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 その日も、ワルターはヘレーナを伴い執務室にこもっていた。

 もうすぐヘレーナを娶ってから三ヶ月が過ぎる。三ヶ月の節目に、白の国との会談が予定されていた。会談へ向けての資料の見直しがまだまだ続いていたのだ。

 ワルターは書類に目を通す間は決して口を開かない。

 元来戦う事こそが得意な王は、机の上の仕事が苦手だった。しかし、自分の代わりはない。せめてミスをしないようにと、無言で書類に向かうのだ。

 その後ろで椅子に座るヘレーナも、ワルターが話しかけなければ無言を通す。

 必然的に、執務室はいつも静かな雰囲気に包まれていた。


 幾つかの書類を見比べていたワルターの耳に、ヒールで床を蹴る音が聞こえてきた。

 迷いなく執務室に向かってくる足音に、ワルターは手を止める。

 足音がドアの前で一旦止むと、ノックもなくドアが開け放たれた。

「ワルター兄、お話があります」

 甲高い声に、執務室の静寂が突然破られる。

 この城で、執務室にノックもなく入り込む人物は少ない。その一人、ワルターの父・先王の、弟の娘、つまりワルターの従姉妹に当たるカタリーナがそこに立っていた。

「カタリーナ、執務中だ。話しならば休憩の時に……」

「ワルター兄に休憩などないではありませんかっ! 面会の申請だって、三週間前から受理され無いようですし!」

 黒の一族の血を色濃く残すカタリーナは、大柄でがっしりとした体型だ。声も大きくハリがある。カタリーナの声が執務室に響き渡った。

 もっとも、彼女自身に叫んでいるという自覚はないのかもしれない。

 ワルターの記憶にあるカタリーナは、相手が誰であろうと常にこの音量で怒鳴りつけるのだから。

「何の用件か。お前には建築方の指揮を任せているはずだ。仕事はどうした?」

「その、建築方の総指揮として参ったのですわ!」

 自分の仕事を中断させられムッとしていたたワルターだったが、その言葉を聞いて書類を机に伏せた。

「言ってみろ」

「では、言わせていただきます。私、その女の手垢にまみれた家具など絶対に使いたくありませんわ。私が正妃の部屋に移る前に、全ての家具を入れ替える必要があります。内装だけじゃない、柱から組み替えたい気分ですの」

「……はあ?」

 カタリーナの語る言葉がまったく理解できず、ワルターは気の抜けた返事をする。

「そうなったら、今の財政状況では厳しいと思いますの。建築士だって足りません。ですから、部屋に移ったばかりの今なら、まだ我慢してさし上げてもよろしいの。内装工事だけで済ませる用意もあります。だから、早くその女をあの部屋から追い出して、ワルター兄様!!」

 ワルターの言葉も待たず、カタリーナは続ける。

「本当は、全て真新しいまま私が使いたかったの。だって、あの部屋を作る時、内装も家具も、私が使うものと考えて最高級のものを手配したんですもの。それを、こんな女に最初に使われるなど、私もいい加減頭にきていますのよ? ワルター兄様、そろそろお戯れはおやめになって、正妃を決めてくださいませ」

「いや、だから、お前は何を……」

「その女がどうなろうと、今なら十分に偽装できます。全て順調に健やかにお過ごしですと、対外的に報じれば良いのです。城の中で起こる出来事など、民にはわかりません。当然、他所の国なら尚更です。死んだとしても、病死、と言う形で埋葬してしまえば良いのですわ。大々的に葬儀を出せば、それで良いのでしょう? 王族の墓に入れるだけで、名誉なんですもの」

 矢継早に語るカタリーナに、ワルターは言葉を失う。

 代わりに、カタリーナの強い瞳が、自分ではなく常にヘレーナに向かっていることに気がついた。

 言いたいことを言い終えたのか、カタリーナがいっとき黙る。

 ヘレーナを睨みつけるカタリーナ。目を伏せ無言を貫くヘレーナ。書類を読むのをやめたワルター。

 再び、執務室に静寂が訪れた。

「お前は何か考え違いをしているな?」

 静かにワルターが話し始めた。

「あの部屋はヘレーナのものだ。追い出す予定もない。それに、あの部屋の内装工事が、今の建築方の総指揮の仕事ではない。ああ、それと、私の妻に向かって死を意味する言葉を投げかけるのは不敬に当たるが、その自覚はあるか?」

「な……」

 今度は、カタリーナが言葉を失う番だった。

 真っ向から意見を否定され、わなわなと怒りで肩を震わせる。

「ご冗談はおやめくださいと言いましたっ! あの部屋を使うのは正妃のはずです。その女はワルター兄が庇い立てするような女ではないわ。まして、正妃などと!!」

「同じ事を二度言わせるな」

「はあ? どうして私が責められるのか、分からない。そんな惨めな、使用人の服を着て見世物にされているような女、誰も正妃だなんて認めないもの!!」

 カタリーナと言い合いになって、ワルターは内心激しく動揺していた。

 真実ではないが、カタリーナが言い得ているところもある。

 ヘレーナがこの城でどんな扱いを受けようと、外交官が一言王妃は健やかに過ごされていますと発表すれば、それが本当のこととしてまかり通ってしまう。常に暗殺者や侵略者を仮定している城の守りは固く、それは情報だって同じ事だ。

 また、カタリーナが語ったように、例えヘレーナが死んだとしても、病死として扱われて終わりだろう。大々的に葬儀をして、ワルターが涙を流せばそれでお終いになるのだ。終戦協定が結ばれた直後の今は、白の国とて声高にヘレーナの安否を問いただせない。疑いを真っ直ぐに向ければ向けるほど、黒の国への侮辱になってしまう。

「話がそれだけならば、出て行け」

 ことさら厳しい口調のワルターに、カタリーナは驚いて顔を上げた。

「……。何よ。酷いじゃないですの。あと数年待って、誰も現れなければ私を正妃にって、お父様との約束でしょう?」

 執務室に飛び込んできた勢いは、すでになかった。

 それでも、カタリーナは声を絞り出してワルターを責める。

「そうだ。数年待たずヘレーナが現れたからな。お前の父との約束は違えていない。これで終了だ」

 話は終わったと、ワルターは再び書類を手に取った。

 その様子に、カタリーナが言葉も無く退室する。


 再び、静寂があたりを包む。

 ワルターは手に取った書類を読むふりをして、考えた。

 どうしてもカタリーナの語ったことが頭に引っかかったのだ。

 少し間を置き、意を決してヘレーナへ顔を向けた。

「その服では不都合のようだな。新しい服を用意するか」

 つぶやきのような、問いかけのような曖昧な口調。

 何故か、カタリーナにしたような、毅然とした態度を取ることが出来ない。

 ヘレーナは、いつもの様に少しだけ首を傾げた。

「この服は、動きやすいです」

「そ、そうか」

 確かに。

 掃除や王族の世話、力仕事までこなす侍女たちの服は、動きやすいのだろう。

 けれど……。

『そんな惨めな、使用人の服を着て見世物にされているような女、誰も正妃だなんて認めないもの!!』

 カタリーナの残した言葉が、どうしてもワルターにのしかかった。

 見世物。

 そんな風に思われていたとは。

 ワルターは内心の動揺を悟らせないために、再び机に向かう。

「……、いや。新しい服を用意する」

「はい」

 ヘレーナはワルターの言葉に逆らわない。

 ただ、この時、ヘレーナの声色が少しだけ明るいと感じた。

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