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人を運ぶということは想像よりも難しいことであった。
声をかけ続け、落ち着かせることで自分で歩いてもらい、ようやく落下点から百メートルも離れていないゴミ置き場につく。ここなら多少は周囲から目につきにくい。
二人がかりとはいえ、謎の存在Xは体格に大きな差があるというのに人を軽々と運んでいた。外見だけではない底知れなさの一端を味わった。
たいした距離を移動していないが、緊張からか二人して疲弊していた。気味悪かったはずの液体を気にせず座り込み、木に寄りかかる。
疲れていたがアドレナリンの出るままに、何が起きたのか少女に話していた。わからないことだらけだが、誰かに説明しようとすると自分の中で整理がつく。結論はよくわからない、だ。
「今更だが、自己紹介をします。俺は貝崎海斗。一年二組、好きな食べ物は牛乳。君は?」
「ボクの名前はまひる。どういう理由かさっぱりわからないけど、空を飛んでて、落ちて、溺れていたところを助けていただき本当にありがとう」
放っておこうとしたのは名誉のため黙っておくことにする。
まひるという少女の目立つ髪色や女子にしても低い背丈から、学校ですれ違うことがあれば印象に残るはずだが記憶にない。
「もしかしたら、まひる……さんは先輩ですか?」
関わりの少ない上級生ならば見覚えのないこともある。人によっては相手との年齢差から言葉遣いを変えることを望む場合がある。まひる氏はどちらだろう。
そして気にする、気にしないのどちらにせよ、興奮冷めやらぬままに失礼な言葉遣いをしていなかっただろうか。
まひるは隠し事がバレてしまった子供のように頭を掻きながら、
「実は、まひるという名前しか覚えてなくて……。ボク、ここの高校?の生徒なんですかね?」
と言った。
話を聞くと、空中に投げ出され死を覚悟した以前の記憶がない。自分が何者なのかでさえわからない、完全なる記憶喪失であった。
「ですので先輩か同級生か、はたまた後輩なのか全くわからないのです。なのでボクのことはまひると呼び捨てにしていいですよ。もちろん敬語入りません。その代わりに、とは変ですけどカイト君って呼んでも……?」
「どうぞご自由に。あと、俺も敬語はいらないから」
「ではお言葉に甘えて、ありがとうカイト君っ」
彼女は優しく微笑んだ。
「まひるの記憶の手がかりになるようなものはあるか?」
「ボクという存在と服と、あと握りしめていた物くらいかな。もう一度調べてみるね」
ポケットをひっくり返し、上履きに入った砂粒でさえ念入りに見る。
俺はなんだか気まずくなって目を背けた。
「新しい手がかりはなかったです……。前のボクはなんで制服に名前や住所を書かなかったのですかね。それにハンカチすら持っていないんですけど」
自分自身に怒りを向けだした。
彼女の持ち物は着用している制服と落下するときに握りしめていたビニール紐だけであった。
ビニール紐は雑誌や新聞をまとめるときに使う物と同じに見える。長さは両腕を目一杯広げたほど。それなりの長さだった。まさか校舎と電柱にでも両端をくくりつけ、その上を渡っていた――なんてことはないか。汚れや変にちぎれた跡はない。何より所詮ビニールだ。
制服と合わせるには特徴的な持ち物だが、それ自体は何の変哲もないビニール紐であった。ゴミ捨て場にある方がよく似合う。どこにでもあるような物では、持ち主の人物像を想像することはできない。ごみ捨ての途中だったのか、ぐらいだ。
「ふぅ。これは無理です。ボクの記憶を取り戻す試みはまた今度にして、これから何をするか考えませんか?」
「……あぁ。まひるが大丈夫なら後回しにさせてもらう」
出会ったばかりの俺でさえ記憶喪失という言葉の意味に動揺しているのに関わらず、まひるという少女は自身の現状を気にしていないように無邪気に振る舞う。そういうフリに過ぎないことに気がついていたが、こちらも知らないフリをした。




