ケモミミ少女が救われる話
「お泊まり会、延長戦」
「ふぇ?」
陽菜は俺の言葉に鳩が豆鉄砲を食らったような顔になった。
無表情から驚き、困惑、百面相する彼女が面白く俺はぷっと吹き出してしまう。
「い、いいの……?」
「小柳さんに許可取ってもらった」
正確に言えば、今取ってもらってるので事後承諾だけど。
小柳さんにお願いして、何としてでも取ると言ってくれたので甘えさせてもらうことにしたんだ。
そのことを伝えれば陽菜の尻尾がどんどんと激しく揺れて始める。
「一日程度じゃ、物足りないだろ?」
「うん!」
布団から飛び出て胸下に飛び込んでくる陽菜を受け止める。
全く、いつもいつも飛び込んできやがって。
でも、今日は許してやろう。むしろこちらからも抱きついてやる。
「なつきちゃんとは毎日会いたいもん!」
「俺もだ」
陽菜が俺の胸でいつもの太陽のような笑顔でにぱっと笑う。
それにつられて俺も笑ってしまうのだった。
それから、陽菜とはいつも通りゲームである。
我ながらゲームばっかだなと言った感じなのだが、やはり外に出ない遊びとなると限られるもので。
陽菜となら色んな場所に行きたいのだが、異世界症候群がそれを許してくれない。
まあ、今度ボードゲームとかは買ってもいいかもしれない。
陽菜とやりたいことは沢山あるんだから。
そんで、楽しい時間はすぐ過ぎるもので気がつけば夜ご飯の時間だった。
「お前、いつもこれなのか?」
「うん、まあ味は悪くないし、栄養的にもいいでしょ?」
夜ご飯は小柳さんが運んできてくれた。
俺の許可は取れたらしく二人分、本当に頭が上がらない。
その中身は病院のご飯なので、つまり病院食である。
量は、結構多い。獣人はたくさん食べるのでこの量はおそらく俺たちに配慮してくれてるのだろう。
しかし、味は……
「悪くはないんだが……んー」
「あはは……」
病院食らしく、味が薄いったらありゃしない。
前に俺が入院していた時も食べていたが、やっぱりこれはなあ
別にまずくはない、全然食べれる味だ。しかし積極的に食べたいようなものでもなかった。
陽菜は俺の感想に苦笑いである。
陽菜は毎日これを食べているのか。
「これならカレーもあんだけ喜ぶか」
こればっか食べてたら確かに舌が麻痺してただの家庭料理のカレーでもめちゃくちゃ美味しく感じるかもしれない。
けれど、そう思った俺を陽菜は否定した。
「それは、違うよ。あのカレーは本当に美味しかったから」
「そうか?」
「うん、家庭の味って感じだったから」
「家庭の味、ね」
家庭……ね。
口にご飯を運びながら陽菜を横目に見る。
あの話を聞いたあとの陽菜が言う家庭という言葉にはやはり引っかかるものがある。
……まあ、俺たちの仲だ、バレてるよな。
でも、まだこの話をする時間じゃない。
「……陽菜は、好物とかあるのか?」
「んー?美味しいもの?」
「それは大体の人がそうだ」
少しズレた陽菜の回答に笑う。
「まあ、お菓子……ケーキとかかなぁ、最近食べてないや」
「ふぅん、同じだな」
「そうなの?」
「とんでもない甘党って妹に言われたことがある」
前にも話したが、俺は男の頃から結構な甘党だった。
それは異世界症候群になってからも変わらない、というかさらに悪化傾向なわけで。
ほぼ毎日スーパーで買い漁ったプリンを食べているのだ。
最近スーパーの店員の間でプリンの幼女という形で覚えられてることを知った。
普通に恥ずかしい。
「そう言えば冷蔵庫に凄い量入れてたね……」
「だって、美味いから」
「いいな〜」
陽菜が羨ましそうに呟く。
普段から病院食と言ってたし、甘味に触れる機会はそりゃあ少なくなるだろう。
お泊まり会のとき陽菜にしてはプリンをやけにゆっくり食べていたのだが、あれは久々の甘味を味わっていたのだろう。
