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滲む境界  作者: キシ
第一章

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1/5

 美術の授業で木を描いた。

 新品のスケッチブックの一番初めのページ。数回の授業で学んだ技法を使い、鉛筆一本で描く。これは言葉の綾であり、修正に消しゴムを使う。高校に入り、初めての作品だ。

 

 校舎の外に出て絵を描くという開放的なイベントの開催日は、あいにくの曇り空である。

 無数にある選択肢の中から、俺は正門から入るとすぐに見える木を選んだ。深く考えずに決めたが、ほぼ毎日見ているから、という理由だったのかもしれない。

 学校の顔のような場所にあるためか木の下は花壇になっており、他に比べて手入れが念入りだ。この木はモチーフとして人気のようで、友人グループごとに少し距離を取りながら輪になっていた。


 完成した絵を、一緒に描いていた友人と交換し見せ合う。

 同じ題材を横に並んで描いており、途中に何度も見た。そんな作品を今更ながらに何とコメントしようか考えながら、先に友人の感想を待っていた。

 友人は俺の絵をじっと見つめ、微動だにしない。絵に感動してしまい、という理由ならば見る目のある友人の肩を叩き、自慢しながら教室に戻るところだ。だが、描いた本人が一番そのようなことが起こり得ないことを理解している。けれども呆れられるほど手を抜いて描いた覚えはない。


 どうしたのか、という俺の問いかけに答えることはなく友人はグラリと傾き、そのまま倒れた。クラスメイトの甲高い悲鳴が頭を貫く。俺はスケッチブックを放り落とし駆け寄った。


 倒れこんだ先が低木だったおかげで目に見えた怪我はない。けれども友人は意識を失ったままであり、電源が落ちたオモチャのように瞬き一つしない。そして感想を言わんとしていたであろう口からは液体が溢れていた。血や唾液には見えない。透明のニオイのない、水としか思えないものが、水道の蛇口をひねったように口から流れ続けている。

 アスファルトの上に流れ出た液体が重力に沿って広がってく。手から零れ落ちたスケッチブックが流されていく。

 保健室に連れていくこと。先生を呼ぶこと。考えていたこと全てが水で押し流されてしまった。水が質量保存の法則を無視して人間の体から放出されるのを無心で見つめていた。


 背中に何かが触れた。それは名前が思い出せないが美術の先生だった。友人と同じように口から水を溢れさせ倒れている。周囲を見ると他の生徒もまた自身から溢れだした水に溺れていた。


 心配、焦り、恐怖といった感情を抱けぬまま、ただただ、その光景に圧倒されあ然とし、そして俺の意識はプツリと切れた。

 ゆらりユラリと揺られながら、意識を失う前のことを思い出す。そうしてあのとき生じていたであろう感情を今更ながらに得て、反省と後悔をしていた。


 俺の名前は貝崎海斗ハイザキカイト。海の幸である貝と書き、ハイと読む。カイザキとよく間違われるがそれは仕方のないことだ。いちいち訂正せず、突然あだ名で呼んでくる人であるということにしている。

 そしてピカピカの高校一年生であり、入学式の日に夢と希望を胸に見上げた校舎を、誰かに運ばれながら仰ぎ見ている。



 ここがプールであるかのように水の上を浮かび、運ばれる。妙なことに身体に全く力が入らない。強烈な眠気が居座っているのだ。考え続けなければ再び意識を手放しそうになる。雪山では起きていることが求められるのだ。今、考え続けて起きようとしても問題ないだろう。


 視界に入る校舎の角度からして、俺がいる場所はアスファルトの地面の上であるはずだ。決してプールの中ではない。頭を動かすことができないため確信を持てないが、この分では校内すべてが水浸しになっているのではないだろうか。もしかしたら校外もまた。


 友人を含めた体内から水を溢れさせていた人達は無事だろうか。原因も、原理も分からないが死んでいるなんて――ああ、ダメだ。想像に過ぎないのに悲観的なことを考えている。どうせ結果を見れば、過程の想像などバカバカしくなるのだ。――そう思わなければ、動く勇気が湧いてこない。今は物理的に動けないのだが。


 決まり切った視界には俺を運ぶ存在の姿は入らない。ただジャブジャブと水をかき分ける音を立てながら進む。感謝の言葉を述べようとも、誰なのか尋ねようとしても、口は鯉のようにパクパク動くだけだ。

 俺が目を覚ましたことに気が付いていないのかもしれない。だから視界に運んでいる人が入らないのかもしれない。見ていないので学校関係者ではないかもしれない。友人等が倒れる原因を作った怪物が、せっせと巣に運んでいるのかもしれない。餌として。――悲観的なことばかりを考えている。今日は調子が悪いのかもしれない。

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