六話
「なんでー!一緒に入ろうよ!」
「やだ」
ソファに寝転がってスマホをいじり背を向ける俺を陽菜がゆする。
視界がブレて鬱陶しいことこの上ないが俺は引く気はなかった。
「なつきちゃんとお風呂一緒に入りたい!」
「俺はやだと言ってる。一人で入れ」
ぺしっ、陽菜の手を見ずに尻尾ではたく。
突発的に始まったこのお泊まり会。
お泊まり会自体は受け入れても、一緒にお風呂、そこまでは受け入れられなかった。
だから、俺は拒否を続けているのだが、陽菜のやつはそれでも引き下がらない。
「なつきちゃん、私と入りたくない?」
「……別にそういうわけじゃない」
「じゃあ、なんで一緒に入ってくれないの?」
「……はあ」
理由なんて、語るまでもないだろうに。
俺はソファーから起き上がり、陽菜の方を向く。
「お前、俺の性別知ってるだろ?」
「女の子でしょ?」
「元男、だ」
今は確かに女の子だ。しかし、半年ほど前の俺は間違いなく男だったのである。
そんなやつが未成年の女の子と一緒に入浴?完全なる犯罪である。
だから、一緒に入ってはいけないのである。
しかし、陽菜はそれでなお食い下がった。
「私は気にしないよ!」
「俺が気にするんだ」
こう、人としての最低限の良心と大人としての責任がいくら相手が許可しててもそれは駄目だろと言ってくるのだ。
「そもそも、なんでそんな入りたいんだ」
そもそもの話として、何故彼女はそこまで一緒に入ることに固執するのか。
わざわざ一緒に入る理由なんてないだろうに。
「だって、なつきちゃんともっと仲良くなりたいもん!裸の付き合いってやつだよ!」
「……もう十分仲いいだろ」
俺と仲良くなりたいと思ってくれるのは嬉しいが、やり方を考えて欲しいものである。
裸の付き合いは同性同士でするもので、異性でするものじゃない。いや、ややこしい話同性ではあるのだが。
ともかく駄目なものは駄目なのだ。
諦めて一人で入ってくれ。
「お泊まり会といえばなんだよっ!」
「お前ロクでもないものから情報を得てないか……?」
俺もお泊まり会なんてしたこと無いから、お泊まり会の常識なんて知りもしないが、果たしてそれは本当なのか?
アニメかなんかなんだろうが、知識に偏りというか、サービスシーンをまともに受けてる気がするぞ。
ああいうのはな視聴者に向けて作られる以上、現実とはえてして乖離があるものだ。
そう言って入る気がない意思表示として再度ソファに寝転がるが、陽菜はやはり不満げだ。
そして、とんでもないことをいい始めた。
「むぅ……なつきちゃんと入れないなら私お風呂入らないよ!」
「……はぁ!?ちょ、まて馬鹿!」
どんだけ俺と一緒に入りたいんだ!
子供みたいなことを……そういや子供ではあるのか……
冗談だろと思いたいが、陽菜のやつは一歩も引く気はない、本気も本気と言った感じだ。
面倒な、陽菜は頑固を発揮すると本当に一歩も引かないから、多分マジで入らない。
くそ、お泊まり会の前に小柳さんから『陽菜さんのこと頼みますね?』って釘を刺されてたんだよ。
だから、こいつをお風呂に入れないという選択肢は選べない。小柳さんの信頼を裏切ることになる。
かと言って一緒に入るのも入るので信頼を裏切る気がする!