「今度、ケーキでも一緒に食べるか?確か近くにケーキ屋があるんだ」
「え!?食べたい食べたい!」
まあ、かなり高級で、庶民感覚の抜けない俺は未だ行けてなかったのだが。
でも評判はいいらしいし、間違いなく美味しいだろう。
せっかく陽菜と食べるんだ。値段なんて気にせず美味しいものにしたかった。
「どんなケーキが食べたい?」
「え〜〜、難しい……やっぱりショートかなぁ」
そんないつかの日を俺達は楽しみに話し合った。
そうして、夜は更けていく。
ご飯を食べ終わって、シャワーを浴びて(病院だからか流石に一緒には入らなかった)気がつけば寝る時間だ。
パジャマに着替えて、陽菜と向かい合うようにベッドに潜り込む。
会話はなかった。
それは、二人共今から大事な会話をするということを理解していたからだった。
「なつきちゃん」
「ああ」
「……多分、聞いたんだよね」
陽菜が、ゆっくり確認するように俺に質問する。
俺はコクリと何も言わずに頷いた。
それに陽菜は目をそらし少し悲しそうに笑った。
「そっ……かー、知られちゃったかぁ。心配させちゃっかな」
「当たり前だ。凄く、心配してる」
俺がそう言うと、陽菜は困ったように笑う。
「陽菜、その……聞いても良いか?」
「……うん、なつきちゃんならいいよ」
陽菜は少し顔を俯かせるとゆっくりとあの一週間のことを語り始めた。
普段の太陽のような陽菜と比べて今の彼女はとても暗く、それは月のようにも思えた。
「お母さんとお父さんが帰って来なくてさ、最初は別にちょっとしたトラブルだと思ったの」
──『遅いな、二人とも』
──『何かあったのかな』
それは、そうだろう。
世の中トラブルというのは起こるもので、たった一日程度なら帰れないこともそんなにおかしいことではない。
「だから、まあ一日程度は気にしなかった。起きたら二人共家にいるって思ってた」
──『まあ、大丈夫だよね』
けれど、そうはならなかった。
陽菜が起きたとき家には陽菜以外誰もいなかった。
「起きて私一人だって気づいたとき、怖かった。電話をしても繋がらないし、それで……テレビを見たらあのニュースをやってた」
「陽菜……」
──『お母さん?お父さん?いない、の?』
──『……なに、これ』
玉突き事故のニュースのことだろう。
陽菜はそこで少し辛そうに息を呑んだ。
それだけ、そのニュースは彼女にとってショックだったのだろう。
「なんかね、分かっちゃったんだ。ああ、死んじゃったんだって、おかしいよね、別に見てもないのにさぁ」
──『お母さん、お父さん……』
陽菜は自嘲気味にそう言う。
初めてだった、陽菜がそうやって自嘲気味な喋り方をするのは。
語る陽菜はもう既に顔色が悪く、明らかに無理が来ている。
けれど、この話はまだ終わらない。
「それで、なーんもやる気になれなくてその日はずっと寝てた。で、次の日……今の姿になったの」
「……異世界症候群」
「そう、世界がひっくり返った気分だった」
──『え、誰?』
──『私、どうなって……』
異世界症候群、体が完全に変わってしまう奇病としかいいようのない病気。
陽菜が異世界症候群にかかったのは親を失った直後だった。
「だって、私、世界から弾き出されちゃったんだもん。本当に、一人になった、気分だった」
──『嘘、嘘、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ』
──『私、一人なの?』
陽菜は淡々と語る。
否、淡々と語ろうとする。
親を失った直後だ。そこに追い打ちをかけるように襲ってきた異世界症候群。
異世界症候群は自分だけが別世界の存在となる病気だ。
それは例えるならば異国に突如一人で放り込まれような状態である。
