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幕間。ヘレーナ1

ヘレーナ視点。話が少し戻ります。

 父が泣くのを初めて知った。

 それは、父が終戦を模索し始め、黒の国に親書を送り、はじめての会合が開かれる三日前の夜だった。

 何故かその日夜に目が覚めてしまい、ふらふらと宮殿を散歩していた。

 月を見ながらヒンヤリとした廊下を歩くのは気持ちが良くて、つい両親の寝室にまで足が伸びたのだ。

 そこで、むせび泣く声を聞いてしまった。

 はじめは気のせいかとも思ったけれど、どうにも気になって扉に耳を近づけた。宮殿内でも私達家族の居住場所は入り口こそ警備兵がいるが、各々の部屋の前には見張りもいない。部屋の中の話を聞くことは容易いのだ。

「やはり……終戦の条件にお互い王族の婚姻を出してくるかもしれない」

 はっきりと聞こえた父の声に身がすくみあがった。

「黒の一族は非情だ……、しかし、私は終戦を求めて……。ああ、ああ、分かっている……! けれど、相手の国には姫はおらず……、ヘレーナが……」

 時折母の声に頷きながら、父は涙のまじる声ではっきりと私の名を口にした。

 やはり。

 そう思う気持ちはあったけれど、それでも、口の中に苦いものがこみ上げてきた。

 終戦を求めていた時から分かっていたことだ。相手の王族は若き王しかおらず、こちらの国にはちょうど年齢の合う私が居る。けれど、父はその時まで私に何も言わなかった。議会でその話題が出ても、強引にねじ伏せていたと後から聞いた。

 父は私を最後まで手放さぬよう画策し、私は私のためにむせび泣く父を知って自ら黒の王に嫁ぐと志願した。


 混濁する意識の中で、父の泣く声を思い出す。

 私の癒しの力は弱い。黒の国の瘴気に当てられ、私の身体は徐々に衰えている。父の力は妹が受け継いでいた。それを考えても、私がこの国へ嫁ぐのが一番良かったのだ。

 重い腕を持ち上げ、首飾りを触る。

 ワルター王により一度は引きちぎられた首飾りだけれど、これを触っていると父の優しさに包まれている気がした。

 ただし、効果は落ちている。

 仕方がないとはいえ、一度引きちぎられた首飾りは、障壁を作り出せる機能を一部失っていた。少しずつ、私の癒しの力が外に漏れ始めている。食事を十分に食べられるようになり、純粋な体の機能は回復したとはいえ、身体は重かった。

 それに、今は自分で引き裂いた首の傷を再生させなければならない。表面の皮膚だけはすぐに力を使って再生したが、傷の根の深い部分は少しずつ癒していかなくてはならなかった。私の癒しの力は弱く、父のように一瞬で癒すことなど到底不可能なのだから。

 父のくれた首飾りに手を這わし、これが引きちぎられた日を思い出す。

 王に首飾りを取り上げられ、正気を失ってしまった。ただ苦しくて、首が苦しくて、自分の首を何度も掻きむしった。

 記憶はある。

 首飾りを取り上げられ、それはすぐに始まった。障壁がなくなり、私は息ができなくなったのだ。あまりに単純な、死と言う言葉が、真っ暗になった眼の奥に広がった。

 次に気がついたのは、首飾りが自分の首に戻った時だ。

 呼吸もままならず、頭は真っ白で目の前は真っ暗。けれど、ふと名前を呼ばれた気がして、目を開く。そこには、今まで見たこともないようなワルター王の顔があって……。不思議と、その表情……、焦りと不安のような表情だけが一枚の写真のように脳裏に焼き付いた。それだけ確認して、私は意識を手放したのだったか。

 私は、父のくれた首飾りがなければ黒の瘴気を振り払う力さえ持たない、弱い白の王族だ。私は、父を継ぐ力もなかった。嫌な劣等感だけが、身体に染みこんでいった。


 また、意識が沈んでいく。

 脳裏に浮かぶのは、この国に来てから最初の頃の出来事だ。

「お前にかける情けは何もない。お前の一族が、どれほど我が民を苦しめたか……! それを、白の民を俺のそばに置くなど、はっきり言って不愉快極まりない。必要な時以外は俺の目の端にも映るな。鬱陶しいからしゃべるな。城の皆に迷惑をかけるな」

 ワルター王の言葉は辛辣で、予想していたとはいえ私は黙りこむほかなかった。

 白の一族の戦い方は、非情ではなく非道。

 誰だって、知っていることだ。

 私達の癒しの力を極限まで高め、相手の治癒能力を恐ろしく引き上げる。すると、傷を負ってもいないのに身体が勝手に再生を始め、やがて身体を蝕む。奇形を引き起こしたり、立っていられなくなったり、それが続くと次第に精神を病み……、黒の一族は同士討ちをはじめるのだ。自分達は手を汚さず、同士討ちで負傷を誘い、精神を病ませ戦線を離脱させる。

