換毛期の話
それは延長に延長を重ねた夏がようやく終わり、気温も多少マシになり個人的に一番好きな季節なのだが最近影の薄い秋になった頃である。
「ふんふふんふふ〜ん♪」
リビングのソファ
そこで陽菜が俺の尻尾をブラッシングしていた。
隣に座り、膝に置いた俺の細長い尻尾をブラッシングする陽菜は鼻歌を歌って上機嫌そうだ。
かくいう俺もブラッシングされる感触というのは擽ったくも心地よく、ちょっと機嫌が良い。
ブラッシングはとても大切である。なにせやらないと抜け毛が大変なことになる。
少し放置しただけでベットにソファが抜け毛だらけだ。
特に今なんて陽菜と二人で寝てるのだ。一人でも放置してると結構な量になるのに、二人分なんて掃除機が詰まりかねない。
なので俺と陽菜は一緒に住むようになってから毎日ブラッシングをするようにしている。
まあ、毎日の楽しみってやつだ。
「なつきちゃんど〜お?」
「さいこ〜」
昔はブラッシングのことが嫌いだった。
なにせ先程も言った通り放置すると抜け毛が大変なことになる。
となるとやらざるを得ないわけだが、宿題をやりなさいと言われるとやる気を失うように"やらなきゃいけない"というのは面倒くささを加速させるもので
それはもう面倒で仕方なかったのだ。
そんな心境でブラッシングするものだからやり方も雑で、多分あの調子だとろくでもないことになっていたような気がする。
まあ、それは昔の話。
今は陽菜がしてくれてるし、俺が陽菜にやるブラッシングは楽しい。
まあ、これは単純に俺が陽菜が好きというのもあると思うのだが。
どうも本能的に安心するものがある。
多分動物が親愛の形として毛繕いし合うからなのだと思う。
「なつきちゃん」
「ん〜?」
そんなわけで陽菜のブラッシングを堪能していると突然陽菜が話しかけてきた。
ソファに倒れ込みリラックスしていた俺は間延びした声で返事をする。
なんだろうか?陽菜は毛繕い中はあまり喋りかけてこないのだけど。
「なんかいつもより抜け毛が凄い多いんだけど……」
「え?」
陽菜の言葉に驚いて俺は背を持ち上げて、陽菜の手元を見る。
確かに、陽菜の持つブラシにはいつもより多く真っ黒な抜け毛が沢山付着していた。
「な、なつきちゃん体調悪かったりしないよね?」
「いや、そんなことないが……」
心配してくるように聞いてくる陽菜に答える。
最近は特に体調不良もなく健康的だ。怪我した覚えもないし、体力も有り余ってると言うかぶっちゃけ一回思いっきり体を動かしたと思ってるほどだ。
ストレスとかも特に感じていない。最近は陽菜が沢山撫でてくれるので毎日とても幸せである。
「ふむ……」
「病院行く?」
「いや……あ」
ちょっと心配性な陽菜を止め、原因に思い当たる。
そうか、もうそんな季節だもんな。
一人納得する俺に陽菜が首を傾げる。
そんな彼女に俺は告げた。
「換毛期だ」
先程、毛繕いすると安心感があるという話をしたように、異世界症候群によって獣人となった俺達は元の動物の特徴を持っている。
それは精神的な部分にすら影響を与えるのだ。
身体的な特徴なんてのは当然持っている。
例えば俺は猫らしく体がめちゃくちゃ柔らかいし、陽菜は犬らしく人間だった頃より鼻が利くようになったらしい。
ならば、換毛期があるのも当然のことと言えるだろう。
「かんもーき?」
「体毛が夏用から冬用に生え変わってるんだ」
ピンときてないらしくぽかんとした表情で可愛らしく首を傾げた陽菜に少し笑いつつ説明する。
「取り敢えず大丈夫ってこと?」
「ああ、むしろ正常な奴だな」
「そっかぁ、あ、凄い取れた」
俺の言葉に安心したような表情を浮かべたあと、陽菜が俺の尻尾にブラシを通すと大量の抜け毛が取れた。
それを見て俺は少し苦い顔をする。
「なつきちゃん?どうしたの?」
そんな俺を怪訝に思ったのか陽菜が不思議そうに問いかけてきた。
そう言えば、陽菜が異世界症候群を患ったのは四月とかだったか。
それなら多分陽菜は換毛期の経験がないのだろう。
「換毛期って見ての通り抜け毛が凄いだろ?」
「うん」
「前ベッドが大変なことになってなぁ……」
