帰省する話(8)
「んあ……」
ふと、目が覚めた。
部屋は真っ暗で陽の光はどこにもない。
「すぅー……」
横からは瞳を閉じた陽菜の寝息が聞こえた。
窓を見れば、カーテン越しでもまだ真っ暗なことが分かる。
どうやら、変に起きてしまったらしい。
それを理解した俺は再度寝ようと目を閉じる。
「…………」
真っ暗な世界で考える。
今日で実家に帰ってきてから三日目、五日目は帰宅に時間を使うので、明日がほぼラストと言っていい。
久々の実家は、俺がどう変わっても朝比奈成月であることを教えてくれた。
たったの五日だけだったが、帰るとなると少し寂しくなるのは不思議である。
昔はそんなことなかったのだが。
そこもやはり、陽菜のおかげなのだろうか。
そんな陽菜も実家に馴染めている。
父母妹全員、陽菜をしっかりと家族として扱っていた。
もう陽菜は朝比奈家の一員として当たり前に存在していた。
そのことは喜ばしいが、問題は最近陽菜が悩んでいることだった。
陽菜に聞けばお姉ちゃんと呼んでくれないからとか言っていたが、あれが嘘……ってほどではないが、ともかく本命ではないことなどわからないわけがない。
しかし、そこまで隠すものを聞き出すのが正しいのか俺には分からない。
藪蛇をつつくくらいなら、一旦時間を置くことにした。
……憂鬱な事を考えるのはやめよう。
ああ、そうだ。明日は夏祭りがある。
せっかくなのだ。陽菜と一緒に楽しみたい。
射的に、輪投げに、金魚すくい……まあ、家では飼えないので返すことになるが。
昔はあまり行かなかったが、陽菜とならとても楽しめそうだ。
「…………んん」
なんて、思考を回して眠気が来るのを待っていたのだが、全く来ない。
考えてみれば当たり前で、ファッションショーの疲れで俺はソファで寝てしまったのだ。
その途中夜ご飯を食べるために起こされたが、食べ終わっても眠気は残ったままですぐさま寝てしまった。
結果、今全く眠くないというわけだ。
はあ……疲れてたとは言え昼寝するべきではなかったかな。
「…………起きよ」
そう呟いて、ゆっくり起こさないように陽菜の手から抜け出す。
寝れないし、喉も渇いたからお茶でも飲んでこよう。
「なつきちゃ……」
「ぷっ、夢の中でも俺と一緒か?すぐ戻ってくるよ」
可愛らしい陽菜の寝言に笑いつつ、俺は真っ暗な部屋を抜け出す。
電気の消えた廊下はあのホラーゲームの廊下を少し思い出させてきて少し怖いものがあった。
ペタペタと、猫らしく足音を抑えて階段を降りる。
そして、リビングに電気がついてることに気がついた。
耳に聞こえるのは何かをコップに注ぐ音。
…………はあ
俺は先程よりも明確に足音を抑えて気配を消すと、その音の犯人の背後を取った。
「何してんの父さん」
「うおおおっ!?!?って、なんだ成月か……」
突如後ろから話しかけられてビクゥッとわかりやすく驚く父さん。
その手には、缶のビールが握られていた。
懐かしい、成人した時にこれを飲まされたんだ。苦くて凄いまずかったのを覚えてる、こんなもんを初めて飲まされたもんだから酒はあまり好きじゃない。
まあ、それは置いておいてである。
「医者に酒止められてんでしょ?母さんに見つかったら叱られるよ?」
「止められてるつっても禁止じゃなくて制限だ。一杯までならセーフだセーフ」
「一杯ならね」
得意げに笑う父さんに俺は呆れながらキッチンに向かい冷蔵庫からお茶を取り出してコップに注いだ。
このアル中が開けてしまったビールを一杯で抑えられるとは思わないが。
どうやら、この駄目父は母さんに隠れて酒盛りをしていたらしい。
全く、こんなド深夜にわざわざ、どんだけ飲みたいんだ?
