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ギアレブナント  作者: 御影のたぬき


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第1話 死に損なった夜 後編

 翌朝、久住は第九処理班の事務所に出頭した。


 古いビルの五階。表向きにはコンサルティング会社の名前が掲げられている。エレベーターは遅い。久住はいつも階段を使った。習慣ではない。閉じられた空間に長くいると、胸の残響核が微かに振動することがあるからだ。


 鈴村が待っていた。


 四十代。細身で、髪は薄い。眼鏡のレンズは曇っている。第九処理班の現場責任者という肩書きはあるが、実態は上層部と現場を繋ぐ中継役に過ぎない。


「お疲れ」


「昨夜の件ですが」


「報告書は読んだ。よくやった」


「死因の隠蔽について」


「適切な処理だ」


「誰が、どういう理由で」


「久住」


 鈴村は眼鏡を外し、レンズを指で拭き、再び掛けた。手順通りの仕草。話を切り替えるときの癖だ。久住はそれを知っている。


「お前は何のためにここにいるか、わかってるか」


「道具として使われています」


「そんなことは言っていない」


「では、どういう意味ですか」


 鈴村は少し間を置いた。


「第九は、お前のような存在を管理する義務がある。同時に、お前のような存在を必要としている。その二つは矛盾しているようで、矛盾していない」


「管理と利用が両立しているということですか」


「両立しているのが現実だ」


「では昨夜の男は、誰に殺され、なぜ隠蔽されるのか」


「久住」


「教えてください」


 鈴村はため息をつき、窓の外を見た。朝の光は薄かった。


「教えたとして、お前はどうする」


「わかりません」


「だったら、教えない理由もわかるだろう」


 久住は鈴村を見つめ、鈴村も久住を見返す。


 この組織の問題は、嘘をついていないことだ。隠してはいるが、嘘ではない。隠していることを隠そうともしていない。ただ、言わない。理由を問えば「言えない理由がある」と言う。それが嘘でないことも、久住は理解している。


 どこかで何かが壊れている。壊れているが、機能している。機能しているから変えられない。変えようとする人間がいたとしても、その人間をどこに向けるべきか、久住にはまだわからない。


 自分がその人間かどうかも、わからない。


 鈴村が嘘をついているとは思わなかった。ただ、全部を言っているとも思わなかった。この組織では、それが当たり前だ。誰も全部は語らない。全部を知る者がいるかどうかも怪しい。


「昨夜の残響体の回収データは」


「解析中だ。フィードバックは後日」


「一つ聞いていいですか」


「聞いてみろ」


「俺が体内に持つ残響核は、誰のものですか」


 鈴村の表情が変わった。意味は読めなかった。


「それは」


「三年前に定着したものです。廃棄予定だったと聞いています。なぜそこにあったのか、誰の核なのか、まだ教えてもらっていません」


「……それは」


「教えてもらえますか」


 鈴村は眼鏡を外した。今度は拭かず、机の上に置いた。


「今は言えない」


「いつなら」


「それも言えない」


「なぜですか」


「言えない理由が、ある」


 久住は立ち上がった。


「わかりました」


「久住、待て」


「次の案件が入ったら連絡をください」


「話は終わっていない」


「俺の話は終わりました」


 久住は扉を開け、外に出た。


 廊下の窓から、薄い朝の空が見えた。雨は止んでいた。止んだが、また降りそうな色をしている。


 胸の残響核が微かに振動する。


 毎朝、誰かの何かが久住の中で目覚める。昨夜より少しだけ強く鳴っている気がした。気のせいかもしれない。そうでないかもしれない。


 階段を降り、外に出ると冷たい風が来た。指先の感覚はまだ戻らない。


 その夜も案件が入った。今度は高架下ではなく、廃工場だった。


 橘から電話が来る。


「久住さん、出られますか」


「何が出た」


「工場内の廃ラインに融合したレムナントです。規模が大きい。複数の核が集合しているかもしれません」


「何人分の残響だ」


「計測不能です。それが問題で――久住さん、正直に言いますが、鈴村さんは別の班を先行させようとしていました。しかし壊滅しました」


「何人」


「四人。全員生きていますが、戦闘不能です。通常装備では太刀打ちできないと」


「俺を最初から行かせればよかった」


「そうすれば久住さんのデータが取れないのだと思います。通常装備の限界値を先に測って――」


「わかった。場所を送れ」


 電話を切った。


 胸の残響核が再び振動する。呼ばれるような感覚だ。複数の残響が集合しているなら、こちらの核も引き寄せられる。


 久住は外に出た。夜の空は相変わらず薄かった。


 ビルの隙間から、廃工場の方向に薄い電磁的なノイズが見えた。正確には「見える」ではなく、残響核が感知しているのだ。霊感ではない。死の情報が持つ特定の周波数を核が拾っているだけだ。


 橘が「複数の核が集合」と言った。


 複数の人間が同じ場所で強い感情を残して死んでいる。工場で何があったのか。


 久住は歩き出した。電車で二駅、乗り換え一回、徒歩十五分。第九が封鎖を張っているはずだ。


 電車で目を閉じる。桂木の顔がまだ鮮明に浮かぶ。今夜はまだ顔があり、名前もある。三年前の夜の記憶がまだある。


 戦えば戦うほど、失われる。それはわかっていた。だが、止められない理由が今夜はまだある。それが何かを言葉にすると、少し形が変わってしまう気がした。三年前と今で、同じ言葉を使っているのに中身が変わっている。