「すっごく楽しみにしてたんだもん!」
「…………」
「なつきちゃん、お願い!」
「……やだ。お願いだから一人で入って」
必死でお願いする陽菜のお願いを拒絶する。
ここまで陽菜が必死なのは初めて見た。見た目(精神もだけど)幼い彼女が若干涙目になりながら頼み込んでくるその姿はこちらが悪者なんじゃないかと思わせてくる。
「一生のお願い!!」
「……嘘つけ」
「嘘じゃないもん!お願い!!」
「…………」
背を向ける。これ以上陽菜の方に視線を向けていたら、折れてしまいそうだった。
「なつきちゃん……本当にお願い……」
しかし、陽菜の声はだんだんと涙交じりになり、こちらの精神をガンガンと削ってくる。
ぐぐぐぐぐ……
……我慢し続けてたけど、無理だ。
もちろん、一緒に入るなんて社会的には許されない。
けれど、俺の中で社会的正義よりも申し訳なさのほうが勝ってしまった。
「……次はないからな」
「え!?いいの!?」
「二度と一生のお願いを使うなよ!」
次はない。
けど、我ながら、チョロい。
「なつきちゃん?」
とはいえである。
いくら本人の許可があるとしてもやはり未成年の裸をみるのは不味いというのは変わらない。
「なつきちゃん何処見てるの?こっち向いてよ」
「譲歩、ここまで」
というわけでお風呂に入ってる合間はできる限り陽菜のやつから目線を逸らすことにした。
我が家に巻けるタイプのバスタオルがないことをここまで恨んだ日はなかった。
本当は目隠しくらいまでするべしなのだろうが、大浴場ならともかく狭いお風呂場で目隠しは流石に危険だし、陽菜のやつが怖い。
だから、譲歩ラインとしてできる限り見ないということにした。
「ん〜、まあ仕方ないかぁ」
流石に陽菜もそこまでは求めてこないようで少し残念そうにしながら認めてくれた。
まあ、これ以上は俺も引き下がる気はないが。
「あはは〜、さすがに狭いね」
「……そりゃな」
お風呂場に二人で入って陽菜の言葉に当たり前と頷く。
お風呂場というのは普通一人で入るもので、二人で入るものじゃないのだ。
……うちのお風呂場が比較的広い方で助かった。それでも狭いけど。
これでも二人共子供体型なのだからまだマシである。
「ねね、一緒にお風呂入るんだから洗いっこしよう!」
「駄目」
陽菜の提案は当然ながら拒否だ。
一緒に入るだけでもギリギリのラインを一つ越えてるのだ、洗いっこ?ギリギリのラインの数歩先である。
それを伝えると陽菜が悲しそうな声を出した。
……ああ、もう
「……前は駄目。俺はしない」
「え?」
「条件、守るならやってもいい」
裸の状態でさっきみたいなことやってたら風邪を引きかねない。
それくらいならこっちが譲歩したほうがマシだった。
しかし、流石にそのままやらせるわけにもいかないので条件付きだ。
前は当然駄目、俺は洗われるだけ。
その条件ならギリギリのラインではあるだろう、ということにした。正直なところ、自分自身への言い訳である。
「やった!」
姿は見えないが陽菜のやつは嬉しそうである。
まあ、こいつは我儘は言っても約束を破るタイプではないので条件を破ることはないだろう。
蛇口から水をだし、水がお湯になるのを二人で待つ。
少しすれば、冷たい水は温かいお湯になった。
俺がバスチェアに座り、陽菜のやつがシャワーヘッドを手に取る。
「いくよー?」
陽菜が言った瞬間俺の頭をお湯が襲った。
頭から流れるお湯は枝分かれしながら体を流れていき、体が温まり心地よい。
「シャンプーするよ?」
「……ああ」
陽菜の手が俺の髪を揉み、シャンプーを染み込ませていく。
……美容院でもそうだが、人にシャンプーされるのって不思議と気持ちいいんだよな。
そう言えば最後に美容院に行ったのは男の時が最後だった気がする。髪も、この体になった時に比べればかなり伸びた。
そろそろ、全体的に切りたい所だがなにせ体が体、美容院に行くのも難しい。
