憎悪の目だったのだ。
「前からお前、すっげー嫌いだったんだよな」
最初の一言が彼の口から放たれた瞬間、私の自信は見事に霧散した。
「お前いっつも、意味もなく派手なリボンとかつけてるじゃん。そんなに自分を飾りたいわけ?そんなに男子の人気が欲しいわけ?あのランキングで周りの他の女子を負かして、それで楽しいのかよ?そうじゃないなら何なんだよ、普段の可愛い子ぶってるその態度。本当見てて腹立つんだよなそういうの。ちょっとばかりラブレターが来たからって、調子乗んなよ。どうせ誰もお前のそういう性格なんか見てない、見かけだけで判断してんだ。バカなんだよ。だけど俺は違う。相手の本性で、人を選ぶ。それが正しい人の見方なんだ。
俺は、そういうお前の事が、大っ嫌いだ」
一瞬も口を挟む暇を与えられないまま、長い長い時間がそこで終わった。ポチョン、とどこかで水の滴が跳ねる高い音が聞こえた。
そんな風に思われてたなんて。私にはそんな気は毛頭なかったのに。言われたことの一つ一つが予想外で、誤解で、ショックだった。
彼が教室を出て行って、私は日暮れの教室に独り取り残された。窓に映る自分の顔が、ランキング一位を獲得したあの顔が、今となっては憎たらしかった。そんな顔を見てると、その顔はだんだん歪んできて、それと同時に視界が掠れていった。
気づけば私は机に突っ伏して、嗚咽を漏らしながら泣きじゃくっていた。もう全てがどうでもよくなって、誰もいない教室で先生が見回りに来るまで勢いに任せて泣き続けた。
翌日。先生が口を滑らせたせいで、放課後の教室で何があったのかが発覚。"捜査"の結果、あのとき私と二人だった彼は真っ先に容疑者として挙げられた。本人は必死に否定してたらしいけど、そのあと男子や女子の一部に袋叩きにされたとか。
あとでお母さんが聞いてきた話では、彼は前の日に塾のテストの成績が激烈に悪くて、それですごく怒られて猛烈に機嫌が悪かったらしく、あの日立候補したのも、一人になった教室で暴れまわって憂さを晴らそうとしてたみたい。私は態のいい不満の捌け口にされたんだ。そりゃあれだけ罵詈雑言を思いつくわけだよね。
それを聞いたお母さんが向こうのお母さんに私が泣かされた話をすると、向こうのお母さんは驚きでしばらく口がきけなかったらしい。さらに翌日、彼は向こうのお母さんに首を掴まれてうちに連れてこられて、土下座して私に謝った。
だけど、私は彼の贖罪の言葉なんて聞いてなかった。目も、見てなかった。
あのとき私に投げかけられた言葉。たとえそれが怒りに任せて出てきたものだったとしても、本心でなかったとしても、もう今の私にはどうしてもそうは思えなかった。いくら彼に謝られても、彼のお母さんにお詫びをされても、その気持ちは消えなかった。今でも私は少し人間不信なトコロがあるけれど、それはこの時からかもしれない。
私には誰かを好きになる資格なんかない。さんざん泣いたあの日、得た結論はそれだけだ。
もし誰かが心から私の事を好きになってくれたとしても、私は応えることが出来ない。いや、応えない。そう決めて、これまでもこれからも私は中学生活を生きてくつもりだった。トラウマと言われても、そこだけは譲れなかった。
それが、いまさら禁忌を犯すなんて。出来っこない。出来っこないよ……。
──それでも。
雄介の事が、忘れられない。
たとえ、明音が雄介の事を好きでも、勝ち目がないとしても、どうしても忘れられなかった。
だって。あの日私に差し伸べられた手も、それを握ったときのあの温もりも、私の今の想いも、
ぜんぶぜんぶ正真正銘ホンモノだったから。
だから、私は──────
佳奈は布団の端を、ギュッと皺が出来るくらい握りしめた。