俺はリビングに戻ると父さんの対面に座る。
電気はついてるものの暗いリビングではやけに父さんの顔がかっこよく見えた。
「成月、乾杯しようぜ、せっかくだから」
「はいはい」
まあ、そのくらいのお願いなら聞いてやってもいいだろう。
コップを手に持ち、カーンとぶつかる音が静かな部屋に響く。
俺は冷えた麦茶を喉に運び、父さんはお酒の入ったコップを手に持つとごくごくと飲む。
とても、美味しそうに飲んでいた。
「……よく、そんなもの飲めるよね」
「ぷはっ!ははっ!お前は全く飲めないもんなぁ」
「うるさいな」
馬鹿にしてくる父さんに俺は怒りを覚える。
今、父さんが飲んでるお酒の度数は結構高い、正直初心者が飲むやつではないのだ。
そんなものを初めてのお酒として飲ませるんじゃない。
「初めてって普通もっと低いやつでしょ」
「へっ、こんなもん酒じゃねぇよ」
「アル中らしい意見をどうも」
たちの悪い冗談を聞き流す。
そんなんだから医者にお酒を止められるんだよ。
そのまま、少し無言の時間が流れる。
「で、最近はどうだ?」
その沈黙を破ったのは父さんだった。
その質問に俺は眉をひそめる。
「やめてよ、そんな父親みたいなの」
「俺はお前のパパなんだが?」
頬を引きつらせる父親をはっ、と鼻で笑いつつ俺は最近のことを考える。
異世界症候群になって、小柳さんに出会って、陽菜と出会って、家族になって。
最近は色々あったものだ、本当に。
ただ、まあ一言でまとめるなら。
「楽しいよ」
「ふっ、そりゃあいい」
今は楽しい。
そのことを告げれば、父さんはとても嬉しそうに笑った。
「いい子だよなぁ陽菜。お前がこうなるのも納得だ」
「なにそれ?」
「はっ、分かってんだろ」
「…………」
自覚はあるがそんな分かってるふうに言われると何とも言えない気分になる、それもこの人となれば尚更だ。
再度父さんがお酒に口をつける。
「お前がそうなってくれて俺ぁ嬉しいよ」
「……ふん」
心底嬉しそうな父さんから目をそらす。
「最近は色々頑張ってるらしいな」
「うん、まあ陽菜のために色々やってる」
「おお、偉い偉い」
陽菜のために料理やらなんやら色々頑張っている。
その事を言えば父さんはそんなふうに褒めてくる。
わかりやすく子供扱いで、流石にイラっときた。
見た目はこれでも、俺はもう成人してるのだ。
「子供扱いしないでよ。そのくらい大人なら当然でしょ」
「……はっ、そうだな。けどお前は子供だよ」
その事を父さんに言えば父さんはまるで俺のことを懐かしいものを見るかのように見つめてきた。
そして、なんと父さんは鼻で笑った。
ふざけんな
「父さんも、親だからお前は子供だって言うつもり?」
「は、はははっ、そういう意味でも子供かもな」
「もう二十だよ俺」
「…………ああ」
ふと、父さんが俺の言葉に固まる。
当たり前の事を言ったというのに、やけに驚いてるのが不思議だった。
「なに?」
「いや、改めてお前って二十なんだなって思うと感慨深くてな」
父さんは机にお酒の入ったコップを置く。
コトンっと音が響いた。
「そうだよなぁ……お前もう二十だもんなぁ」
父さんはなんだか少し複雑そうにそう呟く。
その声は俺と言うよりも父さん自身に向けてるように思えた。
「昔はあんな小さ……いや、今のほうが小さいか」
「殴るぞ」
気にしてんだよそこ。
「全く、いつの間に立派になったもんだよ」
「そりゃ、陽菜もいるしね。だから、今頑張ってるんだし」
「そうかぁ……」
なんやかんや、陽菜と出会う前の俺はまだまだ子供だったのだろう。
けれど、陽菜と出会って大人としての責任を自覚して今頑張れるようになっているのだ。
それを言えば父さんは少し自嘲するように笑った。
「ま、たしかにお前は大人かもな、でもよぉ……」
こちらを見つめる父さんの目はいつものふざけた目ではなく父親、もしくは人生の先輩のような目だった。
不思議と俺の背に力が入る。
「大人は大人でも大人初心者だ」
「大人初心者?」
父さんの言葉の意味がわからなくて、そのまま聞き返す。
父さんはまたまた酒に口をつけると語り始めた。
「そう、初心者だ。お前はまだ大人になったばっかなんだからな」
「それが、どうしたのさ」
確かにそう言う意味では二十歳なんてまさに大人初心者なのだろうが。
一体それがどうしたというのだろうか?
