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「お前にかける情けは何もない。お前の一族が、どれほど我が民を苦しめたか……! それを、白の民を俺のそばに置くなど、はっきり言って不愉快極まりない。必要な時以外は俺の目の端にも映るな。鬱陶しいからしゃべるな。城の皆に迷惑をかけるな」
ワルターがヘレーナにかけた最初の言葉だ。
両国の和解を大々的に発表し、ワルターとヘレーナの婚姻の儀式をとり行い、二人はワルターの寝室で向かい合っていた。
ヘレーナは、ワルターの言葉にかすかに頷いた。首に付けた飾りを握り締める指先が震えている。その首飾りに、ワルターは初めて気がついた。
「なんだ、それは? アーテルのものではないな。外せ」
和解を発表したとはいえ、今はまだチリひとつでも敵国のものが入るのは嫌だった。
しかし、ヘレーナは今度は首を横にしっかりと振る。
「これは、外せません」
「何だと?」
あまりにしっかりとした反抗に、ワルターの機嫌がぐんと悪くなる。王同士の取り決めの意思のままに、嫁に来たヘレーナ。だから、彼女は操り人形なのだと思っていた。それがはっきりと意思を示し、驚きもあった。
「黒の瘴気が広がるこちらは、私には毒なのです。これは、私の癒しの力を障壁にする大切な道具ですので」
「は……。大切な白の姫様には、下賎な城の空気を吸えないと仰りたいか」
不愉快そうに嫌味を口にするワルターに、ヘレーナが慌てて言葉を付け足そうとした。
「いえ、そういう事では……! あくまで、私の身体が順応できず……」
「御託はいい。どうせ、今からたっぷりお前の嫌う黒を受け入れてもらうんだからな? さっさと服を脱いで足を広げろ」
夫婦の閨だからとて、優しく扱う必要はない。
ワルターは痛みに首を振るヘレーナに容赦なく襲いかかった。ただ、壊れてしまっては困るので、あまり無茶はできない。そんな程度に、ヘレーナを扱った。
こうして、ワルターはヘレーナを黒の城に受け入れた。
終戦協定が結ばれたとはいえ、やることは山積みだった。主に、戦後処理と復興への計画。目を通さなければならない資料の山。承認の必要な書類の数々。城の体勢の立て直しはもとより、庶民の暮らしを早く回復させたかったのだ。
ワルターは、不眠不休で仕事に明け暮れていた。
たまに空き時間があれば、体力の回復を一番に考え眠った。
稀に寝室で眠れることがある。その時だけ、ヘレーナを呼び出した。
それ以外の時間、ヘレーナがどう過ごしているのかは、まったく分からなかったし興味もなかった。
そんな生活に、最初に異を唱えたのは近衛兵隊長のルーカスだった。
「城の風紀が乱れております。王、どうか対策を」
「……、はぁ?」
最初は、何を言われたのかまったく分からなかった。
よくよく話を聞けば、ヘレーナが随分と酷く扱われているということだ。
「経緯はどうあれ、王妃は王の次に位の高い方になります。それを、水を浴びせたり石を投げたりと、幼稚な事を許しては問題でしょう」
「あいつが、俺の次に位が高いだと? あれは、白の一族だぞ?! それに、城の者からどう扱われようが、俺の知ったことではないし、俺が何の対策を打てると言う?」
そんな事よりも、商人たちがアルブスとの通商許可を申請してきている。ヘレーナのことなど、構っていられないのが現状だ。
「あなたの王妃に対する態度が城の者に伝わっているのです。それで、皆も妃の扱いを決めている。少しでも妃に心を向けていただく事が必要かと」
「どうした? あの女が気に入ったのか? 抱かせてやってもいいぞ。どうせ、俺が飽きたら適当に兵舎にでも放り込もうかと思っていたところだ」
突然あてがわれた妻の存在。自分に従順だけれども、それは逆に言えば逆らう意思すらもないということ。決して心を開かないヘレーナ。彼女のことを指摘されると、何故か心のどこかが泡立つのを感じた。
ワルターの言い様に、ルーカスが首を振る。
「私は妻を愛しておりますので。それと陛下、冗談でもその様なことを他の者におっしゃらないで下さい」
今以上にややこしいことになりかねない。
ワルターは、ルーカスの意思は理解した、と首をすくめた。
しかし、だからと言って、どうしろというのか。
白の一族は憎まなければならない。それが、父から受けた最初の命令だ。今の自分の根源とも言って良い。それを今更覆せるのか。表面上だけでも、穏やかな夫婦を演じるか?
いや。
それはできない。
ワルターは自嘲気味に笑った。
ヘレーナを操り人形だとあざ笑ったが、結局自分とて今はもういない父王の操り人形なのだ。
ああ、そうかとワルターは納得する。父の操り人形が、父に逆らえない様を見せつけられるのがたまらなく嫌なのだ。
だから、ワルターはきっとヘレーナが気に入らないのだと。