帰省する話(3)
カッチコチに固まる陽菜を横目に俺はインターホンをポチッと押す。
ピンポーン、聞き覚えのある音が鳴り、陽菜がぴくっと反応した。
スカートで見えないが今尻尾が張っているであろうことが見なくても分かった。
ついに陽菜と俺の両親との対面だ。
陽菜がここまで緊張するのも仕方ないし、かくいう俺も母さんなら大丈夫だと思っているがほんの少し緊張していた。
ふと、耳に足音が聞こえてくる。
「っ!」
陽菜にも聞こえたのかほんの少し陽菜が身じろぎする。
耳が良いというのも場合によっては考えものである。
俺はそんな陽菜の手を優しく握った。
「陽菜、大丈夫だ」
俺の言葉に陽菜は小さく、頷いた。
そして、ガチャッとドアから音がした。
ぎいっ……とドアが軋む音がして、そこから一人の女性が現れた。
おっとりとした雰囲気の女性だった。
長い黒髪を後ろに流し、垂れ目の左目の下に涙ぼくろのある、どこか落ち着いた雰囲気の女性。
彼女のその雰囲気が見た目だけなのは俺はよく知っている。
彼女はこちらを見て嬉しそうに笑う。
「おかえりなさい、成月」
「ただいま、母さん」
彼女、母さんが俺の名前を呼ぶ。
そして、母さんは俺から視線を外し、横にいる陽菜を見た。
陽菜は俺の横で静かに母さんの顔を見ていた。
陽菜と母さんの視線が交差する。
「あ……」
緊張のせいか、陽菜の口から声にならない声が漏れた。
そんな彼女に母さんは俺の時のように笑う。
そして、言った。
「おかえりなさい、陽菜」
「……!」
その言葉に陽菜は目を見開き、何も言わず固まった。
ただ、その言葉に様々な感情が入り混じって、何かを口にできなかったのだろう。
だって、それは母さんが陽菜を家族と認めている何よりもの証拠だったのだから。
「さ、早く入って。暑いでしょう」
「うん、さ、陽菜」
陽菜の背中をぽんっと叩く。
だから、大丈夫だと言ったんだ。あの母さんが陽菜を家族として認めないわけがないのだから。
母さんが、玄関の中に入り俺も続く。
陽菜も恐る恐る玄関の前に来るが、玄関の前で足を止める。
「え、えっと……お、お邪魔します」
陽菜は、普段とは比べ物にならないほど小さな声でそういった。
……はあ、全く
俺は陽菜のもとによると、彼女のおでこにデコピンをした。
「いたっ!?な、なつきちゃん?」
「母さんが認めてくれたんだ。お前が受け取らなくてどうする」
「あ……」
俺がそう突っ込めば陽菜も自分の失敗に気づいたのか、はっとした顔をする。
母さんは陽菜のことを認めたことを言葉で教えてくれた。
なら、陽菜だって母さんを認めていることをちゃんと言葉にして言わないと駄目だろう。
さ、やり直しである。
陽菜は息を一回吸って言った。
「た、ただいま!!」
『おかえりなさい』って言われたんだ。
返答は、『ただいま』しかないだろう。
そんな彼女を見て俺と母、親子ともに小さく笑みを浮かべ。
「「おかえりなさい」」
朝比奈家として、新たな家族を出迎えた。
リビングについて、一旦荷物を置く。
陽菜は少し迷いながらも俺の隣に荷物を下ろした。
リビングには俺達以外には誰もいないようだった。
「父さんは?」
「仕事、夕方には帰ってくるって」
母さんに聞くとどうやら父さんはまだ仕事らしい。
まあ、一家の大黒柱なのだから仕方ない。父さんと陽菜の顔合わせは父さんが帰ってきてからだな。
ちなみに妹の方は明日帰ってくると事前に連絡が来ている。
そうやって俺と母さんが会話している中、陽菜はただその場で突っ立っていた。
くつろいでいいのか、何を喋ればいいのか何もわからないのだろう。
俺が助け舟を出そうとして、その前に母さんが陽菜の方を向いた。
「今更だけど、いきなり呼び捨てにしちゃってごめんなさいね」
「え、あっ、いや」
母さんは陽菜にしっかりと目線を合わせて喋る。
