一話
どうも昔から一歩引いたような人間だったと思う。
人間関係とか色んなことにともかく、一歩下がる。
力を抜くというか、さぼるというか。
悪く言えば、本気になれないというか。
ともかく何事にも一定の距離を置くと言うのが生まれついての癖だった。
当然、そんな人間には友人なんてものはできない。
友人関係なんてのは互いの距離感が大事なもので、それなのに片側が一歩下がっているのだから当然だった。
だから、今までほとんど一人で生きてきた。
それを後悔してるかといえば、別にしていない。
元々孤独とかを感じるようなタイプじゃなかった。
それこそ一歩引いているから、自分の人間感情にも無沈着だった。
いるならいるでいいし、いないならいないでいい。
それが俺の友人関係におけるスタンスだった。
だから、まあずっと一人だったことにそんなに後悔はしていない。
ただ、友人がいない。それだけのことだった。
そんな生き方をしていたら気がつけば大学生。
一歩引いた生き方は人間関係以外にも影響されて、自分は自分の人生をどこか他人事のように生きてきた。
小中は親の言うままに、高校と大学は通ったほうがいいだろうと思ったから一番近くて最低限親に恥をかかせない程度のところに行った。
そんな、生き方をしていたからなのだろうか。
世界のほうが俺から一歩引いたのは
もしくは世界が近づいてきたのは
「……んぁ」
光、日差し、つまり朝。
カーテンの隙間を縫って差し込む光は瞼を貫いて鬱陶しく光を感じさせる。
重いまぶたを持ち上げようとしながら布団を弾き出すと四つんばいになり、ヨガで『キャットアンドカウ』というらしい……まあ所謂猫のポーズで伸びをする。
「うにゃぁぁ……」
ほぐれた体で立ち上がり電気をつける。
若干の眩しさを感じながらも、近くにあったスマホを確認する。
……………………あ
「やばっ」
想定していたより一つ数の多い数字に冷や汗が垂れる。
目覚ましをうまくセットできていなかったらしい。
何をやっているんだと昨日の俺を叱りたくなった。
寝ぼけていた視界が焦りで一気にクリアになる。
時間的にはまだ問題ない、いや問題ないわけじゃないけど、まだなんとかなる。
急いで用意をしよう。朝ご飯は最低限にすませる。
寝ぼけてる暇はない。まずは顔を洗ってしまおう。
そう思ってまだ少し硬い身体に鞭打って洗面所へと俺は駆けた。
洗面台
少しゴチャついた生活感の強いそこには小さな台が一つ置かれている。
それに足をかけて、鏡に映る自分を見る。
もはや見慣れた、猫耳をはやした少女がそこにいた。
「ふぅ……」
朝ごはんに、着替えに、歯磨き、朝の準備を終えて、鏡で最後の確認をする。
目やにやら寝癖やら、不健康なものを残しておくと心配する人がいるのだ。
鏡に映るのはぱっつん前髪の長い姫カットの黒髪、そしてその頭に三角の猫耳が生えた小学生にしか見えない少女である。
黒いワンピースを着たその少女はジトッとした目つきでこちらを睨みつけていて、どこかつまらなさそうに見えた。
コスプレが如きだいぶクセの強い見た目だが、これで問題はない。
脇においていた帽子を手に取り猫耳を隠すようにかぶる。
そして、小さな靴を履いて玄関から外に出た。
外はカラッとした暑さで、俺と違いクソみたいな太陽は大喜びではしゃいでいる。
おかげさまで暑くて辛い。
これでまだ季節的には春だというのだから最近の異常気象は恐ろしい。
夏はまだだと言うのにこれだ。本格的に夏になってしまったら俺はどうなってしまうのだろうか。
当然ながら、俺なんて一人称で俺がジト目猫耳ロリ俺っ娘という属性を詰め込んだような存在であるわけではない。
産まれたときは一人称の通り男だったし、数ヶ月前はこんな小学校に通ってそうな少女ではなく普通のそこらにいる男子大学生だった。
