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何度か震えていた瞼が、ようやく開いた。
翠玉の瞳は潤んでいても、まだとろけるように寝ぼけている。
目を細めたままの、固着。
最初に背いたのは桃色の鼻に寄った、しわだった。続いて結ばれていた口から牙を覗かせ、喉の奥から天を仰いだ。
「くあっ…… かふ」
遠慮会釈の欠片も無い大胆な欠伸は、小さく柔らかで白い身体が思うままに息を吸い、そして小刻みに震わせながら存分に絞り出す。
もこもこの前足で顔を拭う子猫が、不意にその耳を立てた。
「目が覚めた?」
「茉莉姉様…… の声じゃない。実織はどこ? あれ…… あれ?」
白い子猫は自分の前足に気付き、身体を見下ろし、混乱しながら尻尾をぐるぐると追い始めた。
黒の革手袋が、子猫の首根っこを摘んで抱き上げる。
それだけで子猫は甘えるように身体を寄せ、喉を鳴らし始めた。
「落ち着いて。まずは覚えていることを確かめましょう。名前は?」
「ボクは……想一。お姉さんは? 茉莉?」
子猫の背を撫でながら、深く豊かで冷たい声が、ゆっくりと笑った。
「昔は、そういう名前だったかな。今はね、七華っていうのよ」
七華は落ち着いた調子を崩さず、想一の喉元をくすぐりながら、喜ぶ様を子細に見つめて目を細めていた。
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焚き火の中では、良く乾いた木枝がぱきりぱちりと、はぜている。
既に夜も更け辺りは深い闇に包まれていたけれども、広場の一角は明るく暖かで、それ以上に静かだった。
「七華の言いたいことは分かったよ。でもボクには七華が全然見えない。何を考えているか分からないし、どうなるか分からない。こんな調子で良いのかな。……茉莉と実織みたいになれるのかな?」
「最初はね、そういうものだよ、想一。でも夜はまだ長い。とにかくもう一眠りして、もう少し慣れてから考えなさい」
とっても優しい声が、ゆらぎなく確信を突くように告げる。
納得は出来ない想一も、その声には逆らえなかった。とろりと落ちる瞼に堪えきれず、七華の腕の中で眠りに落ちた。
「茉莉と実織を食わせても、この程度か」
七白坂へ潜り込んだ想一を見送り、七華は羊皮紙の巻物を広げて、中身を指で更新してゆく。
「入力の過程を共有する、別個一対の自我。分類は〈怠惰〉。比較的結果が出やすい形式だが、拒絶度は高低両極端。同族嫌悪レベルまで進展すると、同士討ちの回避は不可能」
そこまでをもう一度読み直し、個体名を更新して別の巻物を取り出す。
「理印の適応性について。分類は〈強欲〉。小さな個体は心拍数も速い。だから反応は速いが、認識する『今』は短い。一度に扱える理印は速さと範囲が相殺され、会話レベルも相対的に下がる」
比率を計算して更新し、定数を検討課題に移動したところで動きを止めた。
「個体を一番理解できる他人。やはり視覚の共有だけではこの辺りが限界なんだろうな。さてそうすると、次はどんな手を打つべきか……」
まあ、しばらくは様子を見るしかないと。
それこそ怠惰に違いないと。
七華は内なる言葉を統合すると、最新の妹たちの警戒レベルを少し下げた。