第74話 あの夏の日の1993
おれごんが実家を出てもう30年近くになります。
祖父母の死に目には会えませんでした。両親もおそらくはそうなります。
先日、恩師の壮絶な闘病に触れましてね。恥ずかしながら、ずっと前の出来事であったと。教え子失格、おれごんの知らぬ間に永眠されておりました。
地元では生前からニュースになっていて、病気と闘いながら教職を続けておられた。
先生はいろんなものを遺されていきましたよね。先生、おれごんは何かを遺すことができますか?
おれごんは氷河期世代に数えられるはずです。
日本を背負うはずだったボリュームゾーンは哀れ、不景気の煽りをもろにくらい。ポロリとこぼれてしまった同級生、イスを蹴っとばして去った同期入社。みなさんいかがお過ごしですか?
願わくば、みんながみんな自分より高いところにいてほしい。なんだおまえ、大したことないなと言われたい。だっておれごん、本当に大したことない。
飲食店経営をしていたあの子、プロボクサーのあいつは、今も元気にやっているでしょうか。騎手になった子、委員長、部活の先輩。食べるのに困っていなければと思います。
二度も三度もスマホが変わるあいだに、連絡先は逸失しました。いまと違ってMNPとかなかったから。
仮に番号が残っていたとして、電話をかけられるか。まだ当時の番号を使っていたとして、実際にかけられるのか。
実家を離れて30年、あそこにはもう、おれごんの根っこはありません。現在は根無し草。オレゴンに5年、現住所に3年。ふよふよふよふよ漂っています。
本気を出して、今でも連絡のつく数人をとっかかりに芋づる式にたどれば、かなりの人数に連絡はつくと思います。それでやったらいいんですよ同窓会を。今こそ。30年ぶりの再会。
何人かはこの世を去っているのでしょうか。
成人式のとき。たったの2年のあいだにもう3人も他界していました。2年どころか30年が経ったんですよ、尋ねるのもおそろしい。
おれごんは生きてますよ。そう伝えたい。
大きなケガもなく、病気もせず。あの変人は元気でやってます。
みんなも、どこかで元気にしているんだよね? ね?




