29
その夜、ヘレーナはフランツの私室を訪れた。
「驚きましたな。こんな夜更けに、明日もお早いでしょう?」
穏やかなほほ笑みを浮かべ、フランツはドアを開ける。
ただ、どこか表情が硬い。
ヘレーナは軽く頭を下げて、ユリアとともに部屋に入った。本当は一人で来たかったのだが、老術師フランツと言えども男性である。渋るユリアを何とか説得し、二人でやってきたのだ。
ヘレーナは案内された椅子に座るなり、口を開く。
「単刀直入に。おじ様、ワルター様の現状、何か対処法はありませんか?」
挨拶もなしに、昼間と同じ質問を繰り返した。
ある程度分かっていたのか、フランツは穏やかな表情を崩さぬままため息をついた。
「一晩、考えさせていただけると思っていましたが」
「それは対処法を考えるのではなく、私に伝えるかどうかを考えると言う意味でしょう?」
ヘレーナは真っ直ぐフランツを見つめた。
対処法はあるはずだ。だが、それを公表するかどうかを渋っている。
これがヘレーナの見立てだった。
何故そう思ったのか、正確な所は分からない。ただ、ワルターが倒れた事実はヘレーナを必死にさせた。どんな情報でも漏らさず認識し、考える。ともすれば震えてしまいそうになる自分を懸命に押さえこみ、支えのない状態で立っている。
不安定な状態だからこそなのか、フランツの言い方に微妙な違和感を感じたのだ。
フランツは一度目を伏せ、降参したというように両手を上げた。
「ヘレーナ様。本当に、強い王妃になられたのですね。貴方様がこの国に嫁ぐとわかった時、どれほど不安に思ったことか。あのお小さかったヘレーナ嬢が、父王様の元を離れ一人で黒の国へ行くなど……。議会の結論を聞いた時には、思わずあなた様を攫って閉じ込めてしまおうかと思ったほどです。けれど……、貴方様は今こうして、お一人で立派に立っていらっしゃる」
フランツの長い話を、ヘレーナは意図して遮った。
「おじ様。お願いします」
「……。承知いたしました」
今度こそ、本当にフランツが折れた。
「ワルター王をお助けすることは可能です。要は、王が囚われている内側へ入ってしまえば良いのですから」
「内側に入る?」
そのイメージが沸かず、ヘレーナが疑問で返した。
「それは、王の力と繋がって、王の内面へ入り込むと……? 夢とか、幻となって?」
黙っていたユリアが、突然厳しい声を上げた。
「イメージとしては、そうですな。ああ、呪いのように、一人を殺して消し去り、精神だけを王に取り憑かせる、と言うわけではない」
フランツは、誤解のないようにと、慌てて付け足した。
「内側に入り込む者を王の術回路に繋ぎ、王の回路を通して直接脳に思念を送り込む、と言う方法です」
「簡単に言いますね」
冷ややかな声はユリアだ。
「脳に思考を送るって言いますけど、王は術に囚われたままでしょう? 脳のどの場所に思考を送るかも、王の回路に入らないとわからないし。回路に入ったは良いものの、あの大掛かりな術の中、王がどこにいるか探せないんじゃないかな」
ヘレーナは黙ってユリアの言葉を聞いていた。
「そもそも。王の回路に繋ぐって、それだけでもどれだけ大掛かりな術になるのか。あの王ですよ? 王の力を外側からこじ開けられるのかどうかもわからない。むしろ、敵と認識されて、意識のないまま攻撃されるかも。そうなると、ひとたまりもないわ」
フランツも、ただ黙ってユリアの言葉を聞いている。
その表情はやはり硬い。
「ワルター様と繋ぐ……。それから、探すのね」
ヘレーナの声を慌ててフランツが遮った。
「ヘレーナ様。その先のお言葉は、どうか慎重になってください」
「どういう事です?」
ユリアも、不穏な空気を感じたのか、考えこむヘレーナをじっと見つめた。
「ワルター様は、私に術をかけてくださっています。その回路から、入りましょう」
ワルターはヘレーナが黒の瘴気に触れないよう、術をかけていた。それは、今でも変わらない。ワルターから離れていては効果がないが、それは術を停止しているわけではなく、ただ効果がないだけだ。