陽菜は緊張が抜けないようで、いつもの姿が嘘のように口ごもっていた。
「だ、大丈夫です!そ、その……むしろ、嬉しかった、です」
「そう、なら良かったわ。あと敬語もいらないわ、家族でしょう?」
そんな陽菜を母さんは愛おしそうに見ながら当たり前のように家族という。
陽菜はそれに少し圧倒されているようだ。
「は、はい……じゃなくて、うん!」
「ふふ、ちょっとずつ慣れていけばいいわ」
それでもやはり緊張のせいか敬語が抜けない陽菜。
そんな陽菜に母さんは柔らかい笑みを浮かべる。
やっぱりそう簡単にはいかないだろうけど、まあ陽菜の性格に加えて母さんとなら時間の問題だろう。
「そういえば、まだ名前を言ってなかったわ。成月から聞いたかも知れないけど……私は朝比奈鈴音、よろしくね?」
「えと、さ……じゃなかった、朝比奈陽菜です!よろしくお願いします!」
二人が握手をする。
うん、この感じ想像よりも早く二人は仲良くなれそうだ。
「じゃあ、陽菜」
「う、うん」
手と手を離し、母さんが陽菜のことを呼ぶ。
何を話すのだろうか?少し気になったが今は二人の時間にするべしだろうと俺はソファに座った。
「普段の成月のこと、聞かせてくれないかしら?」
「え゛っ」
そして、突然の母さんの言葉に俺は二人を見てピキンっと固まった。
「ちょっ、母さん、それは」
「この子ねぇ、前から普段のこと"全然"話してくれないのよ」
待ったをかけようとする俺を横目に見ながら母さんは全然の部分を強調してそう言う。
その口は薄っすらとだが、確かに笑っていた。
……やっべー、これ超怒ってるやつだ。
そそくさー、と目をそらす。
一人暮らし始めてからというもの全く連絡を取ってなくて、たまには連絡をよこせとせつかれていた。
それでも、連絡をするのを面倒くさがっていたのだが、それは結構母さんの逆鱗に触れていたらしい。
俺は全身からありえないほどの冷や汗を垂らす。
「だから、陽菜から教えてくれないかしら?お茶をだすから、じっくりと、ね」
「分かった!」
そんな怒ってる母さんに俺が口ごたえすることなどできるわけもなく。
俺の話をできるのがちょっと嬉しいのか、先ほどよりかは緊張を抜けた陽菜はノリノリで。
俺からすると拷問のような時間が幕を開けた。
「それでね、えっとね、なつきちゃんが……」
「うんうん」
俺はソファに座り、スマホでSNSを眺める。
お、このイベントそろそろか、楽しみだ。
「私にね、甘えていいって言ってくれたの」
「へぇ」
…………
あ、リツイートキャンペーンやってる。普段は参加しないけど今日は参加しようかな。
「なつきちゃんが家族になろうって言ってくれてね」
「ふふっ、かっこいいじゃない」
「そう!なつきちゃんかっこよくて!それに、可愛いの!」
「そうなの」
…………………………
リビングの机の方から聞こえてくる会話を耳を閉じて、全力でスマホに意識を移して遮断する。
しかし、この性能のいい自慢の耳は全く遮断することなく、一語一句俺の耳に入り込んでいた。
「なつきちゃん頭を撫でられるととっても嬉しそうにするんだよ!」
「あらあら、あの子も可愛いとこがあるのねぇ」
「ごめん、もう無理、勘弁して……」
甘んじて罰だと受け入れていたが、これ以上はもう無理です。耐えられません。
燃えるようなを通り越して燃えている気がする顔を抑えて恥を捨てお願いする。
これ以上思い出話をされるともう俺は耐えられない。
母さんはそんな俺を見て、ふふっと笑う。
「もう罰は十分かしら、ありがとうね陽菜」
「うん!」
限界な俺と比べて陽菜はなんだか楽しそうだ。
俺の話を出来たのがそんなに嬉しいのか……
それは嬉しいんだけど、せめて俺のいない場所でやって欲しかった。
「さて、成月」
「はい」
