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ヘレーナを迎えて二月が経とうとしていた。
最近、ヘレーナの反応が鈍いと感じる。
ワルターは、自分の身体の下で足を広げるヘレーナを見ていた。
リズミカルな運動に、お互いの体が跳ねる。けれど、ヘレーナは何も言葉を発さない。表情も、変わらない。
ワルターは自身をヘレーナから引き抜き、ヘレーナの隣に身体を横たえた。
「つまらん。何か反応しろ」
ヘレーナの髪をすくい上げ、指先で弄ぶ。最初にこの城に来た時、確かに腰のあたりまであったヘレーナの髪は、肩のあたりで切りそろえられていた。それがヘレーナの意志によるものなのか、城の中の誰かが勝手に切ったのかはわからない。ただ、長かった頃は髪が跳ねるように動いて躍動感があったので、少し残念に思う。
「……」
ヘレーナはちらりとワルターを見て、少しだけ首を傾げた。
ワルターが何を言っているのか分からなかったのだろう。
確かに、曖昧な命令だった。
しかし、ワルターは、こんな小さな事にも反応を示さないヘレーナに苛立った。
どうすればヘレーナが反応するのか、考え言葉にする。
「まあ、それでも良いが……。お前が俺を退屈させるのなら、妻として失格だな? アルブスに代わりの女を要求しようか? 確か……、お前には妹がいたな。まだ、年端もいかない幼子だと聞いているが」
それでも、その幼子をヘレーナの代わりに差し出せと。ワルターの言葉に、ヘレーナははっと身をこわばらせた。
「おやめ下さいっ」
今まで聞いたことのないような大きな声で、ヘレーナが叫び声を上げる。
「私なら、どう好きになさっても構いません。ですから、どうか、妹だけはっ。妹にはこんな酷いこと……!」
「ほう。お前は、俺が何か酷いことでもしているというのか? 発言には気をつけろ。どこで外交官が聞き耳をたてているかもしれんぞ?」
それはまったくの嘘で、ワルターの寝室には許可のないものは絶対に入れない。その様に、結界を張ってあるのだ。爵位も持たない外交官が、この寝室にたどり着くなどありえない。そんな事情を知らないヘレーナは、はっとして唇を噛み締めた。
(ああ、ようやく声が聞けた)
久しぶりに反応を返すヘレーナを見て、ワルターは楽しくなった。
更にヘレーナを傷つける言葉を探す。
「しかし、よくもそんな大袈裟に家族を庇える」
「……何のことでしょうか」
「お前を敵国に、この俺に差し出した父の話だよ。お前がどんな扱いを受けるのか、はっきりと分かっていたはずだ。けれど、お前の父は止めなかった。終戦協定を結ぶため、娘を見捨てたんだからな? そんな父を持つ家族だ。お前が庇ってやる必要はないのでは?」
くっくっくと、わざとらしく喉を鳴らして反応を伺う。
ワルターの言葉を聞いて、ヘレーナは静かに笑った。
ヘレーナのほほ笑みに、引きこまれそうになる。ワルターは、そんな自分をぐっとこらえ、言葉を失った。
「父は私を見捨てたのではありません」
「馬鹿な。お前は、父に捨てられたんだ。生贄だよ!!」
「いいえ? 私はまったくそうは思いません」
自分は父に捨てられていない。ヘレーナの表情は自信に満ち溢れていた。
初めて見せる輝くような表情に、ワルターは目を奪われる。
しかし、すぐに不快な感情が胸に広がった。人形が人形ではないと思い知らされた気がして、悔しかったのかもしれない。
ワルターは無言でヘレーナの首に手を伸ばした。
「どう好きに扱っても構わないと、言うのか。では、これをいただくとしよう」
言うが早いか、ヘレーナの首飾りを乱暴に剥ぎ取る。
「お、おやめ、くだ……さい。返し……っ」