では、なんでこんな事になったのかと言えばとある病気のような何かのせいだ。
異世界症候群
なんてふざけた病気らしきものがこの世にはある。
異世界、なんて言葉はもはや最近ともいえない創作物により日本人の合間では常識と化したものだが、それでもあくまで非日常で空想の中の存在だった。
しかし、この病気が数年前突如現れその常識は覆った。
異世界症候群、その症状は掛かった人間が異世界の住人になるというものである。
異世界の住人
例えばエルフだとか、例えばドワーフだとか。
所謂人外の存在、現実には存在しない、物語の中の存在に変わってしまう、そんなふざけた病気。
故に、異世界症候群。
俺はそんな異世界の住人である猫の獣人、なのだろう。
スカートのなかに隠した尻尾をバレない程度になんとなく動かしながら道を歩く。
ワンピースなんて本当は着たくない。
けど、尻尾を隠すのはズボンでは不可能だ。
スカートに隠すのですらちょっと不快感があるのにズボンなんて不快感で死んでしまう。
そんな異世界症候群患者の人数は少ない。
全世界で合わせて十人にも届かず、現状日本で唯一の患者が俺だ。
あの日のことは鮮明に覚えてる。
なにせ、目が覚めたらこんなちんちくりんな姿になっていたのだから。
困惑に加え、そのときは凄まじい孤独感に襲われたものだ。
自分が自分でなくなる、その恐ろしさは想像を超えるのだ。
異世界症候群という存在自体数年前話題になっただけなので存在を忘れていて、これが異世界症候群であることに気がつくのには少し時間がかかった。
幸いなのは、この国は異世界症候群についてすでに対策を取っていたこと。
然るべき連絡先があって本当に助かった。
そんな俺の存在は大きなニュースになった。
まあ、日本初だったからそりゃあそうだろう。
取材の申し込みやら来てたけど、目立ちたくなかったので全部拒否した。今耳を隠してるのもそれが理由だ。
目立ちたくない、めんどうくさい。
それが俺の本心である。
はあ、とため息を吐く。
外が暑くて疲れてきた。
少し垂れてきた汗をぬぐう。
異世界症候群には謎が多い。
そりゃあこんなもん、現代の科学では説明出来ない。
エルフもドワーフ、獣人も、どう見ても人ではないのだから。
この病気の原因は未だ不明。
どの国も研究してるようだけど、なにも発覚していない。
原因も原理も何もかも不明である。
もちろん、治療法も。
研究が進んだとして治療法が出るとは俺は思ってないが。
それでも、異世界症候群の特異性は研究するに値するのだろう。
だからこそ、日本で唯一の症例は検診を受けるのは当然のことなのだ。
「……ふぅ」
目の前にそびえ立つ大病院。
このためだけにわざわざ引っ越したんだけど、週一で通院するのは、普通にめんどくさいものである。
オンライン通院とか……まあ、駄目だよな。
病院の中に来るとそわそわするのは自分だけだろうか。
病院という場の雰囲気は病院にしか存在しない、匂いや堅苦しさ、どれもある種非日常で、少し落ち着かない。
なんて、俺が一番非日常な存在だけどさ。
それでも、落ち着かないものは落ち着かないのだ。
本来病院というのは受付でどうこうするものだが、俺はパス。ものがものなので特例がというやつだ。
まあ、普通にありがたい。
「朝比奈さん。おはようございます」
「……おはようございます」
そんで、病院のとある一室。
丸椅子に座って白衣の女性と向き合う。
長い茶髪を後ろで纏め、オシャレな丸眼鏡、その顔には子供に向けるような柔和な笑みが浮かんでいる。
物腰柔らかな雰囲気を放つ彼女は、俺の担当、というよりかは異世界症候群の担当をしている小柳さんだ。
この若さでありながらそんな重要な職についてるあたり、相当優秀な人なのだろう。