ただでさえ親を失ったという酷い孤独感と不安に襲われていただろうに、彼女は異世界症候群によって世界からも一人にされてしまったのだ。
果たしてそれはどれほどの苦しみだったのだろうか。
「だから、お母さんとお父さんの帰りをずっと待ってたの、だって私には家族しかいなかったから」
「っ!玄関に待ってたのは」
「そこまで話してたんだ……そう、あのときの私にはもう家族しかいなかったから」
──『帰ってきて、お願い、お願い、お願い』
──『一人は嫌だよ……』
異世界症候群は、自分が自分でなくなってしまう病気だ。
それは、自分を見失うということに近い。
故に精神は繋がりを求めるのだ。
自分が自分であると証明するために。
そして、大体の人にとってもっとも深いつながりを持つ存在は家族のことである。
俺は異世界症候群になったとき親は生きていた。
だから、繋がりが残ってた。
異世界症候群になってから親と電話で会話したとき俺はなにかに安堵したのを覚えている。
それは、俺という存在が俺であるということを確信できたからだったのだろう。
家族というのは間違いなく俺の生きる支えだったのだ。
しかし、陽菜には。
陽菜にはそんな支えになるはずだった家族はいなかった。
最悪だったのが、まだ親が生きている可能性があったことだろう。
何故なら、可能性があれば人間というのは縋ってしまうものだから。
せめて、両親の死を確信できたのなら陽菜にはまた別の未来があり得たのかも知れない。
割り切ることができたのかも知れない。
けれど、そうはならなかった。
彼女は玄関で待ったのだ。
自分にとって、唯一の繋がりである家族が帰ってくるのを。
一縷の望みをかけて。
それはまさに、死んだ飼い主を待つ忠犬のように。
陽菜にとって、家族とは自身と世界を繋ぎ止める唯一の繋がりなのだ。
陽菜は言っていた。
『家族はずっと一緒』
ずっと一緒でないと、陽菜は世界と繋がれないのだ。
「……だからさ、なつきちゃんと会えたときすっごく嬉しかったんだ。私は一人じゃないって知れたから」
初めて会った時を思い出す。
彼女は初対面でありながらまるで夢叶った人のように飛び込んできた。
あれは陽菜がそういうテンションの人間だからだと思っていた。
しかし、彼女からすればそれだけ喜びたいことだったのだろう。
だって、繋がりを失った陽菜からすれば俺は唯一の繋がり、同じ世界の住民だったのだから。
「なつきちゃんと会えて、私は一人じゃないって知れて、すごく安心した」
「……そっか」
「だからね、私なつきちゃんと会えただけで救われてたんだ」
陽菜は顔を上げると、静かに笑った。
それは、事実ではあるのだろう。
小柳さんは陽菜が俺と会ってからよく話すように変わったと言っていたし、俺という存在だけでも陽菜の救いになれたのは事実だ。
けど、
「なつきちゃん、私と会ってくれてありがとう」
「…………」
彼女は笑う。
けど、その笑みは、とても太陽のように見えなかった。
彼女はまだ救われきってない。
夜がまだ彼女を覆ってる。
「これで、私の話は全部」
陽菜が、話を締めくくる。
それは言外にこれ以上は追求しないで欲しい、そう言っているように思えた。
……そんなの
「ごめんね、なつきちゃん。心配、させちゃったよね。でも、大丈夫、私なつきちゃんと会えただけでも救われてたんだ」
「陽菜」
お断りだ。
俺を安心させるようなことを言う陽菜に一歩踏み込む。
……分かるんだ。
お前のことはよく分かってる。
それだけ仲良くしてきたから。
お前と、家族なんだから。
「俺はお前の太陽みたいな笑い方が好きだ」
「ふぇ!?きゅ、急にどうしたのさ?」
陽菜が俺の突然の宣言に面食らって困惑し苦笑いを浮かべる。
