第93話 編みたいとつねづね
自分たち以外はなにも持たない異国の部屋で、健康をそこねた家族の就寝後をひとり見守る警備に夜な夜な6時間。初日からもてあますあふれるほどの時間に、頭の多くを占める不安をできうるだけ圧縮して、どうにか毎晩やりすごすのにひと役かってくれたのが執筆。一切合切棚上げして、ひとり逃げこんだ物語の世界。
葛藤をぜんぶ文字にして、ひとつひとつ丁寧に、きちんと答えを導いて。物語にしたら70万字。怨念にも近しい処女作となりました。
あれはおれごんの切望ですが、おれごん家の呪いでもあります。愛しくも悲しいはじめての物語。
人ひとりの人生そのものを見つめるお話は、おかげでわたし自身を見つめなおす機会ともなりました。自らの立場とか、環境とか。
今はどうですか。
コロナは去り、みなさんが忙しく動いている輪の中にあり、自分も同じ速度を出さなければならない。
凄まじきはそのスピードです。落伍者が出てもとまらない、国家も、経済も、交通も。学校だってとまらない。
だってとまったらあれもこれもぜんぶウソってなっちゃう。確実に大多数は路頭に迷う。だから少数の落伍者は、落伍するような者なのだと烙印を押して。
おれごんは輪から出た外から見ているからわかります、そうした社会はいびつなのだと。
手はさしのべることになってはいるけれど、自己責任。自らは自らで回復するのが普通。
そのほうが自然だと。摂理だと言うのかもしれませんが。だったら平等なんて言葉は軽々に口にしてはならない。同じに幸福になる権利があるのだとむやみに励ましてはならない。
正直に言ってください、落伍したおまえは一段おちるのだと。社会は富めるもののために存在するのだと。
でも世の中って、富める人よりも落伍者の方がたぶん多い。そして落伍しそうでギリギリ耐えている人のほうが、不自由なく暮らせている人よりもおそらく多数を占める。
そんな苦しむ大多数のために、そんな人たちが前向きになれるような物語を、同じ苦しみをもつ者として。編みたいとつねづね。