今はまあ、最低限前髪だけは処理してるのだが、素人が上手くすることなんてできるわけもなく、いっそのことということで前髪ぱっつんである。
この体がその髪型が似合う顔つきで良かったと思う。
しかし、後ろの髪はもう腰よりも長くなっている。
髪に関しては、今度小柳さんに相談してもいいかもしれない。
「どう?なつきちゃん」
「……悪くないな」
案外、陽菜の手つきは優しいものだった。
柔らかく髪を溶かすその手つきは心地よく、たまにある刺激もそれはそれで良いものだった。
「んふふ」
俺の長い髪にシャンプーするのは大変だろうに、陽菜のやつはとても楽しそうだ。
俺からすれば面倒で仕方なくて嫌なんだけど、何がそんな楽しいんだか。
「なつきちゃんの髪質、凄い綺麗だね」
「……ん、ああ。そうらしいな」
「真っすぐで羨ましいなぁ」
俺の髪質は所謂直毛というやつで、癖らしい癖が全くないストレートな髪質だ。
おかげで手入れがまだましで助かっている。
それに対して陽菜のやつは結構癖のある髪質だ。だから俺の髪質は羨ましいのだろう。
「お前は、癖っ毛だよな」
「うん。雨の日とかさー、凄いんだよほんと」
「前に見た」
俺とは対照的に陽菜のやつはふわりとした癖っ毛だ。
しかもそのうえで長さはしっかりあるもんだから雨の日は凄いことになる。
一度だけ見たことがあるが、後ろから見ると完全に茶色の毛玉だった。
「昔はさぁー、なつきちゃんと同じだったのに」
「ん、そうなのか?」
「そーそー、なつきちゃんと違ってショートだったけど」
異世界症候群にかかる前の話、か。
そう言えば、陽菜のやつから異世界症候群の前のことについては全然聞いていない。
何だったら今、初めて聞いたような気がした。
「残念か?」
「んー、ちょっとね」
俺の髪をときながら彼女は俺の質問を認めた。
まあ、あの癖っ毛だ。お手入れとか、かなり大変なのだろう。
と、俺はその理由をそう推察したのだがどうやら違ったらしい。
「なつきちゃんと一緒がよかったなー」
「…………なるほど」
そう言ってくれるのは、嬉しい、けど
「……俺はお前の癖っ毛、結構気に入ってる」
「……!」
こっちからは見えないが、なんとなく彼女が驚いたことだけはわかった。
そして、
「なつきちゃん!」
「裸で抱きつくな馬鹿!」
後ろから抱きついてくるのだった。
裸で抱きつくのは流石にアウトラインだ、素早く引っ剥がす。
こいつの癖っ毛は別にいいと思うけど、こいつの抱きつき癖はどうにかしたほうがいいかも知れない。
なんてことはありつつ、俺が洗われるのはまだ終わらない。
「なつきちゃん耳やるよ?」
「ん……」
陽菜の手が俺の猫耳に触れる。
猫耳にも髪……?ここは体毛というべしか、が生えてる以上髪と同じように手入れは欠かせない。
耳は触られると少し擽ったい、なんとも不思議な感触がする。
「なつきちゃんの耳、柔らかくて触り心地いいね」
「……自慢の耳だ、しっかりやれ」
実はこの耳は結構、気に入ってたりする。
我ながら触り心地が良くてだらだらしてるときに手遊びするような感覚でいじってたりするのだ。
なので、手入れもきっちりとやっている。自慢の毛並みだ。
「私の耳とは触り心地全然違うね」
「お前のはもふもふしてる」
「触りたい?」
「……いい」
俺のちっちゃな三角耳に対して、陽菜の耳は犬らしく大っきい縦長の三角の耳だ。
その耳は俺よりももふもふそうで、正直に言えば触りたい。
が、正直に言うのは恥ずかしかった。
それにしても耳を洗われるのはこそばゆくて心地いい。
少し、眠気すら感じてしまうほどだ。
だから、だろうか
「内側もやるよ?」
「……ああ」
俺は陽菜の言葉を聞き逃し、適当な返事をしてしまった。
「ん……にゃあっ!?」
気づいた時には遅かった。
陽菜の手が俺の耳の内側を優しく触る。
それだけで、たったそれだけで俺の体は大きく反応した。
ビクッ、と体が跳ね口からやけに艷やかな声が漏れる。