それを聞くと父さんは笑う。
「まだ一人で抱え込むにははえーつってんだ」
「はぁ?」
眉をひそめる俺を無視して父さんはまるでわかってるかのように語る。
「お前、最近疲れてるだろ」
「えっ……なんで」
「見りゃ分かる」
否定はできない事実であった。
陽菜の世話に料理に勉強、色々なものに手を伸ばした結果最近はどうも疲労がたまっていた。
今起きてるのだって根本的には疲労が原因だ。
「それを一人で抱え込むなよ。限界は案外ちけぇぞ」
「でも……」
「でもじゃねぇ。言っただろお前は大人初心者だ」
「…………」
何も言わない俺に父さんは続ける。
「初心者に上級者の真似事はできねぇ。まずは、周りに助けてもらいながら成長していくんだ」
父さんは少し懐かしむように語る。
その声には強い実感が伴っていた。
まるで、過去自分がそうだったかのように。
「……押しつぶされるなよお前は。前々から言ってきたけど、休みのも大事だ。時にはサボれ」
「サボったら、駄目でしょ」
確かに昔から父さんはサボりを肯定するような事を言うことがあった。
しかし、俺がサボってしまったら陽菜は食べるものに困ってしまうし、家事も滞る、問題がたくさん発生してしまう。
しかし、父さんは首を振る。
「お前は昔から妙に生真面目なんだよな、そんな性格のくせに」
「悪い?」
「悪いな」
呆れたように言う父さんに苛ついて言葉を返せば、真面目であることを父さんは当たり前ように悪いと言い放つ。
「休まなきゃ人間は壊れるんだよ。俺も、お前もな。だから、サボるときはサボらねぇといけねぇ」
「でも、サボったら問題が起きるでしょ」
「はっ、俺を見ろよ。よくサボってるが問題は起きてない、ちゃんとお前の父親をしてる。なんでか分かるか?」
「母さんに迷惑かけてるから」
「その通りだ、けれど違う」
父さんは俺の皮肉のつもりで言った答えを中途半端に認め、否定した。
何が言いたのか分からない、怪訝な顔を浮かべる俺に父さんは笑った。
「正確に言えば、俺は鈴音を頼ってる」
「なんでそのことをそんな、自信満々に言えるのさ」
「はっ、これが分からないからお前はまだ初心者なんだ」
父さんはニヤケ顔を俺に向ける。
「お前も今は一人じゃないだろ」
「……!」
「忘れんなよ。お前の近くには人がいる。頼っていいやつがいるだろう?」
父さんはカッコつけるようにキザったく笑う。
頼れる相手、そう言われて明確に浮かんできたのは家族の顔だった。
「ちゃんと自分の隣に立ってるやつを思い出せ」
つまり、陽菜に手伝ってもらえってことか。
でも、陽菜は子供だ、そして俺は大人で、子供に甘えていいのだろうか。
「でも、陽菜は子供だよ?」
「なあ、成月、頼るってのは迷惑をかけるってことじゃねぇんだぜ?」
「じゃあ、なんなの」
「信頼してるって伝えることだ。人を頼れるってことは、相手を信頼してるのと同じなのさ」
その言葉は俺に突き刺さった。
父さんは母さんを信頼しているから、頼ることができる。
頼ることが信頼だというのなら、俺は陽菜を信じられていないことになるのではないか?
