23
ワルターは入ってきた青年をちらりと見て、何も言わずにデザートに目を落とした。隣で、ヘレーナが息を呑んだのを感じる。
イライラとして爆発してしまいそうになるのをできるだけ抑え、冷たくて甘い塊を口に運んだ。
ヘレーナと同じ色の柔らかそうな髪は、すっきりとした短髪だ。
切れ長の瞳は、ヘレーナと同じ色だった。
とびきり美しい青年は、深々と頭を下げる。
「伯父のループレヒトの件、大変申し訳ありません。私はループレヒトの妹の三番目の息子、シュテフォンと申します」
ぎっくり腰がどうとか言っていたな、と。どこか他人事のようにワルターは思った。
それよりも、続く言葉を考えるとうんざりした気持ちになる。
「無理を承知でお願いいたします。どうか、私を代わりにお連れ下さい」
「無理だ」
言うと思った、と、ワルターは顔をしかめた。
答は決まっている。
美しいヘレーナと目の前の青年が並んだところを想像するだけで吐き気がした。あまりにも似合いすぎている。今まで自分の容姿について何も思ったことはないけれど、大柄で畏怖を与えるような印象の自分よりも、よっぽどヘレーナにお似合いだと思った。
しかしワルターはとっさに湧き出た感情に蓋をした。
あくまで冷静に、隣に座るヘレーナに顔を向ける。
「知り合いか?」
もしヘレーナが感動のあまり震えていたなら、もしヘレーナが青年を見て頬を赤らめていたなら、その場で感情を爆発させてしまうかもしれない。そう思いながら、ワルターはじっくりとヘレーナの表情を観察する。
ヘレーナは少しだけ小首を傾げ、何ら普段と変わりないように微笑んだ。
「小さな頃から兄弟のように育って来ました」
兄弟のように、と言う言葉は疑問だ。
王族の女性に触れ合うことが許された男は、つまり、将来の伴侶の候補だけでは、と。
「分かっていると思うが、駄目だぞ」
念を押すように、厳しい口調で釘を刺す。
すると、思っていたほど何もなくヘレーナは頷いた。
「はい。……シュテフォン、控えなさい。ここは親族だけの私的な場所ではないの。黒の国の王に、直接話しかけるなど許されることではありません」
凛とした声が狭い部屋に響く。
同時に、ベルンハルトが頭を下げた。
「すまない、黒の王。こちらの手違いだ。謝罪だけだと聞いていたので通したが……、シュテフォン、すぐにさがり……」
「嫌です!! どうか、お願いします。私は強くなりたいんです。白の国に、近接の戦闘を得意とする剣士がいないんです。私は、黒の国で剣を学びたい!!」
衛兵が腕をつかむのを振り切って、シュテフォンは懇願する。
呆れるほどに愚かで、呆れるほど真っ直ぐな叫びだった。
ワルターはシュテフォンを引きずり退場しかけた衛兵を呼び止め、わざと意地悪く問いかけてみた。
「何故それほど必死になる必要が? 白の国は老いた老兵の代わりに若い男を寄越して、内側からこちらを瓦解させるつもりでもあるのか? ああ、例えば、お前がヘレーナと通じてお前の子供を産ますか。とても仲が良さそうだしな?」
半分くらいは本気で気になっていたこともある。ワルターは不愉快な表情を隠しもせず、シュテフォンを睨みつけた。
「はあ? 違いますっ。先ほどの言葉を聞いてくださらなかったのですか?! 俺……、いや、私は剣が学びたいと申し上げました!!」
言われたことに気が付き、シュテフォンは顔を真赤にして反論する。
誰も何も言わないので、シュテフォンは更に何か言おうとして口を開き、ややトーンを落とした声でこう付け足した。
「それに、それに……、ヘレーナ様は本当にただの姉様のようなもので……。だって、家族とは、そういうことは……ないでしょう?」
ワルターは口元に手をやり、苦虫を噛み潰したような顔を創りだした。
そうでもしなければ、吹き出してしまいそうだった。
腹の探り合いのような場で、真っ直ぐに自分の意見が言えるシュテフォンがとても羨ましい。何より、自分の欲望に素直で、単純で、真っ直ぐなのは嫌いじゃない。
それでも、彼をヘレーナの護衛として連れて行くのは嫌だった。
「お前はこちらの提示した条件に合わない。ヘレーナの護衛として連れていけない」
幾分穏やかな声が出たと思う。
ワルターは意地悪な物言いをやめて、はっきりとシュテフォンを拒否した。
「……、条件? ……、大戦での功績ですか? 入隊期間でしょうか?! 私は……!」
「違うのだ、シュテフォン。そう大声を出すものではない。子を成すことが出来ない身体がいるのだ。お前は、そうではないだろう?」
諭すように、ベルンハルトがそれを告げる。
「え……」
ようやく、シュテフォンの勢いが止まった。
「どうしても黒の国へ行きたいというのなら……、取るしかないな?」
さすがに何を、とは言わなかったが……。ベルンハルトの追い打ちをかけるような言葉に、シュテフォンは目を見開き呆然とした。
人事ながらそれは大変なことだと、ワルターは自分の股間がひんやりとしたのを感じる。
