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 何かを追うように手を伸ばす。しかし、何もつかめない。

 目を開ける。

 ワルターが最初に見たのは、伸ばした自分の手だった。次に、見覚えのある自室の天井。

 用心深く身体の駆動を確かめる。手は動く、足の感覚もある、首は……ある程度回せる。

 ゆっくりと首を回すと、伸ばした腕とは違う方の腕に、誰かの手が添えられていた。見慣れた手だ。のろのろと視線を上げていく。

「……ヘレーナ」

 ワルターは、かすれた声でヘレーナを呼んだ。

 ヘレーナは俯いており、表情は見えない。ようやく見えた口元は、ぎゅっと固く結ばれているようだ。ワルターは辛抱強くヘレーナの反応を待った。正直、体が鉛のように重いので、すぐには起き上がれなかったこともある。

 ヘレーナが、ワルターの腕に添えた手に力を込めた。

「おはようございます、ワルター様」

 顔を上げたヘレーナの表情は……、控えめな笑顔だった。

 ワルターは大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。気持ちを落ち着けるため、何度か瞬きもした。

 見上げたヘレーナの顔は、びっくりするほど美しく思えた。それに、愛しいとも。疲れていて自由にならない身体で、抱きしめたいと思った。

 ――愛している。

 自分がこれほど素直に穏やかに、ヘレーナへの思いを自覚したことはなかった。一時の情熱などではなく、当たり前にあふれる温かな感情だ。

 ワルターはそのことに気づき、呆然とする。

 何か言わなければとも思ったが、上手に言葉が出て来なかった。

 しかし、誰かが言葉を発することなく、部屋が静かだったのはほんの数秒だった。

「おはようございます王よ。現状はどの程度認識されていらっしゃいますか?」

 ヘレーナとは反対側から、聞き慣れた声がした。

「ああ、居たのかルーカス。俺は何日寝ていた? 身体は動くが、重い」

 術に囚われたことは分かる。

 その術を内側から破ったことも分かっている。その時に何故かヘレーナの幻影が見えたが、あれがどのような状態だったのかは分からない。

 それに、自分が何日眠っていたかも不明だった。

 空腹は感じないが、おそらくまともな食事をしばらく取れていない、と言うことも理解できた。長年の戦闘経験から、目覚めて自身の状態を確認するのは、最優先事項だ。

 分かっているところと不明なところを短く伝えると、ルーカスの隣からひょいと老人が顔をのぞかせた。あまり馴染みのない顔だ。だが、見覚えはある。ワルターは必死に記憶を手繰り寄せた。

「ああ、……確か、ヘレーナの護衛の」

「フランツです。王よ、貴方の体が重いのは、黒の力が大量に抜け出たせいです。良く眠り栄養のあるものを食べ回復すれば、元に戻るかと思います」

 フランツはそれだけ言うと視線をヘレーナに移す。

「ヘレーナ様、それでは自室でお休み下さい」

「え、いえ、私は……」

 戸惑うようにヘレーナが顔を上げても、フランツは主張を引っ込めなかった。

「私の言うことを聞く事が最低条件ですぞ。王は目覚められた。意識もしっかりとされておる。それに……思いもはっきりとお分かりになったでしょう。安心してお休み下さい、ヘレーナ様。貴方にも、今は休息が必要だ」

 ヘレーナは、何故かフランツの言葉に顔を赤らめる。

「それは……その、大変な術の最中でしたから、思い、など、あの……」

 ヘレーナがオロオロと言い訳めいたことを口にし、ますます頬を朱に染めた。

「いえ、私も、はっきりと聞きました」

 ルーカスが真面目な顔をして、会話に加わる。

「私も聞きましたぞ、そうだな?」

「……まぁね」

 部屋の端から冷静な将軍と不機嫌なユリアの声。

「将軍、控えていてくれたか」

 聞き慣れた声にワルターはそちらにも目を向けた。

 ところで、先程から皆は何の話をしているのだろうか。ヘレーナが随分困っているようだが?

 ワルターは不思議に思い、ヘレーナを見た。

 だがヘレーナは、ワルターの視線をうけモゴモゴと何か聞こえない言葉を発して俯いてしまった。

「僭越ながら、王よ」

 ルーカスはワルターの疑問を感じ取り、とても真摯に語りかける。

「我々は王の術を解くため、いえ、王に術の全容をお届けするためこちらに集まっておりました」

「なるほど」

 だから、何が言いたいのだろうか?

 ワルターが続きを促すと、ルーカスは静かな微笑みを浮かべ、話を続けた。

「ずっと眠っておられた王が、術の受け渡しの儀式が始まると話し始めたのです」

「ああ、寝言のようなものか」

 だから、それが何だというのか。寝言くらい言うものだし、術を破ったのだから意識が戻ってくる良い兆候ではないか。ワルターは首を傾げる。

「それにより、我々は王の状況がはっきりと分かりました。ええ、やけにはっきりとした寝言でしたから。王妃が王のもとへ現れた瞬間。受け渡しが終わり、王妃が術から抜ける間際。どの場面でも、はっきりと王妃のお名前をお呼びになられていましたね」

 ワルターは、ゆっくりとルーカスの長ったらしい説明を吟味する。

 つまり、術の中で囚われていた時に言った言葉が、漏れていたということだ。

 ワルターはそこまで考え、はたと思い至る。

 自分は、何を話していたのだろうか。

『どうした?! お前、透けて……っ』

 慌てふためく、自分の声が聞こえる。

『ま、待て! ヘレーナ、ヘレーナっ』

 すがりつくような言葉が思い出される。

『行くな、ヘレーナ。お前のことを愛しているんだっ』

 愛していると、はっきりと叫んだことも、当然思い出した。

「え、全部?」

「はい、全部です。大きなお声でしたからね。部屋の外や廊下にも、響き渡ったんじゃないでしょうか」

 どんな言葉が、とは言わないけれど、はっきりと分かる。

 皆、ワルターの、ともすれば愛の告白を、はっきりと聞いたというのだ。

 恥ずかしさで意識が霞む。

 しかし残念なことに、術から抜けだしたワルターは段々と普段の調子を取り戻していたし、気を失うほど身体が弱くもなかった。

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