ならば、もっと陽菜を頼るべしなのか。
「……陽菜を頼っていいのかな?」
「はっ、自分で考えな。それが大人だろ?」
「さっき助けられるもんって言ってたくせに」
「そりゃ、過保護ってやつだ」
微妙にはぐらかす父さんにムカつきながら言ってやれば、父さんは呆れたように言う。
「……成月、子育てをした先輩として助言だが、何でもかんでもやってやるのが大人の責任じゃねぇ」
「じゃあ、なんなのさ」
「子供を育てるのが大人の責任だ」
「!」
子供を育てるのが大人の責任。
……もし、それが大人の責任というのなら、俺は果たしてその責任を果たしているのだろうか。
「過保護じゃ駄目だ。やってあげるんじゃない、獅子が子供突き落とす、聞いたことあるだろ?」
「…………」
「そこを履き違えるなよ」
最近の俺は、陽菜のためと思って料理に家事に色々なことをやってきた。
けれど、それは、間違っていたのだろうか?
もしかして、俺は陽菜に過保護だったのだろうか?
俺は陽菜の成長を阻害していたのだろうか?
わからない。
けれど、父さんの忠告を、先輩の忠告をきいて自分のやり方を少し見つめ直す必要があると思った。
「分かったか?」
「……さっきから分かったふうに言うの辞めてほしいんだけど」
「無理だね。だってお前は俺の息子なんだから。てめぇの気持ちはなんでもわかっちまうのさ」
言葉を認めたことを悟られるのが嫌で父さんを睨むとその目がはっきりと合う。
その目はいつも鏡に映る目と似ていて、この人との血縁を強く感じさせてくれた。
「娘のほうがよかったか?」
「台無し、黙れ」
はあ、いつもがこれじゃなけりゃな。
そう呆れる俺に父さんは酒を傾ける。
「ま、色々言ったけどよ。結局のとこちゃんと全部話せりゃ解決するんだよ」
「話す?」
「お前の限界が来たとき『助けて』って正直に言えるなら、それでいい」
「…………ん」
俺は小さく頷く。
助けて、か。俺は本当に限界が来た時に、陽菜に言えるだろうか。
「だから言いやすいように常日頃から自分の気持ちを話しとけよ。言わねぇと伝わらないからな」
「……それ、母さんも言ってた」
「……ふん、当たり前だ」
『言わないと、伝わらない』
やはり、夫婦なのか父さんと似たようなことを数日前に聞いた。
それを指摘すれば父さんは少し不機嫌そうに当然だと言う。
さっきから父さんの話にはやけに実感がこもっていたし、もしかしたら父さんと母さんに今話したことと似たようなことがあったのかもしれない。
それを濁して話さないのは、たぶんプライドだな。
父さんが空になったコップにお酒を注ぎ始める。
やっぱり一杯じゃ満足できなかったか。
また、沈黙の時間が訪れる。カランコロンというコップから鳴る音はやけに部屋に響いた。
「……父さんはさ、今の俺のことどう思ってる?」
「あ?そりゃどういう意味だ?」
沈黙を破った俺の質問に父さんは怪訝な顔をする。
「この姿の俺のことをどう思ってる?」
「息子、もしくは娘……俺と鈴音の子供、それ以上でもそれ以下でもねぇよ」
「…………こんな姿なのに?」
「お前が俺の子供なのは変わんねぇよ」
何度も聞くなと言わんばかりに苛ついた父さんは酒をのどに流し込む。
「じゃあさ、陽菜は?」
「同じ」
「そっか」
父さんの苛つきをかくせない端的な言葉に俺は小さく笑みを浮かべる。
……俺も陽菜もこの人の子供なのか。
「つーか、お前って娘でいいのか?お前的に」
「まあ、いいよ。そこら辺は仕方ないし」
「そうか……」