母さんに名前を呼ばれ俺はその場で正座する。
十字架に貼り付けされているような気分だった。
うう、間違いなく怒られる。嫌だ……母さんは怒ると本当に怖いから本当に嫌だ。
罪状を読み上げられる直前の犯罪者のように俺が俯く。
そして、母さんの口が開く。
「よく頑張りました」
「えっ」
怒りの言葉が飛んでくると思っていたが、母さんの口から放たれたのは褒め言葉だった。
「陽菜のためにあなたは頑張って、あなたは陽菜のことを救った。あなたのやったことを母親としてとても誇りに思うわ」
「母さん……!」
その言葉に俺は胸がいっぱいになる。
自分の努力が、家族に認めてもらえたのが嬉しかった。
少し不安ではあったんだ、いくら母さんでも養子に取ったことに何か悪感情を抱いていないか。
しかし、母さんは俺を認め、肯定してくれた。
母さんが俺の頭に手を置いて優しく撫でる。
少し気恥ずかしかったけど、それを振り払うことは出来なかった。
「だから、その頑張りとさっきのに免じて、怒らないであげる」
母さんはやさしく笑みを浮かべてそう言う。
その言葉に俺は安堵の息を吐いた。
良かった、本当に母さんは怒ると怖いのだ
「これからは、ちゃんと連絡を取るように」
「はい……」
母さんは最後に俺に釘を刺す。
優しい言い方だったが、俺にはそれは次はないと言ってるように聞こえた。
これからは、本当にちゃんとやるようにしよう。そう決意した瞬間だった。
「ああ、そうそう。連絡先と言えば陽菜、あなたの連絡先を教えて?あなたとも連絡を取りたいもの」
「あ、うん!ちょっと待って」
母さんは陽菜の方を向いて連絡先の交換を申し出る。
陽菜も俺の話をあんだけして、緊張が取れたのか陽菜らしい元気いっぱいな姿になっていた。
多分、母さんが陽菜に俺の話をさせたのは俺への罰もあるだろうが、陽菜の緊張をほぐすためでもあったんだろうな。
母さんと陽菜が連絡先を交換する。
「ふふ、ありがとうね。陽菜も普段のこと、話してくれるとうれしいわ」
「うん!なつきちゃんのことなら任せて!」
「あら?違うわよ」
陽菜の言葉を母さんは否定する。
陽菜は突然否定されて驚いたのか、固まった。
そんな陽菜に母さんは小さく笑みを浮かべて言った。
「陽菜も私の娘なんだから、陽菜のことも聞かせてほしいの」
「え……あ……そっか、わ、分かった!いっぱい連絡する!」
「楽しみにしてるわ」
母さんは優しい笑みを浮かべる、本当に楽しみにしているのだろう。新しい娘からの連絡を。
陽菜は母さんのことを見つめる。
その目には小さく迷いが浮かんでいた。
「ねぇ、陽菜」
どうしたのか、俺が助けを出すか順々としていると、母さんが陽菜の名前を呼んだ。
まるで子を導く親のように。
「言わないと、伝わらないわ」
「っ!……あ、あの!」
陽菜が目を見開く
母さんは当たり前のように陽菜が何かを言いたそうにしていたのを見破っていた。
……本当に恐ろしいよなぁこの人。
「何かしら?」
母さんはやっぱり優しい笑みを浮かべ、陽菜の言葉を待つ。
「ママって、呼んでもいい……ですか」
ほんの少し、恥ずかしそうにしながらも陽菜はお願いした。
その質問に俺は小さく笑みを浮かべた。
「もちろんよ」
ふふっと当たり前のことを聞かれた時のように母さんは笑うと、陽菜のお願いを受け入れた。
「ま、ママ」
「ええ、ママよ」
陽菜が母さんのことをママと呼び、母さんが答える。
陽菜は嬉しそうに、ママ、ママとまるで言葉を覚えたばっかの赤子のように母さんのことを呼んだ。
きっと、母さんのことをそう呼んだことで、陽菜の中で母さんが明確に家族の一人になったのだろう。
そんな陽菜を母さんは優しく撫でる。
「陽菜のことはよく聞いているわ。私達はあなたの家族だから安心しなさい」
「ママ……」
優しく、母さんは陽菜を抱きしめる。
