四話
「ん、と」
歯ブラシやら、コップやら、ティッシュやら、生活感を隠せない洗面所。
置いてある台に足を乗せて俺は鏡の中の自分を確認していた。
寝癖よし、目やによし、これと言った汚れもない。
そして……ピコピコと動く猫耳も問題なし、自由気ままに動く尻尾も問題なし。
クルンとその場で一回転。服もよし、と。
鏡に映るのはもう半年も一緒に過ごした猫耳少女の体。
流石に、半年も経てば慣れに慣れてくるもので、今はしっかりとこの体を自分のものと思うことができる。
逆に昔の、男の頃の姿のほうが思い出せないほどだ。
この前掃除をしていたら卒業アルバムを見つけたのだが、自分がどれだったか数瞬の合間わからなかったくらいである。
それはある種薄ら寒いものでもある。
だって自分を見失うようなものだ。自分が自分の姿を忘れかけていると気がついたとき、背すじが冷たくなったのを覚えている。
けどまあ、姿がどうなろうと俺は俺であることに変わりはない。
我思う、故に我在りということだ。俺が俺である以上もはや恐れることでもないだろう。
結局のところ世界は否応なく進むもので、記憶というのは断続的なものだ。
その中で俺が俺であり続ければいい。
仕方ないと割り切ることにした。
昔より、今のほうが大事なのだから。
鏡に視線を向ける。
鏡の中の猫耳少女はぱっと見無表情だ。
ジトッとした目つきに、仏頂面で愛想も何も無い。
けど、今までと少し違う。この顔と半年も付き合ったからこそ、その変化に俺は自覚的だった。
ちょっと、ほんのちょっとだけ笑ってる。
口角が上に上がってる。
その理由は、察しが付いている。
……あいつと会ってからもう二ヶ月か。
二ヶ月という時間は十分過ぎるほど長く、俺の中で価値観やらなんやら変化するのに十分過ぎる時間だった。
それにしても
色々と、変わったとは思うけど。
「……行くか」
帽子を手に取り、洗面所から出て玄関へ。
行き先は、病院……もしくはあいつのとこだ。
足取りは、軽かった。
本格的に夏が始まった。
もしくは、始まってしまった。
もしくは、始まりやがった。
「熱……」
燦々とキラめく太陽は見事なもので、アスファルトに熱を与えともかく暑い。
全く、夏なんて季節なくなればいいのにと思う。
帽子すら貫いてくる日光には殺意が湧いてくる。
まあ、二ヶ月前に想像してたほど暑くないのは助かったといったところか。
それでも垂れる汗は鬱陶しいことこの上ないが。
汗ふきシートは必需品だ。
そんな暑さに堪えながらも道を進んでいく。
暑さからかなんだか蜃気楼じみたものが見える。
そんななか、煩い子供の泣き声が聞こえた。
「ん……?」
「ゔえぇえええええ……!!」
……あいつはいつもこの道で遊んでるガキか。
いつもいつも二人組道端で遊ぶものだから、危なっかしいと思っていた奴らだ。
何かあったのだろうか?もしあったのだとしたら道ではなく近くの公園あたりで遊んでほしいところである。
道中なのでガキを観察してみるとなぜか一人しかいない。
いつもは二人で遊んでるのに今日は一人なのか?