それに、と。
ヘレーナはスッキリとした表情で、続けた。
「探すことに関しては、私の力でどうにか出来ると思います」
つまり、ワルターと繋がり、内側に入って彼を探すのは自分しかありえないと、ヘレーナは言ったのだ。
「ヘレーナ様。お考えください。危険と隣り合わせです。もし王の回路に入って戻ってこれなかった場合、貴方様のお体はもぬけの殻になってしまいます。何より……」
フランツが言葉を区切り、確かめるようにヘレーナを伺う。
「一度王の回路に触れてしまえば、おそらく貴方様の白の回路は消えてしまう。王のお力は強い。貴方の回路は王に飲み込まれ、二度と白のお力を使うことはできないでしょう」
ですから、どうか慎重にと。
フランツは硬い表情のままだ。
白の国の王族であるヘレーナが白の力を失うと、はっきりと宣言した。
「ヘレーナ様。別の者に行かせましょう。回路を繋げるのは大変だけど、できないわけじゃないはずです。王を探す作業だって、国中の魔術師を集めてでも、術を練り上げれば……」
ユリアは必死にヘレーナを引き止める。
だが、ヘレーナは穏やかな笑みを浮かべ、二人に言い放った。
「いいえ、その必要はありません。私が、行きたいのです」
どうしても、と。
きっぱりとしたヘレーナの言葉に、フランツもユリアも、何も言い返せなかった。
翌朝、緊急の議会が開かれた。
まずヘレーナは王の現状を包み隠さず参加者に話して聞かせた。
ワルターは戦いの王だった。
だから、臣下は皆、ワルターの強さに平伏していたのだ。
だが、ワルターは、術に囚われた。
ともすれば、王が負けたと認識されかねない。
ルーカスは黙って議会に参加していたが、もしここで王を嘲笑する輩が現れた場合、その者を闇へ葬る決断をしなければならないと思っていた。
「ついにやられたか。王はまだまだ若いからな。油断じゃ、油断」
「だが、ちょっとヘマするくらいが可愛いではないか」
最初に声を上げたのは、二人の老議員だった。
言葉は軽いものの、どこか親しみを込めた声色だ。
「でも、王妃様。かなり危険なのでは? 良いのですか? あの王のために?」
まだ若い議員は、ひたすらヘレーナの心配をする。ワルターを蔑ろにしているような言葉だが、何故かまったく敵意は感じなかった。
「私が行きます。これは、私のわがままですから……、もしこの議会で承認されなければ、他の方法を一から考えますが……」
ヘレーナは目を伏せた。
「いやいや。どうでしょうか。王妃様、もしや我々が一から考えているうちに、一人で王のもとへ行ってしまうおつもりでは?」
「えっ」
議員達の親しみを込めた言葉は、ヘレーナにも向けられた。
「我々にできることがあるなら協力を惜しみません。貴方のお好きなように、御心のままに、お進みください」
ワルターは戦いの王だった。
戦いのあるうちは、力で全てを従えてきた。だが、戦いが終わり、王の戦う力は必要なくなった。
そこでワルターは腐ることなく、少しずつ慣れない政を学んだ。黙って机に向かい、積み上げられた書類に文句も言わず、頑張ってきた。その姿を、皆見ていた。
いつの間にか、ワルターは臣下の信頼を勝ち取っていたのだ。
「私は、王のお力が怖いですよ。今だって、凄まれたり睨まれたりすれば反射的に身体がすくみ上がる。だが、貴方の周りをウロウロする王を見ていると、どうにも王が幼子に思えて仕方がない。すると、急に親しみが湧いてなあ」
一人の老議員がこう言うと、そうだそうだと声が上がった。
「王は王のはずなのに、まるで我々の息子のようじゃないかと、思ったわけです」
息子ならば、愛情を持って助けなければならない。
ヘレーナは議員達の言葉を聞いて、自分のことのように嬉しくなった。
一同に向け頭を下げる。
「必ず王をお助けします。私を、行かせてください」
何があろうとも、どんなことをしてでも、ワルターを助けたい。
ヘレーナの心は、その思いでいっぱいだった。




