第94話 差別の話
おれごんがまだ学生だったときに人権教育がありましてね。学び、傷ついたのです。そんな事件とでも呼ぶべき差別がかつてあったのかと。くそ人類め、一回滅べと。
ある日の授業の中で、痛烈な意見を堂々と述べた同級生がいまして。なんとまっすぐで力強い。まぶしく映り、おおいに感嘆したのです。彼とは席が近く、立ちあがり義憤する姿を見上げたのをいまでも覚えています。
授業は、先祖がかつて低い身分であったことから結婚を反対されるという内容で。それは確実に、昭和まで存在していた。
「こんな授業に意味なんかない! なんでこんなことを学ぶ必要があるんすか? おれらは差別なんかしない! そんなことがあったって知らなきゃ、区別しようという発想すら浮かばないじゃないすか! 自分たち世代がした後ろ暗い事実は、黙って墓まで持ってってくださいよ!」
おれごん調の意訳です。たぶんこんなだったかと。
まるでドラマみたいでしょう? おれごんも当時そう思いました。純粋にかっこよかった。
この意見はクラスメイトから当時かなりの支持を集めました。先生は毅然と反論しましたがしかし、誰しもの腑に落ちる答えとはならず。先生も若かった、ただの正論でしかなかった。
おれごんはというといずれの見解にも違和感を持ち、英雄を手放しで支持できず、先生にも理解を示せず。中庸でもなく、モヤモヤしたはっきりとしない第3の考えでした。
キノの旅かなにかの一編で、過去の黒い歴史を故意に隠匿することにより、新しい世代からリセットしようというお話がありました。(ほかに先んじた作品もありましょうが、おれごんが初めて触れたのがそれでして)
あれなどはまさに我が同窓の願いをシミュレートしたものでしょう。
そのお話の結末がどうだったか。
きちんとは覚えていません。おそらくは過去と同じあやまちをおかす、だったと思います。
ヒトはね、結局のところ愚かなんですよ。知らなければ、知らないがゆえに同じあやまちを演じてしまう。
2度もの大戦を手痛い教訓としたからこそ、3度目はまだ起きていない。ヒロシマナガサキを知っているから、3発目はまだヒトの頭上に落とされてはいない。
だからこそなんですよ。痛みだってちゃんと伝えなきゃ、傷つける引き金は羽毛のように軽い。痛みを知るからこそ、される側を慮り、振りおろす手がにぶる。
過去の歴史という人類の恥部を敢えて、未来へ赤裸々に開示する。その崇高な思いのうえに人権教育は立脚しているんです。尊い。
実はロボに差別を盛り込めないかと試行錯誤しておりまして。錆びたおれごん脳みそメモリー内をすみずみまで検索しておりましたらふと、同級生のことを思い出した次第。
彼も元気でいるでしょうか。学校を休むことの多かった我らが英雄よ、おれごんはまだ、あの日のことを覚えていますよ。