慌てたヘレーナが身を乗り出すが、ワルターは身を起こして首飾りを遠のけた。
「あ……、ガッ」
もう少し頑張って取り返しに来るのかと期待していたが、ヘレーナはその場に両手をついてうなだれた。
「……う……あ、あ、ああ」
ワルターが、ヘレーナの様子がかなりオカシイと感じた時には、遅かった。
ヘレーナは急にエビ反りになってその場で跳ね上がり、ベッドから転げ落ちた。何度も床を転がり、声ならぬ声を上げる。そのうち、まともに動くことができなくなったのか、その場で痙攣を始めた。
さすがにまずいと感じ、ワルターは急いでヘレーナに駆け寄る。
「おい」
声をかけ身を起こしてやる。
ぴくぴくと小刻みに震えるヘレーナは、やがて首飾りのなくなった自分の首をひっかき始めた。
「やめろ、聞いているのか?!」
すぐに空いている手でヘレーナの腕を抑える。
しかし、両腕とも抑えるには足りず、ついにヘレーナの爪が首の皮膚を突き破った。
なんの抑制もなく跳ね上がる身体を抑えながら、力任せに動く腕を制御するのは難しい。みるみるうちに、ヘレーナの首から血が流れ始める。
「まさか!! 何をしている、やめろ」
ワルターの叫びは悲鳴に近かった。
そこまで来て、ようやく剥ぎとった首飾りのことを思い出した。
急いで身体を反転させ、放り出していた首飾りを掴み取る。
暴れまわるヘレーナの身体に馬乗りになってようやく押さえ付け、何とか首飾りをはめ込んだ。
ぐったりとして動かなくなったヘレーナを、彼女の寝室までワルターが抱えて運び込んだ。
はじめて入るヘレーナの部屋に、ワルターは呆然とした。
簡素なベッドと、小さなクローゼットがあるだけ。窓もない、何の装飾もされていない。部屋と言うよりは、牢獄といったほうが早いと思う。
確かに、ワルターはヘレーナの城での扱いについて言及したことはない。しかし、予想以上だった。自分がそうさせたのだと分かっていたが、実際に目にすると衝撃を受けた。
「いかがされましたか?」
部屋の前で控えていた侍女が、声を上げる。
ワルターが驚いているなど、考えもしていないような普通の声だった。
「ヘレーナが怪我をした。治療してやってくれ」
ワルターの言葉に、侍女はちらりとヘレーナを見た。
「それでは、後ほど塗り薬を持って参ります」
その答えに、ワルターは驚く。どう見ても、塗り薬で済ませるような状態ではない。すぐに医者に見せなければならないだろうと思っていた。
ああ、そうかとワルターは奥歯を強く噛んだ。
この城の誰もが、ヘレーナがどうなろうと知ったことではないのだ。勿論、ワルターもそう考えていると、思われている。所詮、敵国からの生贄。ヘレーナを見る侍女の目は、どこまでも冷たかった。
「いや、すぐに医者を呼んでくれないか?」
ワルターの言葉に、侍女は不思議そうに首を傾げた。
だから、ワルターは歯を食いしばって、嘘を並べる。
「この女は、まだ使える。首の傷が治れば、また閨に上げるつもりだ。まあ、それまで退屈になるしな。できるだけ早く、治させたいのだ」
ようやく合点がいったと言う表情になり、侍女が医者を呼びに走った。
ワルターは、医者が来るまでの間ヘレーナを抱え続けた。
気がついたことがある。
ヘレーナは、今のような扱いを受けていると、遠からず本当に死んでしまう。それを行なっているのが、自分なのだ。ワルターは戦場で多くの命を奪ってきた。それが当然だし、そうしなければ自分がやられる。戦場で命を奪うなど、当たり前だ。
しかし、ここは戦場ではない。
安全な自分の城で、戦う力のない娘をなぶり殺しにしようとしていた。
それは鬼畜の所業だ。
そんな自分を、自分自身が許せそうになかった。