「あの子は妹のようなものだ。嫉妬しないでくれ」と婚約者に言われましたので、妹としてお世話いたします~お義妹様のお嫁入り先は、姉になる私が探して差し上げますわ~
侯爵家の夜会で、私は独り立っている。壁の灯りが揺れ、すれ違う袖の飾りが光る。夜会の付き添いのルートヴィヒ様は来ない。
人の輪ができては、ほどけていく。私は笑みを置いたまま、手袋の縫い目をなぞる。そろそろ、と目を向ける先には、また知らない礼服の背中がある。
部屋へ戻っても、手袋の留め具を外せない。待つのは終わったのに、指の形だけが、まだ誰かの腕を取ろうとしている。
翌朝、大奥様の居間に呼ばれる。窓から庭の土の匂いが入る。長椅子の端で、ルートヴィヒ様が眉を寄せる。
「あの子は妹のようなものだ。嫉妬しないでくれ」
私はドロテーア、伯爵家の娘で十九歳。侯爵家のルートヴィヒ様と婚約して三年になる。
三年で覚えたのは、この人が言い訳をするとき、名前を先に出さないということ。
妹のようなもの。それなら、話は早い。
膝の上で指を重ねる。手袋の縫い目を探すのをやめ、顔を上げる。
「承知しました。妹でしたら、姉になる私がお世話いたします。お嫁入りの支度から、お相手探しまで」
大奥様が大きく頷く。言い切った口に、私の心のほうが追い付かない。
「妹なら私の孫娘ね」
夫の妹の嫁入りの世話は、この家へ嫁ぐ私の務めだ。大奥様がそう定めているから、誰も逆らえない。ならば昨夜の名前は、招待状の宛名になる。縫う物も、確かめることもある。手を動かせる用事なら、よくわかる。
「昨夜はエーファに呼ばれて見舞いに行ったんだ。兄として付き添っただけだ。あの家は隣だし、すぐ戻るつもりだった。それが、話しているうちに……」
大奥様が、卓の封筒を私へ滑らせる。
「縁談は本人が望んでからよ。あの子が見合いをしたいと口にするまでは、誰の歓迎も勘定に入れないこと。あなたは世話役として、ここに滞在なさい」
宛名はエーファ様、差出人は大奥様のお名前。封を押さえ、私はルートヴィヒ様へ向く。
「妹なら、姉が嫁がせますわ」
発送を見届けた大奥様が、扇の先で稽古の付き添い席を孫へ指す。戸を隔てても、稽古の声は聞こえる場所だ。
「兄の席が、こんなに遠いのですか? お祖母様、僕はもっと近くで見ていたいです。こんな婚約なら……」
扇が、ぱちりと閉じる。ルートヴィヒ様の口も閉じ、膝の上の手だけが落ち着かない。
「婚約は両家の当主と私が決めるの。お前が勝手に言い出しても、私が受けなければ変わらないわ。今はお座りなさい」
私は席に厚みのある敷物を足す。遠くから見守るルートヴィヒ様にも、座り心地は大切だ。
◇
朝も遅くなって、隣家から移ってきたエーファ様の刺繍が、居間の隣で始まる。窓際の白い光に布を広げると、ほどいた糸の跡までよく見える。ルートヴィヒ様は居間側の席だ。
「姉としてお手伝いします。お義妹様は何を作りたいですか?」
エーファ様は針を止め、縫い目へ顔を近づける。細い糸を引き抜く指が、布の端をつまみ直す。
「座ってなら大丈夫ですの。気になる方へ、襟飾りを贈りたいですの」
「襟飾りでしたら、糸の色は控えめなほうが長く使えます。お相手のお顔映りで選びましょうか?」
「深い緑と、生成りがいいですの。あの方は、明るい色をお召しになりませんから」
緑の糸を布へ置くと、エーファ様の指がすぐに伸びる。さっきまでほどいていた縫い目から、顔が離れた。
「こちらがいいです。遠くからでも、柄が見えますね」
「身につけてくださったところを、ご覧になりたいのですね?」
「はい。似合うところを、見てみたいです」
布を押さえる手から力が抜ける。私はその指のそばへ、同じ色でも少しやわらかな糸を並べる。
「肌に当たるところには、こちらを使いましょう。お仕上がりは、このお屋敷でお渡ししますか?」
「いいえ。あの方は、この家へはいらっしゃいませんの」