街路樹のもとで大声で泣いている。よく見ると木にはおもちゃの飛行機らしきものが引っかかっていた。
……んな、ベタな。
俺はその横を通り過ぎようとして、
「うええええええ!!」
して……
「ゔえええええ……!」
「おい」
あまりに煩いから声をかける。
別にこのガキを心配してるわけじゃない。ただ、人耳よりも圧倒的に優秀な猫耳の聴力では甲高い泣き声は不愉快な騒音でしかないのだ。
全く、子供の泣き声なんてとんでもない近所迷惑だ。
ガキは俺に声をかけれてこちらを向いた。
涙で濡れて、はあ、酷い顔だ。
「あのおもちゃだな?」
「え?あ、う、うん」
一応泣いてる原因があのおもちゃ以外の可能性もあるので確認するが間違いはないようだ。
なら、とっとと済ませてしまおう。
俺にだって用事はあるのだ。時間は無駄にしたくなかった。
木に足をかける。
異世界症候群によって変化した体は、見た目だけのコスプレじゃない。
中身だってその体に見合ったものになるのだ。
ドワーフなら力持ちに、人魚なら水中で呼吸できるように。
その種族の特性と言えるようなものがしっかりとある。
だからこそ、この体についての研究が盛んなわけである。
そして、俺は獣人。
獣人は単純に身軽で身体能力が高い。
異世界症候群になってすぐの頃、国から求められて身体能力検査を受けたことがある。
結果で言えば、恐ろしいことに鍛えてる成人男性以上の記録が簡単に出た。
そんな記録を鍛えてない幼女が出すのだから凄まじいものである。
こんな可愛らしい見た目をした体だが、成人男性と力比べをして勝てるほどの力を秘めているのだ。
そのうえで俺は獣人の中でも"猫"の獣人だ。
獣人は元になった動物がいる、そのうえで元になった動物の特徴をある程度引き継ぐ……らしい。
そもそもサンプルが俺と陽菜の二人しかいないから断定はできないが。
ともかく俺は猫の獣人で、猫の特徴を引き継いでいるわけだ。
猫といえば、体の柔らかさと、あとはやはり身軽。そもそも陽菜以外の獣人を知らないが俺は獣人の中でも身軽な獣の獣人なのである。
だから、街路樹を登っておもちゃを取るなんて簡単なことだ。
すいすいと、足と手を使って木を登る。
「よし」
そして、葉の隙間にあるおもちゃをキャッチ。
下を見ると結構高い。この高さを歩くように軽く登れるのは異世界症候群様々といえるだろう。
さて、降りるのは……まあ直接でいっか。
この程度の高さなら、問題無い。
ぴょんっと木の上から飛ぶ。
多分普通の人なら下手したら骨折する高さだけど、猫の獣人を舐めるなという話で。
とんっ、と音を鳴らすこともなく俺は地面に着地した。
「ほら、もう泣くなよ」
「すすすすすす、すっげー!!!」
ガキの下へおもちゃを差し出す。
するとガキがヒーローを見るかのような目でこちらをみてきた。
……だる
「すごいすごい!ねこのねーちゃんかっけー!」
「はあ……おい待て、ねこ?」
慌てて、帽子と尻尾を確認する。
いや、帽子は外れてないよな?まさか登るとき尻尾が動いたか?
何にせよ見られたのだとしたら凄くめんどくさいぞ……
子供に口封じするのがどれだけ難しいかは考えるまでもない。
「な、なんで猫なんだ?」
「え?ねこみたいにするするってのぼってくから!」
「……ああ、そう」
幸いなことにどうやら、見られていたわけじゃないらしい。
ほっと一息。子供を説得するのは間違いなく面倒だからな。
俺の語彙でそんなことやりたくなったから助かった。
「じゃあ俺は行くからな」
「あ……」
バレてないならもう用はない、とっとと立ち去るとしよう。
そう思って、ふとガキの顔を見るとおもちゃを取ってやったのになんだか浮かない顔をしていた。
…………
……はあ
「喧嘩か?」
なんとなくの予想した俺の言葉に、ガキはびくっとわかりやすく反応した。
あたり、か。
あいつと言い子供は分かりやすい奴らばっかだ。
「相手はいつも一緒にいるやつだな?」
「……俺がひこーき投げちゃったから、それで怒っちゃって……」