あまり、詳しくは知らないけど。
「気分はどうですか?」
「……まあ」
「それは良かったです」
俺の簡素な返事にふふっ、と彼女が笑い、なんだかいたたまれない気持ちになる。
人と話すのは苦手だ。
距離感の掴み方がよくわからなくて、普段よりも声が小さくなる。
小柳さんには結構お世話になっているから、こんな反応をしてしまうのが少し申し訳ない。
「生活はどうですか?友達できました?」
「特に……」
「……そうですか」
俺の返事に小柳さんは少し残念そうな顔を浮かべた。
俺もう、成人してるんだけど、なんで友達ができたのか心配されなきゃいけないんだ……
あんたは俺の母親かといいたくなるけど、それができるほど俺はこの人と距離が近くない。
小柳さん、子どもが好きらしく、俺の見た目も相まってかどこか子ども扱いされてる節がある。
多分年齢的にはそんな変わらないと思うんだけど。
ちょっと受け入れがたい話である。
「朝比奈さんの気持ちは分かりますが……社会と距離を起きすぎるのもよくないですから、少しは意識してくださいね?」
「はぁ」
それは、よくわからないけど。
社会となんて近づきたくはない。
人間関係のしがらみ、責任、何もかも面倒なことばっかだ。なんて、言えば社不と罵られそうだが。
ともかく一人で過ごすほうが気楽だ。
何ともありがたいことに異世界症候群の患者には補助金で節約すれば一生働かなくていいぐらいの金がもらえる。
ならば、社会に関わるつもりない。
「ところで、今日検査が終わったあとお時間はありますか?」
「……?はい」
できる限り社会との繋がりを絶っている以上、時間がないことのほうが珍しいけど。
一体なんだろうか?追加の検査?だとしたら少し面倒である。
時間があるからって、無駄な時間を過ごしたいわけじゃない。
「会ってほしい人がいまして」
「……人?」
「凄く嫌そうな顔をしてますね」
そりゃあ、そうだ。
人との関わりなんてできる限り増やしたくない。
自分の相関図の線は少ないほうがいい。
そのほうが色々と気楽だから。
「どんな人、ですか?」
「それは……う〜ん、会ってからのお楽しみってことにしましょう」
「………………」
「凄く逃げたそうな顔してますね」
全くもってその通りだ。これからの検査すらすっぽかして帰りたくなってきた。
というかもう帰っていいですか?
そんな俺に彼女は少し心配の色を見せていた。
「まあまあ、きっと朝比奈さんにもいいと思うのでぜひ会ってほしいんです」
「…………」
まあ、小柳さんにはお世話になってる、し
この人をずっと心配させるのも申し訳ない、し
この人がここまでいってるわけだ、し
この人が言うなら多分本当にいいことなんだろう、し
…………
それならまあ、会ってあげてもいいかなって。
「……わかった」
「ありがとうございます」
俺がそう言うと彼女は安心したように笑った。
「それじゃあ早速検査しましょうか」
彼女がこちらに向かって手を伸ばす。
その先にあるのは、俺の頭。
それが俺の頭に置かれる前にさっ、と頭をずらした。
「……駄目」
「……やっぱり、駄目ですか?」
「駄目」
人と会うのはまだいいけど。
頭を撫でるのは、許可できない。
血を抜かれる感触は好きじゃない。
というか好きなやつはいないと思うけど。
採血後特有の腕の違和感に少し腕を撫でながら丸椅子の上で待機。
設置されたテレビでは一カ月前の玉突き事故について報道がなされている。
トラックに挟まれて潰された車を見て眉を顰める。あまり聞いていていい気分になれるものではなかった。
そんな興味のないニュースを聞くにもなれず、足をぷらぷらとさせながら小柳さんが言っていた人のことについて考える。
小柳さんが言っていた会ってほしい人とはどんな人なのだろうか?