針を渡す手が止まる。この家に住んでいる方ではない。
私は渡しそびれた針を、針山へ戻す。
家政の教師が戸を開け、廊下から呼ぶ。
「エーファ様、次は家政のお稽古です」
エーファ様が立つと、膝にたまっていた布が静かに落ちる。居間側でルートヴィヒ様が腰を浮かせる頃には、もう廊下へ足が向いている。
エーファ様には、本物のお兄様がいらっしゃる。
ゼバスティアン様が隣家から歩いて来て、私の前に座る。稽古の割り振り、支度の順、帰りの日取り。紙を挟んで確かめれば、どれもすぐに話が進む。
「以前の茶会で、あなたが口数の少ない妹に話を振ってくれたね。妹はあの話を帰ってからもしていた」
「覚えていてくださったのですか?」
「喜んで話していたからね。私の前では、天気の話しかしない子だ」
私は、布に重ねられた糸へ目を向ける。
「では、これからは襟飾りのお話も伺えます。糸の色まで、もう決めておいででした」
「妹が自分で色を決めたのか。人前では、欲しい物をなかなか言わない子でね」
「お相手に似合うところを、ご覧になりたいそうです。お渡しするのが楽しみですね」
三分で相談が終わる。ゼバスティアン様が紙を脇へよけ、菓子の皿をこちらへ向ける。
「妹の相談はここまで。あなたは、何を召し上がりたい?」
「お客様には、果実を使ったものが……」
皿を回しかけて、手が止まる。尋ねられているのは、客に勧める品ではない。
蜂蜜、と唇の内側で言ってみる。声にしなければ、すぐに答えられる。
「……私は、蜂蜜の焼き菓子が食べたいです」
「蜂蜜だね。では、それを頼もう。妹の好みは全部言えるのに、あなたの好みは今日が初めてだ」
それだけで話が決まり、私は膝に戻した指を開く。理由も、ほかの方の好みも、添えなくてよかった。
運ばれた菓子の縁には、濃い焼き色がついている。近づけられた皿から、甘い匂いが上がる。
「ゼバスティアン様も、お好きですか?」
「好きだ。特に、縁のかりっとしたところがいい」
思わず、皿から顔を上げる。
「私も、そこが好きです」
今度の返事は、すぐに出た。
◇
午後は居間に、刺繍の道具と持参金の覚えを並べる。布を畳んで紙の場所を空けると、ルートヴィヒ様も卓へ顔を寄せる。
「姉になる私が整えます。持参金も侯爵家でご用意くださいますか? お支度は、お嫁ぎ先が決まってからでは間に合いません」
大奥様が頷く。その扇が膝へ戻るより早く、エーファ様のお父上が身を乗り出す。
「ありがたい。ぜひ縁談を急ぎましょう」
「僕は、そこまでは……。兄として面倒を見ただけだ。支度まで侯爵家がするとは言っていない。いや、面倒を見ないという意味じゃないんだ」
覚えの紙を押さえていた指が、紙から離れる。私はずれた端をそろえ、エーファ様へ椅子を向ける。
急いでいるのはお父上で、嫁ぐのはこの方だ。エーファ様の手は、針箱の蓋を押さえたまま動かない。
「お会いしたい方は、いらっしゃいますか? お名前が出ないうちは、どなたへもお返事いたしません」
エーファ様が蓋を閉じる。小さく音がして、耳の赤さが頬まで広がる。私は招待状に触れずに待つ。
「ディートマー様と、お見合いしてみたいです」
「では、明日の茶会にお招きします。襟飾りが仕上がるまで、お待ちになりますか?」
「いいえ、明日がいいですの。仕上がるまで待っていたら、また言えなくなりますもの」
今度は針箱から手が離れる。招待状の宛名を書く私の手元を、エーファ様がのぞき込む。
「お名前は、こちらでお間違いありませんか?」
「はい。……ご挨拶は、わたしからします。言葉が止まってしまったら、少し待っていただけますか?」
「もちろんです。お茶もございますし、急いでお話しなさらなくて大丈夫です」
宛名の字が、いつもより丸くなる。乾くのを待つ間、エーファ様はその名前から目を離さない。