「な、なつきちゃん?」
「……う、その、内側は、敏感なんだ……」
困惑する陽菜に、理由を説明する。
恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい。
自分の醜態に顔が赤くなる。
陽菜の前で酷い姿を見せてしまった。
……その、言い訳すると普段なら多分こんなことにならない。心地よくて油断してたのだ。
だからこそ、突然の不意打ちに声が出てしまったのである。
「……内側は自分でやる」
「あ……うん」
すごく微妙な空気が二人の合間に流れるのだった。
軽い事故はあったものの、その後は特に問題も起きず。
俺の髪は陽菜の手によって綺麗に洗われた。
となればその次は体である。
「なつきちゃん、どお〜?」
「不思議な気分だ」
髪は美容院などで洗われた経験があるが、体を他人に洗ってもらう機会なんてのはある程度年を取るとなくなる。
陽菜に背中を洗ってもらっている今、気分はなんというか恥ずかしいような心地良いような別にそうでもないような、ともかく不思議な気分だった。
「なつきちゃん肌綺麗だね〜」
「そこまで意識はしてないんだがな。異世界症候群さまさまだ」
「だね〜。私もそんなに意識しなくなったな〜」
獣人は高い身体能力があるためか、それに対応するように体が強い。
単純な耐久性もそうだが、今話したように特に意識しなくても肌が綺麗なままなのもおそらく獣人だからなのだろう。
ま、そもそも若いからというのもあると思うが。
全く、ありがたい話だ。しかし、普通の女性からすれば多分羨ましいがすぎる話なのだろう。
異世界症候群、厄介な病気ではあるのだがなんだかんだメリットもある病気である。
だからこそ、研究が盛んなんだろうが。
獣人の身体能力だって、人為的に再現できれば世界は大きく変わるだろう。
こんなもの、研究されないわけがないのだ。
これは噂でしかないが独裁国家などでは異世界症候群にかかった人間が実験体扱いされてるなんて噂もある。
噂だから真偽なんて確かめようもないが、人権が保障されている日本に産まれて本当によかったと思うには十分すぎる噂だった。
「ねぇ、なつきちゃん」
「……なんだ?」
ふと、陽菜のやつが話しかけてくる。
「なつきちゃんはさ、異世界症候群のことどう思ってる?」
「…………」
その質問にすぐに答える事は出来なかった。
それなりに長くなった付き合いが、どことなく普段と違う何かを感じさせてくれた。
彼女は真面目に聞いている。
そう思ったからこそ、すぐには答えられなかった。
「……そう、だな」
異世界症候群。
それは、半年前に俺に襲いかかった理不尽。
人間を別世界の何かに変えてしまう恐ろしい病気、と思われるもの。
それに対して、どう思うか、か。
中々に難しい質問だった。
「……言語化しろって言われると難しい」
「…………」
陽菜は何も言わず俺の背を洗う。
それでも彼女が俺の言葉の続きを待っているのがわかった。
脳内で整理しながら俺は少しずつ異世界症候群への思いを口にしていく。
「最初の頃は、めんどくさいって思った」
「……めんどくさい?」
「ああ」
俺の言葉に陽菜は不思議そうにする。
まあ、そうだろう。正直この考えは我ながら酷いものだから。
「説明とか、めんどくさいって」
「ええ」
「別に、前の自分に未練があったわけでもなかったからこの体も受け入れられた。だから、一番最初に思ったのがめんどくさいだった」
異世界症候群の中で一番大きく変わる点と言えば、姿だろう。
成人男性が、猫耳少女になるような変化が起きるのだ。
普通の人なら、ここで大きく困惑するのだろう。
なにせ、自分というものが変わってしまうのだ。
人によってはその体を受け入れられないなんてこともあるのかもしれない。
だが、俺は特に自分というものにあまり未練がなかった。
世界から一歩引くような生き方をしていた俺にとって自分の姿なんてどうでもいいものでしかなかったのだ。
