21
大所帯の一行は、休憩を取りながらゆっくりと進んだ。
目指すは白の国アルブス。
二度目の会談は、白の国で行われることになっていた。大所帯であること、ゲオルグ達の引渡しなどがその理由である。
最後の休憩所、国境のキャンプで、ワルターはヘレーナの手を握りしめて警備兵のねぎらいにまわっていた。
何も今に始まったことではなく、この旅行中ワルターはできる限りヘレーナの手を引き色々なところを歩いた。最初は戸惑っていた兵たちも、今ではそれを当たり前の風景として受け入れている。いや、得意気にヘレーナの手を握るワルターに、何もそんなに見せつけなくともと言うような少しばかり生暖かい視線を向けてしまう者も居るのだが……。ともあれ、国王夫妻は仲睦まじく、特にワルター王はヘレーナを片時も離したくないのだなという共通認識が生まれていた。
ワルターの行いは、白の国へ入っても変わらなかった。
入国の審査を受ける時にもヘレーナの手を離さない。ワルターの隣で赤くなったり俯いたり目が泳いだりと落ち着かなかったヘレーナは、ついにワルターに抗議の声を上げた。
「ワ、ワルター様。どうか、手を……、一旦離していただけないでしょうか……?」
段々声が小さくなるヘレーナをワルターは真っ直ぐ見つめた。
「嫌か?」
「……え?」
「俺にこうされるのは、嫌か?」
嫌だと言わないで欲しい。ヘレーナを白の国へ連れてくると決まって、ワルターは不安だった。もし、白の国の中でヘレーナが帰りたくないと言ったなら。もし、白の王に今までのワルターの暴言をヘレーナが訴えたなら。ヘレーナは白の国へ帰ってしまうのかもしれない。実際には、ワルターとヘレーナの婚姻が終戦の約束なのだから、それを反古にするわけはないと思う。けれど、ワルターはどうしても不安で、少しの間でもヘレーナを一人にしたくなかった。
「いえ、嫌では……、ないのですが」
「そうか。良かった」
ワルターは有無を言わせぬほどしっかりとヘレーナの手を握り直した。
出来れば、この旅行中にもっと親密になりたいとも思っていた。
到着したワルター達を、白の王ベルンハルト自らが出迎えてくれた。
「遠いところを来てくれてありがとう。城下町の復興はまだ途中なのだが、城内は幾分かマシだ。今宵はゆるりと休まれて欲しい」
会談は明日の予定だった。
にこやかに微笑むベルンハルトに礼を返し、ワルターはちらりとヘレーナを見た。
ヘレーナはじっと、父であるベルンハルトを見ている。挨拶が終わっても、微動だにしない。
本当は、飛び込んでいきたのではないのだろうか?
ワルターはそう考え、ようやくヘレーナの手を離した。
はっとして、ヘレーナがワルターを見上げる。ワルターはヘレーナの気持ちを押すように、軽くヘレーナの背に手を添えた。
「お久しぶりです、ベルンハルト王」
「変わりないようで嬉しい。久しぶりだねヘレーナ妃」
ヘレーナとベルンハルトは形式的な挨拶を交わし、お互い微笑んだ。
それだけだった。
ヘレーナがすぐにでもベルンハルトに飛び込んでいくかもしれないと恐れていたワルターは拍子抜けする。
「それより、こちらで引き受ける方達にも面会をしたいのだが」
ベルンハルトの言葉にワルターの表情が引き締まる。すでに、彼らが罪人であることは知らせてあった。人間として扱うのなら、どんな過酷な労働でも黒の国からは決して抗議しないとも。
すぐにワルターの指示でゲオルグ達が連れられてくる。手首、首元、片足にそれぞれ皮で作られた装飾品をはめられている。
それに気が付き、ベルンハルトは目を細めた。
「白の国のような繊細なものではないが、黒の力を抑える枷だ」
ワルターはベルンハルトにその意味を伝える。
「勿論、この国で戦わないよう教育してある。だが、生来の黒の力をなくすことはできない。無用なトラブルを避けるため、処置させてもらった」
「……。どれも、鍵が付いているようだね」
ベルンハルトの指摘を受け、ワルターは懐から鍵の束を取り出した。
「鍵はベルンハルト王に預ける。もし、彼らが貴方の信用を得ることができたなら、どうか外してやって欲しい」
生来の黒の力は、その者の一部だ。それが全て抑えられては、身体にかなりの負担がかかる。
ベルンハルトは鍵束を受け取ると迷いなくゲオルグ達へ近づいた。
止める間もなく、枷に鍵を差し込む。
「君の名は?」
「……、ゲ、ゲオルグです」
ゲオルグの声と、パサリと枷が床に落ちる音が重なる。
呆然と立ち尽くすゲオルグを置いて、ベルンハルトはその隣りのヨハンの枷も外しにかかった。
その場に居た者全員が、黙ってベルンハルトの行動を見ていた。
ワルターは勿論、ベルンハルトの護衛の騎士も、ヘレーナでさえ呆気にとられ言葉が出ない。
「白の国へようこそ。先程も話したのだが、城下町の復旧が手間取っていてね。君たちに期待しているよ」
「……、恐れながら、何故私達の枷を……?」
よほど怖いものを見ていると言うような表情で、ゲオルグが恐る恐る口を開けた。