ガキの目からまた涙が垂れてきそうになる。
全く、ぐちぐちぐちぐち、世話の焼けるガキだこと。
親の顔をみてやりたい。
まあ、そんな子供の世話をみるのも"大人"の勤め、か。
俺はガキの額をパンッとデコピンで弾いた。
「いたっ!?」
「男なら泣いてないでとっとと謝ってこい。時間経つと尚更謝りにくくなるぞ」
「……うん」
ガキは呟くように頷いた。
多分自覚はあって、誰かに背中を押してもらいたかったのだろう。
ガキの涙はすっかり止まっている……もう大丈夫か。
「その……ありがと、ねこのねーちゃん」
「とっとといけ。次は投げるなよ」
「わかってるよ!」
「それと、危ないから今後は道で遊ぶなよ」
そこまで言って俺はガキから視線を離し、病院へと歩みを進めた。
ガキもこれ以上俺が付き合う気がないことを子供ながらに察したのか何も言わずどこかへ走っていく。あの足取りならきっと謝れるだろう。
ガキのあの感じなら別に俺の言葉なんてなくても時間があれば自分で謝れたろうな。
……はあ、全く時間の無駄だったな。
「おはようございます。遅かったですね?」
「……ちょっと寝坊しただけ」
いつもの部屋に入れば待機していたらしい小柳さんが挨拶をしてくれる。
俺が来る日は必ずこの部屋で俺が来るよりも早く待機してくれてるのだ。
いつも何らかの書類を手にしてるほど忙しいだろうに、本当に頭が上がらない。
「今日も陽菜さんですね?」
「うん」
特に今日に関しては検査があるわけでもないのだから。
大体一カ月前くらいからだろうか。
それまでは週一の検査のたびに陽菜と合っていたのだが、今は週に二回、検査とか関係なしに会うようになっていた。
まあ、陽菜のやつが週一だと寂しがるから仕方なくだ。仕方なく。
陽菜はもっと会いたいと言っているがこれ以上は面倒くさいし、小柳さんにも迷惑だからなしである。
今日は検査でもなんでもない日。
つまり別に小柳さんは仕事でも何でもない。むしろ、彼女はこれから他の仕事があるだろう。
完全にこの人の好意で陽菜との橋渡し役をしてもらっているのだ。
感謝してもしたりない。
「朝比奈さん」
そんなことを思っていると、突然彼女が俺の名前を呼んだ。
小柳さんは忙しいので検診のある日はともかく、今日みたいな日に語りかけてくるのは珍しかった。
「……?なに?」
「変わりましたね」
小柳さんはほほ笑みを浮かべてそういった。
…………まあ、その通りだ。
認めるのはむず痒いけど、流石に自覚はある。
ここ二ヶ月で、俺の内面を生活も大きく変わっていた。
「陽菜さんのおかげですね」
「そう、だな」
その変化の中心にあいつがいるのは語るまでもない。
二ヶ月、たった二ヶ月で俺は大きく変わった。
前までは刺激も何も無い、出かけるのは週一の検診だけ、話すのは小柳さんとの事務的な会話くらいと、無味無臭のような毎日を送っていた。
それは、別に嫌々そういう生活を送っていたわけではなく自分から望んでそんな生活をしていた。
俺はその生活を受け入れていて、なんとも思っていなかった。
しかし、そんな生活は陽菜の手によって壊された。
あいつの前のめりな姿勢は俺の引きがちな腕を引っ張って刺激を与えてくれた。
ゲームも外食もお話も、何もかも刺激的で、"楽しい"ものだった。
今の生活からすれば、前までの生活は時間を無駄にしていただけのようにも思えた。
「結構、心配してたんですよ」
彼女はこちらを見つめて、少し憂いを帯びた様子でそう言う。
「あのときの朝比奈さんは毎日どこかつまらなさそうで……正直に言うといつか消えちゃうんじゃないかって思ってました」
「それは、流石に……」
「笑い事でも、ないんですよ」
彼女は俺の言葉を遮り深刻な顔で断言した。
少し驚く、小柳さんは人の話を遮るタイプじゃないからだ。
だからこそ彼女にとってその発言が本当に笑い事ではないということがよく分かった。
「職業柄、様々な人を見てきましたから……」
「…………」
その続きを彼女は言わなかった。
けれど、何を言わんとしているのかは、よく分かった。