だから、めんどくさいが一番最初に来てしまった。
親への説明だとか、週一の検診とか、俺にとって異世界症候群の変化で一番大きかったのはそこ、なのである。
これには見えないが陽菜も呆れてるのを感じる まあ、俺もそう思う。昔の俺はそんな生き方なせいで小柳さんを心配させるロクでもない人間である。
「……ま、怖かったちゃ、怖かったけどな。直後は酷い疎外感があったよ」
今語ったのは、異世界症候群にかかってからある程度落ち着いた時の話だ。
本当の最初、俺の体が変異した直後は結構きつかった。
例えるなら異国に一人だけで放り出されたような、そんな気分だった。
なにせ、異世界の住民である俺にとってこの世界は別の世界なのだから。
それは酷い孤独感と、疎外感を覚えさせられた。
「もう、慣れたけどな」
とはいえ、時間が経てば慣れるというか、諦めというか、割り切ったというか。
仕方ないものは仕方ない、そう受け入れるくらいの人生経験はあったということだ。
今はそんなに気にしていないし、疎外感もあまりない。
それには、家族などの元の俺としての繋がりが残っていたのがデカかったのだと思う。
久々に母の声を聞いたとき、やけに安心したのを覚えている。
「だから、やっぱり印象的にはめんどくさいってのが一番になる」
「……そっか、なつきちゃんは凄いね」
陽菜は少し羨ましがるような、尊敬のような、そして、悪く言えば妬むような声でそう言った
「……まあ、ってのが前までの話。今はめんどくさいって思ってない」
「そうなの?」
今話したのは前までの話だ。今は、違う。
「…………お前のおかげだ」
陽菜と会って、世界から一歩引く生き方をやめた。
今を楽しむようになった。
俺の生き方が変わったのだ。そうなれば、異世界症候群への考え方も変わる。
「これのおかげで陽菜と会えたから」
俺と陽菜が出会えたのは、同じ異世界症候群だからだった。
それはつまり、異世界症候群がなければ陽菜と出会うことすらできなかったということなのだ。
俺は男子大学生、それに対して陽菜は女子高校生。
普通なら繋がりなんて一切ない関係。
それを繋いだのが異世界症候群だった。
「まあ、だから今は……それなりに感謝もしてる」
「……そっか」
陽菜は俺の話を聞いて嬉しそうに頷いた。
「私も同じ、なつきちゃんと会えて良かった。これってあれだね!運命ってやつ!」
「ふっ……そうかもな」
運命、なんて言い過ぎながら月並みな言葉だ。
確かに、関わることのない二人がとあることをきっかけに出会うのは運命という言葉は似合ってるのだろう。
でも、
正直に言えば、彼女とここまで仲良くなれたことを運命という一言で終わらせてしまうのは……少し嫌だった。
まぁ、まさか一緒にお風呂入るまでになるのは予想外が過ぎるけど。
陽菜の手が止まる。どうやら、背中を洗い終わったらしい。
とならば、次は尻尾だろう。
「尻尾洗うよ?……えーと、大丈夫?」
さっきのあれが記憶にこびりついてるのだろう。
陽菜のやつが確認してくる。
しかし、そこまで心配しなくても尻尾はあそこまで敏感ではない。
同じ失敗を二回もするものか。
「問題ない。けど、強く握るな」
「はーい」
彼女は俺の忠告通り優しく、撫でるような手つきで尻尾を洗ってくれた。
これは……中々、癖になりそうだ。
「なつきちゃん、尻尾ゆらゆらしてる〜」
「うるさい……気持ちいいんだよ」
「それは良かった!」
自分の気持ちを認めるのはまだいいけど。
そのことを他人から指摘されるのは嫌いだ。
うるさい尻尾め、はぁ
「そう言えば前なつきちゃん、私に尻尾撫でて欲しいって言ってたよね?」
「……忘れろ」
「んふふ、叶ってよかったね〜」
一ヶ月ほど前の恥ずかしい記憶を思い出す。
猫ごときに嫉妬して、本当に何考えてたんだか。
「なつきちゃんも私の尻尾撫でてよ」
「はあ、あとでな」
「やった」