まるで、義務感に駆られたかのような笑みだった。
「今のお前のその笑い方は嫌だ」
その、無理をしている笑いは受け入れられないんだ。
お前には、心の底から笑ってほしいんだ。
太陽みたいに笑ってほしいんだ。
陽菜の方へ少し身を寄せる。
「お前は、まだ苦しんでるだろ」
「……そんなこと、ないよ?」
俺の言葉を陽菜は否定する。
……分かりやすい嘘、そんなふうに目をそらせば誰だってそれが嘘って分かる。
その嘘の正体も分かってる。
「家族が、欲しいんだろ?」
「っ……!違う!」
俺の言葉を、大声で陽菜が否定する。
それは、図星の反応だ。
わかりやすい、わかりやすいんだよお前は。
「お前は俺と家族になろうっていったのはさ……なあ、欲しかったんだろ家族が」
彼女は飢えているんだ。家族という繋がりに。
俺と家族になろう、彼女はそう言った。
それは親友という言葉にトラウマを持つ俺に気を遣ったというのもあるのだろう。
しかし、それ以上に彼女は家族を求めているんだ。
だから、俺との距離も異常なほど近かった。
彼女にとって俺は元から友人でも親友でもなく、家族だったのだから。
最初から俺と親友以上になろうと彼女は動いていたんだ。
「親を亡くして、辛かったんだろ?」
「……そんなことない」
「一人なのが怖かったんだろ?」
「そんなことない」
「それを隠すのはさ、寂しかったんだろ?」
「そんなことないっ!」
俺の言葉を否定する陽菜の語気がどんどんと強くなる。
陽菜はそんな家族への思いをずっと、ずっと抱えて隠してきた。
一人で、寂しく、誰にも話さず、立った一人で抱え続けた。
そんなの、そんなの
そんなの、辛いに決まってるだろう!?
もし、俺が同じ立場だったら?
高校生の時に両親を失い、異世界症候群になってしまったら?
想像すらしたくないそんな出来事。
きっと、そんな目にあった俺は、わんわんと泣いていたことだろう。
あまりの寂しさになくことしかできなかっただろう。
それなのに陽菜は我慢し続けた。それはどれだけ辛いことだろうか。
それを指摘すると、陽菜は力強く否定する。
「そんなことないもん……私、大丈夫だもん!」
しかし、その言葉は震えていて、子供が強がっているようにしか聞こえなかった。
否、それは、本当に子供の強がりなのだ。
忘れてはいけない、彼女はまだ十六歳だ。
子供なんだ。
「なあ、正直になろうよ、陽菜」
「っ……なつきちゃん、やめてよ!」
陽菜が俺を睨み、明確に俺を拒絶する。
ずきり、少し胸が痛んだ。陽菜から拒絶されるのは初めての経験で、例えその真意を察していたとしても辛いものがあった。
けど、俺だって初めて陽菜と会ったとき彼女を拒絶した。
それでも、陽菜は踏み込んでくれた。
それなのに、俺が踏み込まないのは、間違ってるだろう!?
「やめない!それが、陽菜のためになるなら、俺はやめない!」
陽菜の顔が歪む。彼女は今にも泣き出しそうな顔でこちらを睨みつけていた。
「お願い、お願いっ……これ以上踏み込まないでよっ!私なつきちゃんに迷惑かけたくないの!」
必死の頼みだった。
そうだ。彼女が強がっていたのは、俺に迷惑をかけたくなかったからなのだろう。
泣いちゃったら、心配をかけるから
本音を言ってしまえば、迷惑させてしまうから
そんなの気づいていたよ、お前の気持ちなんて分かってるよ!
それは彼女の優しさなのだろう。俺に迷惑を、心配をかけたくない。
そんな彼女の優しさ……でも、今は、今だけは受け取らない!
今は俺がお前に踏み込む番だから!
「いやだ!お前は俺に踏み込んでくれた!だから、今度は俺が踏み込む!文句は言わせないから!」
陽菜の瞳には、ほんの少し、小さな雫が垂れていた。
あと少し
なあ、陽菜
俺は、お前を救ってみせる!