「今後は家族のお付き合いね。明日はあなたのお父様と侯爵も招きましょう。家族の顔ぶれは、早いうちに揃えておくものよ」
大奥様のお言葉に頷き、招待状を渡す。ルートヴィヒ様の前には、付き添いの席札を置く。
「僕の席は、またそこなのか?」
「はい。お茶もお菓子も、そちらへお持ちします」
席札を整えると、ルートヴィヒ様はその端をつまむ。私はお茶を置く場所を空けておく。
◇
翌朝も、ゼバスティアン様は自分で歩いて来る。妹の稽古の進み具合を聞き、帰りの馬車の刻を確かめる。紙を畳む音がして、用件は終わる。
「妹の相談はここまで。あなたは今日、何をしたい?」
茶会の支度、と口にしかける。けれど、ゼバスティアン様の目は、卓の覚えへ戻らない。
私は針箱へ目を落とす。隅に寄せた自分の布が、蓋から少しのぞいている。
「自分の刺繍も、進めたいです。端を縫ったきりで、まだ何になるかも決めていません」
「そうか。何になるのか楽しみだ。出来上がったら、私にも見せてくれ」
「使い道のないものに、なるかもしれません」
「それでも見たい。あなたが縫ったものだろう?」
私は布の端を針箱の中へ押し込まず、そっと引き出す。折り目を指でなぞると、縫いかけの糸が光のほうへほどける。
「では、仕上がりましたら。……あまり、お急ぎにならないでくださいね」
「待っているよ」
正午の茶会には侯爵様と父も並び、本物の兄の席にはゼバスティアン様が座る。私は茶碗の向きを確かめ、エーファ様の袖に引っかからない場所へ皿を寄せる。
エーファ様のお父上は身を乗り出しかけ、大奥様の扇の先で止まる。それからは、扇が動くたびに姿勢を正していらっしゃる。
招かれた青年ディートマー様へ、エーファ様が顔を上げる。茶碗の縁を押さえていた指が離れ、膝の上で重なる。
「またお会いしたいです」
声は小さくても、語尾まで聞こえる。ディートマー様は茶碗を置いてから、頷く。
「私もです。次もお話ししてください」
エーファ様の唇に笑みが浮かぶ。返事をしようと開いた口へ、付き添い席から声が届く。
「兄として言うが、近すぎる。エーファはまだ子供だ。いや、縁談のことだよ。話を進める前に、僕へ相談があってもいいだろう?」
ルートヴィヒ様が身を乗り出している。私はそちらへ向き直る。
「嫉妬なさらないで。妹のようなものでしょう?」
本物の兄の席では、ゼバスティアン様が座ったまま茶碗を持つ。ルートヴィヒ様も座り直したので、私は茶を勧める。
「どうぞ、ごゆっくり」
大奥様の扇が、私の席を先に指す。腰を下ろそうとすると、またルートヴィヒ様の椅子が鳴る。
「妹の縁談に口を出すな。そんなに世話を焼くなら、君との婚約は解消だ」
大奥様は閉じた扇で孫の頭を軽く叩き、当主を順に見る。侯爵様、次に父が頷く。父はそのあとも、私から目を離さない。
膝の上で手を握る。手袋を外せなかった夜と同じ形になりかけた指を、ゆっくり伸ばす。父へ頷き返すまで、誰の茶碗も動かなかった。
「両家の当主も承知しているわ。では、その申し出を受けるわ」
ルートヴィヒ様の目が、大奥様と父の間を往復する。
「では、君の世話も終わりだ。エーファのことは、僕が……」
大奥様が扇を卓へ置く。
「務めは務め。私の孫娘の嫁入りよ」
私は支度の布を取り上げる。つかむ場所を探さなくても、糸の端は指になじむ。
「はい。姉として、見送りまでお世話します。引き受けたお支度は、途中で置いてまいりません」
エーファ様が布へ手を添える。その手をよけず、私は縫いやすい向きへ布を広げる。
◇
夕方、稽古を終えたエーファ様が客間の長椅子に座る。窓から入る風で、膝の布がふわりと持ち上がる。戸の前にはルートヴィヒ様。
「あの、体調が優れませんの。ルートヴィヒ様、今夜は付き添っていただけますか? 夜は、少し心細いのですもの」
私は窓を閉め、長椅子から寝台までの足元を確かめる。付き添いを頼まれたのはこの人で、支度をするのは私だ。夜中に起きても、裾に物が引っかからないようにしておきたい。
