10
午後からの議会に、ワルターはヘレーナを伴って現れた。
議会場の入り口で将軍と二三言葉をかわし席に向かう。王座の隣に豪華な椅子が一つ用意されており、ワルターはヘレーナの手を引いてそこへ座らせた。
ヘレーナは、以前のような侍女の服ではなく、きちんとしたドレスを身にまとっている。
白の国との会談以前とは明らかに違うヘレーナの待遇に、参加した議員や大臣達は戸惑っていた。
議会の開始を宣言しようとしたワルターにいち早く待ったの声をかけたのは、建築方の総司令カタリーナだった。
「ワルター兄様。この会議は議事録に王が署名する公式なものです。当然、国の重要な決定事項がいくつもなされます」
「それがどうかしたか?」
カタリーナはワルターとかなり近い血族であり、国の政に深く関わってきた重要な人物だ。ここで口論を続けることで議会の開始が遅れるなど、誰も指摘できるはずもない。王族同士の会話に誰も口を出すこともなく、議会の参加者はただ成り行きを見守っていた。
「お分かりになりませんか? その女をつまみ出してくださいと言っています。見るのも嫌ですわ。憎い白の国の女です。その女を迎え入れるために、我が国がどれほどの大金を差し出したか……」
終戦協定を締結するにあたり、白の国はヘレーナを黒の国は大金をそれぞれ相手に差し出したのだ。
はあ、と大きくため息を付き、カタリーナはさらに大声を張り上げた。
「言わば、その女は我が国が大金で買ってやった売女です。そんな女をこの議会場へ入れるなど……」
「黙れ」
カタリーナの言葉を、それ以上に大きな声でワルターは遮った。
「ヘレーナは俺の妻であり、我が国の王妃だ。王の次に位の高い彼女を、この席に座らせないでどうすると? お前のその言い草は、これ以降不敬罪の審議にかけるぞ」
「なっ……!」
意見を真っ向から否定され、カタリーナはわなわなと肩を震わせた。
「黙るのはあなたの方です、ワルター兄。先王のお言葉をお忘れになりましたか? 白の国を憎み、根絶やしにと、命令されてきたはずです。先王の命令は絶対。その命令を破ると? 先王の駒であったあなたが?」
駒と言い切られ、ワルターは口の中に苦いものが広がる気がした。
ああそうだ。ワルターは父に、白の国を憎んで戦えと命令されてきた。お前は戦いの駒だと皆の前で公言されてきた。その呪縛はもう無効だと、頭では分かっているけれど、正面から事実を指摘されると言葉に詰まる。
言葉をなくしたワルターを見て余裕が出たのか、カタリーナはようやく笑みを浮かべてヘレーナを睨みつけた。
「ねえ、あなた。察してくださらない? ここは、あなたのような女が居ていい場所ではないの。ワルター兄があなたに何を言ったかは分からないけれど、この議会は国の政の中心で、支えてきたのは私達王族。だって、兄様は戦いの駒であった、戦いの王。この議会で、兄様の本領は発揮できない。それに、戦いに特化した王の兄様に国の政ができるはずもない。だから、私がいるの。私は、兄様とは逆に、国の政に特化して教育を受けてきたわ」
カタリーナは雄弁にしゃべり続ける。
「ね? 戦いの兄様と政の私。二人揃って、ようやくこの国が成り立つの。あなたもそう思うでしょう? いいわ、発言を許します。出ていくと、今すぐ宣言なさい」
カタリーナの棘のある物言いに、誰もが固唾をのみ黙り込んだ。
「そう、ワルター様は駒と言われていらしたのですね?」
ワルターがカタリーナを諌めようと腰を浮かせたその時、はじめてヘレーナが口を開いた。
怒鳴りつけるような大声のカタリーナとは対照的な静かな声。
いつもワルターの後ろに控えて居るだけのヘレーナの声を、はじめて聞く者も多かった。
「だから、そうだと言っているでしょう? 兄様は、ただ戦っていればそれだけで……」
「では、ワルター様は、先王の絶対の信頼を得ていたと、言うことです」
自分の言葉を遮られ、カタリーナは明らかに不機嫌な表情を浮かべる。
「何を言っているの?」
「戦争中に、完璧に事を成し遂げるのはとても難しい。だから、王の意を完全に再現できるはずの駒は、ワルター様ただお一人だったのでは? それは、すなわち、絶対の信頼です」
「何を言い出すのかと思えば! 駒よ? 自分の子供を指す言葉ではないわ!!」
「ですから、唯一信頼を置かれたご自身の息子ワルター様にこそ、その呼称を与えられたと思います」
それは、単なる詭弁だったのかもしれない。
当事者でなければ本当のところは何もわからない事だった。
けれど、議会に参加していた者は、神妙にヘレーナの言葉を聞いている。
当のワルターさえも、その言葉に聞き惚れていた。今までずっと自分の傷となっていた事柄を優しく包み込み、背中を押されたような気持ちがしていた。