「なぁ、陽菜、我慢しなくていいんだよ」
「……駄目、駄目だよ。なつきちゃんに、迷惑かけちゃう……!」
陽菜はまだ抵抗する。
意地になっているように、でももう彼女の限界が来ていることは簡単に分かった。
だから、あとはもう押し続ければいい。
「……お前さ、俺が何歳か覚えてる?」
「え……?に、二十歳、だよね」
突然の質問に陽菜は困惑しながらも答える。
そう、俺は二十祭でもう、大人だ。
けど、陽菜は、
「それで、お前は十六歳……子供だ」
陽菜はまだ、子供だ。
大人じゃない。責任がつきまとうような大人じゃない。
十六歳で、高校で楽しく過ごすような子供なんだ。
甘え盛りの子供なんだ。
「お前は子供なんだよ、大人に甘える歳なんだ、だから──」
そうやって、頑張る必要はない。
そうやって、一人で抱え込まなくていい。
そうやって、大人のふりをしなくていい。
大人に甘えていい。
「甘えていいんだよっ!」
「っ!」
子供は大人に甘えて良いんだ。
甘えるのが子供の仕事なんだ。
それが子供で、甘えられるのは大人の仕事だ。
子供が甘えられないのも、心を閉じ込めるのも、間違っている。
「……違う、違うっ。迷惑はかけちゃ、駄目、駄目なの」
陽菜は俺の言葉を必死に否定する。
けど、それは俺に向けたものじゃないのだろう。
陽菜が、自分自身を諌めるために、自分を暗示させるために言ったんだ。
でも、そんなの子供がやることじゃない。
子供もっと素直でいいんだ。
「陽菜」
「…………」
「俺はお前の姉だ」
「っ!」
陽菜が目を見開く。
それは昨日二人で決めたこと。
陽菜が、提案して決めた。どっちも姉でどっちも妹。
昨日は俺が妹だったけど。
今日は俺が姉だ。
俺が陽菜の姉だ。
「なぁ、陽菜。甘えていいんだ」
「っ……」
陽菜にやさしく語りかける。
そう、陽菜は甘えていいんだ。まだ子供なんだから、甘えるのが仕事なんだ。
陽菜は苦しそうに、歯を食いしばった。
「姉には、甘えていいんだよ」
「っ………ゔゔ」
陽菜にやさしく語りかける。
家族には甘えていい、そうやって、強がる必要なんてない。
陽菜は辛そうに、呻き声を上げる。
「我慢なんてしなくていい」
「ゔゔゔゔゔゔゔゔ」
陽菜にやさしく語りかける。
我慢なんてしなくていい。本音を隠さなくていい。ため込んだものを全部吐き出していいんだよ。
陽菜は何か心の底のなにかを抑えるように呻き声を上げる。
「迷惑かけたくないなんて思わなくていい」
「ゔゔゔゔあああ」
陽菜にやさしく語りかける。
迷惑だとか、そんなこと何も気にしなくていい。
だって、俺達は──
彼女の呻き声が、咽び声に変わる。
「泣いていいんだよ、家族なんだから」
「あああああああ」
陽菜にやさしく語りかける。
──俺達は家族なんだから、甘えても泣いてもいいんだ。
陽菜の体をやさしく、やさしく撫でる。
「今までよく頑張ったな、陽菜」
「っ!」
陽菜はその苦痛を孤独を頑張って隠してきた。
俺に心配させない、そのためだけに。
陽菜はもう、十分すぎるくらい頑張ったんだ。
だから、褒めてやらないとな。
「ぐすっ、なつきちゃっ」
「ありがとうな、俺を気遣ってくれて」
俺のために、陽菜はいっぱい、いっぱい頑張ったんだ。
陽菜の体をやさしく、やさしく包み込むように撫でる。
「もう、大人ぶるのはさ、辞めていいんだよ。陽菜」
いっぱい頑張ったんだから、だから、もう頑張らなくていい。
大人ぶらなくていい、子供らしく、泣いて、甘えていい。