「眠るまで、お話しできればいいのですの。お忙しければ、無理には……」
エーファ様の声に振り向く。ルートヴィヒ様が口を開くところへ、私は頷く。
「姉として、私の客間からこちらへ移って泊まります。夜中に何かあれば、すぐ起こしてくださいね」
エーファ様の指が、膝の布をつかむ。
「こちらへ、お泊まりに?」
「はい。呼ぶために廊下へ出ていただくより、寝台のそばのほうが安心です」
運んできた寝具は大きく、顎まで埋まる。返事をしようとすると布が口へ入るので、まず顔を出さなくてはならない。姉が寝具に埋もれていては、頼りにならない。
侍女が横から受け取り、部屋を見回す。
「お嬢様の分は、どちらへ?」
私はエーファ様の寝台の近くを示す。手を伸ばせば届く場所なら、声が小さくても気づける。ルートヴィヒ様には、居間の席が残る。
「兄の僕がいるんだ。君はもう、僕の婚約者ではないのだから。付き添いは僕で足りるだろう?」
「ルートヴィヒ様は居間でお休みください。こちらの寝支度は、私が承ります」
心細いなら、お話し相手がいればよい。私は枕を手に取り、エーファ様へやわらかな面を向ける。
「お話がなくなっても大丈夫です。嫁入りの支度には、話しておくことがたくさんあります」
エーファ様が刺繍の籠を見て、寝具を見て、立ち上がる。
「元気です」
まだ枕の向きも決まっていない。私は枕を持ったまま、頷く。
「それなら何よりです。今夜は、ゆっくりお休みくださいね」
「はい。明日の支度は、自分でいたします」
抱えるはずの寝具を、侍女が私の腕へ戻す。元気になられたのだから喜ばしい。ただ、姉の顔はまた布で見えなくなる。
私は寝具を畳み直し、ルートヴィヒ様は居間へ戻る。夜半に呼ぶ声は、とうとう聞こえない。
◇
翌朝も、ゼバスティアン様は歩いて来る。妹の荷造りの手順を確かめ、包む布の置き場所を伝えれば、相談は終わる。
「妹の相談はここまで。君は、このあと何をしたい?」
妹のお話は三分で終わり、あとは私の話ばかり聞いていかれる。
窓の光が茶碗の縁に乗っている。私はそこへ目を落とし、支度の続きを口にしないよう、少し息を整える。
ゼバスティアン様は急かさない。茶碗を持ち直して、こちらへ体を向ける。
「庭を歩きたいです。用事の途中で、いつも通り過ぎるだけですから」
「それは知らなかった」
ゼバスティアン様の目が窓へ向く。私もつられて、庭へ続く道を見る。
「下を向いて咲く花が、気になるのです。少しかがんで、内側の色まで見てみたいです」
「なるほど。歩きながらでは見えないね」
「はい。花があることは、ずっと知っているのですけれど」
道から外れて足を止めるところを思い浮かべる。覚えの紙の角をそろえていた手が止まり、そのまま膝へ戻る。
卓には蜂蜜の焼き菓子。ゼバスティアン様の手は、私が取るまで皿へ伸びない。
「今日は、端のよく焼けたものが食べたいです」
「では、こちらの皿を寄せよう」
皿が近づき、私は焼き色を見比べる。そこへエーファ様が手紙を持って来る。折り目を押さえた指の間から、白い紙がのぞく。
「ディートマー様から、また会いたいとお返事が来ました。縁談を進めたいです」
ルートヴィヒ様が手を伸ばす。
「兄として、僕が先に読んでおく。エーファ、渡してくれ」
「お兄様は、ゼバスティアン様ですの。お姉様、読んでください」
手紙は私の手に渡る。次にお会いしたい、と丁寧な字で書かれている。読み終えて顔を上げると、エーファ様は紙の角をつまんだまま、こちらを見ている。
「このまま進めてよいですか? お返事は、エーファ様のお言葉のまま書きます」
「はい。わたしの望みです」
針箱の蓋を押さえていたときとは違い、指がすっと紙から離れる。私は手紙を折り目どおりに畳む。
「お義妹様、おめでとうございます」