時期的には四月の初頭くらいだったか。
異世界症候群を患い二カ月くらい経ったころの話だ。
病院を退院し、新しい家と新しい体に慣れつつあったぐらいのとき、初めての換毛期が始まったのだ、
が、しかし、当時の俺はまだこの体になってから二カ月。
色々と手探り状態で、まあ端的に言うとブラッシングの重要性というのを理解しきれてなかったのだ。
で、昔の俺はほぼずっとベットに寝転がる生活をしていた。
そしたらもう何が起きるかお分かりだろう。
ベッドが抜け毛だらけになった。
それはもう酷い有様で、その掃除はとんでもない手間がかかった。
それ以降ブラッシングは嫌でも欠かさないようにしたのだ。
そんなわけでぶっちゃけ、換毛期にあまり良い思い出はないのである。
「うわぁ、大変そう」
想像してしまったのか陽菜が嫌そうな顔をする。
「じゃあ一杯ブラッシングしないとだね」
「ああ」
「やる回数増やす?」
「頼んでいいか?」
「やった!」
そこで喜ぶのな。
一応手間が増える行為だというのに陽菜は嬉しそうだ。
まあ俺も陽菜のブラッシング増やしていいと言われたら多分喜ぶので言えたもんじゃないが。
「お姉ちゃんがちゃぁんとブラッシングしてあげるからね!」
「はいはい、頼んだぞお姉ちゃん」
楽しそうに尻尾を振る陽菜に少し呆れつつ、俺も俺でブラッシングが増えるのは少し楽しみなのだった。
「冬用になるってことはさー、もっともふもふになるの?」
「そうだな。前はいまよりもふもふだった」
「おお!」
尻尾がもふもふになると聞いて嬉しそうな陽菜。
もふもふ具合に関しては陽菜のほうがよっぽどだと思うのだが、陽菜的には俺の尻尾のほうが好きらしい。
「もっともふもふ……楽しみ」
「お前の尻尾のほうがもふもふだろ」
「なつきちゃんの尻尾のほうが柔らかくて触り心地いいんだもん」
そう言って俺の尻尾をムニムニする陽菜。
そうやって触られると擽ったいともまた違う変な感覚がある。
心地良いような良くないようなやっぱり良いような、変な気分である。
「陽菜の尻尾のほうがいいと思うんだがな……」
「なつきちゃんのほうがいいも〜ん」
「ふっ、そうだな」
「あはは」
まあ、どっちもどっちということだ。
目を合わせて笑い合う。
「終わったよー」
「おう、ありがと」
そんな事をしていればブラッシングも終わったようで、陽菜が尻尾から手を離す。
俺はそれを軽く自分の腕に巻きつけて確認する。
うん、良い毛並みだ。いい仕事をする。
毛並みがしっかりと整ってるとなんだか自己肯定感が上がる。オシャレしてるときの感覚に近いかもしれない。
「じゃ、次は陽菜の番な」
「はーい!」
陽菜が少し動いてお尻の方をこちらに寄せて尻尾を俺の前に出してくる。
俺はその尻尾を手に取ろうとするが、ぶんぶん動く尻尾はなかなか掴めない。
「揺らすな揺らすな」
「ごめーん」
何が楽しいのか尻尾を振る陽菜に笑いながら注意する。
陽菜をブラッシングする際は恒例であった。
尻尾の制御、昔よりはマシになったのだが、陽菜はやっぱり苦手なようでいつもこんな感じだ。
まあ、それも陽菜らしいかともう諦めた。
陽菜の尻尾は俺のよりも全体的にふわりとしていてもふもふしている。
俺的にはこの触り心地のほうが好きなんだがなぁ
なんて、さっきと同じ事を繰り返しても仕方ないので陽菜用のブラシを手に取り、優しく尻尾をとかす。
ふむ……
「陽菜の換毛期はまだみたいだな」
「私にもあるのかなぁ」
「まあ、あるだろ」
ブラシを見ても取れる茶色の抜け毛はいつも通り。
俺にあるのだから陽菜も多分換毛期があるはずだ。
もし時期が被ってたらベッドがそれはもう凄いことになったろうから良かったと言うべしか。
「これがさらにもふもふになるのか」
陽菜も換毛期が始まれば、さらにもふもふになるわけで。
こちらもこちらで楽しみである。
「もう秋になるんだねー」
「だなぁ」
陽菜の言葉に頷く。
換毛期なんてなれば季節の流れを実感せざるを得ない。
気がつけばもう十月、時間が巡るのは早いものである。
「まだちょっと暑いけど」
「だいぶマシにはなったけどな」