あの時の陽菜の家族の抱擁を思い起こさせる優しい手つきだった。
そんな二人を見てただ安心する。ちゃんと朝比奈家が陽菜の新しい家族になれていて良かった。
横から彼女達を見ていると、ふと母さんがこちらを向いた。
「ふふ、成月もそう呼んでいいのよ?」
「勘弁してよ……」
流石に、そんな歳じゃない……
「ああそうだ。成月、陽菜に家の案内お願いしていい?」
「あ、うん」
母さんと陽菜が談笑してるのを横目にソファでくつろいでると母さんから陽菜の部屋の案内を頼まれた。
そういや、案内していなかったか。
これから五日間は過ごすのだしそれは間違いなくやったほうがいいだろう。
「あ、私なつきちゃんの部屋見てみたい!」
「なんもないぞ……」
陽菜は俺の部屋に興味があるらしいが、正直こちらもあちらの部屋と大して変わらない。
つまり、何もないのである。
そんな俺達を母さんは変わらず笑みを浮かべながら見ていた。
「疲れたでしょうし、部屋で私のことは気にせずくつろいでなさい」
母さんはそう言う。
ありがたい、疲労は実際貯まっていたし、陽菜は特に疲れているだろう。
陽菜を連れて、リビングを出て廊下に向かう。
「えーと、ここがトイレで、ここが母さんと父さんの部屋」
「ここは?」
「倉庫」
まあ、案内と言ってもそう広い家じゃない。
一つ一つ指差して説明すれば一階の説明は全部だ。
「なつきちゃんの部屋は?」
「なんでそんな気になってるんだ……二階だ二階。いくぞ」
どうやら、陽菜的には部屋の案内よりも俺の部屋のほうが気になるらしい。
これで夜にトイレの場所わからないって言われても知らないからな。
階段を登る。うちの二階は部屋が二つしかない。
その中の奥の部屋が俺の部屋で、手前の方は夕の部屋だ。
「こっちは夕の部屋」
「夕立さんの?どんな部屋なんだろ」
「知らなくていいぞ」
とんでもない汚部屋だから。
まあ今、夕のやつは寮住みだからあの部屋も掃除されているのだろうが……
とはいえさすがに妹の部屋に勝手に入る気はない。
「んで、ここが俺の部屋」
「待ってました!」
「なんでそんな楽しみにしてるんだ……」
先程も言ったが俺の部屋なんて何もない。
もちろん十八年の蓄積があるから今の俺の家よりかはマシだが、それでも物はほとんどない。
扉を開けて俺の部屋に入る、それに続いて陽菜も入ってきた。
どうやら俺のいない合間も母さんは掃除をしていてくれたらしく、埃っぽいということはなかった。
「わあ!男の人の部屋だ!」
「なんだその反応……」
クーラーを起動していると陽菜がそんなことをいう。
この部屋をまともに使っていたのは俺が男のときだし、その通りではあるが……
いや、まあ陽菜の部屋に来たとき似たような反応をした俺が言えたものでもないが。
俺の部屋は最低限ベッドと本棚に学習机が置かれ壁に制服が立てかけられているような部屋だ。
確かに、男の部屋ではある。
「これ、なつきちゃんの制服?」
「ああ、高校のやつ……今はもう着れないな」
「はえー……おっきい」
壁に立てかけられた学ランを見て陽菜は言うが、男の頃の俺は百七十ちょっとだったから、言うほど大きくはない。
小さいのは俺達である。
しかし、久々に入るとこの部屋も懐かしい。
十八年共に過ごした部屋なのだ、思い入れは当然ある。
部屋の中身は家を出たときから全く変わっておらず、人の出入りも少ないであろうこの場は、まるで時が止まっているかのようだ。
本当、俺は変わってしまったのに地元は変わらない。
そんなふうに懐かしんでいると、陽菜がベッドの下に潜り込もうとしているのに気がついた。
……こいつ!
「なにしてるんだおまえ」
「エロ本ないかなって」
「あるわけないだろ!?」
まさかやけに部屋を見たがってたのはそれが理由か!?
俺のエロ本を探したかったのか!?