「王族の近くに居るということは並大抵のことではない。白の王宮の奥、私達の居住する場所に出入りできるのも、女性か去勢した男性だけだよ。まだ知らなかったか、シュテフォン。けれど、お前だって、私達が住まう場所には一度も入ったことがないだろう?」
ベルンハルトはあえて具体的な言葉を使った。そこまで言わなければ、諦めがつかないだろうと言う配慮だろう。
最初の勢いをなくし、シュテフォンは力弱くうなだれ、その場で深々と頭を下げた。
「……、お騒がせしてしまいまして申し訳ありませんでした。すべて思慮の足りない私の責任です。この処分は如何様にもして下さい」
そして、両脇を兵に抱えられふらふらと退室していった。
食事会が終わり、再びヘレーナの部屋へ戻ってきた。
ベルンハルトは気の毒なくらい頭を下げ、部下の非礼を詫びていた。常に冷静で微笑みを絶やさなかったベルンハルトが小さくなる姿を見て、ワルターはとても怒る気になれなかった。
だから、シュテフォンのことはお互い流すことにした。
再び小さなソファに座り、ワルターはヘレーナを近くに呼んだ。
「疲れたか?」
ヘレーナの顔に陰りが見える。
ベルンハルトから提案された明日の演習の件だろうか? その話も聞かなければならない。
ヘレーナは首を横に振ってワルターを伺うようにじっと見た。
「いいえ。あの……、ワルター様は……私が、私が他の男性と通じると、思われていたのでしょうか?」
何を言われたのか分からずワルターは首を傾げる。
「そんな予定でもあるのか?」
「いいえ。私はアーテルの王妃です。白の国の者と通じるなど、決してありません」
そこまで聞いて、先ほどのシュテフォンへ投げかけた言葉のことだと思い至る。
「無いなら良い。もっとも、そんな事あっても許さないがな」
「……」
物言いたげな表情でヘレーナが手を握り締めた。
何だというのだろう?
ワルターはヘレーナの様子を不思議に思い、しかし、どう声をかけて良いのか分からなかった。
しばらくの沈黙の後、ヘレーナが口を開けた。
「シュテフォンの事、申し訳ありませんでした。悪い子ではないのですが、昔から剣のことしか頭になくて」
「何故、お前が謝る?」
シュテフォンの事をヘレーナに謝られると、どす黒い思いが胸に広がった。殊更親密に過ごしてきた日々を見せつけられるようで嫌な感じがする。
「いえ、あの……、気分を害していらしたようですので」
「別に、俺は怒っていないが。顔が怖いのは生まれつきだ」
美しいヘレーナやシュテフォンからしたらさぞや強面の顔だろうと思う。ワルターは言いながらそっぽを向いた。
ヘレーナは驚いたように身をかがめて、座っているワルターの様子を伺った。
「あの、それにお声も少し……強い口調でしたし」
「これは地声だ」
さすがにむっとして正面を向く。
すると、丁度身をかがめていたヘレーナと目が合った。突然の事に、どうして良いか分からずワルターは戸惑う。
ところが、ヘレーナは驚くほど真っ直ぐにワルターを見つめ……、そしてくすくすと笑いを漏らした。
「え……」
ワルターは、はじめて自分に向けられたヘレーナの笑い声に固まってしまう。
「申し訳ございません。ふざけてしまいました」
たしか以前もこうして謝られたことがあった。花の冠を貰った時だ。あの時は、ヘレーナの表情が緊張で無表情になった。
けれど、今、ヘレーナはワルターの目の前で穏やかに微笑んでいる。
突然ワルターの身体にしびれが走った。ヘレーナを思いのままに抱く時の快感に似ている気がする。けれど、それよりも、もっともっと甘い何かが身体を貫いた。
ワルターはその感覚を知られるのが気恥ずかしくて、もう一度ヘレーナから視線を外した。
「シュテフォンを、黒の国へ連れて行こうと思う」
ヘレーナの護衛ではなくて、軍へ研修に派遣されたという事にでもしたらいい。
ワルターの言葉に、ヘレーナは驚いて目を丸くした。
ワルターはすぐにベルンハルトの元へ赴き、シュテフォンともう一度話がしたいと願い出た。ワルターの言葉に驚いたベルンハルトだったが、シュテフォンとの面会を手際よく手配してくれる。
久しぶりで積もる話もあるだろうとヘレーナをベルンハルトの元に残し、ワルターは単独でシュテフォンと再会した。
「……と、言うわけで、黒の国へ来たいなら、連れて行ってやってもいい」
ワルターから説明を受け、シュテフォンの目がキラキラと輝く。
「本当ですか?! ありがとうございます!!」
身体を直角に曲げ、シュテフォンはワルターに勢い良く礼をした。
随分と気合の入ったありがとうございますだ。
苦笑しながら、ワルターはシュテフォンに問いかける。
「で、本当にお前とヘレーナは何もないんだな?」
「ありません」
「お前、ヘレーナを狙っているなんてこと、ないんだろうな?」
「ありません」
「ヘレーナは、やらんぞ?」
「はい」
俄然、熱のこもった質問に、シュテフォンがふと思いついたように手を打った。
「ワルター様は、ヘレーナ様のことをとても愛していらっしゃるんですね!!」
「あ、え……」
あまりに真っ直ぐな意見に、ワルターは愕然とした。