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理印の作り方  作者: 機月
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「茉莉姉様?」


 想一に声を掛けられ、茉莉は思わず茣蓙に伸ばしていた手を、ゆっくりと戻してから軽く咳を払った。


「滝南さんって、本気でここで商売するつもりだったんだ」


 滝南は実織の喉を掻いていた手を止めたが、顔を伏せたまま頷いた。


「俺の勘は良く当たるんでね。今日は朝からそんな気がしてたし、大体通ったのはあんたらの方だろ?」


 低い声はわずかながら、くつくつと震えている。茉莉は大きく息をついて、どうにもならないとばかりに両手を上げた。


「もう良いわよ。細工物は全部、品が良くて私の趣味に合うものばかり。そこは認めるから、違う方の売り物も出してくれないかしら?」


 そのまま背負っていた杖を手元に引き寄せ、鶴嘴の根本で手のひらを打つ。

 かちりと音が鳴った跡には、少し黒ずんだ銀色の塊がこぼれた。

 茉莉は気のない様子で、豆粒くらいの銀塊を手の中で転がしている。


「……打出の小槌たぁ、良いもんを拝ませてもらった。俺が知ってることなら、何なりと答えてやる」


 茉莉は視線をさまよわせたまま、おもむろに想一を引き寄せた。


「じゃあ、まず一つ目。滝南さんはこういう服、扱ってる?」


 驚きで体を強ばらせている想一を上から下まで眺めると、その裾に手を伸ばしながら茉莉を窺った。


「模様をよく見たい。もう少しこっちに寄ってもらっても? ……随分と古めかしい文様だな」


 滝南は裾を手に取り裏返し、少し手元から遠ざけて目を眇める。


「四角い蔓草、棘のような四辻。しかも藍染ではなく、なめした魚の皮を使ってる。……随分北で見たことはある。でも俺が扱えるようなもんじゃねえな。そうそう手放すようなもんじゃねえ」


 首を振る滝南の口調に、幾分湿り気が混ざる。だがすぐに引っ込めると、わざとらしく肩をすくめた。


「それにしちゃ、靴が変だ。暖かそうだけど手袋だろ? 踵がはみ出てるし、毛糸じゃ滑る」


 見もせずに手を突っ込んだ袋から、滝南は茶に白い点が浮いた毛皮を引っ張り出した。


「丁度これだけ余ってるんだ。子供の靴ならすぐ作れる。正装は蹄の意匠の木靴って聞いてるけど、そっちは用意出来ねえし、そもそも作れる自信がねえ」


 目を向けられた想一は、しばらくきょとんと見返した後、茉莉を見上げた。


「想一の靴なんだから、想一が決めなさい。お金は心配しなくて、手袋だって別にしてて良いから。……滝南さん、お願いできる?」


 想一は首を傾げながらも、手袋を足から抜き取り、しっかりと抱えてしまった。



 滝南が茣蓙の上に引き寄せ、それから椅子に座らせる。

 簡単に型を取って二つに切り分け、筒状に丸めて縫い合わせる。足の先と踵に切れ込みを入れ、折り返して縫い止める。

 流れるような作業が止まったのは、茉莉が次の質問をしたときだった。


「二つ目なんだけど。龍って見たことある?」


 笑い飛ばそうとした滝南の目元と口元が、その寸前で思い止まった。


「あー、何だ。『怠惰の王』とか『裏切りの蛇』なんて伝説じゃなくて?」

「お姫様と光り物をため込むお伽話とか、謀られた追放の寓話とか、そんな大昔のじゃない、最近あったことで。理由があるなら、別に滝南さんが納得してなくてもいいから」


 大真面目な茉莉の表情に、滝南は型を取った鹿毛を裏返しながら、宙を睨む。


「『四方の聖』も無しってんなら。そうだな、『雷は岩の中で眠る蛇』ってのはどうだ?」


 茉莉のわずかな逡巡を、滝南は真っ正面から切り捨てた。


「この辺りじゃ、黒い雲に住み着き、風と雨を呼び、轟音とともに空を駆け抜け、戯れに木々を焼き焦がす、とか言われてる。だがよ。あんなにでかくて速くて強い奴が、地面に落ちたくらいで死ぬと思うか?」


 しどろに目を逸らす茉莉に気付かず、滝南は懐を探りながら滑らかに舌を動かす。


「証拠があるんだって。崩れた山の中から、でっかい蛇みたいな骨が出たことがある。そこは山奥で周りに川も湖もないのに、でっかい鰭がついてたって話だ。いや、待て。まだ話には続きがあるんだ」


