幕間。ヘレーナ5
私は花畑で花冠を作っていた。王族の居住区に囲まれるように作られた花畑だ。花冠は特別な誰かに渡すものとされていて、特にそんな相手は居なかったけれど、その時のために必死に練習していたのだ。
チクリ、と。指先が痛む。気付かずに刺のある葉を触ってしまったのだろう。
「いちゃいいちゃい?」
隣から可愛らしい声が聞こえた。
妹のマリアだ。もうすぐ二歳になる妹は、我が家のアイドルだ。母にしがみついて眠り、父に抱っこされて泣き、そしていつの頃からか、私について花畑に入るようになっていた。
「ええ。ちょっと切ってしまったわ」
言いながら指の先を見る。そんなに深い傷ではないが、プクリと血玉ができていた。覚えたての治癒の術で治そうか。それとも、こんな傷で力を試すのは良くないか。思案していると、マリアが指に手を絡めてきた。
「いちゃい、ででけー!」
おそらく、痛いの飛んでいけの事だと思い、笑みが漏れる。幼い仕草がとても可愛かった。
私が笑ったからなのか、マリアがニコリと微笑む。
「いちゃい、ないないー」
「……えっ?!」
そして、愕然とした。
私の指先には血玉などなく、傷も跡形もなく消えていた。
はじめて、薄ら寒い恐怖を感じる。
私は王族にしては治癒の力が少ない。ようやく自分の傷の癒し方を習得してきたところだ。代わりに、索敵だけは父に並ぶと言われているが……。だから、大きな治癒の力を持っている人間の子供でも、その力を絶対に受け継ぐわけではないのだと思っていた。
しかしマリアは、治癒のなんたるかも学ばず、治癒の力を使った。ごく自然に、当たり前に、しかも完璧に。
そうか。
私は、王の力を、受け継ぐことが出来なかった。
妹は、王の力を、受け継いだ。
それだけのことが、私を大きく苛んだ。
夢だ。
昔の夢を見ている。
はじめて妹の力を目の当たりにした、あの時の夢を。
やがて景色はぼやけ、妹の笑顔も自分の暗い気持ちも塗りつぶされていく。
覚醒したのは夜中近くだった。
「お目覚めですか、ヘレーナ様。けれど、今宵は今しばらくお休み下さい」
枕元にはフランツおじ様が控えていた。ヘレーナの状態を一番良く理解している人物だ。
「……フランツおじ様。私、……」
ぼんやりとした意識の中で、周囲を確認する。フランツおじ様の隣にはユリア様の気配もした。
言われた通りに目を閉じてはみたが、どうにも中途半端だ。眠いような気もするけれど、また夢を見たくないとも思う。
それに。
それに、私は、白の力を失ってしまった。おそらく白の国へ戻っても、索敵も出来ないだろう。自分の体の隅々まで、一切白の息吹を感じない。
私は、唯一父から受け継いだ索敵の力も、無くしてしまったのだ。
フランツおじ様から話を聞いた時は、それでも身体に流れてくる黒の力がすべての白の回路に行き渡らなければ、少しでも力が残るかもしれないと思っていた。
けれど、白の国に居た頃とは違い、ワルター王の体内を索敵するのには骨が折れた。議会の中心で大見得を切ったのに、ワルター王を探し出せるかどうかも怪しかったのだ。
だから、無事ワルター王を助け出せたことは嬉しい。良かったと思う。
けれど……。
なかなか寝付けず、暗闇で目を開けた。
「ヘレーナ様、少しお話をしてもよろしいかな」
「はい」
私の気配を感じたのか、フランツおじ様が穏やかに話し始めた。
「すでに貴方の首に白の国の首飾りはございません」
「……え、それって、じゃあヘレーナ様はこの国の瘴気に耐えられるようになったとでも?」
ユリア様の驚く声が聞こえた。
その先を……、決定的な私の変化を、フランツおじ様は宣言しようとしている。
しばらくの沈黙。
もし私が止めるように言えば、フランツおじ様はそれ以上何も言わないと思う。
けれど、私は再び目を閉じ、小さく頷いた。
「その通りでございます。ヘレーナ様の白の回路に、王の黒の力が注ぎ込まれた。ヘレーナ様のお身体は、すでに黒の瘴気を敵とは捉えておりません。ですから、拒否反応を示したり、逆に黒の瘴気が白の回路を攻撃したりすることはございません」
「そんな、そんなことが本当に可能なのですか? ヘレーナ様のお身体は、大丈夫なのですか?!」
ユリア様の怪訝な声。
「はい。それに、これは我々騎士が戦地に赴く際に施される処置と似ています」
「処置?」
「いくつかの白の回路を潰し、強制的に自らの身体に黒の力を送り込む。黒の瘴気が舞う戦場では、我々白の一族には毒の沼地と同じです。ですから、耐性をつけるのです。勿論、この国にやってきたカールやシュテフォンも同じような処置を受けております。……ここに来るはずだったループレヒトも同様です」
「あ、だからぎっくり腰を自分で治せなかったんだ」
フランツおじ様とユリア様の会話を黙って聞く。
「え、でも、フランツ様も、そんな処置を受けてなお、あんな複雑な魔術を行使するんですか?」
「ははは。いや、私は黒の瘴気から身を守る、絶対的な守りの魔術をかけておる。死ぬまでずっと続くようなヤツじゃ」
「……器用なんですね」
二人は術を使う者同士、色々と話が尽きない様子だ。
やがて少しずつ、まぶたが重くなる。
私は元々力のない王族だ。
それが、一切の白の力を失ってしまった。
白の力がないのなら、私は白の王族ではない?
嫌な考えが、グルグルと頭を回る。
それでも。
『同じ姉妹でも妹姫はエーファ王妃に、お前はベルンハルト王にそっくりだ』
あの時白の国で言われた、ワルター王の言葉が蘇ってくる。
私と父、どこが似ていたのかいまだに聞いてはいない。
けれど、それでも、感じた言葉を素直に言うワルター王の言葉は、心に響いた。
素直に嬉しかったのだ。
あの言葉を何度も心の中で反芻した。
だから、私は、白の力を失っても――。