「ああ。君たちのことはヘレーナが決めたと聞いてね。わざわざ親書にヘレーナ直筆の書簡も同封されていたよ。私は娘を絶対的に信頼している。ヘレーナが言うのだから、君たちはきっとこの国の役に立ってくれるのだろう?」
そう言われて、いいえ役に立ちませんなど、言う者はいない。
ゲオルグは深々と頭を下げ、緊張した声を上げた。
「勿論でございます。誠心誠意、働きます」
その様子を、ヘレーナはまた黙ってじっと見つめていた。だが、その瞳は少し潤んでいる。
父から信頼されているということが、嬉しいのだと思う。
ワルターはそんな親子の在り方を見せつけられ、胸が熱くなった。あのような親からの信頼が欲しかった。言葉で表して欲しかった。それを思うと、胸が締め付けられるようだった。ワルターには、息子は駒だと言う父の言葉しか思い出にない。
少しだけ、羨ましいとも思う。
だが同時に、大切なことをその場で即決してしまうのは似たもの親子だとも思った。
「では、君たちも今宵はよく休んでくれ。後で食事も用意させよう。部屋まで案内させる」
ベルンハルトは周囲の戸惑う視線などまったくお構いなしに、案内役を手招きする。
現れたのは、小柄な侍女だった。
「あの、どうぞ、こちらです……」
侍女は控えめに声をかけ、ゲオルグ達を見上げた。黒の国の者は総じて大柄だ。その中で兵をしていたのだから、ヨハンもフランツもマルクもパウルもゲオルグも、皆がっしりとした体格だ。
自分たちを案内するのが小さな侍女だと知って、ゲオルグ達は戸惑ったように顔を見合わせる。なにせ、黒の国では屈強な兵士にずっと抑えこまれていたのだ。それを、手を伸ばせば一瞬で命を奪ってしまえるような小さな侍女が自分たちの案内を?
嬉しさよりも、変に裏を読んでしまい不安になる。
それは、ワルターも同じ事だった。
何故、あんな小さな女を案内役にあてがうのか。あれなら、ちょっと物陰に引きずり込んでしまいさえすれば、身体を奪うのも命を奪うのも一瞬だと思う。
いや、と。
ワルターは小さく首を振ってベルンハルトを盗み見た。
それが、見極めの手段なのだ。ゲオルグ達が本当に白の国で害にならないか。ワルターは信頼出来る者たちを連れてきたのか。枷は外したけれど、今から、ゲオルグ達の見極めが始まるのだ。
しかし、当のゲオルグ達はぽかんとだらしなく口を開いたまま、侍女の後にくっついて行ってしまった。
(アイツら……、本当に大丈夫なんだろうな……?)
その間抜けな顔を見て、ワルターはやや不安になった。白の国で揉め事を起こされては困るが、それ以上に黒の国の者は使えないと言われるのはごめんだった。
「ところで、そちらの国へ派遣する騎士達も紹介したいのだが、いかがか」
ベルンハルトの声に、はっと緊張を取り戻す。
「是非お願いしたい」
そのやり取りを聞いて、ヘレーナの後ろに控えているユリアがそわそわとし始めた。ヘレーナでさえ、もじもじと指を動かしている。
やがて、カツンカツンと騎士の靴音が近づき、ベルンハルトの後ろでピタリと止まった。
「お初にお目にかかります。白の国騎士団所属のカールでございます」
「同じく、フランツです」
落ち着いた声が廊下に響く。
二人共、白の国の者にしては大柄で、がっしりとしていた。カールは顎に白い髭を蓄え、年齢を重ねた歴戦の勇者といった風貌だ。フランツは少し背を丸め、皺だらけの顔から鋭い眼光が光る。こちらは、剣士と言うよりも魔術師と言ったほうが適切か。
「カールは私の従兄弟に当たる。フランツは私の姉の婿の弟だ。二人共、ヘレーナを小さな頃からよく知る人物だ」
ベルンハルトの紹介の言葉に、二人は深々と頭を下げた。
「実は、もう一人居るのだが……、遅れていましてな。申し訳ない。奴も腰の具合が悪いと常々嘆いて追ったからの~。いや、わしらの中では一番若いのに、難儀な奴じゃ」
紹介が終わると、カールは多少砕けた口調でにこやかにワルターへ近づいてきた。
そのまま、差し出された手を握り返す。
「これからよろしくお願いしますぞ、黒の王。我らが見守ってきた姫君に、再び仕える機会を与えて下さったこと、感謝いたします」
「こちらこそ、よろしく頼む。ヘレーナをよく守ってやってくれ」
ガッチリと握手を交わし、ワルターは満足気に笑顔を見せた。
ちらりと目の端でユリアを盗み見る。
美麗の騎士を想像していたであろうユリアは……、ショックで顔の輪郭がグニャグニャに曲がってしまったような引きつった表情で、ふらふらとその場で揺れていた。
(……、勝った!!)
ワルターは必要のない勝利を確信する。
ヘレーナの護衛を迎えるにあたって提示した条件は二つ。ヘレーナと30以上歳が離れていること。すでに子を成せない体であること。
王妃の近くに仕える男性に求める条件として、何一つ間違っていない。
これでヘレーナを誘惑するような男が近くに来ることはなくなったと、ワルターは少しばかりの安堵の溜息を密かに漏らした。