やはり異常気象か、十月に入った割にはまだまだ暑い。
全く、この調子で気温が上がり始めたらいつか真夏には五十度とかになってしまうのではないだろうか。
「今年は雪降るかな?」
「期待しないほうがいいだろ」
「もー、なつきちゃん」
窓の方を向いた陽菜の言葉に俺は首を振る。
都心よりの地域なのだ。雪は期待するだけ無駄というものだろう。
なんてのはまあ陽菜もわかってるみたいで言わないでよ、と視線で言外に訴えられた。
「俺的には寒いから降ってこないでほしい」
「えー、いいじゃん雪。遊ぼうよ!雪合戦とかしない?雪だるまは?」
「猫はこたつで丸くなるの」
流石に大人になった今雪合戦やらなんやらで楽しもうという気分にはならない。
陽菜はやりたいみたいだが。
まあ、こいつが寒さに強そうなのは解釈一致だ。
喜び庭を駆け回っていることだろう。
「こたつあるの?」
「ない」
流石にこたつは我が家にはない。
そもそもこの家に住み始めたのが冬終わりかけの時期だ、こたつなんてあるわけがなかった。
「買ってもいいかもな」
「大丈夫?」
「ん?何がだ?」
何かを心配する陽菜に首を傾げる。
こたつを買うことに関して何か心配することなんてあるだろうか?
「なつきちゃんこたつ買ったらこたつの中に引きこもりそうだから」
「…………」
反論しようとして、できなかった。
言われてこたつの中に引きこもる俺がはっきりと想像できてしまった。
これは……確かにだいぶ良くなさそうな気がする。
「こたつの"中"で丸くなるなつきちゃん外に連れ出すの大変そうだもん」
「冬でも外に行く気か」
「とーぜん!嫌なの?」
「寒いのは嫌いだ」
「暑いのも嫌いなのに」
「秋万歳だ」
やはり丁度よい気温に旬の食べ物も美味い秋こそ至高である。
なんて俺の言葉に陽菜は小さく笑った。
「じゃあこれから一杯おでかけする?」
「……お前に任せる」
別に、冬であろうと陽菜が行くなら俺は行くつもりだし……
なんてまあ、陽菜はわかってると思うけど。
「じゃあさ、今度服買いに行こうよ」
「服?」
「私今のサイズの冬服持ってないんだもん」
あー、と内心で呟く。
陽菜が今の姿になったのは春先くらいの時期だったか、俺がこたつを持ってないように当然陽菜も冬用の色々を持ってないわけだ。
「通販でいいだろ」
「えー、近くにショッピングモールあるでしょ?あそこ行ってみたい!ショッピングしようよ!」
「んー……あー……」
陽菜の言葉に俺は頭をかく。
確かに徒歩圏内ぎりぎりのところに大型商業施設は存在するが……
「あそこなぁ……あそこはなぁ」
「なつきちゃん?」
俺の煮えきらない反応に陽菜が訝しげな視線を向けてくる。
単純に外出を嫌がってるわけではないということに気がついたのだろう。
そんな陽菜に理由を説明する。
「この家に住み始めたぐらいのとき一回そこ行ったことあるんだよ」
「え?なつきちゃん一人で?珍しいね」
「うるさいやい。そん時、迷子扱いされて……それはもう面倒くさくて……」
「あー……」
その頃はこの体になりたてで、まだ自身の体が人からどう見られるかというのを理解しきれてなかったのだ。
しかし考えてみれば当然で、ショッピングモールに小学生程度の女児が一人でいたらそれはもうめちゃくちゃ心配されるのだ。
結果、迷子扱いで保護されるわけである。
しかもその頃まだ年齢を証明できる類のものを持っていなかった。
故にそれはもう本当に言葉で言い表せないくらい面倒なことになり。
俺の外出嫌いを加速させた原因の一つである。
その話を聞いて陽菜が何とも言えない声を出す。
「じゃあ、私がいても……」
「迷子が一人増えるだけだな」
一応二人いれば多少はマシになるだろうが焼け石に水というもの。
今なら年齢の証明手段はあるわけだが、一々年齢を証明しなければならないとなれば行くのが億劫になるのも当然だろう。
「誰か大人の人呼ぶ?」
「誰かって誰だよ」
「小柳さんとか」
「迷惑だろ」
医者の小柳さんは当然多忙も多忙、そんな彼女の休日というのはとても貴重なものだろう。
ただでさえお世話になってるのだ。
