お前は十円の重みを理解しているか?
肌を焼く真夏の太陽の下、男が飲み物の自動販売機に百円硬貨を二枚入れた。
百二十円と表示されたボタンを押す。
ガチャガチャとけたたましい音を立てて、飲み物が落ちてくる。汗で濡れた手で飲み物を取り出す。次に釣銭へと手を伸ばす。
男の意識は、朦朧としていた。
全ては、この暑さの所為。
今朝の天気予報では、薄っぺらい笑みを湛えたお天気お姉さんが、今日は過去最高の猛暑日となるでしょうと伝えていた。
手が震え、視界がぼやけ釣銭口に視線が定まらない。それでも手を伸ばす。
男の指先から、一雫の汗が伝い、熱せられたアスファルトの地面へと落ちる。
ジュワッと音が鳴ったかもしれない。
手が釣銭口に触れる。
釣銭は合計、八十円。
これが今現在男が持っている全財産であり、生命そのもの。死にゆく生命は金では買えないが、現代社会で、社会で行こうとする人間にとっては金という存在は時に生命よりも重くなる。
だが、男はそれを知らない。
知らずに、今迄の人生を歩んで来た。
お前は愚かだ、と叱咤された回数は山程ある。その度に男は、それを言う人々、手を差し伸べようする人々の手を払いのけて来た。
男の意識が朦朧としているのは、何もこの暑さの所為だけではない。
男は、ここ数日間何も口にしていなかったのだ。胃は悲鳴を上げ続けたが、男は人々をそうしたように自分自身が上げる警告をも無視した。
意識が混濁し、朦朧し、溶けて行く。
男の頭上には燦々と輝きを放つ太陽が一つ。
今の男にとっては、地獄で滾る釜のように思えてならなかっただろう。
翌日、自動販売機を背に倒れていた男の姿が発見された。痩せ衰え、骨張った身体からは一切の水分が蒸発しているように見えた。
男の側には数枚の十円硬貨が寂しげな光沢を放ちながら、アスファルトの地面に転がっていた。
男の右手に握られていたのは一枚の十円硬貨。左手は方々に転がった硬貨に伸ばされていた。