「は。今になっては、何とでも言えることですわ。それに、兄様が政を苦手としているのは事実。そんな兄様の決定を、私は認めません。……、それに、あなた。何を勘違いしていらっしゃるの? あなたは、兄様を始めとする、黒の一族からの復讐を受けるだけの存在としてここにいるのよ?」
静まり返った議会場で、カタリーナはイライラとした気持ちを隠すこと無く、ヘレーナに食って掛かった。
しかし、ヘレーナは穏やかな表情を崩すこと無く、柔らかく微笑む。
「ワルター様は、決して政を投げ出されませんでした。睡眠時間を削って、取り組んで来られました。苦手としていらっしゃるのではなく、ただ経験が足りないだけ。現在は経験不足を必死に補い勤勉に取り組んでいらっしゃいます。そのお姿を、誰も知らぬわけではないでしょう?」
ヘレーナが、これほどしゃべることができるとは。
皆が驚きの表情で、背筋を伸ばしカタリーナに立ち向かう小さな王妃を見ていた。
「それに、終戦を決断され私を受け入れて下さった黒の王ワルター様に、……復讐は似合わない」
きっぱりと言い切ったヘレーナの表情を見たい。
ワルターは、しかし、皆の手前横を向いてヘレーナを見つめることができなかった。
ただ、その言葉で、ワルターの心ははっきりと決まった。
「そこまでだ。カタリーナ。お前には、俺はまだまだ政に参加する能力が足りないのだろう。だからこそ、一人の王族として力を貸して欲しい。頭の良いお前ならば、王妃の扱いで国が左右されると知っているのだろう? それを誤魔化してまでヘレーナを排除するなど、まったく必要のないことだ」
ワルターの言葉に、カタリーナは椅子に座り込んだ。
再び静まり返った議会場に、ワルターの声が響く。
「では、議会をはじめる」
皆が拍手で議会の開始を承認した。
だから、拍手の音で、カタリーナの呟きはかき消されてしまった。
「でも、それじゃあ、わたしが王妃になれない」
カタリーナは俯き、憎悪の表情を隠した。
「さて、最初の話題だが。ヘレーナの扱いについて、大変不名誉な噂が飛び交っているな? ここではっきりさせようか」
予定していた話題は樽の流通経路の確保のはずだった。
突然のワルターの言葉に、議会場にざわめきが走る。
「俺がヘレーナを兵舎に放り込むとうそぶいていたことを、直接俺の口から聞いたものは挙手しろ。将軍が兵たちの噂話を議会で話題にした以前に、だ」
ワルターは皆の動揺など意にも介さず、にこやかな笑顔で命令した。
議員達はお互い顔を見合わせながら、ワルターの言いたいことを推し量る。この中で一番強いのはワルターだ。威勢の良かったカタリーナでさえ、純粋に戦闘になればワルターに手も足も出ない。
だから、皆、ワルターを畏れ敬う。
もし、ワルターの不興を買ったら、生きてはいられないかもしれない。
「どうした。挙手しろ。なに、俺とて今ここで戦う力を開放するなど、愚かなことはしないよ」
ワルターは笑顔だ。
だが、瞳はまったく笑っていない。
王が本気だと分かると、それぞれ記憶を掘り起こし、慎重に吟味した。
結果、ワルターから直接その話を聞いたのは、最初の終戦の会談で同席した記録係二名と近衛兵隊長のルーカスのみ。
「では、次に、その噂を聞いたことがある者は挙手してみろ」
これは、ほぼ全員が手を挙げる。
ワルターはこの結果をある程度予想していた。
「では、噂はどこから出た? 俺の言葉を他言したのは、誰だ?」
問われ、記録係二人は真っ青になった。ルーカスは普段通り、ポーカーフェイスを貫いている。
「王……。申し訳ございませんっ。わ、私は……、妻にそれとなく漏らしてしまいました」
ここで黙ってやり過ごせるほどワルターは甘くない。
記録係の一人が、震える声で申し出た。
「お前の妻は、城勤めではないな。兵舎に噂をばらまく手段があるか?」
「それは……。今はサロンも開かれておりませんし、妻は元々社交的ではありません。例えば、私の知らぬところでこっそり誹謗のビラを作って撒いた、と言うことがなければ、ほぼ不可能かと」
高齢の記録係は、しどろもどろになりながら返事をした。
「まあ、そうだろうな。俺の言葉を直接聞いた者が少ない割に、噂の伝達が徹底して速すぎる。それに、非常に信ぴょう性の高い話であると、噂されているのも気になるな。さて、この不名誉な噂を、ここにいる者は打ち消してくれるだろう?」
元々ワルターはヘレーナの扱いに関与しない、と言うスタンスだった。しかし、ヘレーナを兵たちに与えると、はっきりと断言したことはあまり無い。それが、兵たちには当たり前の事実として通っていることが、不自然に思えた。
終戦を受け入れクリアになった頭で、ようやくワルターはこの事実に思い至ったのだ。
「ルーカス。何故、こんな噂が出回ったのか。お前に調査を任せる」
「承知いたしました」
ワルターの言葉に、ルーカスは深々と頭を下げた。