彼女は医者だ。医者という職業は彼女の言う通り様々な人間と出会い、そして別れるのだろう。
そして、その別れは『また』のない、いいものではないことも多いのだろう。
そんな彼女の言うその言葉は嫌になるほど実感が籠もっていた。
「だから、本当に、安心したんです。よかったって」
彼女はまるで母が子供に向けるのような慈愛の籠もった、そんな笑みを浮かべた。
……俺はこんなにこの人のことを心配させてしまっていたのか。
昔の俺の無愛想な言動を思い出して、恥ずかしくなる。
前までの俺はこの人の心配を適当に流していたのだ。
全くせめてちゃんと受け止めるくらいはするべしだった。
「朝比奈さん、最近はどうですか?」
「……楽しい」
少し視線を外しながら認める。
ここで、意地を発揮するほど俺は鈍感な人間じゃなかった。
あいつのことを思い出して、ほんの少し口角があがる。
それを聞いて小柳さんは満足そうにするのだった。
「本当に、陽菜さんには感謝しないとですね」
彼女が呟く。
それは多分俺に向けた言葉ではなく、独り言だったんだと思う。
凄い小さな声だったし、自分にいうようにほんの少し俯いていたからから、でも獣人からすれば聞き取るのに十分すぎる大きさだった。
そして、それは違う。
「……それは、違う」
「え?」
否定する俺に小柳さんは聞かれていたことか、それとも否定されたことか、どちらか分からないが驚く。
「違う、とは?」
不思議そうにこちらを見つめてくる彼女。
確かに、俺の変化には大きく陽菜が関わっているし、その中心は間違いなく陽菜のやつだ。
けど……それだけじゃない。
俺が変われたのは陽菜"だけ"のおかげじゃない。
もう一人大きな功労者がいる。
「俺と、陽菜のやつが会えたのは小柳さんのおかげ、だから」
「…………」
「多分、小柳さんじゃなかったら俺は陽菜と会わなかったと思う」
この人は俺が陽菜と出会う前から。
俺が無愛想だったときから、俺と仲良くしようと、話しかけようとしてくれた。
俺のことを心配していてくれた。
だからこそ、俺はこの人のことを嫌ってなくて。
それなりにこの人のことを信用していて。
この人だから、人と会うという自分にとって嫌いなことをやろうと思えた。
この人がいなかったら俺は陽菜と会うことすらできていなかった、そう思う。
それは間違いなく、小柳さんだからなのだ。
「だから、その……俺が変われたのは小柳さんのおかげでもあって……」
「……朝比奈さん?」
やばい、なんか凄く恥ずかしくなってきた。
顔が熱い。真正面からこんな事言う経験がなさすぎて凄く恥ずかしい。
でも、世話になったんだから。
今まで心配をかけてしまったのだから。
今までの礼をしっかりと伝えないと。
誤魔化さないで。
小柳さんに、感謝しないといけない。
「えっと、その……ありがと、う」
「……!朝比奈さん!」
彼女は俺の感謝に感極まったように、とっても嬉しそうに笑う。
そこで耐えるのに限界がきて俺は彼女から視線を外した。
「……嬉しいです。私がやってきたことにしっかり意味があったんだって知れて、とっても」
「そ……」
その声はいつも通り落ち着いた声だったが、彼女は間違いなく嬉しそうだった。
……ま、そう思ってくれたなら恥をかいた価値はあっただろう。
なんて思って小柳さんの方をみたら、彼女は静かに涙を流していた。
「!?こ、小柳さん?」
「え、あ……す、すみません、本当に嬉しくて……」
彼女は本当に静かに泣いていた。
表情も変えず、静かに、ただその喜びを噛みしめるように涙を流していた。
「……医者は全知全能というわけじゃありません。今まで何度も、何度も救えなかった人を見てきています」
独白するように彼女は語る。
それは医者として向き合わなければならない現実なのだろう。
……ただの診察対象でしかない俺の生活すら気にする優しい彼女からしたらそれはどれだけ辛かったのだろうか。
「……実を言うと、最近自信を消失してまして」
「え?」
いったい、なんで?