陽菜をベッドの下から引きずり出す。
「お前は変な知識をアニメから仕入れるのをやめろ」
「えー」
「えー、じゃない!」
陽菜はアニメが好きでよく見ているのだが、時たま変な知識を仕入れてくる。
本当にやめたほうがいい。
「なつきちゃんエロ本ないの?」
「買ったことすらないわ」
「そうなんだ……」
何故か残念そうにする陽菜。
まさかとは思うが、読みたかったのか?
しかし、流石に俺等の世代ではエロ本はもう廃れている。
あと、持ってたとしてもベッドの下には隠さない。
ちなみに読みたいなら父さんの部屋には何冊かグラビア雑誌が隠されていることも、それを母さんが気づいた上でわざと放置しているのも知っている。
呆れる俺に陽菜の興味は本棚の方に移ったらしい。
今度は本棚の方を見ている。
一応言っておくとそこにもないからな。
「これ、漫画?」
「ああ、好きだったやつ」
本棚には小説と漫画がそれなりの量置いてある。
どれも好きな作品ではあるのだが、本は嵩張るので一人暮らしのために置いていかざるを得なかったんだよな。
「読んでもいい?」
「ん、それお前あんま好きじゃないと思うけど……」
陽菜が好む作品はほのぼのとした日常ものや恋愛ものが多い、対してその漫画は所謂バトルものだ。
陽菜の好みからは程遠いだろう。
「なつきちゃんが好きなもの、私も読みたいもん」
「……そうか」
それは、なんとも嬉しいことだ。
俺は少し口角を上げつつベッドを指差す。
「読むならベッド使っていいぞ。綺麗だから」
「はーい」
陽菜は漫画を手にとってベッドに寝転ぶ。
俺のベッドも、まあ多分母さんが洗ってくれているだろう。
「すんすん」
「嗅ぐな」
「なつきちゃんの匂いしないね」
「するわけないだろ」
枕に頭を突っ込み匂いを嗅ぐ陽菜に突っ込む。
前に言われたのだが陽菜は俺の匂いが好きらしい。
「そんな俺の匂い好きなのか?」
「うん!とっても好きー!」
「そう……」
俺もまあ、陽菜の温かい匂いは好きだけど、流石に言うことは出来なかった。
それはそれとして、この部屋に残ってるのは多分昔の俺でお前の好きな今の俺の匂いじゃないぞ。
さて、陽菜は漫画に集中するだろうし、俺も一人で時間を潰さないとな。
俺はスマホを開く。
目的はもう決まっていた。
「陽菜、俺も良いか」
「え?うん」
陽菜に声を掛けて、俺もベッドに寝転がる。
普段使ってるものよりもこのベッドは小さく、結構狭い。
「俺も、漫画読もうと思ってな」
「あ!」
スマホの画面を陽菜に見せる。
そこには陽菜が好きな漫画の電子書籍番が表示されていた。
いつか読もうと思っていたのだが、今はまさにちょうどよいだろう。
「陽菜が好きなもの、俺も読みたいからな」
「なつきちゃん!」
「抱きつくなって、読みにくいだろ」
読み終わったら、二人で感想会をしても良いかもな。
「なつきちゃんのお母さんってさぁ」
ベッドに背中合わせになって漫画を読んでる途中、ふと陽菜が口を開いた。
「……強い人だね」
「そうだな」
陽菜の言葉を肯定する。
我が母ながら、あの人は本当に強い人である。
褒めるときは褒め、怒るときは怒る、そして曲がったことを許さない。
そして、それができるほどに母さんは"強い"
「あの人が親で良かったって思ってる」
これは心の底から思っていた。
古今東西、色んな親がいると思うが、俺には母さん以上に母親をできる人間というのが思い浮かばなかった。
身内びいきだと言われれば……その通りなのだが。
「ママと話して……思ったんだ」
陽菜は少し感慨深そうに言葉を紡ぐ。
「この人、なつきちゃんのお母さんなんだなって」
「それって……?」
陽菜のその言葉の真意が真意が分からず聞き返す。
「ママからね、なつきちゃんの匂いがしたの」
「匂い?」
「うん、なんだか……落ち着く匂い」
陽菜の言葉に聞き返す、それは物理的な話ではないだろう。
「なつきちゃんとママ、結構似てるよ」
「そう、か?」
あの人と俺がぁ?