だって、陽菜はまだ子供なんだから
「頑張った、頑張ったな。大変だったな、辛かったよな」
「うあっ……!」
彼女を褒める。
だって、彼女は本当に頑張ったんだから。
その頑張りをちゃんと、褒めてあげないと。ちゃんと、認めてあげないと。
大人として、彼女を認めてあげるんだ。
『頑張ったね』って。
「苦労したよな、怖かったよな。それを我慢した陽菜は偉いよ」
「うううっ……」
「本当によく、頑張った。お前は、凄いやつだ」
陽菜はずっと一人でその孤独と戦い続けた。
まだ、十六歳なのに、まだ子供なのに。それはとっても偉いことで、凄いことだ。
そう、陽菜は頑張ったんだ。
いっぱい、いっぱい、辛いことも、寂しいことも、怖いことも乗り越えて、いっぱい頑張った
だから、だからこそ、
「だからさ、もう好きなだけ、泣いていい」
陽菜はもう、泣いていいんだ。
頑張ったんだから泣いていいんだ。
彼女の瞳から今まで隠してきた涙がこぼれ落ちて、布団のシーツを濡らす。
陽菜はもう、限界をとっくのとうに迎えていた。
そんな彼女に俺は教えてあげる。
「俺に、甘えていいんだよ。陽菜」
息を荒くして、目元を抑えながら、陽菜は俺を見あげた。
「ねぇっなつきちゃん」
「なんだ?」
「私、もう、甘えていいのかなぁ?」
「ああ」
「私、もう、泣いていいのかなぁ?」
「ああ」
陽菜は顔を歪ませ、歯を食いしばりながら、俺へと問いかける。
それを俺は当然だと肯定する。
そして、叫ぶ
「私、もう、我慢しなくていいのかなぁっ!?」
その叫びは涙を堪らえようとし、喉をつまらせながらの酷い叫びだった。
そんなの、決まってるだろ。
「もちろんだ」
「うっあああああああっっ!!」
瞬間、陽菜の瞳から大粒の涙が溢れ出す。
そのまま、彼女は俺の胸へ飛びついた。
それを俺はやさしく抱擁した。
「怖かった、怖かったよぉ……!」
ついに彼女の本音が漏れ出していく。
「一人で、お母さんも、お父さんもいなくて……怖かったよ!」
その辛かった思いが溢れ出す。
「会いたいよっ……会いたいよぉっ!」
俺の胸の中で彼女の意地が決壊する。
ひっ、ひっと息をつまらせながら、彼女は泣き叫ぶ。
「二人に会いたいよ!」
「陽菜……」
「なんで……なんで会えないの?おかしいっ、おかしいよ!」
「…………」
俺は何も言わず、彼女の背をぽんぽんと叩く。
彼女は叫ぶ、今までずっと我慢してきた、溜め込んでいた泣き言を。
「一緒に料理しようっていったじゃん!大人になったら一緒にお酒飲んでみようっていったじゃん!」
それは、悲痛な叫びだった。
今までの家族との思い出を思い返し、彼女の瞳から今まで抑えていた涙が泥のように溢れ出す。
「もう、お料理教えてくれないの?もう、お喋りできないの?なんで、なんでっ……」
息を詰まらせながら、陽菜はさっきまでと打って変わって静かに問いかける。
その情緒の不安定さが、彼女の心が限界であったことをよく表していた。
「約束は守らなきゃ駄目だって叱ったってのに!なんで二人が守らないの!」
彼女の隠そうとしていた本音。
強がっていたその心、それを勢いのままに彼女は吐く。
俺はそれをただ無言で聞いていた。
「近くにいてよ……一緒にいてよっ……」
陽菜は鼻をすすりながら、苦しそうに言葉を紡ぐ。
「頭撫でてほしいのに、一緒にゲームしたいのに、近くにいてほしいのに、なんでいないの?」
その子供のような願いに、やっぱり彼女はまだ子供なんだと改めて思う。
