22
挨拶や顔合わせも無事終わり、ワルターは宮殿の奥、王族の住居へと案内された。ヘレーナの自室だった部屋を客室に当てたのだと聞かされた。
ワルターは用意されていたソファに一旦座り、低い天井を見上げた。王族が住まうにはやけに小さな部屋だと思ったが、実は自分が大きすぎるのだと気づく。
「随分手厚い歓迎をしてもらったな」
同行していた兵や侍女達にも豪華な宿が用意されていた。まだ復興の途中だが十分客を受け入れる体制が整えられており、希望者には案内付きの街の視察まで提案された。
ワルターはのんびりと頬杖をついて目の前のヘレーナに目を向ける。
ここは元々ヘレーナの部屋だし、ワルターとヘレーナは夫婦だからか。同じ部屋に二人で通されたのだ。
「すでにアーテルとアルブスは同盟国です。最上級のもてなしを用意されたのだと思います」
ヘレーナの表情も明るい。
「なるほど。では次に黒の国が受け入れる側になれば、同じ以上のもてなしを用意しなければな」
自然とそんな言葉がワルターの口からこぼれた。
「はい。そうですね」
嬉しそうにヘレーナの顔が輝く。
ヘレーナを連れてきてよかった。ワルターがヘレーナの頬に手を伸ばしかけたその時、夕食の誘いが来た。
夕食はワルターとヘレーナが国王夫妻の夕餉に招かれる形となった。その他の者は、大ホールで歓迎の宴が用意されていた。
国王夫妻に向かい合う形で、ヘレーナと並んで席につく。
お互い、背後に護衛のものが数人控えていた。
和やかな食事会とは程遠い、厳粛な雰囲気だ。
ワルターは堅苦しい礼装の首元に手をやり、きちんと着用できている事を確認した。
「末の娘が……、実は眠ってしまってね。礼を欠いてすまない」
物々しい雰囲気を振り払うような、ベルンハルトの柔らかい口調。
「いや。手厚い歓迎、感謝している」
ワルターはこの場の雰囲気に飲まれないよう、普段と変わらない風を装ってスプーンを手にした。
会話が途切れ、場が静まり返る。
「そうそう……」
お互い二口ほどスープを口に運んだあたりで、ベルンハルトが再び口を開いた。
「そちらの国の国境線上にかなりの部隊が控えているようだが、一体何事だね?」
にこやかに、問われる。
ワルターは口に付けた三口目のスープを飲み込んだ。
「かなり前から君たち一行の後を付かず離れずついてきたようだが、私はあの武装した軍隊をどう解釈したら良いのかね?」
柔和な笑顔で、しかし真実を述べるベルンハルト。
そう、真実だ。
ワルター達一行を、武装した黒の軍隊もどきが追いかけてきている。さすがに国境を超える力はないのか、国境線上でこちらを伺っているのだ。
彼らは存在を隠しているつもりなのか、あるいは見つかっても良いと開き直っているのか。当然、ワルターも同行している将軍も、その存在に気づいていた。
だが、国境を超える前から後を追われていた事実が、白の王には分かっていたのかと。ワルターは改めて目の前の人物を評価した。戦場に出ずとも、敵意をむき出しにする大群には敏感なのだろう。
「申し訳ない。国内のゴタゴタが片付いていないのだ。こちらに迷惑をかけないよう、細心の注意を払うつもりだ。勿論、国境を超えないよう、対策は打ってある」
明日まで持てば良い。
こちらが帰りの国境をまたいだ瞬間、取り押さえる算段だ。一つ気がかりなのは、黒の国が白の国を狙っていると誤解されることなのだが……。
「狙われているのは、君か、それともヘレーナか?」
ベルンハルトの言葉に、狙われているのは王夫妻だと彼が確信を持っているのだとわかる。
しかし、迷惑はかけない。あくまで黒の国の問題だと、そう主張したのだが。
ベルンハルトはワルターの言葉をほとんど無視して質問を重ねる。それに、若干、口調が厳しいものへと変わった。だからと言って素直に話をするほど、ワルターは自分を抑えられないわけではない。曖昧にぼかすほうが良いと思った。
「いや、明日、国に戻って適切に処理させてもらう。ご心配、痛み入る」
「ということは、国境近くで? 物騒だな。それに、戦闘にヘレーナが巻き込まれたらと思うと、私は不安だな」
ベルンハルトの強い口調に、その場の空気が凍りつく。
しかし、ワルターはあえて食事を止めることなく、パンをちぎって口に運んだ。
「では、国境付近の戦闘は避けよう。重ねて言うが、こちらのゴタゴタに気を使わせてしまって申し訳なく思っている」
大丈夫だ、これは、ただの国内のゴタゴタの後始末なのだと。
ワルターはベルンハルトを真っ直ぐ見返した。
今度はベルンハルトがパンをちぎって食べて見せ、それまでとは違うにこやかな笑顔を作って口を開いた。
「いやいや。別に戦うなとは言っていない。どうせなら、もっと安全に。そうだな、例えば、この城の闘技場から敵を撃てばいいじゃないか」
ぴくりと、ワルターの頬が痙攣する。
今まで淀みなく進んでいた食事の手が、止まってしまった。
ワルターの様子を見て、ベルンハルトはさらに言葉を重ねる。
「君は私を戦場に出ない王だと思っているはずだ。だがね、実は私はこの城で戦っていたんだよ?」
「この城で……」
ベルンハルトは何を言い出すのだろう?