それ聞いて父さんは少し残念そうにした。
「まだ男女比気にしてんの?」
「切実なんだよ。お前がいなくなってからさらに立場が低くなった気がする」
「元からないでしょ。男の頃から別に味方してなかったし」
「お前なんやかんや一番厳しいよな……」
俺の言葉に父さんははぁあ、とかなり疲れた感じのため息を吐いた。
自業自得とはいえ、かなり苦労しているらしい。
「なんかさ、ごめんね」
「あ?なんだ急に?」
「俺、全然親孝行できてないから」
俺は全然と言っていいほど親孝行が出来ていない。
家にお金を入れることも出来てないし、二人を旅行に連れて行くことも出来ていない。
どうしても補助金である以上あまり金を動かせないのだ。
「こんなに色々してもらってるのに何も返せてないや」
「…………」
陽菜を養子に取ってくれという無茶なお願いすら聞いてくれた二人に何も出来ていないのは、少し辛かった。
せめて何か返せたら、そう俯く俺に父さんは突如、ドンッ!と力強くコップを机に叩きつけた。
「ざけんなよ」
「っ!」
驚いて、俺は顔を持ち上げて父さんの顔を見る。
俺の背筋に冷や汗が垂れた。
初めてだった。
母さんの本気の怒りは何度か見たことがあった。
父さんの冗談じみた怒りは幾度となく見てきた。
けれど、父さんの本気の怒りは今、初めて見た。
怖い、父さんにその感情を抱いたのは初めての経験だった。
一体何が父さんの逆鱗に触れてしまったのか全く分からず俺は呆然と固まる。
「笑えや」
「えっ」
「笑えつってんだ」
驚く俺に父さんは続ける。
「お前、親ってもん舐めてるだろ」
「そ、そんなこと……」
「子供に実利なんざ求めたことねぇよ」
父さんはそう言って一瞬で怒りを引っ込めると、かっこつけたように、にやっと笑う。
「子供が自由に笑ってるなら、それが一番の親孝行だ」
「……父さん」
それを聞いて、何故父さんが怒ったのか理解した。
なるほど
そりゃ、怒るよなあ。
"金なんか"で喜ぶと思われたら、怒るよな。
「俺も、鈴音もお前を産みたくて産んだんだ」
父さんはこちらを薄目で見る。
「お前を産まれて、初めて笑った時の顔はよく覚えてる」
父さんは今の小さな俺と昔の小さな俺を重ねているのかもしれない。
「お前が産まれる前は色々悩んでたんだ、お前をちゃんと育てられるかってな、でもお前の笑顔を見たら吹き飛んだ」
楽しそうに俺が産まれた時の父さんは語る。
ここまで楽しそうな父さんを見るのも初めての経験だった。
「お前を抱っこした時、お前がおもちゃで遊ぶ時、お前がお菓子を食べた時、お前が何かを成し遂げた時、お前の笑顔は全部覚えてる」
「…………」
「この笑顔を見るために、俺達は成月を産んだんだってそう思えた」
俺は父さんを見上げる。
そうか……
俺はこの人に望まれて産まれてきたんだ。
そりゃ、お返しなんて一切期待してないよな。
それでも望むとしたら、笑顔なのだろう。
「お前をここまで育てるのに色々あったけどな、お前の笑顔を想像すればそれだけで頑張れたんだ」
父さんも俺をしっかりと見た。
「俺は、お前を愛してるんだよ」
「!」
父さんからそんなことを言われるのは今まで何度もあった。
けれど、それはどこか冗談交じりだったから適当に聞き流せた。
けれど、今のは父さんの本音であることがすぐに分かって、俺は目を擦って誤魔化した。
「俺はお前が幸せなだけで、幸せなんだ」
暗い部屋の中、この場に父さんと俺以外何も存在しないような、そんな気がした。
