第89話 ちがう、そうじゃない
少し前の記憶すらあいまいなおれごん、もうどのサイトで拝読したかも定かではありません。
最近とってもポジティブシンキングなエッセイに触れまして。生きづらさを前面に出さず、明るく楽しく。
もちろんその書かれた方だって現代社会に参画していてストレスフリーなはずはありません。作者さんだって人の子。たとえそうだとしても前を向けるというような、あったかエッセイでして。
おおいに共感されることと思います。励まされ、元気づけられ、勇気をもらい。ひとつの羅針盤たりえる。
でもおれごんはそうはならなくて。
わたしもたいがいポジティブ人間ですけども、生きづらさってぜったいにすごい割合を占めています。
たとえば学校ひとつ挙げても大変じゃないですか。
事件に事故、理不尽な同級生、無理解な先生。先生ったって聖人君子ばかりではないですからね、大人になったらわかる、どこにでもいる普通の人。善人がいればそうでない方もいて。
社会に出てからもそう。
ひとりで仕事はできません。善人からそうでない方までいる社会のなかで、どうにかやり過ごしている。どうやらここは通れそうという場所を、選んで隠れて暮らしている。
やっぱりね、どんなに前を向いていたって、心に傷のひとつやふたつ抱えて進んでいるんですよ私たちは。私たちは小さな胸をあの日傷めてここにいるんです。
だから小さな生きものに心を許すし、守ってあげたい、手を差し伸べてやりたいって感じる。自分と同じ目に遭わせたくなくて。あの日の自分を助けたくって。
そこにポジティブでもいいじゃない、ってエッセイがしゃらんと出てくると、そうかんたんでもないでしょって思っちゃう。自分もそうあれたならって、理想像ではあっても下から見上げるだけ。
だったら弱々なエッセイの方でいい。いつものやつがいい。
肋骨が折れてるのに、こんなのかすり傷さって言えない。ちゃんと傷ついてたよって言いたい。言わなくとも、ずっと胸に仕舞っていたい。
うずくまっている子に平気でしょ、なんて言えない。自分から話し始めるまで、視界に入らない隣でそっと、黙って寄り添っていたい。




