序
姫が酷い扱いを受けます。無理矢理かな?と言う行為があります。苦手な方はお気をつけ下さい。
白の国、癒しの力の一族の治める国アルブス。
黒の国、戦いの力の一族の治める国アーテル。
両国は長い間争ってきた。領土を広げるため、互いの技術を奪うため、国民の感情を抑えるため、主張の違いを押さえつけるため。長い間の戦には様々な理由があり、終戦協定を結ぶこともせず、ただ争ってきた。
戦いの力を持つ一族の血筋が多く火力に優れたアーテルは、しかし傷ついた兵を癒すことができずに決定的な攻撃を仕掛けることができない。
癒しの力を持つ一族の血筋の多いアルブスは、致命的なダメージを与えられることが無い限り、無限に兵を癒し続ける事ができる。敵国に攻め入る程の力は持たないが、負けることもない。
二つの国は、ともすれば戦う理由を忘れ戦い、そして疲弊していた。
黒の国アーテルを治める若き王ワルターは、その日堅苦しい正装に身を包み馬車に揺られていた。若き王は、普段は動きやすい軍服を着て戦場を飛び回っている。前線で戦う彼は、本当は馬車など必要なく、他人の引いた馬の揺れが不愉快だった。
「白のベルンハルト……、一体何を考えている?」
手にした親書を何度も読み返し、ワルターは何度目かの疑問を口にした。
「今の時代に終戦。やはり、疑わしいですね」
ワルターの補佐として追従している近衛兵隊長のルーカスも神妙な表情だ。
その親書には、だらだらともったいぶった口調でこれまでの両国のことや現状などが細かに記されており、結論として終戦の相談をしようと結んである。
まさか、と言う思いだけだった。
父の代も戦争をしていた。祖父の代でも、祖父の祖父の代でも戦っていたのだ。
それが急に戦いを辞めたいだと?
怪しい限りだった。
けれど、心のどこかでワルターは考える。
(もし、本当に戦いをやめることが出来れば……)
男は徴兵されること無く家族を愛することができるだろう。働き手が村に戻れば、農業も工業ももっと発達するはずだ。それに戦いに怯える不安がなくなり、ワルターが毎日兵の戦死を家族に知らせることもなくなる。
だが、それはきっと絵空事だ。
少なくともワルターは、戦うことが当たり前だと育てられた。父が戦いを宣言すれば、いつでも一番に駆けつけ相手の兵を容赦なく蹂躙する。捉えた兵は余すこと無く拷問にかけ、敵の現状を把握し最も酷いやり方で始末する。自分がそうなのだから、アーテルの現状とてさほど変わらないはずだ。
一つ違うとすれば、ワルターは二十歳と若く、敵国のベルンハルトは四十を過ぎた高齢の王だということ。確か、ベルンハルトは妻子持ちで、戦場にも立たなかった。
だから、ワルターはベルンハルトがどのような人物かは分からない。
相手が分からないので、終戦協定の親書がどこまで真実なのか不確かだ。
部下達は、ワルターの影武者を用意しようとしていたが、それは断った。ワルターは、自分の目で敵の王を見たかったのだ。
用意された国境の小屋では、穏やかな顔をした中年の紳士と美しい女性がワルターを出迎えてくれた。ワルターの入った正面玄関の他に、裏口があることは承知の上だ。そちらに気配を感じる。おそらくアルブスの兵だろう。勿論、ワルターも近衛兵を同行させている。ただし、小屋に入るのは王と数名の付き人のみと取り決めておいた。小さな小屋で戦闘はごめんだし、殺されるのも殺すのも不愉快だったから。
「ご足労感謝いたします、黒のワルター王」
中年の紳士はワルターのためにドアを開き、気さくに声をかけてきた。
「ぬるい挨拶は抜きにしてもらおう。早速そちらの王の真意を聞きたいのだが、王はどちらに?」
ワルターは部屋を見渡し、眉をひそめた。
慣れ合うつもりはなかったが、通された部屋に誰も居ないことを確認し、いつでも戦うことができるよう自身の身体に戦いの神経を通す。
やはり、罠か。
さてどうしてくれようと、中年の紳士を観察した。
上品なコートを身にまとった紳士は、ワルターの鋭い眼差しを気にする素振りを見せず、部屋の中心に進んだ。
そして、用意されている簡素な机に座り、穏やかな笑顔を作った。
「そういきり立たれるな。初めまして、私が白の王ベルンハルトだ」
「なっ……」
「同時に紹介しよう。これは、私の娘ヘレーナだ。補佐が必要とのことだったのでな。娘を連れてきたよ」
ヘレーナと紹介された女性は、深々と頭を下げた。ベルンハルトと違い、その表情に笑はないが、ワルターを睨みつけるわけでもない。
ワルターはあっけに捉えられて、言葉が出なかった。
まず、王の人となりが想像とかけ離れたものだった。自分の父ともまったく違う。威圧的で他人の意見を聞かず、息子を駒と言ってのけた先代の王。ワルターは、敵国の王も自分の父とさして変わらないと考えていた。