一家の大黒柱として、俺を育て上げた彼がとても大きく見えた。
そんな父さんが親として唯一俺に望むとしたら
「だから、笑ってくれよ」
笑顔なのだろう。
父さんはこれもまた初めて見る、父親のような顔でそう言った。
いつものカッコつけてる時とは違う、優しくて温かい、そんな笑み。
カッコつけでも、なんでもない。
彼の素の顔。
父さんの本当の父親としての笑顔。
そんな顔を見れたことが、少し嬉しかった。
「いつでもいいからお前の最高の笑顔を見せてくれ」
「……うん、絶対見せてあげる」
最高の笑顔。
あの、陽菜のような笑顔だろうか。
太陽のような笑み。
あんな笑いを家族の前でするのは恥ずかしいけど、それが親孝行になるのなら喜んでやってやろう。
それを伝えれば、父さんはいつものようにカッコつけて笑った。
「楽しみにしてるぜ」
「そうですねぇ、あなた?」
「にゃっ!?」
「うおおおっ!?」
そしていつの間に、父さんの後ろに静かに怒りをため込んでいる母さんがいた。
それに驚いた俺は耳と尻尾を思いっきり逆立てて椅子から飛び上がる。
何故獣人の耳と鼻を掻い潜って父さんの背後に立てるのか、本当に訳が分からなかった。
父さんはギギギと、まるでホラーゲームの死ぬ間際のキャラのように後ろを振り返る。
「す、鈴音……いつから?」
「いつからだと思う?」
「…………すみませんでした」
父さんが深く頭を下げる。
さっきまでかっこよかったのに今や完全にダメ親父に逆戻りだった。
そんな二人に俺はため息を吐く。
「成月、良い時間なんだしもう寝なさい。明日起きれないわよ」
「ん……分かった」
俺は母さんの言葉に乗って、恐らくこれから始まるであろうお仕置きから逃げるように椅子から立った。
そのまま階段に向かおうと二人に背を向けたところで、母さんから話しかけられた。
「成月」
「なに?」
「私はあなたのことが大好きよ」
「…………」
突如告げられたその言葉に、俺は足を止める。
いつもなら、こういうのは無視していた。
けど、ふとさっきの父さんの言葉を思い出した。
言わないと伝わらない。
どんな気持ちも、想いも言わないと伝わらない。
……ま、ちょっとした親孝行だ。
「俺も二人のこと、好き、だよ」
「ふふ、そう。あなたの笑顔期待しているわ。それじゃあ、おやすみなさい」
「ん……期待しておいて。じゃ……おやすみ」
嬉しそうに笑う母さんに父さんも隠れて笑ってる。
そんな声に少しムカつきながら俺は階段を登り部屋へと帰った。
「……すぅー……」
陽菜は変わらず夢の中のようだ。
俺は陽菜を起こさないように布団の中に入り込む。
「おやすみ、陽菜」
「……なつきちゃん」
目を閉じようとして陽菜が俺の名前を呼ぶ。
まさか起こしたのかと思ったが、陽菜の瞳は閉じていてただの寝言なのが分かった。
「大好きだよ……」
「……俺もだよ」
ふっ、と笑ってそう返す。
今度は寝ぼけてる時じゃなくてシラフのときにちゃんと言わないとな。
そう思って、少しだけ陽菜の方に身を寄せた。
一つの電灯がつくだけの暗いリビング。
そこには項垂れる男と、優しくも威圧感のある笑みを浮かべる女がいた。
「さて、言い訳は?」
「ありません、酒を飲んでごめんなさい」
平謝りする自身の夫に思わず鈴音はため息を吐く。
「別に、お酒を飲んだことには怒ってないわよ」
「えっ」
「お酒を飲みたいって正直に言ってくれれば、私が管理するから飲ませてあげたのだけど?」
「はい……」