どれだけ強がっても、大人ぶっても、感情を抑えようとしてもその中身は、その心は、子供なんだ
親を失い、異世界症候群になってしまった不幸なだけの子供なんだ。
「一緒にいてよ……」
「…………」
「いやだよ……一人は、いやだよ……」
抱きしめる、彼女の気持ちが少しでも楽になるように。
彼女の辛さを二人で共有するように。
強さを共有した時のように、そうすれば少しでも楽になれると思って。
「一人は、怖いんだよ?なんで、なんでっ」
陽菜はどこかへ問いかける。
その答えはどこにもない、あまりに酷い現実だった。
「寂しくてさ、辛くてさ、寒くてさ、怖くてさ、とっても怖くてさ……」
「…………」
「嫌だったのに……」
苦しそうな泣き声だった。
それは、陽菜が味わった感情。
子供が知るにはあまりにも重すぎる感情。
「なのに、なんで私一人なの?」
恨むように陽菜は問う。
そんな辛い感情を知ってしまったのに
それなのに、その時、彼女の横には誰もいなかった。
「なんで、なんで、私が悪いの?私が悪いのかなぁ?」
「陽菜……」
「私が悪いから、こうなっちゃったのかなぁ?」
そんなことない。悪いのは世界と運命だ。
けど、そんな正論を彼女求めてないのは分かっていた。
ただ、彼女は辛い気持ちを疑問にして吐き出しているだけだ。
その声を聞いていると、彼女をこんな目に合わせた世界と運命とやらに文句を言いたくなる。
けど、今はただ陽菜の声に集中する。
陽菜の心を受け止める。
「お願いだから、一人しないでよ……近くにいてよ……」
「大丈夫、大丈夫だ」
陽菜に優しく語りかけ、また抱擁する。
背中をぽん、ぽん、と優しく叩く。
大丈夫、陽菜は一人じゃない。
今の陽菜は一人じゃない。お姉ちゃんがいるんだから。
「俺がいる。陽菜は、一人じゃない」
「うう……」
安心させるように、俺がいるということを分かりやすく伝えるために、やさしく、やさしく抱きしめる。
彼女は一人で頑張ったんだ。
でも、もう大丈夫、だって俺がいる。
もう、一人じゃないんだから。
「陽菜は、一人じゃないんだよ」
「なつきちゃん……なづきちゃんっ」
「お前は、よく頑張った」
俺の言葉を聞いて、陽菜は俺のお腹へ頭をぐりぐりと押し付ける。
少し痛かったけど、そんなこと気にしていられなかった。
「だからさ、泣いて、泣いて、いっぱい泣こう」
「会いたい、会いたい、会いたいよぉ!お母さんお父さんっ!」
嗚咽が入り混じったひどい声で彼女はその望みを口にした。
けれど、
その願いはもう叶わない。
死んだ人間は蘇らない。
世界は、どうしようもなく無常なのだ。
だからこそ、その願いを心のなかで持ち続けるならこうやって吐いたほうがいい。
「ゔあああああああああ!!」
泣き声が響く部屋の中。
夜はどんどんと更けていく。
胸の中で眠る陽菜の背を撫でる。
泣きつかれて、眠ってしまったようだ。
その表情はとても安らかで……きっとこれで良かったのだろう。
両親の死に、異世界症候群。
この二つに同時に襲われた陽菜はこのことに向き合う余裕がなかったのだ。
だって、そういう辛いことは家族だとか友人だとかに相談することなのだ。
それなのに、彼女は家族を事故で、友人を異世界症候群で失い一人になってしまった。
故に、今までずっと溜め込んでしまっていたのだ。
本来、誰かに吐き出すべき感情を。
これで、彼女が人生経験を積んだ大人なら受け入れようがあっただろう。
しかし、陽菜はまだ子供だった。