しかし目の前の人物は、少なくとも表面上は向かう相手に敬意を払い、物腰は柔らかく、何より気遣うように自分の娘に寄り添っている。その光景を見ると、何故だか無性にイライラとした。
「こちらへ来てはくれまいか? 話をしたいのだが」
ベルンハルトはあくまで穏やかにワルターを誘う。
ワルターははっとして、姿勢を正した。
「失礼だが、あなたが白の王だと確証が持てない」
言いながら、相手の出方をつぶさに観察する。
ベルンハルトは、そういえばそうだなという表情を浮かべ、苦笑いをした。
「黒の王は、ケガをされているね? 右足の……、ああ、足の裏か」
指摘され、寒気がした。自分はケガをしていることを覚られないような歩き方を徹底的に訓練された。一つでも弱みを見せることはできない。戦場では、それがすなわち死につながるのだから。
何か敵意を持っての発言だと、一歩引き下がる。
ベルンハルトは、そんなワルターに笑顔で話しかけた。
「我が白の一族の力は癒し。それが誰であれ、傷ついたものはすぐに理解し、癒すことができるのだ。当然、一族を統べる私の力は、とても大きいと言われているよ」
ベルンハルトの話を漏らさず聞きながら、ワルターは驚愕した。小さな傷だったのだ。歩くことも走ることも騎乗することさえ支障のないキズ。けれど、常にじくじくと痛み不快だったキズ。それが、何と、ベルンハルトの言葉が終わると同時に消えてしまった。
見せつけられた白の力。
目の前の人物は、本当にベルンハルトに違いなかった。
ワルターは観念したように、椅子に座った。
「だが、休戦などと、考えられないな」
何度目かの同じ言葉をワルターが繰り返す。
「休戦ではなく、終戦だよ?」
それでも、ベルンハルトは根気よくワルターを説得する。
お互いの国は疲弊している。田畑は荒れ果て、国民の住処は作っては壊れ作り直しまた壊れ、住むこともままならない。
こんな戦争にもはや意味は無い。
みんな疲れているのだから、もうやめてしまおう。
ベルンハルトの主張は揺らがなかった。
その話に、ワルターは考えさせられていた。本当に戦いが終わるのなら、それがいいと思っていたのは自分も同じだ。
けれど、今まで戦った人に何と詫びればいいのか。
宮殿には、夫や子供をなくした女性も多く働いている。彼女たちに、何を報告すればいいのか。傷つき、一生をベッドで過ごさなければならない老兵にどう説明をするのか。
それに、自分は戦いの王だ。
戦場をなくしてしまったら、自分の価値がなくなるのでは?
ワルターは、どうしても一歩前には踏み出せなかった。
けれど、ここでベルンハルトの要求をはねつけたのなら、自分は戦いを長引かせた独裁者になってしまうのでは?
何度目かの問答のあと、ワルターは思いついた。
「しかし、終戦ともなると、協定を締結するだけでは誰も納得しない」
「確かにな」
ワルターの言葉に、ベルンハルトも頷いた。
「では、どうする? 紙切れだけの約束では後ほどどうとでも覆る」
「……、何が言いたい」
「その娘、ヘレーナだったか。俺の嫁にする覚悟はあるか?」
突然指名され、ヘレーナは肩を震わせた。
両国の信頼の証として身を寄越せと言われたのを、すぐに理解したようだった。
「侍女は連れてくるな。争いの火種を持ち込まれては困るのでな。まあ、宮廷には戦で夫や子供をなくしたものばかりがいるが、彼女たちも鬼じゃない。殺しはしないさ。みんな、黒の血を引くものばかりだから多少気は荒いがな。事故程度なら俺は感知しないぞ?」
攻撃する力もない者が、戦いに長けた一族の真ん中に放り込まれるのだ。
一身に敵意を受け、不満をぶつけられるかっこうの的になるだろう。
しかし、王は助けないと宣言した。
「別に子はいらんが、飽きるまで貪らせていただくか。ああ、そうだ、飽きたら女に飢えている兵たちの寝所に寝泊まりするっていうのはどうか。きっと兵たちの不満も少なくなるだろうな」
くっくっくと、わざと下品な笑い方で相手の反応を伺う。
暗に、兵たちの慰み者になれと言っているのと同じだった。
さあ、ここまで言われて、娘を差し出せるものか。
話し合いを放棄したのは自分ではなく白の王になるのだ。
ワルターは嫌な笑い顔のまま、相手の出方を待った。
「では、私が参ります。よろしくお願いします、黒の王」
しかし、結論はすぐに出る。
ヘレーナは、硬い表情のまま、スカートの裾を持ち上げワルターに頭を下げた。
娘の返答に、ベルンハルトは異を唱えない。
その日、長く続いた黒と白の国の戦は終わり、ワルターは白の王の娘ヘレーナを娶った。