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腕の中で眠るヘレーナを見つめ、ワルターは思う。
(痩せたな……)
確かに、身体にはどこにも傷がない。けれど、ヘレーナは全体的にほっそりと痩せてきていた。最初は気にならなかった肋骨が今ははっきりと浮き出ている。
こうして呼び出した日は、朝まで一緒にいることにしている。朝食も一緒に食べるので、朝だけはヘレーナもワルターと同じ食事が与えられていた。それ以外の食事がどうなのか、ヘレーナの身体を見れば推して知るべしだ。
それに、表情だって相変わらず暗い。
せめて自分のそばにずっとおいて置けるのなら、処遇も変わるはずだ。
そこまで考えて、ワルターはとてもいい事を思いついた。
次の日の朝。
朝食のテーブル脇に控えている侍女を呼びつけ、ワルターは宣言した。
「今日からヘレーナを俺の荷物持ちにする」
戸惑う表情の侍女。ワルターと向かい合うヘレーナも、大きく目を見開いている。
「昼間から遊び呆けられては困る。黒の一族と違い何の力もないが、働いて少しでも城に貢献してもらわなければ、食事を出すのも躊躇われるしな。何か問題が?」
「いいえ、ございません」
ワルターの話を静かに聞いていた侍女が、控えめに頷いた。
「ただ、申し訳ございません。王妃様の城内用のお召し物は全て洗濯しております。もし連れて歩かれるならば、王妃様は下着で、と言う形になりますが」
恐ろしいことを平然と言ってのける侍女に、ワルターは内心ぎょっとした。
正面のヘレーナは、ぐっと拳を握りしめ俯いている。もしワルターが下着姿で城内を歩けといえば、歩くしかない。彼女がどれほど屈辱を味わおうと、そういう立場なのだから。
しかし、ヘレーナにそんな格好をさせる訳にはいかない。
「ああ、ははは。裸同然か、それは良い。しかし、仕事にならぬ者が出ては困るしな……」
内面の同様を悟らせないよう、ワルターは侍女の話を聞いて楽しいと演技した。
「では、こうしよう。侍女が着る服でいい。用意してこい」
王族の女性が着るドレスと侍女が着る仕事着とでは何もかもが違う。スカートである、という点だけ同じだが。
華やかさの欠片もない、黒基調のロングスカート。申し訳程度にフリルの付いた短いエプロン。
絶対に、王妃が着る服ではない。けれど下着姿で闊歩する事に比べたら、幾分かはマシなはずだ。
「お前も、良いな?」
「……はい」
ワルターの強制的な確認に、ヘレーナは短く返事をした。
その日以来、ワルターは常にヘレーナをそばに置いた。荷物持ちとは名ばかりで、机に向かって書類に印をつけるワルターの隣に一日座らせていることがほとんどだ。勿論、朝食だけでなく昼も夜も一緒に食事をした。
情が移ったわけではない。
あくまで、終戦の証として彼女は生きていなければならないから。両国間の信用問題に関わるから。死なれては寝覚めが悪いから。
いくつも自分に言い訳を重ねながら、最近は優雅にお茶の時間を作るようにもなった。家臣たちはワルターの行動に口を挟むことはなかった。何故急にヘレーナの扱いを変えたのか、問われれば答えに詰まると思っていたので、これは嬉しかった。
最初こそ戸惑っていたヘレーナも、最近では随分と慣れたのか、ワルターの邪魔をすることもなく静かに従っている。食事をきちんととりはじめると、ヘレーナの身体つきは随分と改善した。
良かったと内心胸をなでおろしたワルターは、自分の腹の肉がやや増えたことに気づき、訓練室に通う時間も作った。三食に加えおやつまで食べ、毎日机に座りっぱなしだったので、さもありなんと言ったところだ。
寝室を行ったり来たりするのも面倒なので、ヘレーナをワルターの私室の隣部屋に移した。
隣の部屋は、正式な正妃を迎えるための部屋だった。はっきり言ってしまえば、ワルターがヘレーナに飽きて彼女を兵に与えた後、従姉妹かもしくは爵位のある家柄の娘を正妃に迎えようと考えていたのだ。
しかし、ヘレーナに飽きが来ない気がする。
だから仕方ない。
ワルターはまた一つ自分に言い訳をして、ヘレーナを正式な正妃の部屋に招いたのだ。
山のようにあった書類が、普段よりも少し多いくらいまでにはなってきていた。必然的に、夜はしっかりと睡眠時間を取れるようになった。
睡眠時間が確保されると心に余裕ができたのか、ワルターは穏やかな気持でヘレーナと夜を共に出来るようになった。
しかし、ワルターにとって一つだけ悩みの種があった。
この夜も、ワルターはヘレーナを寝室に招いた。
おずおずとそばに寄ってくるヘレーナに、薬を手渡す。
子供ができないようにするための薬だった。この薬は、量を間違えれば身体に毒になり、飲まなければ子供ができてしまう。だから、誰にも任せられない。ワルターはこの薬だけは、常に自分でヘレーナに手渡し飲ませていた。
無言で受け取り、ヘレーナは薬を飲み込んだ。
相変わらず、表情は乏しい。しかし、彼女は子供のことをどう思っているのだろうか。ふと疑問に思い、問いかけた。
「子供が欲しいか?」
その質問に、ヘレーナは戸惑いの表情を浮かべる。女であれば子供がほしいものだと思う。けれど、それは……。
「俺の子供でも欲しいのか、と聞いている」
敵国の王の子供を、お前は産みたいと言えるのか、と。
返事はなかった。
今まで散々いたぶってきたヘレーナに、この質問は酷だったかもしれない。けれど反応が返ってこなかったことに、ワルターは残念だと思った。
しかし、もしワルターが薬を渡すことをやめても、きっとヘレーナは何も言わないだろう。何も言わず、子供を産むかもしれない。
ワルターは、ヘレーナが子供を抱いてその隣に自分が立つ、と言う情景をひそかに想像していた。それは、決して嫌な感じがしないのだ。
だからと言って、このまま彼女に子供を産ませていいものか。
悩んでいた。
子供のことを除けば、順調に行っている。
ワルターは、そう感じていた。
ヘレーナを隣部屋に移してから二日後、ワルターの従姉妹が執務室を訪れるまでは、全てうまく行っていると思っていたのだ。