結果、吐き出せず、受け入れもできなかった感情は彼女の中で渦巻き、彼女を捕らえ、今更吐き出すこともできない雁字搦めの状態へと陥った。
それを解き、吐き出せたのだからきっと彼女は向き合える。
両親の死と異世界症候群に向き合える。
彼女が向き合ってどういう選択をするかは分からない。
これ以上は陽菜次第だ、俺が入り込んでいい場所ではない
でも、まあ、取り敢えずは一安心と言えるだろう。
……さて、
陽菜の頭を優しく撫でる。心地よさそうな子供らしい可愛い寝顔だった。
陽菜は救われた。
けど、俺はまだ満足していない。
俺は陽菜を救いたい。
でも、それで満足する気なんてない。
俺は、彼女を幸せにしてやりたいのだ。
だから、ここからは、
陽菜を幸せにするための計画だ。
「……小柳さん」
「……気づいてましたか」
ドアの方へ声をかければ、小柳さんがドアを開けて入ってきた。
陽菜は気づいてなかったけど、結構前から扉の前で俺たちを見守ってくれていたのだ。
彼女はこちらを見て安堵の表情を浮かべる。
「うまく、いきましたね。本当に、良かった」
「うん。陽菜は大丈夫」
功労者である彼女も眠る陽菜の頭を撫でる。
撫でる時の彼女は慈愛の笑みを浮かべていた。
さて……ここからが本題だ。
俺は陽菜の体を起こさないようにゆっくりとベッドへ下ろす。
そして、ベッドから抜け出した。
小柳さんに視線を向けると、彼女はコクリと頷いた。
陽菜の部屋から出て廊下で話す。
「頼んでたこと、できた?」
「はい、陽菜さん自体が異例の存在ですので時間は少しかかりますが……なんとかなるかと」
今日、事前に頼んでおいたことの進捗を聞き、それが問題なさそうという答えに俺は安堵する。
俺は小柳さんに頼む時、お泊まり会の許可と同時にもう一つ、とても大切な頼みをしていたのだ。
良かった、ここで駄目だったらどうしようもなかった。
ふと、小柳さんがこちらを見てくる。
「……その、本当にやるつもりですか?簡単に決めれるものではないですし、とても大変だと思いますが」
彼女は俺を心配してるようだ。
けど、俺はもう陽菜を幸せすると決めたんだ。だから、やれるとこまでやってやる。
「大丈夫。どうにかする」
「……そうですか」
小柳さんはほんのちょっと呆れたふうに笑う。
「なら頑張ってください、私もできる限りは協力いたしますから。では、溜め込んだ仕事があるのでここで」
「はい……ありがとうございました」
俺の決意を聞いて、小柳さんは笑みを浮かべながら俺に別れを告げた。
今日一日俺の頼みのために仕事を後回しにしてくれたのだろう。
本当に頭が上がらない。
……ふぅ
小柳さんもいなくなり廊下には俺一人。
俺は深呼吸して、胸を押さえ息を整える。
今からが本番だ。
俺が、俺がここで頑張らなければ小柳さんに手伝ってもらったぶんは全て無駄になり、この計画は白紙となる。
俺は緊張を感じながらも、スマホを手に取った。
開くのは電話、その一番最初に入っている番号。
ぷるるる、ぷるるる
静かな廊下に電子音が鳴り響く。
俺の手に緊張の汗がたれた。
そして、電話の先から、声がした。
『もしもし』
「……久しぶり、成月だよ」
名前を名乗る。
電話の先の相手はそのことに嬉しそうに笑った。
『本当に久しぶりね、半年ぶりくらい?その声、まだ慣れないわ。それで、どうしたの?』
「……頼みがあるんだ」
さぁ、正念場だ。気合を入れろ。
今から俺は電話の先の相手を説得しなきゃいけない。
「どうか、聞いて欲しい……母さん」
家族のために、家族を説得するんだ。




