7話『馬鹿』
「なん……だ……と……」
今にも崩れかねないぐらついたビルに十手で押し付けられた霧夜から驚嘆を含んだ言葉が漏れる。ただその中には理解の追いつかない困惑も混じっていた。
何故ならば、今目の前にいる青年は白髪だからだ。そう。命はほんの刹那程前までは自身と怪物だった人間の血にまみれていた。髪は紅く、鉄の臭いを纏っていた。
しかし、今はもう鉄の臭いすらもしない。
もし、これが別の人物ならば、魔の手を使ったのだと考える。だが、今霧夜を押さえつけている無傷の人間は十 命なのだ。そう、十 命。霊気を持たない十 命なのだ。死期が目前まで迫った老人すら持つ生命エネルギーこと霊気。ましてや、生まれて一桁の年すらも経たない赤ん坊ですら持つそれを持たない人物が何故無傷になった?と応えの見つからない謎が霧夜の頭を駆けて行く。その時、1つの疑問点に気付いた。
……無傷?
十 命は無傷であった。鋏によって切り落とされたはずの左腕は確かにそこにあり、鋏によって切り裂かれたはずの腹はそれを嘘かのように元に戻っている。
ただ、切り裂かれた衣服と手に持つ1つに戻った鋏が、確実に切った事を主張していた。
「……ぬぅぁぁぁぁぁ!!!」
十手を押さえつけたまま、左腕を大きく振り上げる命。怒気を纏った拳が霧夜に当たるその瞬間──。
「失礼しまーす。」
小柄な少女が、命の顔に蹴りを入れた。
──命はコンクリート上を吹き飛んでいた。
「ごほっ!ごほ……ごほん!……はぁ。折角良いところだったのに。……邪魔しないでくれよ……真昼っ!」
「私も放って置いていいなら見殺しにしてた。……でも七夕が回収してこいって言ったから……仕方なく来てやった。ん。感謝しろ」
「ちっ……。あいつの指示ですか……」
「……後、遊びすぎ。事を荒立てるな。うざい。死ね。馬鹿。……とも言っていた」
「……後半は君の本音でしょう?」
高まっていた熱が、横槍によって冷たく凍りついてしまった霧夜はゆらゆらと体を起こすと、持っていた巨大な鋏を元の大きさに戻して、懐にしまう。
先程までの殺気に満ちた空気が嘘のように消えてなくなる。それ以降は一切話もせずに、2人はすっかりオレンジ色になった街の中へ消えていった。
◇ ◆ ◇
「いっ……たぁ………」
らしくない事したなぁ……。紅鈴が狙われてるって言うだけで、自分がここまで感情に支配されるとは思ってなかった。
まだ体を裂かれた感覚が残っている。腕が取れた感覚が残っている。体に纏わりついたままの違和感が、僕の体を重くした。コンクリート上を吹き飛ばされて、そのままヘドロの様に寝転んで、回らない頭で思考する。
紅鈴は無事だろうか?引金薬の回収を急がなくては!そんな僕の耳に足早に近寄ってくる心地良い足音が入ってきた。
「……紅鈴。戻ってきたの?」
「たっりめぇだ!敵は……!?傷は……!?」
「どっちも無しだよ」
真っ直ぐ僕の瞳を貫く紅の視線。真剣だ。狙われていたのは君だと言うのに。
「嘘ついてんじゃねぇよ……!服見りゃ分かんだよっ!切られたろ!?しかも致命傷になるほどっ!!!また、無理矢理治したんだろ!?」
「……いや。まぁ……うん」
「……無理すんなよ。……社長!」
生憎、当分は……無理続きだよ。……とは流石に言えないよねぇ〜……。
「うん。気を付けるよ」