正直、想像がつかない。自分が会っていいことになる人なんて全くわからない。
俺と会うというのなら研究者……とかだろうか。
でもそれなら隠さずに研究者と会って欲しいって小柳さんなら言うと思うのだ。
う〜ん、と考えていると足跡が聞こえてきた。
この体になってからというもの、耳が良くなった気がする。やはり獣人ということなのか。身体能力も見た目からは想像できないくらいにあるし。
そしてガチャリと扉が開く。
「わっ、ホントだっ!!!」
「うにゃぁっ!?」
と同時に茶色い何かが飛んできた。
衝撃、あまりにも予想外で我ながら猫すぎる悲鳴が漏れた。
一体何がと飛んできたものを見れば、それは少女だった。
ブラウンカラーのゆるふわパーマでもふもふした感じの髪型の少女。
その顔にはこちらに興味津々ですというのがありありと伝わってくる笑みを浮かべている。
そして、何よりもその頭に、獣の耳。
ピクピクと動くそれは間違いなく本物。よく見れば彼女の後ろで尻尾がブンブンと振り回されていた。
「わぁ〜、これ本物!?私と同じだよねっ」
「ちょっ……離れろっ!」
無遠慮に耳を触ろうとする彼女を振り払おうとする。
しかし彼女は耳に夢中になってるのか離れない。
こうなったら力付くで、そう思った時だった。
「さ、小夜さん……?しょ、初対面で抱きつくのはやめましょうね」
小柳さんが少女の突拍子もない行動に少し驚きながらも目の前の少女を離してくれた。
助かった。うう……毛が逆立つ。
改めて目の前の少女を見る。
彼女の体には確かに獣の耳と尻尾がある……多分犬だろうか?
その耳と尻尾は自然に動いていてアクセサリーには見えない。
つまりは、同類。
新しい患者、いたんだ。
「えーと、とりあえず謝りましょうか?小夜さん」
「あう……ご、ごめんなさいっ」
彼女は小柳さんに言われて俺に頭を下げる。
しっかりと九十度曲げた丁寧な謝罪だった。
本当は嫌味でも言ってやりたかったけど、そんな純粋無垢な姿を見せられるとそんな気も起きなかった。
「別に……いい。それで、その子が?」
「ええ、はい。日本で二人目の異世界症候群患者です。やはり同じ立場のもの同士通じるものがあると思うんです。……自己紹介を」
「はじめまして!小夜陽菜ですっ」
犬耳の少女……小夜は勢いよく頭を下げる。
この元気いっぱいでアホな感じ、凄く犬っぽい。
それはそれとして、騒がしいテンションの高い系……苦手だ。
何故、こういう人種は常にこんな高いテンションを保っていられるのだろうか。
不思議だった。
「…………」
「あ、朝比奈さん、あなたも自己紹介を」
「……朝比奈成月」
「なつきちゃんっ!よろしくねっ!」
にこり、そんな擬音が似合いそうな太陽のような笑みを浮かべ彼女がこちらに手を伸ばしてくる。
……まあ、流石にこれを拒否するほど子どもではない。
手を握り、握手する。ぶんぶんと振られた、ちょっと痛い。
「それで、なんでこの人と?」
「同じ境遇ですしお二人には仲良くなってほしいな、と」
「……無理」
「ええっ!?」
拒絶する俺に小夜が凄く驚いた顔をしている、が無理なものは無理だ。
陽キャと仲良くとか無理。俺にはできない。
まだそこらに居る虫の方が仲良くできる。
なんて思っていたら彼女はこちらに距離を詰めて俺の体を揺らしてきた。
「なんでー!?友達なろうよっ!」
「ひ、ひっつくなっ!初対面時だぞ!?」
この娘さっきからやけに距離が近い!
これが陽キャの距離感なのか?それとも彼女特有なのか?
何にせよ俺には無理だ。相性が悪い。
離れない彼女に小柳さんに視線を向けて助けを求める。
その視線に彼女は少し悩んだ素振りを見せ……
「……それじゃあしばらくしたら戻りますのでお二人で楽しんでください」
「ちょっ」
見捨てられた!嘘でしょ……?
