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理印の作り方  作者: 機月
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 茉莉はしばらく逡巡し続けたが、最後に軽く顎を引いてから目を開いた。

 想一が目に涙をためて口を引き結び、途切れ途切れにそっと尋ねる。

「姉様も、やっぱりどこかに、行っちゃう?」


 茉莉は一度目を逸らして唇を噛み、そして想一を正面から見据えた。

「絶対手に入れるって決めたものがあるの。でもそれがここで手に入るなら。ここに残るのもいいかなって思ってる」

「全く思いこみが激しいんだから。実織はそういうの、良くないと思うよ?」

 実織の甘ったるい鳴き声にも一向に動じない。


「想一ならね、何とか出来るんじゃないかって思ってるの。色々と納得は出来ないし、説明も出来ないんだけど」


 差し込んだ希望の光は、あっという間に立ち込めた暗雲に閉ざされた。

 想一は肩を落として、そのまましゃがみ込む。

「ボクが姉様に渡せるもの。そんなの、ないけど…… 姉様は、ないものが良いの?」

 想一が不意に顔を上げるまで、茉莉はじっと視線を向けたまま待っていた。

 それは何かを畏れているようであり、単なる祈りにしては重く、それほど透いてもいない。


 想一は鼻と目をこすると、両手を頬に打ち付けた。

 そのまま立って空の両手を天に伸ばし、細長いものを掴んで絞り込もうとして、当然のように空振った。

 想一は胸元まで下ろした手を何度か握り、それを不思議そうに眺め、ようやく手を打って、またそこで固まってしまった。


「姉様。杖をお借りしても良い?」

 言い終える前に差し出された鶴嘴を、想一は照れながら両手で受け取り、刃の付け根と先の部分を掴んだまま、柄頭で地面と突いた。


 それだけで、想一は二本の、全く同じ鶴嘴を掴み取っていた。


 想一は大業な息をつくと、額を二の腕にこすりつけるように拭った。

 右手に持った杖を茉莉に押しつけ、左手に残った杖を改めて両腕で抱える。

 足跡のない方へ向かって数歩踏み出した所を、茉莉に後ろから抱き留められた。


「どうやったの? どうやって作ったの?」


 低く掠れた声の先を、想一は怖々と振り返った。

 変わらず固く動かない茉莉の視線に身体を震わせ、それでも変わらない様子に、怯えながら訳を話す。


「最初は桃を作ろうと思ったの。でもそれには杖が必要だったし、姉様が食べられないと意味がないから」

「大丈夫、別に怒ってないから。そんな気力残ってないし、実験は必要だって分かってる。理印と思突を使ったかどうかも、とりあえずは置いておく」


 茉莉が早口に、頭に浮かんだ事を端から並べたように言い切っていた。語気の鋭さが緊張に取って代わり、強ばりが震えに変わり始めている。


「私が触っても大丈夫? どのくらい持つの?」

「それは試してないから。でも同じものなら、いつでも」


 二人は互いに息を詰めていたが、どちらも息をすることを忘れているようだった。

 少しだけ間を置き、茉莉が小さく問いかけた。


「想一は、結樹も作れる?」

「あの、その…… 桃園で見た師父なら、うん」


 ためらいがちな返事に続いた言い訳を、茉莉は間髪入れずに人差し指で止めた。


「それで良いの。それが良いの」


 茉莉は一際強く抱きしめてから、想一を離して振り向かせた。吹っ切れた笑顔は和やかで、想一も次第に肩の力を緩めていた。

 その矢先に。

 小さいな月が瓶ごと、鋭く風を切って茉莉の額を直撃した。



 額に張り付いた小瓶の月は、こんな時にも音も立てず、軽やかに回っていた。

「姉様!?」


 茉莉は仰け反った額に瓶を乗せたまま、近寄ろうとする想一の悲鳴ごと、もう片方の手で平然と制した。


「いい加減にしてよね! 黙って聞いてれば言いたい放題、こんなところに留まる? 寝言は寝てから言うもの、冗談も大概にしてよね!」


 実織は雄叫び、空に向けて実に盛んに気炎を上げていた。


「今のは実織が悪いと思う! あんな重くて硬いもの、投げる前にちゃんと言わなきゃ!」

「言わずに済ませたいから、ずっと待ってたのに! いいからその理印を乗せろって、茉莉に言って!」

 侃々諤々と、想一と実織は言い争いを続ける。


 その脇で。

 天を仰いだままだった茉莉の、唇がゆっくりとつり上がった。

 膝を突いて身体を反らせたまま、その肩を震わせている。


「そう、やっぱり実織だったのね。想一、実織は何て言ってるの?」

「姉様? その、蓋を捻って中身を取り出せって。瞳に乗せろって」


 混乱する想一をよそに、茉莉は瓶の端を指で回し弾いて二本の指を順に突っ込んだ。

 指先に半月のような切れ端を乗せ、そのまま顔を寄せて眼に当てる。

 雲間ににじむ、月のような光彩が浮かび上がった。

 何度か瞬き、茉莉は視線を辺りに巡らせる。


「別に景色は変わらないけど、これでお揃いってことかな。ほら、早く喋ってみせてよ。文字でも流れる?」