呆れる鈴音に裕二は申し訳なさそうに項垂れる。
その姿はまるで親に叱られて落ち込む男児のようだった。
全く手のかかる大きな子供だこと、そう思いながら鈴音はさらに追撃する。
「自分の息子に言わないと伝わらないって言っておいて私に言わないのねぇ」
「うっ……!てか、お前だいぶ前から聞いてるじゃねぇか……」
あまりに痛いところを疲れた裕二の口から苦悶の声が漏れる。
それに、珍しく本気で父親ぶった話をしたのを聞かれているのは気恥ずかしさもあった。
「まあ、でも成月にいいこと言ってたみたいだし、今日は許してあげる。飲んでいいわよ」
「いいのか!?」
「その一杯が最後ね?」
「わ、分かってるっての」
微笑みを向けられれば、裕二は抵抗などできない。
先ほどの話の通り、わかりやすく尻に敷かれていた。
そして、鈴音はどこに持っていたのかコップを取り出した。
「代わりに付き合ってくれる?」
「そりゃ、もちろん。お前と飲むのが一番美味い」
差し出されたコップに裕二がお酒を注ぎ、コップの中で泡が立つ。
それを片手に二人は無言で乾杯をした。
ガラスのぶつかる音が鳴り、親の酒盛りが始まった。
「ふふ、成月も、本当に大きくなったわね」
「……そうだな。あいつも、もう大人だ」
「信じられない?」
「まさか、あんな姿見せられたらな」
二人は静かに笑い、自身の子がここまで育ってくれたことの喜びを共有する。
あの少し前までは子供だった成月が大人としての責任を持ち始めてるのだ。
その成長を喜ばねば親ではない。
「……今の成月達を見てると昔を思い出すの、分かる?」
「ああ……昔の大人初心者の俺達に似てるよ」
「ふふ、やっぱり私達の子なのよ」
あんなふうに子供に語っていた二人も昔は、たったの二十数年前は大人初心者だった。
あの成月のように何も分からず不正解も沢山踏んだ。
それがどうだ、気がつけば四十を超えて、もう人生の半分は過ぎ去ってしまった。
あまり見ないようにしていたものだが、自分の子供たちを見てると否応なく昔のことを思い出す。
「あいつが大人ってことは、俺らが親になってから二十年経ってるってことなんだよな」
「そうねぇ、案外あっという間だったわね」
「はっ、まだ終わっちゃいないだろ」
「それはそうね」
人生残り半分、逆に言えばまだ半分とも言える。
二人ともその半分、子の成長を見守るためだけに使うつもりだった。
「子供を産んだ時点で死んでも親だもの。まだまだ長いわ」
「それに夕も、陽菜もいるからな」
「二人が成人するまでは死ねないわね」
「おいおい、せめて孫の顔は見たいだろ」
孫の顔、そこまで言って二人の口が止まる。
二人の中に浮かんだのは三人の娘の顔とその未来だった。
「……夕だけが頼りか」
「あの子もどうだか」
「お前が産めたんだからいけるだろう。昔のお前もあんな感じだったじゃないか」
「そうねぇ、私みたいにいい男に捕まったら大丈夫かしら、ねぇ?」
「やめてくれよ……」
鈴音を弄ろうとして、速攻で返されてしまい鈴音に白旗をあげる裕二。
裕二と鈴音の出会いは少々"刺激的なもの"であり、裕二の中で若干の黒歴史に入っているのである。
「まあ、子供を作るかどうかはあの子たちが決めることよ」
「そうだな。笑顔見せてくれりゃ十分だ」
カツン、と静かにコップがぶつかる。
孫の顔が見たいなんて、親のわがままなのだ。
それを自覚している二人は酒を飲んで笑い合う。
一番は子供達が自分達のように笑っていること、それは親としての共通認識だった。