 見過ごせないから行く。それは本当だ。ただ、「見過ごせない」の中身が何かは確かめなかった。怖かったわけではない。ただ確認する気力がなかった。それだけだ、と久住は思った。それだけでいいとは思わなかった。


 廃工場は東側の出入口が崩れていた。封鎖テープが張られているが、内側から何かが引き込んでいる。第九の職員が二人、外で立っていた。顔は白く、昨夜の橘に似ているが、質が違う。


「中に何がいる」


「わかりません、見えなくて――」


「電力は」


「敷地内の変電設備に融合しています。触れないので遮断できません」


 つまり工場内の設備が全てレムナントの体の一部になっている。


 久住は封鎖テープを跨ぎ、中に入った。


 すぐに感じた。重い。空気ではなく、感情の密度が重い。複数の強い感情が積み重なっている。何年分の未処理の残響か、今夜一夜ではないことが空気の質でわかる。


 工場内部は暗いが、ところどころ発光していた。電光掲示板の残骸、割れたモニター、配線から漏れる光。それらが不規則に明滅し、人型の輪郭を作る。


 一つではない。三つ、あるいは四つ。複数の形が奥で重なり合う。核がそれぞれにあるのか、一つの核に複数の残響が集合しているのかは近づかないとわからない。


 近づく前に、それが動いた。配線が床を這い、電流が走る。溶接痕が浮かび、壁面が蠕動する。


 久住はデバイスに手を当てた。心拍が落ち、残響核が共鳴する。今夜は何の声が重なるのか。毎回違う。誰の声が重なるのか、いつかわかるのかもわからない。


「変身」


 二重の声が廃工場に響く。


「ギアレブナント」


 装甲が展開する。黒とガンメタが体を包み、発光スリットが赤く点灯。背部のノイズが揺れる。


 複数の形が久住に向かう。それが電流を流した。久住は床を蹴り、梁を掴み、逆さのまま対象を見る。複数の形が束になって来る。


 今夜はMOURN(モーン)の方がよかったかもしれない。だが後回しにした。まず核の位置を確かめる。複数の残響が絡み合っているなら、中心に根核がある。根核を見つけ、露出させ、破壊する。


 手順はいつも同じ。久住は梁を蹴り、工場の奥へ飛ぶ。レムナントが追ってくる。配線が蛇のように飛び、腕で弾く。衝撃が来る。電流が装甲を流れ、痺れる。痺れながら一歩分の着地を確保する。


 奥に光が集中していた。核だ。久住は走る。レムナントが三方から来る。正面を蹴り飛ばし、右を肘で弾く。左は受けた。装甲が凹む。骨は折れていないが、肋骨が痛む。まだ人間側に感覚がある。


 そのまま光の集中点へ拳を押し込む。手応えがあった。核だ。複数の残響が束になった根核。人型ではなく、工場設備に埋め込まれた形で存在していた。最近発生したものではない。何年も前からここに積もった何かが、今夜限界を超えたのだ。


 流れ込んできた。一人ではない。複数の感情が同時に来る。怒り、悔しさ、恐怖、後悔――区別できないほど絡み合う。工場で何があったのかはわからないが、感情だけは来る。


 久住は両腕を核に当てた。グレイヴ・ブレイク。引き剥がす。根核が設備の奥から少しずつ浮く。配線が暴れ、レムナントが絶叫する。複数の音が重なり、周波数が低く胸に響く。


 久住は構わず引き剥がした。根核が浮いた。右拳を固める。流れ込む感情の中に、一つだけ違うものがあった。怒りでも恐怖でも悔しさでもない。


 寂しかった。誰かにここにいたことを知ってほしかった。その感情だけが、他と違う形をしていた。


 久住の拳が一瞬止まった。止まって、打ち込んだ。


 音はなかった。今夜は、消えた感触が大きい。複数分の何かが一瞬で消えた。レムナントが崩れ、配線が垂れ、モニターが割れ、電光掲示板が暗くなる。


 静寂。久住は装甲が解除されるのを待つ。フォーム解除、ベース解除、変身解除。雨が差し込み、指先の感覚はある。右拳は少し痛む。打ちすぎたのだ。


「久住さん!」


 橘が飛び込む。


「中はどうでしたか――」


「片づけろ」


「でも――」


「核は消えた。設備との融合も解けた。後は回収班の仕事だ。俺はもう帰る」


「傷の確認だけでも――」


「いらない」


 久住は工場を出た。封鎖テープを跨ぎ、夜の道は雨で光る。


 さっき流れ込んできた感情の中で、一つが残っていた。寂しかった。誰かに知ってほしかった。久住は自分のものか判断できなかった。流れ込んだものか、もともとあったものか、もうわからない。


 桂木の名前は、今夜まだ出てくる。顔もある。しかし声は少し薄かった。昨夜より薄い。久住は気づき、歩き続けた。止まる理由も確かめる気もなかった。


 夜の道を、雨が洗っていた。消えそうで消えない染みを、雨は流し続けた。それでも消えなかった。消えないものがある。それが久住には、今はまだ、わかる。今夜は、まだ。

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