そんな疑問は口にするまでもなく、小柳さんがその答えを呟いてくれた。
「……私じゃ救えない、そう思ってしまった人がいるんです」
「…………」
落ち着いた口調ながら、その一言には彼女の医者としての怒りや失望と言った綯い交ぜになった感情が見て取れた。
そんな、彼女ですら救えない人とはどんな人なのだろうか、そう思った。
「だから、自分がちゃんとあなたを救えたことが、嬉しい。あなたが救われたことに私は救われました」
小柳さんは涙に濡れる目でしっかりとこちらを見つめて告げてくる。
「医者として、あなたを救えたことを誇りに思います」
「……そっか」
そんなこと言われたら、尚更この人に心配をかけていた自分が恥ずかしくなってくる。
「小柳さんは、かっこいい」
本当に心の底からそう思った。
医者としての責任を果たす彼女は、社会から逃げている俺からすればあまりにも眩しく見えた。
涙も止まったのか小柳は俺の言葉に少し照れくさそうにする。
珍しい表情だな、そう思う。普段からあまり表情を崩さない人だったから。
そう思って考えてみればこの人のことまだあまり知らないなと思った。
これからは、小柳さんともいっぱい話すようにしよう。
陽菜も混ぜて、いっぱい。
きっと、そのほうが楽しいから。
ふと、彼女は椅子から立ち上がりこちらに寄ってくる。
「あのぉ……撫でていいですか?」
…………
小柳さんの方を見て、その手を見て
……んん
ちょっと、ほんの少し、本当に少しだけ迷って
…………
……ぺしっ、彼女の手が尻尾で優しくはたかれる。
「あ」
「…………駄目」
「ほんのちょっとだけ!」
「駄目ったら駄目!」
それは、やっぱり許可できない。
けど、
「……もっと仲良くなってから」
あなたとは仲良くしたい。
仲良くなれたら、撫でさせて……やらなくもない。
「なつきちゃぁーん!!」
陽菜のやつが飛びついてきてそれを受け止める。
初めて出会ったときにも食らった彼女の大型犬のような飛びつきはもはや恒例行事のようになっていた。
「はあ、お前は毎回これをしないと気がすまないのか?」
「えへへ」
陽菜は俺の腕の中で尻尾を振りながら子供っぽい笑顔を浮かべる。
ま、いいけど。
別に、悪い気はしてないし。
「ふふっ」
部屋の端では小柳さんが俺達を見て微笑んでいる。
どうやら今日は小柳さん午前休を取っているらしく、俺達が遊んでいるのをみたいそうだ。
ちょっと気恥ずかしい。けど、さっきあんなことを言ったのに断ることはできなかった。
「今日は何をするんだ?」
普段やることは基本的にゲームだ。
というか、他に遊びようがない。
運動、というのも何分俺達の体が体だ。狭い部屋の中じゃ物足りないし、かと言って広いところでは人目の問題がある。
外食というのも、毎回毎回やるようなものではないだろう。
だから部屋でできるゲームばっかになるのは仕方ないことだった。
この質問も何をやるかというよりは何のゲームをやるかという質問だった。
「ん〜」
この質問をするといつも陽菜はすぐ答えるのだが、今日は珍しく答えない。
何か他にしたいことがあるのか?
「ねぇ、なつきちゃん。私やってみたいことがあるの」
「……やってみたいこと?」
ちょっと嫌な予感。
二ヶ月一緒に過ごしてこいつのことはよく理解している。
そして、こいつの思考が奇想天外なことも理解している。
そんなやつのやってみたいこと、それは突拍子もない事なのは察しがついた。
……聞くだけ聞いてやるけど。
「お泊まり会!やってみたい!」
「……お泊まり会?」
「お泊まり会!」
なにそれ?