俺はあの人と違って、強い人間じゃない。
俺が母さんに似ているなら異世界症候群になった程度で引きこもることなんてしていない。
きっと異世界症候群にも負けずに真っ直ぐに生きている。
けれど、陽菜はそれを否定する。
「なつきちゃんは……あの人に育てられたからなつきちゃんなんだろうね」
「?さっきから何言ってるんだ」
先程から陽菜が言っていることがよくわからない。
そんなよく分かってない俺が面白いのか陽菜はこちらを向くと小さく笑った。
「私からしたら、なつきちゃんも同じくらい強い人だってこと」
結局、対して説明もすることなく陽菜はそう言って纏めた。
結局、なんか褒められただけ……
なんか、ちょっと恥ずかしい。
俺だけ意味不明に恥ずかしい気持ちにされてムカついたから、俺は尻尾を使って陽菜のことを軽く叩いた。
「……お前も俺からすれば強いけどな」
そして、それだけ言った。
俺からすれば陽菜は俺みたい相手に近づいてくれた唯一の人で。
それは、俺みたいな、人と関わるのが苦手な者からすれば凄いことで、尊敬に値することだった。
正直俺なんかよりよっぽど陽菜の方が母さんに似ている。
しかし、陽菜はその褒め言葉を、
「……なつきちゃんほどじゃないよ」
謙遜して、受け取らなかった。
漫画を読んでいれば気がつけば結構いい時間だ。
日も落ち始めた時間だ。多分、そろそろかな。
「陽菜」
「ん……なぁに?」
陽菜好みじゃないと思っていたのだが、案外面白かったのか集中して漫画を読んでいた陽菜は少し遅れて反応する。
「多分、そろそろ父さんが帰ってくる。出迎えよう」
「あ……ほんとだもういい時間」
漫画を置いて二人でベッドから降りる。
長時間寝転んでいたもんだから体が固まっていたもんで、二人して大きく伸びをした。
「あら、降りてきたの」
リビングに向かえば、母さんがソファでコーヒーを片手にテレビを見ていた。
テレビではニュースがやっているようだ。
「丁度呼びに行こうと思ってたのよ。お父さん、そろそろ帰ってくるって」
「ん、だから降りてきた」
予想通り、父さんはそろそろ帰ってくるようだ。
「陽菜はコーヒー平気?」
「うっ、む、麦茶で!」
母さんの質問に陽菜は申し訳なさそうに答える。
味覚な子供な陽菜なので想像がつくと思うが、陽菜はコーヒーがダメである。
それはそれとして、別にそんな申し訳なさそうにする必要もない。
子供がコーヒーを飲めないのは当然のことだし、それは悪いことじゃない。
「俺も麦茶」
そんな陽菜に孤独感を味あわせないために陽菜に続いて俺も麦茶を頼んだ。
「成月はコーヒー駄目だものね」
「え、そうなの?」
「……言わないでよ」
陽菜が驚きの顔でこちらを見てくるので思わず顔をそらす。
俺がコーヒーが駄目なの、隠してたのに……
それから、三人で父さんが来るまでお茶を飲みながら軽く談笑する。
そして、母さんの話に小さく笑みを浮かべたその時だった。
音がした。
本当に小さな音だが、明確に音が聞こえた。
その音に反応して耳がぴくっと立ち上がる。
「陽菜」
「……うん」
陽菜の名前を呼べば、彼女も気づいたようだ。
緊張した面持ちで俺の呼びかけに頷く。
「あら、もしかして帰ってきたの?凄いわねぇ」
小さな音すぎて人間の耳には聞こえないらしい。
俺達を見て母さんは感心したように言う。
三人で立ち上がり、玄関前へ向かう。
ここまでくれば足音はもう耳を澄ませなくても聞こえてくる。
トン、トン、トン、この足音は父さんのものだ。
「っ……!」
やはり、陽菜は緊張しているらしい。
そんな彼女を母さんの時のように安心させようとして、その前に母さんが動いた。
「そんなに緊張しなくても、あの人なら大丈夫。私が保証するわ」
「う、うん」
陽菜の頭に手を置いて母さんが言う。不思議と説得力があって、陽菜も少し落ち着いたようだった。
