17
部屋に帰ると、着替えもせずにヘレーナを呼んだ。
ヘレーナの髪をとかしていたユリアが何か言いたげだったが、強引にヘレーナを一人だけ部屋に入れる。
「お帰りさないませ」
「ああ」
まだ夕日が明るい。
今日のヘレーナは白のドレスを着ていた。窓から差し込む夕日の色に、ドレスが染まる。
先ほど庭園で散歩する姿を見かけたが、今日はまだ一度もヘレーナに触れていない。ワルターは気の急く思いでヘレーナに近づいた。
「今日は何をしていた?」
意味のない問いかけだ。
「庭園を見学させていただきました」
見ていたから知っているし、そもそも別行動をしていてもヘレーナの行いは全てワルターに報告されるようになっている。
「キスをしても良いか?」
脈絡のない、突然の問いかけ。
ヘレーナはぱっと頬を染めて、無言で頷いた。
けれど、ヘレーナはワルターの行いを拒むことはない。知っていて、なお問いかける。
ワルターは軽く唇に触れるだけのキスをすると、すぐに身体を離した。
自分の行いに後ろ暗い思いを抱え、なんとなく視線を逸らしてしまう。
「カタリーナのことだが」
「……はい」
話題を探したが、この話題だけは避けて通れない。
「幽閉が決まった。おそらく、生涯あの塔で過ごすことになる。……、襲われたお前には不服だろうが、これ以上カタリーナを支持する臣下を刺激したくない。あいつは、あれで豪快な部分が臣下ウケが良い」
王族を襲った者の罰にしては軽すぎる。
(自分を襲ったカタリーナをそんな風にしか裁けない俺をどう思っただろう)
ワルターはヘレーナに顔を向けることができなかった。
守るといっておきながら、力のない自分が嫌だった。
「兵達はどうなりましたか?」
はっと振り向く。
ヘレーナはとても心配そうに、ワルターを見ている。
「何故お前がそれほどあいつを気にする? まさか、一目見て気に入ったというのか?」
まさか、と思いながらも、ヘレーナが青年の頭を撫でていた様子を思い出す。
身体中の急所を短剣で抉られた思いがした。
「いえ。約束をしましたから」
そう言えば、青年も約束を気にしていた!!
ワルターとは、そんな大切な約束をしたことがないというのに!!
「だったら、何だと言う?」
「あの、出来れば一度話を聞きたいと……」
おずおずととんでもないことを言い始めたヘレーナを、ワルターは乱暴に抱き寄せた。
バランスを崩したヘレーナが、すっぽりとワルターの胸に収まる。
お前は俺のものだ。
ワルターは苛立つ思いをヘレーナにぶつける。
この国で、未来永劫、お前にこんな事ができるのは俺だけだ。
自分の所有権を刻みこむように、ヘレーナに何度も吸い付き印を付けた。
けれど。
戸惑うような表情を浮かべ、されるがままのヘレーナを見ていると、いたたまれなくなる。
とても不安定だと思う。
「すまない……」
行為が終わって、蚊の鳴くような声でようやく非礼を詫びる。
自分でも笑ってしまうほど、か弱い声だった。
ワルターが何を謝ったのか、ヘレーナは分からない顔をした。
「辛くはないか?」
ヘレーナの髪をゆっくりと撫でながら、ワルターは問いかける。
「いいえ、辛くはありません」
それが、辛いと弱音を吐けない立場のヘレーナの言葉だったとしても、少しだけほっとした。
「話が途中だったな? あいつと話とは、どういうつもりだ?」
流れた汗を拭いながら、ワルターは話を再開する。
あの青年のことを考えただけでもイライラしたが、ヘレーナの言葉を遮ってしまった罪悪感はあった。
「はい。実は、どうにかして彼らを白の国へ連れてはいけませんか?」
「え……」
突飛もない提案に、さすがに言葉をなくす。
「勿論、突然白の国に行くには覚悟が必要です。少しでも、納得してくれるのならと、お話がしたかったのです」
「いや、白の国に、あいつらを連れて行くのか?」
何故、突然そんな事を……?
まさか、白の国で拷問にかけると?