ガチャンッという音が鳴り個室には俺と彼女二人きり、相変わらず彼女はひっついてくる。
と、とりあえず
「俺と仲良くしたいならまず離れろっ」
「あ、うん!分かった!」
俺がそういうと案外彼女は素直に離れてくれた。
それでも俺からすれば全然近いけど、さっきまでと比べればマシだ。
「ね、ね、普段何してるの?」
「……ゲームか読書」
「ゲームっ!?なにやるのっ!?私も好き!」
「……ソシャゲ」
物理的な距離は離れたものの今度は彼女は心理的な距離をガンガンと詰めようとしてくる。
き、きつい
しかし無視するほど俺の心を悪にすることもできず俺は彼女の質問に淡々と答えた。
「私はね買い切りで色々やってるよ!」
「そ、そう」
「今度一緒にやろうっ!」
「……考えとく」
俺の返事は淡々としてそっけないものだ。
こんなのと会話してて楽しいわけないだろうに。
それなのに彼女は楽しいのか尻尾がブンブン動いている。
「なつきちゃんは──」
「おい」
あと、一つ言っておきたいことがある。
「なつき"ちゃん"はやめろ」
「えっ、やだ!」
「は?」
さっきは素直に引いたのにまさかの拒否。
予想外の一言に俺はびしっ、と固まる。
「なんで?」
「なつきちゃんはなつきちゃんだもん!」
理解不能、理論にすらなってない理由で拒否された。
意味がわからない。
そんな彼女は逆に俺に質問してくる。
「なんで嫌なの?」
「俺は、元男なんだよ」
そういえば彼女に言っていなかった。
小柳さんが先に説明してるかもしれないが俺の性別は元男だ。
例え今の姿がどれだけ女児であろうと元男なのだ。
だから、ちゃん付けはだいぶ嫌だった。
「えーでも、なつきちゃんはなつきちゃんだよ〜」
それを説明するが、目の前の女は一歩引かない。
「じゃあ、なつきちゃんも私のことひなちゃんって呼んでいいよ!」
「それの何処が等価交換なんだ?」
それどころか、代案にもなってない代案を出してくる始末である。
ああもう、話にならない!
俺は頭を抱える、どうにかこうにかちゃん付けをやめさせる方法を考える。
しかし……
「っ〜〜〜〜……はぁ……………………………好きにしろ」
無理だ。俺の口が目の前の陽キャを説得できるほど回ると思えない。
しぶしぶ、本当にしぶしぶながらちゃん付けを受け入れることにする。
「やった!」
それを目の前の少女はガッツポーズをした。
なんでこんなことに……
それと少し気になったのだが。
「……お前」
「なぁに?なつきちゃん!」
「……何歳だ?」
彼女、やけに幼い。
まあ、見た目的には小学生だから何らおかしくないけど、異世界症候群の見た目は中身と一切関係ない。
実例がまさに俺だ。俺を見て初見で成人済みと気づけるものは居ないだろう。
故に彼女の年齢が俺より年上の可能性もある。それはちょっと……かなり、嫌だが。
かと言って幼すぎても、それと仲良くなんて小柳さんは何を考えてるんだって感じだが。
「一六だよ?」
「…………本当に?」
「何その間!?」
予想よりは上だったけど最悪よりは下って感じだ。
正直彼女はその外見を抜きにしても一六、つまりは高校生には見えない。
てっきり中学生あたりかと思っていたのだが。
「幼すぎる」
「そう言う、なつきちゃんは何歳なのさ」
「二十」
「うそだぁ」
「は?」
嘘、この女はあろうことが嘘と言ったのか?
俺の年齢を?成人済であることを?
