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理印の作り方  作者: 機月
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 四角い雪原の底を登り切っても、あまりに代わり映えしなかった。

 左手に小さな丘が一つ、森と言うには薄く寄り集まった木々がまばらに三つ四つ。それ以外は起伏と呼べるものすら見当たらない、平坦で何もない雪原が続いていた。

 遙か遠くに、かすかに黒く霞んだ山々が覗いている。


「実織は信じられないよ。菜十は意味が分からないし、茉莉の正気を疑うね」


 相変わらず想一の頭の上に乗ったまま、実織は膨らませた尻尾を振り回していた。


「形も大きさも分からない奴を狩ってこいとか、それだけで話を受けるとか、いざと成ったら冬眠中の熊で済ませるとか無茶苦茶だって! 大体、装備は革鎧と鶴嘴しかないのに、仕掛けだって用意できないのにさ!」


 宙を打ち付ける勢いで振られる尻尾は、面白がって掴もうとする想一の気を引くだけだった。



「それにしても、人に会わないわね。こんなに見通し良いのに」


 鶴嘴を杖のように突きながら、茉莉は辺りを見回し息をついた。

 握っているのは、革紐を巻き付けた刃の部分。杖にしては重厚な柄頭だが、茉莉の手の中で規則正しく前に突き出され、軽やかに雪を穿って硬い音を立てている。


「道は真っ直ぐだけど、少し細すぎるかな。荷物運ぶには不便よね」

「茉莉。道を広げるのって、大変なんだよ? 掘り起こして土台から作らなきゃだし、平らにするだけでも一苦労なの」


 茉莉が振り向くと、ふんぞり返る実織を抱えたまま、想一がじっと杖を突いた跡を見ていた。


「茉莉姉様は、何をしているの?」

「音を埋めてるの。……えーと、迷子にならないためのおまじない、かな」


 不思議そうに茉莉を見上げた想一が、そのまま首を傾げた。


「そっか、慣れないと聞こえないか。そうね、これなら聞こえる?」


 鶴嘴の柄を握り直した茉莉が、切っ先を続けて三度、雪に軽く差し込んだ。

 しばらく息を潜めて見守っていた想一が、戸惑うように視線を揺らす。

 茉莉が少し強めにもう一度、鶴嘴を振るう。

 今度は鉄が石とかみ合う音が響き、続けて三つ茉莉の近くから遠くへと、先ほど切っ先を差し込んだ跡から火花が散った。


「こうやって、音がつながるくらいの間隔で埋めておくと、向きと方向が分かるの。ほら、こうしておけば迷わないでしょ?」

「茉莉。想一は全然、分かってないみたいだけど?」


 大きく口を開いた想一が、そのまま目を瞬かせた。


「これは魔法? 茉莉姉様は、魔女?」

「どっちも違うわ。私は理印(りいん)って呼んでる、錬金と占星の先にある学問よ」

「実織は流行らないと思うんだ。こんなの、地図を書けば済むことだもんね」


 実織のため息には、誰も注意を払わなかった。



 遠目に見た通り、小さな丘の麓に見えていた木々は森や林といえるほど大きくなかったが、近付くまでは囲いとしての役目を立派に果たしていた。

 人目から隠れるように建てられた、おそらく屋根の尖った木造の屋敷。

 朽ちた扉の跡は大きく、前庭は馬車を取り回しても余る程に広い。


「建物があるかなって予想はしてたけど」

「実織も実織も。でもこんなに大きくてぼろぼろなんて、思わなかった」


 最初に足を止めたのは想一だった。びくりと体を震わせて先に進むのをためらい、それでも気にせず先を進む茉莉のそばまで走り寄って、その袖を引いた。


「茉莉姉様。あれは、熊?」

「違うでしょ。熊は茣蓙を敷いたり、そこに物を並べたりしない。……と思う」


 囲いの切れ目に、大きな毛皮がうずくまっていた。そのずんぐりとした体躯といい、のっそりした動きといい、寝ぼけた熊と見間違えない方がおかしな形ではあった。

 けれども肝心の毛皮はよく見れば濃い緑に染められていて、その脇には口を解いた袋のような物が落ちている。しかもどうやら少し地面から浮いるのは椅子か何かに座っているようで、悲鳴のように軋む音が、尻の下から聞こえていた。

 想一の肩を軽く叩いて落ち着かせてから、茉莉は大きな毛皮に軽く声を掛ける。


「こんな人が通らないところで、何をしてるの?」


 わずかに上がった頭が左右に動いていた。後ろからでは被った毛皮が邪魔して顔は見えない。


「こっちこっち、後ろだってば」


 子猫の短く呼ぶ声に振り向いた男は、薄く無精ひげを生やしていながら、随分と真面目な顔つきをしていた。髪にも髭にも大分白い物が混じっている。

 すぐに相好を崩すと、椅子を引きずって茣蓙を回り込み、茉莉たちに向き合うように座り直した。


「見れば分かるだろ、露店だよ。荷物を運びながら、物を仕入れたり作ったり、売ったり買ったり。まあ、随分人恋しい商売だからよ、冷やかしでも良いから見ていってくれ」


 上機嫌に笑い出す男に、おずおずと想一が口を挟んだ。


「えと…… 熊さん?」

「おっと、こいつはいけねぇ。俺は滝南(たきなみ)ってんだ。まあ、よろしくな、お嬢さんたち」


 さらに威勢を上げて豪快に笑う滝南に、茉莉は上の空で名乗り、想一はそれに続きながらも首を傾げている。実織はただ機嫌良さそうに一声鳴いて、尻尾をくゆらせた。



 滝南が引き寄せた背負子からいくつも包みを取り出し、それを丁寧に広げてから茣蓙の上に並べてゆく。

 基本は木彫りの細工物になるのだろう。

 簪や櫛に始まる小さな飾り物、指輪や首飾り、それらをしまう小物入れ。

 どれも意匠は温和しいが、それと気付かぬ場所にさりげなく、あるいは大胆に金箔や螺鈿があしらわれていたりする。


「一押しはこれ。犬笛の一種で、吹いてりゃ狼は寄ってこないって逸品さ。鳴らし方は簡単、適当に息を吹くだけ」


 滝南は細い竹筒を平らに並べたもの差し出すが、茉莉は我に返ったように首を振る。


「ええと、そういうのは間に合ってるから大丈夫。それに効果があってもなくても、音が鳴るのは実織が嫌がるから」


 実織の赤い首輪には、小さな月がぶら下がっていた。透明な滴が詰められた小さな瓶は、実織が飛んでも跳ねても音を立てない。けれども確かに月の合わせ目を微妙に揺らし、鮮やかにその表情を変える役目を果たしていた。


「鳴らない鈴ねえ。……まあ、好みってのはそういうもんか。無理強いするほど野暮でもねえし」


 そう言いながら、滝南は何度も何度も頷き続けていた。



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