そんな彼女の一日を奪ってしまうのはさすがに申し訳ない。
「じゃあ夕ちゃん」
「やだ、あいつ服に関してまじで煩いもん」
服バカこと妹の夕はそれはもう服に煩い。
センスは当然あるので任せれば確実ではあるのだが、そのこだわりの強さだけならともかく、あいつは服屋でインスピレーションを受けてその場でデザインを始めるとんでもない悪癖を持ってるのだ。
正直一緒に買いに行きたくはない。
一つの服屋で数時間は時間が飛ぶことだろう。
「というか、あいつこっちこれないだろ」
「それは〜、そうだね」
いつか俺達の家に来ると宣言した妹であるが、今年中は多分無理だと思う。
来るとすれば冬休み中だろうか?なんにせよ冬服を手に入れるには遅すぎる。
「やっぱり小柳さんだよ」
「諦めるって選択肢は」
「ない!なつきちゃんとショッピングしたいもん!」
カラカラ笑いながらそう言う陽菜。
全く相変わらずストレートな奴である。
しかしこれ以上小柳さんに迷惑を駆けるというのもなぁ。
脳内に彼女の顔を思い浮かべ、少し思案する。
……まあ、甘えるのも大切、か。
「後で聞くだけ聞いてみるか」
「やった!」
聞くだけなら良いだろう。
そんな俺の言葉に太陽のような笑い方をする陽菜に釣られて小さく笑う。
全く、まだ行けると決まったわけではないだろうに。
と、そんなふうに話しながら手を動かしていればブラッシングももう終わる。
最後に一回優しく手を動かす。
「終わったぞ」
元々綺麗だが、さらに綺麗になった気がする陽菜の毛並みに満足しつつ、ブラッシングの終わりを告げる。
「ありがとー!」
「おう」
今まで我慢してきた分を解放するように全力で尻尾を振る陽菜に少し呆れる。
そんな俺に陽菜は立ち上がって前に立つと俺の頭へと手を伸ばした。
「よしよし、頑張ったね」
「…………撫でるのはいいけど、子供扱いはやめろ」
別に撫でられるのはいいし、むしろ嬉しいのだけど、そのセリフは完全に子供に向けたものである。
撫でを受け入れながら目線で訴える俺に陽菜はニタっとイタズラっぽく笑う。
「嫌?」
「……………………………………………………………………………………………………………………………………別に」
「そっかぁ」
にやにや、そんな擬音が聞こえてきそうな笑みを浮かべ陽菜が俺の頭を撫でる。
最近、陽菜の性格がちょっと悪くなってきた気がします。
純粋な陽菜がそういうのを覚えてくれたのを喜ぶべきか、それとも叱るべきか。
「……なんかお前、ちょっと性格悪くなったよ」
「なつきちゃんのせいだよ」
「どういう意味だ」
確かに俺自身性格は悪い方だと思うし、そんな奴と同居してる陽菜が影響を受けるのはおかしくないとは思うが。
それとこれとは話が違う気がするぞ。
「……夕か」
「んー?」
「あんまあいつの影響受けないでくれよ」
俺の言葉に陽菜がわかりやすく誤魔化す。
実家にて妹二人は相当仲良くなっていたわけだが、そんな二人はよく電話やらメッセージやらで会話している。
そんなことをしていればあいつの生意気が移るのも当然か。
「大丈夫大丈夫、あんまり話すとなつきちゃんが嫉妬しちゃうもんねー?」
「……してない」
「んふふー」
私分かってるよ面を浮かべ頭を撫でてくる陽菜。
おかしい、俺が姉なのに最近明らかに手玉に取られてる気がするぞ。
「やっぱり、性格悪くなった」
「なつきちゃんが可愛いのが悪いんだから」
「はあ……」
笑う陽菜に俺は呆れてため息を吐く。
まあ、このくらいは姉として我慢してやろう。
元々陽菜はこういうところは真面目すぎるところがあったし、生意気を言ってくれるのは嬉しいところもあるのだ。
まあ、でも
「行き過ぎたら、叱るからな」
「ふふっ、なつきちゃんに叱られるの楽しみだなぁ」
「……お前なぁ」
「あう」
自分から叱られに行こうとするんじゃない。
そんな気持ちを込めて陽菜の頭にコツンとチョップを入れる。
陽菜はそれを食らって声を上げたあとに、にへらと顔を崩した。
「えへへ、叱られちゃった」
「その割には嬉しそうだな」
「大好きだよなつきちゃん」
「……全く」
可愛いやつである。