真っ先に、敵対国だった所で酷い拷問にかけられる兵たちを思い浮かべてしまう。
「はい。例えば、次の会談の警備兵としてなど……、どうでしょうか?」
どうでしょうかと言われても。
ワルターははっきりと首を横に振った。
「一度反逆者として捕まった者を、重要な任務に復帰させる訳にはいかない。それでは、臣下に示しがつかない」
むしろ、王を襲った賊をまだ放置しているのかと、せっつかれている状態だ。
「そうですか……では、警備としてではなく、アルブス城内の働き手としてはいかがでしょうか?」
「何故? 白の国に連れて行って、あいつらをどうしようと?」
「それは……あの、アルブスでお嫁さんが見つかると、いいなと思ったのです」
ヘレーナの語ったことは、ワルターにはあまりに突然過ぎてついていけなかった。
とりあえず、拷問ではなかったようだと思った。
「ええと……、嫁?」
「はい。アルブスの城内でいろんな女性と知り合って、それで、もし良い人がいればと」
お前は何を言っているのだ。
ワルターは、自分が今一体どんな表情をしているのか、不安になってきた。
話が飛びすぎていて、何がなんだかさっぱりわからない。
「だいたい、働き手とは一体何をさせるつもりで? 元々、敵対していた兵だぞ?」
城内の感情もあるだろう。
酷い扱いを受けるかもしれない。
この城に来た当初のヘレーナのように……。
ワルターは苦い汁を吸わされた時のように顔を歪めた。
「重い資材を運んでくださる方がいれば良いなと、思ったのです。白の国の兵も力はありましたが、アーテルの方にはとてもかないません。今はあちらの城下も復興の真っ最中です。きっと、役に立ってくれると」
けれど、ヘレーナは必死に訴える。
「で、何故その役目があいつらなんだ?」
もし人材が必要なら、正式にこちらから兵を貸せば良い。
ワルターはよく喋るヘレーナを見ながらも、随分戸惑った。
「あの。皆さん、独身だと。そして、結婚のご予定がない、と」
確かに。
ヘレーナに不満を持っている兵は、揃って独身だ。許嫁もおらずコネもない。おそらく、このまま行けば結婚ができないものばかり。この国にずっといるのなら、結婚ができないものばかり。
だからと言って、白の国の者と?
ワルターには考えもつかなかったことだ。思わず、無言になってしまった。
ヘレーナは、なお訴える。
「無理矢理白の国の者を嫁がせるより、好き合って結婚するのが良いように思ったのです」
好き合って結婚するのが良い。
その言葉だけが飛び抜けてワルターの胸に響いた。
「お前は、その方が良かったか?」
「……え?」
「好き合って結婚したかったのかと、聞いている」
無理矢理嫁がされたのは、お前だ。
それを、好き合って結婚するほうが良いと言うのか。
また脈絡のない話の振り方をしてしまった。今は、賊の処遇の話をしていたはずなのに。ワルターはヘレーナに聞かずにはおれなかった。
「私は……。あくまで一般論として、その方が良いかとは思います」
含みをもたせた答に、イライラする。
ワルターはカタリーナの言葉を思い出した。
『兄様、あの女を愛しているとでも言うおつもり?』
小馬鹿にしたような、絶対にそうではないでしょうというような、カタリーナの顔。
だが。
だが、ワルターは、あの問いかけに答えることができなかった。
少なくとも、愛してなどいないと、断言できなかったのだ。
では、ワルターはヘレーナを愛しているのか?
分からない。
父は自分に愛しい表情をくれなかった。母は自分を産んですぐに亡くなったと聞かされていた。臣下は敬いこそすれ愛をささやいてはくれなかった。優しくしてくれたが、愛をくれる者はいなかった。
ワルターは、だから愛するということが、よく分からない。
ただ、もしヘレーナが好き合って結婚したいというのなら。
ワルターは、ヘレーナを好きだと思う。
「お前は、俺を好きになることができると思うのか?」
ワルターの言葉を聞いて、ヘレーナは驚いたように目を見開いた。
つまり、驚くほど思ってもみなかったことだと。
分かっては居たが、自分がおそらくまったく好かれていないであろうことに、ワルターは心底がっかりした。