ワルターは、黙って白の王の言葉を拝聴しようと思った。
「私の力は人を癒すことだ。それは、怪我をした人を見分けると、最初にあった時に説明したね。実は、もっと大きく力を使えば、怪我をしていなくても、あらゆる生命活動を感じることができるんだよ。息遣いも、むき出しの敵意も」
それは……。
白の王の力が、それほどまでとは思わなかった。
確かにワルターは、白の王は戦場に出ない、戦わない王だと思っていたのだ。
「だから、遠くからの敵意も感じることができるよ? しかし、君たちはいつも一緒だから、どちらに向いた敵意かわからないんだ。それだけ、聞きたかったんだ」
君たちと言われ、ワルターはヘレーナを見た。
ヘレーナは観念したようにうなだれる。その様子から、ベルンハルトの語ったことが真実なのだと理解した。
「で、先ほどの話に戻るんだが。どうせなら、こちらは安全な場所にいて、相手を叩くなり捕まえるなりすれば良い。できるか? 黒の王」
ワルターは、奥歯を噛んだ。
できない。
自分の能力は自分が知っている。
思う心の強さを力に変えるだの、気合を上乗せして力を増幅させるだの。奇跡のようなことをワルターは期待しない。単純に、普段通りの自分の力を客観的に評価する。
できないのだ。
黒の力を飛ばすことはできる。
ただ、正確に的に当てることは不可能だ。ワルターの索敵能力はそれほど高くない。黒の城内ほどの広さならそれも可能だが、国境を超えて数日歩くような超長距離を攻撃するなど、できないのだ。だから確実に相手を仕留めるため、こちらも国境を超え近づく必要がある。
戦闘になってしまえば、ヘレーナを守ることくらいはできる。それが、今のワルターの現状だ。
ワルターは目を伏せ、慎重に言葉を選ぶ。
「その言葉に感謝する。俺やヘレーナへの気遣いも嬉しい。しかし、この城から国境を超えて正確に的に当てられない」
それを言ってしまえば、ワルターの能力がこの場に居る者に見透かされてしまう。けれど、言い逃れはできない。ワルターはベルンハルトを信頼し、自分の能力を伝えた。
「的に当てることができない。ふぅん。なら、索敵手をつければ良い。どうせなら、大々的にやれば良いよ。良いパフォーマンスになるだろう。闘技場から的を撃つ演目とでも銘打てば、そちらのゴタゴタを他の者に知られる心配もなかろう」
しかし、ベルンハルトはまったく意見を曲げない。
その上パフォーマンスだ、と。
さすがにワルターは持っていたスプーンをテーブルに戻した。超長距離を索敵するような能力の持ち主を連れてきていないし、そんな能力を持つ者が黒の国にいるのを知らない。しかし、黒の国の恥を晒すようで、これ以上この話をしたくなかった。
「申し訳ないが、こちらにも都合が」
「わかりました」
話を強引に切り上げようとしたところ、ワルターの言葉にヘレーナの声が重なる。
ぎょっとして、ワルターはヘレーナを凝視した。
ヘレーナはいつの間にか自身を守るはずの首輪を外し、それをテーブルに置いていた。
「お父様、お戯れはおやめ下さい。私から、その続きを申し上げます」
決意を込めたように、ヘレーナがベルンハルトをじっと見る。
ベルンハルトは嬉しそうに目を細めた。
「私が索敵を務めます。白の王ベルンハルトから唯一受け継いだ、私の力で」
何が起こっているのか、ワルターには分かりかねた。
ベルンハルトはヘレーナの言葉に納得したようにその話題を切り上げ、食事に戻る。ヘレーナは、気まずそうにワルターを見た。
『詳しくは、後ほど』
ヘレーナの口が小さく動き、それだけを伝えた。
その後、明日の日程調整などを話し合い、食事会は終わろうとしていた。
何やら腑に落ちないことだらけだが、ここで暴れてしまうわけにもいかず、ワルターは無言を貫いていた。
さてデザートを残すのみとなったところで、慌ただしい足音が聞こえてきた。
ずっと笑顔を保っていたベルンハルトが眉をひそめる。
すぐに騒がしい空気はおさまったが、代わりに入り口から身なりを整えた兵士が現れた。兵士はまずワルターやヘレーナに礼をして部屋に入り、ベルンハルトに近づいた。
兵士から耳打ちされて、ベルンハルトの顔がゆがむ。
「如何した?」
ただならぬ雰囲気に、思わず問いただしてしまう。
ワルターの問いに、ベルンハルトが申し訳無さそうな顔を作った。
「いや、非常に言い難いことなのだが……」
それまでの余裕のある態度から一変して、ベルンハルトが何度もため息をつく。
「ああ、その、そちらに預けるもう一人の騎士の件なのだが」
そう言えば、一人遅れていると説明があった。
ワルターはそれがどうしたのかと、首を傾げる。
「いや、ループレヒトと言う気の良い男なのだがなぁ。無理して新しい騎士の鎧を身に着けて……、そのままぎっくり腰になったそうだ。いや、昔一度腰に大怪我を負ったことがあってね。戦闘中ではなく、たしか、家の箪笥を背に担いだ時で……。規律でね、戦闘中でなければ私の力で治療することもできず、以来、腰に爆弾を抱えているようなもので」
だから、何が言いたいのだろう?
それまでの洗練された言葉とは程遠い、言い訳がましいベルンハルトの言葉に、ワルターは焦れはじめた。
「ああ、すまない。ループレヒトが来れなくなってしまったと伝令が。それで、代わりにと、彼の甥を寄越したわけだ……。入り給え、シュテフォン」
呼ばれて、現れたのは、見た目も美しい青年だった。