 すっかり待ちくたびれた想一と熱の引いた茉莉の前に、滝南は包みを開いてみせた。そこには稲妻にいくらかくすみを混ぜたような、親指くらいの金色の欠片が乗っていた。


「そういうところなら、龍の鱗が落ちてるかもしれないって話さ。俺は案外、こいつがそうなんじゃないかって睨んでる」


 茉莉から表情が消えたのを確認すると、滝南も黙って包みを懐に戻す。

 今見たのは忘れてくれよと、小さく笑って靴を作り終えた。



「随分頑丈そうな背負子よね。橇でも引いた方が楽なんじゃないの?」

「そこはまあ、何を取るかって話だよな。橇でも馬車でも、荷を引かせりゃ物はたくさん運べても、通れるところが限られちまう。荷物は厳選すれば良いことだ、あとは気の向くままにってな」


 手袋と靴を装備した想一が、実織と一緒になって庭を駆け回っている。

 そちらに声を掛けながら、ついでのように最後の問いを尋ねた。


「あとはそうね。菜十って知ってる?」

「……何だ、それ。地名か、それとも人の名前か?」


 茉莉はよく分からないとだけ返し、銀粒を滝南に放った。



 黙って歩いていた想一が、茉莉の前に回り込んで抱きついた。


「どうしたの、想一。疲れた?」

「姉様は、何で丘を登らないの? こっちに真っ直ぐ、道が続いてるから?」


 茉莉のお腹に顔を埋めて、想一はその声は震わせていた。頭の上で息をつかれて、なお一層、茉莉にしがみついた。


「さっき山に入るなって、釘を刺されたからね。言いなりになるのは癪だけど、面倒事の方が嫌いだし。狼除けなんて、良く分からないもの掴まされかけたでしょ。用心のための合図になってるのよ、きっと」


 動かない想一の頭を軽く叩きながら、茉莉はゆっくりと歩き出す。


「滝南小父様、危なくない?」

「大丈夫。何か出てくるとしても、それは滝南さんのお仲間よ。まだ試掘かもしれないけど、そういう意味では歴とした山師よね」

「何でって、聞いていい?」


 囁くような想一の声は、上擦って掠れていた。

 茉莉はようやくそれに気付くと、一旦口を噤んだ。

 逆立っていた柳眉をゆるめてから想一と目線を合わせ、その頭を撫でる。


「菜十さんのときと同じ判断よ。滝南さんの手元には食べ物も飲み物もない、なら用意する人が他にいるだろうってだけ。別に怒ってた訳じゃないのよ? 有用な情報は手には入ったけど、どれも話としてはお粗末だったていうのが、ちょっと許せなかっただけ」

「実織はね。滝南の話は即興なのに辻褄はあってたし、嘘は一つもなかったと思う。だから逆に、茉莉は拗ねてるだけなんだよ。兎の象眼も気に入ってたみたいだし」


 実織は茉莉の肩の上で、前足で口を押さえて体を震わせていた。

 その額を茉莉は指で強く突いてみせるが、想一は思い詰めた様子を崩さなかった。


「姉様にも欲しいものあったでしょ? ボク、姉様の邪魔ばかりしてない?」


 ついに俯く想一の額が良い音が弾けた。

 とっさに手で押さえた想一の前で、茉莉は腰に手を当て、そのままぐっと顔を近付けた。


「子供が生意気な事言わないの! そういう素直な反応は新鮮なのは認めるけど、変な遠慮なんかしたら怒るからね」

「……実織は素直じゃない?」


 想一がこぼすと、茉莉は大きく首を振って長々と息を吐いた。


「あれは素直って言わない。悪気がないのは認めるけど、ああいうのは欲望に忠実っていうのよ。とっても分かりづらいし」

「茉莉? 実織はとっても、心外なんだけど?」


 そっぽを向いた実織が、所構わず尻尾を打ち付ける。

 ほらねと、慣れた様子で捌く茉莉の仕草に、想一はやっと笑みを浮かべた。



「でもどうして、急にそんなこと言い出したの?」

「手袋も靴も暖かいなって。他にもいっぱい、姉様には嬉しいをもらってるのに…… うっ、ひゃっくしゅ!」


 目を丸くする想一が、口を押さえて顔を真っ赤にする。

 辺りはいつの間にか、薄く霧が掛かっていた。

 元々空は白く曇っていたから、もう雲と空の区別も付かない。

 足下はもっと濃密で、想一の膝下は霞むどころかもう完全に見えなくなっていた。


「雪が溶けた様子は無い、特に匂いもないか」


 茉莉はその場で杖を突き、鼻先で霧を掬っていた。


「実織は別に、気にしなくて良いと思うよ? 相変わらず道は細いし、足跡は無かったんだし」


 落ち着きのない実織を肩に乗せたまま、茉莉は一つ頷いて鶴嘴を握り直した。問いたげな想一の視線に気付いて、茉莉は軽く手を振って笑う。


「この程度なら、別に挨拶はいらないかなって。風が流れてないのは気になるけど、それこそ調べようがないし。あと出来る事っていえば…… 迷子対策かな」


 茉莉が空いた手を差し出すと、想一はじっとそれを見つめた後、柔らかく頬を緩ませて掴み取った。



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