 力のない癒しの一族が、自分達を守るために必死だったのだ。

 いや、それは結局、自分達のための言い訳にしかならない。

 現に、ずっと戦場でその有様を見てきたワルター王は、私に真っ直ぐ憎悪を向けてきたのだから。

 黒の一族だって、私達の仲間を殺してきたじゃないか。

 私は自分に言い聞かせるように心の中でつぶやき、必死に自分を保つ。

 通された牢獄のような部屋を見ても、それが当然と受け入れるしかなかった。

 けれど、私は侍女達の瞳になにか違う光が宿っているとも思う。


 ある日のことだ。

「王妃様、衣装を洗濯いたしますので」

 何度目かの侍女の言葉に、私は黙って従う。この洗濯から、私の服が返ってきたことはない。単純な侍女の嫌がらせだと思い口を出さずに来たが、その日の侍女は年若く何故か震えていた。

 私は、最初自分が怖がられているのかとも思ったけれど、表情を出す侍女に興味が湧いて話しかけてしまった。

「そう、いつ返ってきますか?」

「あ……! そ、それは、その……、申し訳ございません」

 消え去りそうな声に、違和感を感じる。嫌がらせをしている相手に見せる表情ではないのだ。

「……、それは、どなたと相談されましたか?」

「っ……。あの、あの……、どうか許してください……!」

 真っ青になって、侍女は首を振る。

 そうか、と、合点がいった。私の衣装を取り上げるため、誰かが侍女に命令しているのだと。

「ごめんなさいね。余計なことを言ってしまいました。さあ、持って行って」

「はい」

 私が話を終わらせると、侍女はほっと安堵の溜息を漏らし、ぱたぱたと走って行った。

 私の衣装を奪うことに罪悪感を感じているのだ。嬉々として嫌がらせをしているわけではない。それに気づくと、私は少しだけ、自分の境遇について考えを改めた。


 衣装を奪っているのは、ワルター王なのか?

 ずっとそれが心の中にのしかかっていた。ワルター王は、思ったことを直ぐに口に出す。私に辛辣な言葉を投げかけた時には嫌がる私を無理矢理犯した。しかし、私が倒れてからは首飾りを引きちぎったことを謝罪し、これからは乱暴にはしないとおっしゃった。そしてそれは今でも守られており、ワルター王は夜にだけ非情に優しく私に接する。

 だから、私は王が衣装を奪い取るような嫌がらせを主導しているようには見えなかった。

 ただし、確証はない。

 昼間は私のことなど無視しているし、たまに口を開けばとんでもないことを言い出す。私に侍女の服を着せると言い始めた時には、本当に消えてしまいたかった。王族の私が侍女の衣装で王にかしずくなど……。

 けれど、侍女の衣装を見世物だと指摘されると、普通のドレスを私に寄越すようになった。実は、侍女の衣装については、他からどう見られるのかまったく考えていなかったのかもしれない。そう思えるようにさえなった。

 では、何故侍女の衣装などと言い出したのか。

 まさか、私を下着姿で外に出すまいと考えて……?

 いや、それはない。私は浮かびかけた考えを即座に否定した。

 王は私を憎んでいる。

 時折見せる厳しい表情がそれを如実に物語っているではないか。

 結局、この件で分かったことは、王が衣装を私から取り上げているわけではない、ということだった。衣装の取り上げを先導していたなら、私のワードローブから衣装がなくなっていることを責めはしないだろう。


 また意識が沈んでいく。

 誰かが私の髪を撫でているような気がする。

 ……温かい。

 重かった身体に、次第に力がみなぎってくる。

「……ナ、ヘレーナ?」

 名前を呼ばれ、とたんに覚醒した。

「おはようございます」

 身を起こすと、ワルター王が背を向けて立っていた。

 挨拶は返ってこなかった。最初に、無駄な口を利くなと命じられたことを思い出す。挨拶も、無駄口に入るのか。

 私が起きたことを確認したワルター王は無言で歩き始めた。どんなに優しい夜を過ごしても、朝になれば私の存在が疎ましくなるのだろう。

 しかし、私を荷物持ちに指定した手前、放り出すことができない様子だ。王は毎朝私を伴って朝食に出かける。

 私は慌てて立ち上がり、身なりを整えた。

 不思議な事だが、上手く障壁を作れなくなった私は、ワルター王が近くにいる時だけ身体が軽くなる。

 おそらく、強すぎる王の力が、瘴気を遠ざけているのだろうか?

 しかし、確証はない。考えこむ時間がないと思い、思考を切り替える。

 今の私には、もっと他に、考えたいことがある。

 それは、もうすぐ予定されている白の国との会談の事だ。

 父に会える……!

 ワルター王が、私の同行を昨夜許して下さったのだ。

 大きくて、皆に優しく、偉大な父。

 私を大切に思ってくださっていた、大好きな父に。

 それを思うと、心が弾んだ。

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