「お、俺は見た目はともかく中身でそんなこと言われる筋合いはないだろ!」
「えー、でも成人してるようには見えないけど」
「ど、どこが……?」
「ちゃん付けにちょっと拗ねてるところとか?」
「拗ねてない」
「そういうところとか?」
む、むぅ、俺はそれに言い返せない。
俺は彼女からぷいっと顔をそらす。
事実上の敗北宣言だった。
そんな俺を見て彼女はふふっと落ち着いた笑みを浮かべた。
「なつきちゃんって可愛いね」
「かわっ、そんなことないっ」
「えー」
確かに外見は可愛いかもしれない。
最初の頃はあまり自分の体という実感がなかったから、自分の外見については客観的に見れている。
可愛いのはその通りだ。俺だってそう思う。
どこぞのアニメキャラかと思うほど属性もあって可愛らしさはある。
けど、中身は可愛くない。
俺というひねくれた人間は可愛くない。
「なつきちゃん可愛いけどなぁ」
「……やめろ」
むず痒い。俺はそういうのを言われるたちじゃない。
彼女から目線をそらす。
可愛いという言葉はもっと似合うやつがいる。
「……そういうのはお前みたいなやつに言うものだ」
「な、なつきちゃん……」
俺みたいなひねくれた人間よりも、可愛いなんて言葉は純粋無垢な奴に向ける言葉だ。
そのことを言えば、彼女は感激したようにワナワナと震えだし……
「好きっ!」
そう言って飛び込んできた。
だから、くっつくな!
「それでねっ、それでっ……ふわぁ」
「…………眠いのか?」
それからどれだけ時間がたっただろうか。
わからないけど、ずぅっと小夜は喋り続けた。
そんな彼女がまぶたを擦る、少し目つきがトロンとしていて眠そうである。
そりゃ、そうだ。あんだけ喋れば疲れるだろう。
異世界症候群の見た目は実年齢と一致しないが、かと言って体の年齢も実年齢と同じ訳では無い。
俺の体は検査の結果、体自体は見た目通りの年齢らしいし、それなら彼女だってそうだろう。
故に実年齢に対して夜更かしとかが出来ないのだ。
昔は就寝が一時とかだったのに今じゃ十一時である。
「眠くない……」
「……嘘を付くな」
「もっとなつきちゃんとお話したいもん」
「……はあ」
まともに話さない俺みたいなやつと話してて何が楽しんだか。
……理解できないな。
その時彼女がこちらに倒れ込んでくる。
それに少し驚きながらそれを受け止めた。
「すぴー……すぴー……」
「寝てるのか?」
さっきと打って変わって静かに寝息を立てる小夜、どうやら本当に寝てしまったらしい。
ようやく、静かになったわけだ。
これでようやく一息つける。
小夜の寝息だけが聞こえる部屋でふぅ、ため息を吐いた。
結局、この子と合わせて小柳さんは何がしたかったんだか。
まあ、同じ患者として顔を合わせておいてほしいのはわかるけど。
俺に子守をさせたかったのだろうか。
それは、違う気がする。彼女は俺にもいいって言っていたし、小柳さんはそういうのはしっかり言うと思う。
でもだとしたら何なんだろうか。
「疲れた」
結局今日一日で得たものなんてこの疲労感だけだ。
彼女の止まらないお喋りに付き合うのは思ったより体力を持っていく。
自分に寄りかかって眠る彼女に視線を向ける。
「軽いな」
こちらに体重をかけてくるが、軽い。
多分自分が普通の子供ならこんなのかなりきついと思うけど、今の俺は普通じゃない。
獣人の身体能力なら子供一人くらいはどうにかなる。
でも、ひっつくのは暑苦しいからやめてほしいけど。
「…………まあ、いいか」
彼女の寝顔には笑みが浮かんでいて心地よさそうだ。
いい夢でも見てるのかもしれない、そんな彼女を起こしてまで離れてもらおうとは思わない。
このまま小柳さんを待たせてもらおう。
「むにゃむにゃ」
「ふ、かわいい顔」
寝息を立てる彼女の顔は可愛らしい。
やっぱり、こういう言葉は彼女みたいな人間に向けられるものだ。
なんとなく頭を撫でる。
彼女はそれを心地よさそうに受け止める、そしてポツリと寝言なのか呟いた。
「お母さん……?」
「……誰が、お母さんだ」
彼女の言葉にくすり、思わず笑ってしまった。
せめて、お父さんならな
と、その時
「楽しめたようですね」
「ぴにゃっ!」
ドアがガチャッと鳴り小柳さんが入ってきた。
い、いつの間に?ていうか今の見られた?
