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滲む境界  作者: キシ
第三章

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1

  わたしはアヤカシです。

 わたしはかつて人間で霊術師でした。その頃のことを自分が体験した出来事のように思い出すことができません。どこで、何をして、何を思ったのか。それらが記入された記録を読んでいるような感覚に陥ります。自分から遠いものにしか思えないのです。


 そんな記憶とは反対に、言葉や知識といったものは自分のものとして残っていました。

 人の形をして機能するのに必要であるため、初期設定として入っていた。そんなことを想像してしまうほど、目覚めてから知識面で困ることはありませんでした。


 ただ、思いを言葉にすること。それを口にしようとすると、どうしても口ごもり適切な表現ができなくなります。

 自分がどうしようもない人殺しの化け物であることを理解しているので、どんなに美しい言葉もわたしの口を通れば醜い不協和音にしかならないと思ってしまうのです。


 初期設定はとても雑なものであり、残酷です。

 時折、人を殺せとアヤカシの体が叫ぶようになりふり構わず殺したい衝動に駆られます。

 しかし、わたしの心はそのようなことはしたくありません。持っている人の常識は殺すことを拒絶するのです。

 霊術師は幽霊を祓い、アヤカシを倒し、人を守る。

 幼少の頃から言い聞かされてきたことのようです。思い出として残っていませんが、常識としてわたしの核になっています。

 既に霊術師ではありませんが、人を守らなくてはいけない。

 人殺しが言えた言葉ではないので口にできませんが、わたしの信念と言えるものです。


 ですから、わたしは異常な霊気を察知したときに、その場所へ行こうと真っ先に思い立ちました。人を助けなければ、と思いました。



 一番の異常が発生している結界内に侵入してすぐに運良く守るべき対象と出会うことができました。そして彼らに手を差し伸べようとして、ようやく気が付いたのでした。彼らを助ける手段を持っていないことに。


 妖力は触れただけで命をむしばみかねないものです。

 失礼ながらアズマは妖力が少なく、人間が無意識に放出している霊気に負けるほどであるので、人に混ざり生活を送ることができているのです。

 それに対してわたしは妖力が多い上、制御しきれていません。そのようなわたしが彼らに触れただけで傷つけてしまいます。


 普段からそんな自分の性質を理解していました。人と関わらないようにしていました。

 それなのに困っている人には手を差し伸べることができると思い上がっていたのです。

 一年と三か月。

 アヤカシになってからそれだけの時間が経ち、信念に基づいて行動する機会を得ました。そして見て見ぬふりをし続けていたことにようやく対面したのです。今のわたしに人を助けることができない事実と。

 あぁ、やっぱり美しい理想を口にしなくて良かった。

 幽霊を祓うことはできません。

 そんなことをすれば魂ごと消してしまうでしょう。


 アヤカシを殺すことはできません。

 今のわたしがそのようなことをすれば、次はわたしを殺さなくてはいけません。いえ、自分の前にアズマを殺さなくてはいけないでしょう。わたしにそれはできません。自己満足の行いであることを理解していてもできません。アズマに罪はないから。私のせいだから。


 人を守ることはできません。

 私は一体何ができるというのでしょうか。

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