突拍子もなかったせいで少し驚いたが流石にお泊まり会の意味は知っているというか、言葉自体が意味そのまんまというか。
ともかく、一番の疑問はなんで急にそんなことを言い出したかだった。
「やってみたかったの!お泊まり会」
「俺は何でやりたいのかを聞いてるんだ」
見ろよ横から俺達の会話を聞いている小柳さん苦笑いしてるぞ。
説明はちゃんとしろ。
そう突っ込んだらようやく彼女は理由を説明してくれた。
「なつきちゃんの家に行ってみたい!」
「俺の家でやるのは確定なのか」
「うん!」
そんな自信満々に頷くなよ。
俺が断ったらどうするつもりなんだ。
……こいつの家はやっぱり駄目なのか。
というか、俺の家に来たいだけなら別にお泊まり会なんてする必要ないだろう。
それを言えば陽菜はニコリと笑った。
「お泊まり会ならいつもより長くなつきちゃんといられるもん!」
「……ふぅん」
それは、確かに、ちょっと、魅力的、かも。
最近は陽菜のお願いで……あくまで陽菜のお願いで、週に二回会うようになった。
十分高頻度に会っているわけだが、それでも陽菜のやつは物足りないらしい。
わからなくもない、けど。
俺も、時間が来るたびにもうちょっと一緒にいたいって、思わなくはない、けど。
「どう?なつきちゃん」
「どうって言われても……」
……まあ、俺としては陽菜のやつを家にいれるのは嫌じゃないというかやぶさかでもないというか嬉しいというか、だからいいけど。
俺はまあいいんだけど。
俺としてはいいんだけど。
問題はこいつの事情だろう。
俺はよくてもお泊まりとなればこいつの事情も問題になってくる。
「その、お前の方はいいのか?」
「うん!ね、小柳さん!」
「はい。事前に許可は出していますので」
まさかの小柳さんからの追撃。
予想外の攻撃に声の方を見るとふふっ、と笑われた。
……なるほど、この人、俺達を見たかったのは事実なのだろう。
それはそれとして陽菜を援護するのも目的だったな。
陽菜だけだったら信頼がないが、小柳さんがいるなら信頼はできる。
つまり二人はグルだったわけだ。
しかし、俺は一応元男で、陽菜のやつは未成年なのだから家に行くのは少し問題な気がするのだ。
「その、俺は元々男だったんだから、そんな無警戒なのは」
「ねえ、なつきちゃん」
陽菜が俺の言葉を珍しく遮る。
「私はなつきちゃんが、なつきちゃんだからなつきちゃんの家に行きたいの!」
「…………む」
そう、か
そう思ってくれていて、ちょっと嬉しいような、恥ずかしいような。
陽菜から視線が逸れて、向かった先には小柳さんがいた。
彼女は笑うと
「朝比奈さんなら大丈夫でしょう?」
む、むぅ。信頼が厚い。
それに二人からここまで言われると反論しにくい。
でも、お泊まり会となればそれなりに準備がいるだろうし
「準備はもうできてるよ!」
「昨日の時点で準備させましたから、そこは大丈夫ですよ」
……なんか外堀を埋められている。
というか、事前に小柳さんと話を合わせるってどんだけ俺とお泊まり会したいんだ。
特に小柳さんはわざわざ午前休を取ってまでである。
お泊まり会に情熱をかけすぎだ。
「小柳さんがなつきちゃんは性格的に外堀埋めないと頷いてくれないって言ってたから頑張って用意したんだ!」
「小柳さん!?」
「あら?」
とぼける小柳さん。
流石というべきか俺への解像度が高い。
事実、俺は意味もなく断る理由を探して、断ろうとしていた。
けど、その俺の習性のようなものを完全に理解されて陽菜に話されるのは恥ずかしい。
「……仲良くなっても撫でさせないから」
「え、ちょっ、嘘ですよね?」
「それでなつきちゃんどう!?」
「…………」
焦る小柳さんを放置して、考え込む。
準備して、許可も取って、小柳さんの力まで借りて。
……ここまでされたら、断れないじゃん。
別に、もとから断るつもりなんてなかったけど。
「……わかった」
「やったぁ!」
尻尾を振って喜ぶ陽菜を見てため息を吐く。
本当に、本当に楽しみなのだろう、尻尾が凄まじく煩い。
こうして、急遽無理やり気味にお泊まり会の開催が決定するのだった。
……でも、楽しみだお泊り会