いつもなら音で気づけるのに……
「……違う、から」
「ふふ、そうですか」
「違うから!」
慈愛のこもった笑みを浮かべる彼女に否定する。
自分でも何を否定してるのか分からなかったけど、それでも何故か否定してしまった。
彼女が手渡してくるお茶を受け取る。
お茶は、苦いからあまり好きじゃない。
けど、お茶レベルで苦手というのは子供っぽすぎるから隠しているので仕方ないのだ。
「……やはり、寝ちゃいましたか」
「やはり?」
「朝比奈さんのことを伝えたらあまり眠れなかったようで……」
「本当に十六歳?」
子供の遠足かよ。
俺の言葉に小柳さんは苦笑いを浮かべる。
「どうも、異世界症候群は肉体に精神が引っ張られる傾向があるようですからね」
「そう?俺はそんなことないけど」
「……ええ、はい」
ふぅん……まあ、小柳さんが言うならそのとおりなのかもしれない。
「でも、その調子なら楽しめたみたいですね」
「ずっと話してた」
「……こうなってから同年代と話す機会がなかったので、話したいことが沢山あったのでしょう」
異世界症候群にかかったものは否応なく社会から途絶される。
十六歳なら高校生、青春を楽しんでいるような時代だ
俺はそういうのが平気な質だったから問題なかったけど、確かに彼女のようなお喋り好きの人間からすれば辛かったのかもしれない。
ただ、
「……俺は同年代じゃない」
「ふふ、そうでしたね」
「…………」
なんだか、この人の子供扱いが前より悪化してるような気がする。
……まあ、いいや
「それで、どうでしたか?」
「?どうって?」
「楽しかったですか?」
楽しかったか、そう言われてなんて答えるか少し迷った。
お茶に口をつけて、今日一日を思い返す。
小夜と話して、自分はどう思ったのだろうか。
久々に、いや初めてかもしれないあそこまで人と喋ったのは。
昔から人とは常に距離を一歩離して生きてきた。
そんな俺にわざわざあそこまで話しかける人間なんてまずいない。
似たようなやつもいたはいたが……あいつは、それにここまで距離は近くなかった。
だから、それは初めての経験。
「……分からない」
その経験で自分がどう思ったのか。
自分でも自分の気持ちがよくわからない。
無遠慮にずけずけと踏み入れられて、俺は愉快とは思わなかった気がする。
けど、不愉快、とも思わなかった、気がした。
「……悪くはなかった」
「そうですか。それは良かったです」
そんな俺の悩んで出した結論に小柳さんは満足そうに笑った。
む
なんだか、いいようにされてる気がする。
「そろそろ帰る、それとこいつ」
「はい。さて、小夜さーん部屋に戻りますよー?」
「ん、んん……」
小柳さんが肩をぽんぽんと叩くと小夜は瞼を擦りながら目を覚ました。
と言っても半分寝てるような状態のようでうつらうつら船を漕いでいる。
本当に、子供っぽいやつ。
「じゃあ」
「はい、この子とまた会ったときはよろしくお願いしますね」
「…………」
また、彼女と会うことがあるのだろうか。
今日はアポ無しで出会ってしまったからなし崩し的にそうなってしまったけど、次からはそうはならないだろう。
その時俺は彼女と会うという選択肢を取るだろうか。
そんな疑問が出てきて、なんて返答しようか迷う。
その時、小夜が呟いた。
「なつきちゃん……次はゲームしようね……」
それは、半分寝ぼけていたのだろう。
なにせ、彼女は立っているのがやっとといった感じだ。こちらを見ることすら怪しいのだからその言葉は寝ぼけながら言ったのだろう。
そんなにゲームがしたいのか。
「……ああ」
そこまで言うのなら、また会ってやるのもやぶさかではない。
「ただいま」
帰りに軽く買い物をすませようやく家に着いた。
買い物をするときいつもおつかい扱いなのは仕方ないが少しムカつく。
誰がおつかいの余りでプリンを買う幼女だ。
そんなことを思いながら靴を脱いで、リビングに向かって。
「……広いな」
いつも通り何もないリビングを見て、ふと呟いた。
なんだか、リビングが寂しく感じた。