喜ぶ陽菜、たぶん彼女の尻尾は今暴れていることだろう。
果たして暴れる彼女の尻尾を撫でれるのかは怪しかった。
「今度、尻尾のブラッシング一緒にしようよ」
「ああ、いいな。それ」
毛並みの維持にはブラッシングは欠かせない。
俺は朝と夜にやるようにしてるし、陽菜も前に同じだと言っていた。
同じ獣人だからこそできる会話。
それは、陽菜との繋がりを強く感じさせてくれた。
それにブラッシングは、魅了的な話だった。
「ふぅ……」
なんとも不思議な話だが、この体になってから湯船は結構好きになった。
猫なら水は苦手そうなものだが、そこは女性的な部分が勝ったのだろうか。
白いタイルの壁に視線を向けながらそんなことを考える。
「ふんふふんふんふふんふーん♪」
横ではシャワーの音ともに陽菜が体を洗っていた。
当然、見るわけには行かないので壁のほうを向いてるわけだ。
「はあ……」
視線を壁から天井に向けて、少し考える。
何についてかと言えばさっきの会話。
『異世界症候群についてどう思う?』
陽菜が突然聞いてきた、その話題。
わざわざ聞いてきたのだ、雑談と片付ける事は出来なかった。
彼女は異世界症候群のことをどう思っているのだろうか。
俺と同じ、とは言っていたがそれなりの関係だから、それだけではないのは察していた。
俺は、異世界症候群を受け入れている。
それは、俺がそれなりの人生経験を積めてるいるのに加え、家族との繋がりが大きかった。
しかし、陽菜は十六歳で人生経験はそこまでない。
それに彼女は──
「なーつきちゃん」
色々頭を回していたら突如視界に陽菜の顔が現れた。
ああ、もう洗い終わったのか。
「少し詰めてよ。私も入りたーい!」
「ん、あ、ああっ!?」
陽菜のやつが入れるように自分の体を縮こませると同時に視界に入ってきたのは陽菜の健康的な小麦色の肌。
急いで視界を逸らし、後ろを向く。
ああ、俺のバカ。さっきから油断しすぎだ。
「別にそんなに気にしなくていいのに」
「俺が気にする!」
彼女が何と言おうと俺が気にするのだ。
彼女の裸を見るなど許されない。
「その体制きつくないの?」
「……きついに決まってるだろ」
急いで視界を逸らしたから結構無理に体を曲げてしまい、正直痛い。
猫の獣人なので体は柔らかいのだが、人体が元な以上限界はあるのだ。
しかし、姿勢を戻せば陽菜の体が見えてしまう、というか向き合うように入ってる以上彼女を視界に入れないのは難しい。
そう思っていると陽菜から提案があった。
「私の上に椅子に乗るみたいにすれば?それなら見えないでしょ?」
「……それしかないか」
陽菜の上に乗るのも、どうかとは思うけど。
というか本当は風呂から出るべきなのかもしれないけど、それは嫌だし。
なら見るよりはマシなのでその提案に乗ることにした。
陽菜に背を向けて、陽菜の足の合間に入り込んで座る。
俺と陽菜だと、耳を含めなくても陽菜のほうが少しだけ大きい。
そのせいか、妙にすっぽりはまった。
「んふふ、なつきちゃーん」
「抱きつくな!」
できる限り密着しないようにしてるのに陽菜のやつから腕を巻き付けて抱きしめてくる。
抵抗するが、狭い上に水の中だと抜け出すことは難しい。
「……こうしてると、妹みたい」
「誰が、妹だ!」
酷いことを言う陽菜に俺は腕を暴れさせて抗議し、湯船がバチャバチャと荒れる。
四歳年下の姉はもはや特殊性癖か何かだろう。
そして、俺は妹になんてなりたくなかった。
しかし、陽菜のやつは俺の文句を聞き流す。
「昔から、夢だったんだ!こうやって妹のお世話するの」
「……もしかして、洗いっこも」
「……ばれた?」
「はぁ……」
いたずらがバレた子供のような反応をする陽菜になるほど、と理解する。
やけに強情だったのはそのためか?全く。
「一人っ子か?」
「うん、だから憧れ」
「妹なんて、いいもんじゃない」
「え、なつきちゃんいるの!?」
とても生意気な妹が一人だけ。