エーファ様が手紙から顔を上げ、私へ向き直る。
「わたしの希望を聞いてくださって、ありがとうございます」
「お支度は、まだございますから。お礼は……」
続きが出てこない。エーファ様は私の手元へ視線を落とし、また顔を見る。
「支度のことだけではありませんの。わたしが言うまで、待っていてくださって、嬉しかったです」
唇だけが動く。ゼバスティアン様の寄せた茶碗に指が触れ、温かさを確かめてから、ようやく頷く。
「……明日の荷造りも、見ますから」
エーファ様が笑って、はい、と返す。私は茶碗を持ち上げるまで、その返事を聞いている。
◇
五日目の朝、先方から届いた承諾の返事をエーファ様と読む。広げた紙の端を大奥様が押さえ、覗き込んで確かめる。
「この縁組を望みます。大奥様、お姉様、どうぞ先方へそうお伝えください」
エーファ様の声には、もう言い直しがない。大奥様が短く頷き、私は返事を書くための紙をそばへ置く。
今朝のゼバスティアン様の相談は、帰宅の荷を確かめて終わる。布の包み方も、運ぶ物も、もう決まっている。
「妹の相談はここまで。支度のあと、君は何をしたい?」
馬車の刻、包みの中身、見送りの並び。口にしかけた用事から目を上げると、この方はまだこちらを見ている。
私は畳んだ覚えを開きかけ、閉じる。そこには書いていない。
「あとで、ゼバスティアン様とお話ししたいです。用事のない話を、少しだけ」
「では、そうしよう。用事のない話のほうが、私は長く聞ける」
返事を聞いても、まだ覚えをつかんでいる。指を離すと、紙の端に浅い曲がりが残る。
「焼き菓子の話ばかりになっても、よろしいですか?」
「それなら、こちらからも話せる」
私は曲がった端をならす。顔を上げると、ゼバスティアン様の口元にも笑みがある。
ルートヴィヒ様が、荷の前に立つ。襟元を整えてから、エーファ様へ向き直る。
「兄として見送る。エーファ、おめで……」
「姉として荷を整えました。ルートヴィヒ様、こちらをお持ちください」
受け取れるように向きを変え、荷を渡す。残りを包もうと伸ばした手が、途中で止まる。エーファ様が、もう自分で包み終えている。
「飾りのところを上にしました。こちらは、わたしが持ちます」
「ええ。その向きなら、飾りもつぶれません」
結び目も、布の端も、直すところはない。私は手を戻し、荷を抱えたエーファ様へ頷く。
ルートヴィヒ様の礼服の胸は、包みで見えない。その隣で、自分の荷を持つエーファ様が、少しまぶしく見える。
◇
午後、嫁入り修行を終えたエーファ様が、荷を積んで隣家へ帰る馬車へ向かう。玄関先でエーファ様のお父上が迎え、ルートヴィヒ様から荷を受け取る。渡し終えた手は、しばらくその高さに残り、やがて下がる。
「兄として……幸せを願っているよ」
涙声のルートヴィヒ様が頬を拭う。妹のようなものだと言った人が、いちばん長く手を振っている。見送りの手を上げる頃には、エーファ様は馬車に乗っている。窓辺の袖に、午後の光が当たる。
私はゼバスティアン様と庭に出る。足元の土はやわらかく、靴の先が少し沈む。垣根の向こうから馬の鼻息と車輪の軋みが届き、日に温められた草の匂いが立つ。開いた戸越しに玄関が見え、大奥様が扇を閉じる。
「妹ではなく、姉上のほうを頂きたい」
役目の返事を探して、戸口の扇へ向いた目が止まる。庭に布も荷もなく、私の手には繕う物も渡す物もない。三年ぶんの待つ時間が、指の先から抜けていく。
ゼバスティアン様へ顔を戻す。まだ、返事を待ってくださっている。
「はい。用事が終わっても、ご一緒にいたいです。用事のない日にも、お話を聞いていただけますか?」
私から手に触れる。指が握り返される。手袋はもう、外したままだ。エーファ様が馬車の窓から顔を向け、ルートヴィヒ様は見送りの手を上げたまま。
「お義妹様、お幸せに。姉は、お隣へ嫁ぎますので」