 それはないかと、いっそ晴れやかなほどに茉莉は笑う。

 実織は体ごと耳を伏せたが、すぐに気を取り直したように前足で激しく地面を打った。


「さ、さっきのは何なのさ、大人しく聞いてればいい気になって! 大体、結樹の偽物を作るって発想が安易なの! そんなで満足するとか、実織は絶対認めないからね!」


 実織は鼻息も荒く、最後に大きく前足を叩きつけて茉莉を睨み上げる。

 先に反応したのは、想一の方だった。


「実織はボクが嫌い? 実織の好きなものだって、何だって作るよ? それでも駄目?」

「そんなこと、実織は一言も言ってないでしょ!」


 調子を変えずに、実織はその矛先を変えた。


「実織だって楽しいは好きだよ? でも同じことを繰り返すだけじゃ、その先に何があるか知らないままじゃ、何も変わらないでしょ! ただでさえ知らないことがたくさんあって、そこにはもっと楽しいがあるかも知れないの! そんなの、勿体ないじゃない!」


 そこまで実織は一気に言い切り、息を切らしてへたり込んでしまった。

 身を竦めていた想一がそっと目を開き、へばった実織を認めて同じように座り込んでしまった。


「……そう、なんだ」


 それはただの相槌に過ぎなかったが、想一がたどり着いた答えではあった。

 目を回す想一を横目に、実織は眩しそうに目を細めて大儀そうに身体を起こす。

 日溜まりのような温もりがたゆたい、そして瞬時に霧散した。


「そう。やっぱりあなたが『龍』なのね、実織。怠惰なだけなら、別に許そうかなって思っていたの。でもさすがに奸計は、質が悪い。見過ごせないと思うんだけど、そこの辺りはどうかしら?」

「へ?」


 だらけきった格好の実織は、突然の横槍に間の抜けた返事をすることしかできなかった。



 茉莉の声音と目元は、少なくとも涼しげだった。


「おかしいとは思ってた。露店の小物は全部見覚えがあったし、つりなんて呼ばれていたのは子供の頃の話。桃は最近実織のお気に入りだったし、その分思い出しやすかったんじゃない? ……菜十さんに桃歌って言わせたのも、実は実織だったりして」

「いや、流石に最後のは言い掛かりじゃないかな、茉莉?」

「そこ以外は、明確に否定しないんだ。弁明しないってことは、誤解されても仕方がないって解釈で良いのかしら」


 実織の目がわずかに泳いだのを、わざと見逃すように茉莉の視線が逸れた。


「さっきの立派な御託を並べるために、実織はどれだけ記憶をくわえ込んでいるのかしら。私の記憶を、それも内緒でよね? それって、随分と私には不愉快で、実織にとって都合が良いと思わない? それとも、そんな自覚はないとか言い出すのかしら」


 今度こそ、実織は体中の毛を逆立て、尻尾の先まで伸ばした。


「つもりも何も! 分担も共有も、取り決め通りでしょ! ……えと、茉莉は何を怒ってるの? ちょっと見えたり見えなかったりは、仕方ないでしょ。加工するのも備えるのも、壊れるって分かってるから準備するんだよ? 復旧が大事で第一なのは、散々二人で話したよね?」


 度々跳ねる語尾を押さえながら、実織は最後まで言い切った。

 息を潜めていた想一が、ゆっくりと茉莉を見やる。口元に指先を当てて考え込む茉莉が、小さく頷きながらも口元を歪めた。


「それは、そうかもしれないわね。片方が予備だっていうなら当然の処置だし、それなら片方を消しても問題ない。でもね、別にそんなことはどうでも良いの」

「だから予備とかそういう話じゃなくて…… え、良いの?」


 間の抜けた呟きに、愛想の良い頷きが返される。


「仮に予備じゃないとして、それとも百歩譲って一心同体だったでも構わないんだけど」


 ごくりと喉を鳴らす実織に、茉莉はなおも慈悲深い笑みを見せつけていた。


「そういう存在がさ、すると思う? 思い出の生家や庵をわざわざ廃墟にしてみたり、相手の劣等感をつついてからかったり、初恋の人を騙ってみたり。どうせ聞こえないと思って暴言吐いたり、見当違いの独り言に腹を抱えて笑ったりしてたんでしょう? なら川に落ちたのも、わざわざ自分から水に飛び込んだりしたのかしら?」

「滝南を器用だとか話が巧いとか、思ったのは茉莉だからね? 他も全部が違うとは言わないけど、ちょっと思い込みが激しいって思わない?」


 何故か実織はそわそわと、力なく尻尾を揺らし始めていた。対して、茉莉は毛先ほども揺るぎなく、その調子を変えない。その予兆を感じさせない静けさこそ、嵐の前触れに違いなかった。


「一つでも、思い当たることがあるって訳だ。こういうとき…… 私がどう判断するかなんて、実織は当然予想付くのよね? 当然そこまで想像して、結果を踏まえた上で、全部仕組んだんだよね?」

「だから全部じゃないって言ってるのに」


 茉莉は実織の弁解を、この上なく完全なまでに無視した。


「全部、覚悟の上だよね? そういうの、万死に値すると思うの」

 とうとう震えだした実織に、要求の提示すらない、形だけの最後通牒が突きつけられた。


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