そして、父さんの足音が止まる。
ガチャッ
「たっだいまー!父さんが帰っ……うわぁっ!?」
ドアを開けた男は、玄関前に待ち構えていた俺達の驚きの声を上げた。
ワイシャツを着て、汗をかいた男だ。
それなりの体格に、少々ダメ男感のある面をしている。
「おかえりなさい、あなた」
「な、なんでドアの前で待ってるんだ……ただいま」
口に手を置き、くすくすといたずらが成功した子供のように笑ってる母さんを父さんが睨見つける。
そして、まずは俺に視線を向けた。
「おう、成月。おかえり。やっぱ小さいなお前」
「うっさいっ!……おかえり」
軽く手を挙げ、父さんは性格の悪そうな笑みを浮かべて言う。
父さんは、身長にして百八十センチを超える男である
今の俺が小さいのは事実だが、あんたがデカいのだ。
この人はよくこんな冗談をよく入れる。一々対応していたらきりがない
そしてそんな彼の次に視線が向かうのは当然陽菜の方だった。
「っ!」
陽菜は息を呑む。
それは緊張からか、それとも父さんが怖いからか。
そんな彼女を見て父さんはしゃがんで視線を合わせ手を伸ばした。
「君が陽菜か、話は聞いてるよ。よろしくな」
そんな父さんに俺は安堵の息を吐く。
父さんならここで、碌でもない冗談を言いかねなかったからだ。
陽菜は、恐る恐る父さんの手を取り、握手した。
「俺は朝比奈裕二っていう。気軽にパパって呼んでくれていいぞ」
「えっと、朝比奈陽菜、です。……パ、パパ?」
え、と父さんが驚いた顔をする。
多分パパと呼んでくれの部分は冗談で言ったのに本当に呼ばれて驚いているのだろう。
父さんは突然こちらを向く。
「おい成月聞いたか!?パパ、パパだってよ!久々に呼ばれたぞこの呼び方!!」
「ああ、うん……そう」
「成月もそう呼んでくれていいからな!」
「さっき似たようなこと聞いたんだけど」
どうやら、妹が本当に子供の頃読んでいたパパ呼びが相当嬉しかったらしい。
しかも母さんと似たこと言ってるし、流石夫婦……なのか?これは
そんな父親に俺は呆れの目線を向ける。はぁ……この人はいつもこれだ。
陽菜はふざけた父親にえっえっ、と明らかに困惑していた。
「言っただろ陽菜、ふざけた人って」
「え、え、え〜」
事前に話してはいたのだが、忘れていたのかそれとも予想以上だったからなのか陽菜がなんとも微妙な顔をする。
気持ちは痛いほどわかる。
でもまあ、こんなんでも父親として俺はそれなりに信頼はしていた。
「ふふ、あなた。おふざけもそこら辺にね?」
「あ、はい」
母さんが父さんにストップをかける。父さんは母さんに絶対逆らえないので、素早く止まった。
力関係が分かりやすく透けている。
「玄関で話すのもあれだもの。リビングに行きましょう」
「そうだなこのままじゃ俺は訪問販売員だ」
「追い出してほしいのかしら?」
口を開けば冗談が出てくる父さんにため息が出てきそうになりながら、母さんの提案に乗っかって、俺達は父さんに俺は背を向ける。
その時、父さんが陽菜の名前を呼んだ。
「陽菜」
「えっ、わ、私?」
陽菜が振り向く。
……まあ、先程も言ったが、口を開けば冗談ばかりの父さんだが、父親として俺はそれなりに信頼していた。
何故かと言えば、
「その前に家族として、おかえりなさいって言ってくれないか」
「あ……」
俺を育ててくれたのは、彼なのだから。
陽菜はその言葉に衝撃を受けたかのように固まる、けれどすぐに復帰して父さんを見上げて言った。
「あ、お、おかえりなさい!パ、パパ!」
「おう、ただいま」
父さんは陽菜の頭をぽんぽんと優しく叩く。
「それと、お前もおかえりなさい、陽菜」
「うん……うん!た、ただいま!」
陽菜のその元気いっぱいな言葉に、俺達は家族として出迎えるのだった。