俺とは全く似ても似つかないやつだ。似ていないと何度言われたことか。
そんな俺からすれば妹が欲しいなんて一切理解できなかった。
「会ってみたいな〜、なつきちゃんの妹さん」
「会わないほうがいい。会わせたくない」
「え〜?」
確信がある。こいつを会わせたら妹にめちゃくちゃいじられるということを。
正直今の姿になっただけでもめちゃくちゃいじられそうなのだ、それにプラスして弱点を増やしたくはなかった。
「でも、羨ましいなぁ妹がいるの。私も欲しい!お姉ちゃんって呼ばれたい!」
「なんでそんなに欲しいんだ?」
「……う〜ん……家族は、多いほうが良いでしょ?」
「…………」
……なるほど。
それは、とっても、納得できる理由だ。
……仕方ない、まあ、別に、ちょっとくらいなら。
「今日一日」
「え?」
「……今日だけなら俺のこと、妹扱いしてもいい」
そんなに憧れてるのなら、このくらいはやってあげてもいい。
まあ、こいつを、一日くらいならお姉ちゃんにしてあげてもいいかなって。
「な、なつきちゃん」
「また抱きつくつもりか?」
「なつきちゃん!」
後ろから抱きしめられる。はあ、とため息をついた。
もういいや、と今日は妹らしく抵抗しないことにした。
「……お姉ちゃんって呼んでよ」
「やだ」
「ええ〜」
「……ふん」
妹初心者の陽菜のやつに妹というのを教えてあげよう。
妹とは、生意気なものである。
お風呂から上がり、熱っぽい体では何もやる気は出ないのでまたもや二人でダラダラ。
そんなことをしていれば、そろそろ寝る時間が近づいてきていた。
「陽菜、寝る準備しとけ」
「何処で寝るの?」
「ベッド一つしかない。お前が寝ろ。俺はソファで寝る」
「え!?」
なんとなく陽菜の反応は予想できていた。
多分、次の発言は。
「「一緒に寝よう」、やだ」
予想通りの言葉がハモる。
けど、駄目だ。お風呂よりはマシだが未成年と一緒に寝るのはかなり不味い。
「え〜」
「はあ、これは譲歩しないからな。寝る準備をしとけ」
「あ、待って待って!」
陽菜が俺を引き止める。
なんだ?さっきも言ったが俺はこれに関してはもう譲歩する気はない。
いくら俺がチョロいと言っても、二回目はないのだ。
しかし、陽菜が呼び止めた理由は違った。
「夜ふかし、しない?」
「…………駄目」
「今ちょっと迷ったでしょなつきちゃん」
まあ、気持ちは分からないでもない。
お泊まり会といえば、夜ふかし。これは俺でも納得ができる。
とはいえ、夜ふかしは健康的にはよろしくない。
あまり認めたくないものだった。
「別に徹夜するわけじゃないから良いでしょ?どうせ明日何かあるわけじゃないし」
「う〜ん」
それは、その通りだ。
夜ふかしのよくないところとして明日に影響があることがあるが、俺達はどうせ明日も休みだ。
陽菜も昼までに帰せば良いことになってるし、別に多少の夜ふかしくらいなら、と思う俺はいないでもなかった。
「それに折角だからなつきちゃんと長く一緒にいたい!」
「……それは、そう、だけど」
陽菜と一緒にいたいのは俺も、同じ、だし。
俺の中での天秤がどんどんと夜ふかしの方向に偏っていく。
「あと、夜ふかしのためのゲーム買ってきた!」
そこに、夜ふかしの方に陽菜が巨大な重りをぶん投げた。
全くこいつは、また無駄遣いを。
そこまでしてるなら、まあ、ちょっとくらいなら良いか。
「……わかった」
「やった!」
「でも、ある程度で止めるから」
「わかってるよ!」
俺が許可を出して大喜びの陽菜。
そもそもこいつ、興奮してるのか全然眠くなさそうだ。
この感じだと素直に布団に入っても眠れなさそうだし、それならば夜ふかしも悪くはない、か。
……それに、陽菜と長く一緒にいられる。
それは、俺としても歓迎だ。
俺は陽菜のそばでふふっと笑った。
「ところで、何を買ったんだ」
「ホラーゲーム!」
「にゃぁっ!?」
俺は陽菜から尻尾を巻いて逃げだした。